「お母ちゃん、今、羽田空港にいる。テレビ点けて観てよ。もうすぐエリザベス女王の飛行機が着くからね。」
1975(昭和50)年5月7日午後、羽田空港の公衆電話から、百島の母ヘ電話した内容です。
母と同年代のエリザベス英国女王が、日本ヘ来る❗
大憲章マグナカルタ、シェイクスピア、ニュートン、精教徒(ピューリタン)革命、産業革命、蒸気機関車、クリスマスキャロル、王様と乞喰、ディケンズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、007シリーズの映画、後に、炎のランナー、ハリー・ポッターまで生んだ、七つの海を制覇、日が沈まぬと言われた大英帝国です。
さて、蒸し暑い日でした。
当時、上京したばかりの18歳の浪人生だった僕は、保ちゃんを誘ったけど授業があるという事で行けないとの事、一人浜松町からモノレールに乗って羽田空港ヘ。
英国連邦の元首というエリザベス女王という存在は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等々の女王でもあるのです。
英国連邦の女王の初来日、歴史的な1日のイベントに日本人として歓迎しないとね❗
羽田空港到着、タラップから降りたエリザベス女王は、さぞ驚いたかもしれません。
歓迎デッキで出迎えた一般日本人は僅か数百人? 多分、百人も居なかったかもしれません。
それでも、女王はこちらにタラップから手を振っていたのかな?
1926年生まれのエリザベス女王、初めて日本の地に降り立ったこの時、48歳か49歳。
人生半ば、エリザベス女王の生涯で最初で最後となる一度だけの来日。
東京、関西、伊勢という押し込まれたような日本滞在でした。
もう二度と来なかった日本訪問。
昨日、九月九日、重陽の節句の朝。
朝のトップニュースは、英国のエリザベス女王の死去(96歳)。
女王が、もっとも愛していたスコットランドの地で生涯を終えたとの事。
ロンドンのバッキンガム宮殿、ロンドン生活が嫌だったのでしょう。
今はどうか分かりませんが、特に夏季のロンドン街中にいると、鼻の中が真っ黒になりました。
鼻の中が黒くなるぐらい空気が汚れている生活環境からは、誰もが逃げ出したくなります。
英国の田舎暮らしが、世界中の金持ちからさえも憧憬の地としてステタースが上がったのも、当然必然の成り行きでしょう。
世界からは、かつての大英帝国から斜陽の国と呼ばれながらも、サッチャー首相、ダイアナ妃、クイーンマザー(女王の母)が活躍、話題となる時代でした。
極東の島国日本が日が昇るような存在感があった円高の時代です。
極西の島国英国は、斜陽の国と呼ばれていたポンド安の時代です。
共通するのは、島国気質と車の左側通行だと話していたエリザベス女王。
その存在感は、今ひとつ軽い存在でした。
それでも、英国ブランドは重厚感がありました。
サッチャーさんが去り、クイーンマザーも去り、ダイアナ妃も去り、その後、段々と重みを増すようになるエリザベス女王の存在でした。
人間長生きして、当たり前の事を言い伝え、行動すれば、尊敬に値する人生となることを示してくれた英国王室。
その規範模範となる女王の在位70年間、百年近い生涯でした。
「君臨するが、されども統治せず」の女王陛下の国。
歴史上の人物になられた女王陛下に、合掌。
英国には、日本のような成文憲法はありません。
英国の凄さは、憲法という集大成の法律が無い国、不文憲法の国なのです。
中世に作られた大憲章、権利の章典など歴史的な文書、裁判の判例法、政治的な重要慣習
重要な法律等々が「英国憲法」となるのです。
日本を含むほとんどの国は、特定の憲法法規を持つ成文憲法です。
だから、容易に憲法を改正する国、憲法改正の声が挙がります。
これからは、国王陛下の英国、戦争を助長するようなキングダムになりませんように。
ふたたび、名誉革命が起こるような世界になりませんように。
不文憲法、日が沈まぬ理由が分かるような気がします。
1975(昭和50)年5月7日午後、羽田空港の公衆電話から、百島の母ヘ電話した内容です。
母と同年代のエリザベス英国女王が、日本ヘ来る❗
大憲章マグナカルタ、シェイクスピア、ニュートン、精教徒(ピューリタン)革命、産業革命、蒸気機関車、クリスマスキャロル、王様と乞喰、ディケンズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、007シリーズの映画、後に、炎のランナー、ハリー・ポッターまで生んだ、七つの海を制覇、日が沈まぬと言われた大英帝国です。
さて、蒸し暑い日でした。
当時、上京したばかりの18歳の浪人生だった僕は、保ちゃんを誘ったけど授業があるという事で行けないとの事、一人浜松町からモノレールに乗って羽田空港ヘ。
英国連邦の元首というエリザベス女王という存在は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等々の女王でもあるのです。
英国連邦の女王の初来日、歴史的な1日のイベントに日本人として歓迎しないとね❗
羽田空港到着、タラップから降りたエリザベス女王は、さぞ驚いたかもしれません。
歓迎デッキで出迎えた一般日本人は僅か数百人? 多分、百人も居なかったかもしれません。
それでも、女王はこちらにタラップから手を振っていたのかな?
1926年生まれのエリザベス女王、初めて日本の地に降り立ったこの時、48歳か49歳。
人生半ば、エリザベス女王の生涯で最初で最後となる一度だけの来日。
東京、関西、伊勢という押し込まれたような日本滞在でした。
もう二度と来なかった日本訪問。
昨日、九月九日、重陽の節句の朝。
朝のトップニュースは、英国のエリザベス女王の死去(96歳)。
女王が、もっとも愛していたスコットランドの地で生涯を終えたとの事。
ロンドンのバッキンガム宮殿、ロンドン生活が嫌だったのでしょう。
今はどうか分かりませんが、特に夏季のロンドン街中にいると、鼻の中が真っ黒になりました。
鼻の中が黒くなるぐらい空気が汚れている生活環境からは、誰もが逃げ出したくなります。
英国の田舎暮らしが、世界中の金持ちからさえも憧憬の地としてステタースが上がったのも、当然必然の成り行きでしょう。
世界からは、かつての大英帝国から斜陽の国と呼ばれながらも、サッチャー首相、ダイアナ妃、クイーンマザー(女王の母)が活躍、話題となる時代でした。
極東の島国日本が日が昇るような存在感があった円高の時代です。
極西の島国英国は、斜陽の国と呼ばれていたポンド安の時代です。
共通するのは、島国気質と車の左側通行だと話していたエリザベス女王。
その存在感は、今ひとつ軽い存在でした。
それでも、英国ブランドは重厚感がありました。
サッチャーさんが去り、クイーンマザーも去り、ダイアナ妃も去り、その後、段々と重みを増すようになるエリザベス女王の存在でした。
人間長生きして、当たり前の事を言い伝え、行動すれば、尊敬に値する人生となることを示してくれた英国王室。
その規範模範となる女王の在位70年間、百年近い生涯でした。
「君臨するが、されども統治せず」の女王陛下の国。
歴史上の人物になられた女王陛下に、合掌。
英国には、日本のような成文憲法はありません。
英国の凄さは、憲法という集大成の法律が無い国、不文憲法の国なのです。
中世に作られた大憲章、権利の章典など歴史的な文書、裁判の判例法、政治的な重要慣習
重要な法律等々が「英国憲法」となるのです。
日本を含むほとんどの国は、特定の憲法法規を持つ成文憲法です。
だから、容易に憲法を改正する国、憲法改正の声が挙がります。
これからは、国王陛下の英国、戦争を助長するようなキングダムになりませんように。
ふたたび、名誉革命が起こるような世界になりませんように。
不文憲法、日が沈まぬ理由が分かるような気がします。
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