ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

人日の節句

2022年01月07日 | 易行難行修行

今日は、七草粥を頂きました。

古来、中国では、この日を「人の日」として、犯罪者への刑罰を行わなかったとの事。

これが日本に伝わり、いつの間にか一年の無病息災を願う七草の節句になったとの事。

さて、人間誰だって、大なり小なり、苦労されていると思います。

おまけに、コロナ禍の時代。

それなりに働いて、いくらかの生業、商売でもしていれば、そりゃ、いかにも苦労している人間に関しては、よく分かるものです・・銀行は、相手にせず・・中小企業は、またまた休業、倒産、非正規労働者は失業が相次ぐようです。

苦労って、金の苦労、病気の苦労いろいろだけど、見るからに苦労人って、それが現実にいちばん向きあっている生き方なので、ホンマモンの人間なのかもしれません。

愛読書のひとつに、夏目漱石の「私の個人主義」があります。

現代でも、全く遜色のない「生き方」が語れています。

最近、作家の五木寛之さんと京セラ創業者、KDDI(auの最高顧問)でもある稲盛和夫さんの対談集「何のために生きるのか?」を読んでみました。

お二人は、九州男児の同年生まれ・・共に仏教道に深く心根ざす生き方を傾注されています。

釈迦の六波羅蜜の教えを絡ませて、生きている魂を磨いているようです。

お二人とも、最終的には「死への準備」を模索しながら生きてのでしょう。

最近、「生きがい」ならぬ「死にがい」という言葉も使われています。

生きがいのある街(がい)、死にがいのある街(がい)・・村や島ではないの?

このまま書き終えると、何だか中途半端な暗い気持ちになります。

去年末に亡くなった、瀬戸内寂聴さんの簡便な法話を以下に列挙します。

人間笑っていないと幸せがこない。

貧乏神も病気も、笑わない人が好き。

「自分は元気だ。幸せだ」この言葉で病気が逃げ出す。

子供の出来が悪い。
それはあんたの子だから出来が悪い。(笑)
そう思えば腹が立たない。

自分の幸せを考えているだけでは、本当の幸せではない。

私達は死ぬまで可能性がある。

死ぬまで自分を変革することができる。

死んだらどうなるかって、よく聞かれるけど、そんなことわからない。(笑)

いろいろ予定を立てたって、その通りにならないことが多い。

だから先のことをくよくよ思い煩うことない。
もう仏様に任せておけばいい。

とにかく「自分は元気だ」「自分は幸せ」とか・・そういうふうに「いい」風に考えましょう❗

さてさて、身の持ち物を整理処分していると、若い頃に買ったカセットテープが沢山出てきたけれども、ウォークマンはあるけれども、ラジカセが見つかりません。

ラジカセを買い求めて、大型電器店に足を運びました。

久しぶりに行くと、何か分からないけど、製品を見るだけなのに技術進歩から取り残されている感覚、浦島太郎になったような気分でした。

因みに、ヤマダ電機・・宣伝ではないけど、店内にカフェがあったり、過ごしやすかったのも事実です。

世の中の売り場を、もっと歩いてみようと考えました。