お正月は、今年のスタート。
正月三が日は、ずっと働いていました。
元旦の初仕事は、大正11年1月1日生まれの満百歳となった男性の起床のお手伝いでした。
百歳おめでとう❗
その贈る言葉に、車椅子の座り心地なのかな?
「自分でも驚くわぁ。もういくつ迎えられるかな、お正月。眠い。眠い。」という呟き。
お正月は高齢者の施設で、沢山歌って、御節食べて、書き初めをして過ごしました。
今日、正月四日。
今年初めての休日。
時々、雪まじりの氷雨が降っています。
自律神経によくない悪天候です。
小さなストレスだなぁ❗
ほんとうは、百島へ帰省したかったなぁ。
お墓参り、それから茶臼山城跡へのユックリ探検も。
百島でゆっくりと過ごしながら深呼吸できる時間。
百島帰省代わりに、映画マトリックスでも観に行くつもりです。
命の「生きる」という最大目的は、「眠る」ことかもしれません。
心と身体は、繋がっています。
誰もが、うつ、うつ病になる簡単な方法があるとの事。
毎日毎日、百回千回と「ため息」ばかり続けると、必ず鬱々状態となるようです。
つまり逆に、「笑う」と身体によいことがあるのは明らかです。
でも、ずっと、そう、「躁の状態」も困るけどね。
その一方で、笑うよりも、寝たり泣いた方が、よいこともあるようです。
とにかく、ストレスを放出排出する事が大切だとの事。
資本主義社会は、隠れたイジメ社会、奴隷制度と似たようなものだから、スピードアップ、効率化、利潤追求の世界は、自律神経も乱れて呼吸も浅くなります。
そんなストレス過重社会を避けないと、自分の健康寿命を縮めてしまいます。
小さなストレスを積み重ねると、大きなストレスとなります。
正直に言えば、高齢者ばかりの介護の施設現場に居ると、あまり長生きしたくないという気持ちになる事は、多々とあります。
ため息混じりに、幸せな余生だとは到底思えないのです。
ほぼ全員の高齢者が、愛情溢れる家族の中に戻りたいのです。
それが難しくなったのは、生活維持の為の経済効率優先の資本主義の弊害。
人生百年、百歳まで生きている高齢者は、ゆっくりと話す、ゆっくりと動く人が多いようにも映ります。
早く喋る高齢者、速く動く高齢者は、健康人生を過ごしているように映るけれども、案外と百寿まで届いてはないのです。
スポーツ選手の人生、寿命の例が、分かりやすいです。
命の脈拍の数は限りがあるというのは、昔からの逸話だと考えていましたが、案外正しい事実かもしれません。
長い生きしたいのならば、ゆっくり長い呼吸して、ゆっくりと脈々と生きる。
真逆に生きたいならば、「人生は興奮だ❗」です。
「この人生」をどう生きるかは、基本は身体。
体は、動く乗り物。
善い笑い、好い涙、良い眠りを日常生活の目標としましょう。
今年の初日の出を、まだ拝んでいません。
今年が、皆様のよりよい実り多い一年に成りますように。
踏ん張りましょう。