幼い頃から、「百」という文字に異様に興味を抱いていた僕ですが、この歳になって気づいたこと。
百とは、めでたき文字で、万(まん)と朕(ちん)に相通ずるものだと確信しました。
万葉の時代、もも、百敷(ももしき)とは、帝(天皇)の御所、宮中を意味しておりました。
今日は、「令和」を引用した万葉集の梅花の宴の中で読まれた歌32首の中で、「百」がついた名の人物が詠んだ歌を取り上げます。
万葉集の中で、一番多く歌を詠んだのが、大伴家持・・・万葉集の実質的な編集者です。
その父親が、大伴旅人・・・今、話題となっている梅花の宴の邸宅の主なのです。
天平2年(730年)、今から1300年ほど昔の平城京(奈良)時代。
わが園(その)に梅の花散る ひさかたの天(あめ)より 雪の流れ来るかも(大伴旅人)
(わが家の庭に梅の花が散る。はるか空から、雪が降って来るのかも)
↓
これを受けての大伴百代の歌。
梅の花散(ち)らくは何処(いづく) しかすがに この城(き)の山に雪は降りつつ(大伴百代)
(梅の花が散っているのはどこだ? それにしても この城の山には雪が降り続いている)
散りゆく梅の花を、意図的に雪に間違えて、梅の花は、雪なり。と笑いを誘う、とばけて詠んだ歌です。
はて、大伴百代(百世)とは、どういう人物だったのかな?
万葉集に、他にいくつか歌を詠み残しています。
ミヒャエル・エンデの名作「MoMo モモ」・・・時間泥棒から時間を取り返す少女の物語を連想します。
時間の花(百花)が、天から降りてくるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます