先日、若狭地方で「陰陽師とは何者か?」という催事がありました。
若狭地方の小浜市、名田庄村まで久しぶりに出掛けて参りました。
名田庄という地名は、広島に居た頃の高校時代から知っていました。
何故かと言うと、この地で歌い手の高石ともやさんが暮らしており、地名に由来するナタシャーセブンというフォーク・グループを結成して活躍していました。
それと、当時、兄の竹馬の友である今は亡きヨっちゃん(高校教師→版画家)から、高石ともやさんに会うために京都の山奥まで出掛けたという話を聞かされていたからです。
実際、名田庄村の所在地は福井県、一つ山を越えると京都府になる所に位置しています。
初めて名田庄を訪問したのは、もう30年以上昔です。
こんな美しい山郷があるのか❗と思うぐらい道端には草一本も生えていない、村全体がよく手入れしているなぁ、ヨっちゃんは、どの辺りを歩いたんだろう?と思いながら感心しました。
今は過疎化が進み若い衆も少なくなり草刈りをする場所も多々と増えていました。
ただ、公共トイレは綺麗に掃除されていました。
観光地、訪問先での印象の良し悪しは、間違いなくトイレの掃除具合、手入れです。
さて、陰陽師とは何者か?
話を戻すと、名田庄は、平安時代から美しい山郷だったのでしょう。
平安中期の千年昔に生きた陰陽師安倍晴明を祖とする土御門家が応仁の乱の際、ここに疎開していました。
朝廷に仕えた土御門家は、明治初期まで陰陽師を統制していたから驚きです。
因みに、陰陽師とは、占い、呪い、曆を作る人。
土御門家は、一時この名田庄村から占いや祭りを行い、呪符や神札を配ることで生活の安寧を祈りました。
江戸時代に入ると、幕府に仕えた渋川春海(安井算哲)が登場、日本最初の地球儀を作り太陰暦の和曆を世に出します。
天体観測していた安倍晴明も渋川春海も、「地球は動いている」とは語らず。
何を考えていたのかな?
胸に仕舞い、遅かれ早かれ誰もがいくあの世に逝ったのでしょう。
名田庄の空に浮かぶ雲は、いつも不思議です。
百島と同様に時間を取り戻せる観天望気の地かも知れません。
名田庄にある曆会館です。
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