神在の 出雲にゆけぬ さみしさよ
終活を知って、生活を実感する、この悲しさよ。
若い時は、生活という言葉は宙に浮いていた。
それが、古稀を過ぎ、傘寿を目指す高齢者ともなると、生活問題よりも死活問題が、命題となる。
人は、どこから来て、どこへゆくのかの、明快な解答もなく、遅かれ早かれ、この世を去ってゆく。
生老病死、四苦36八苦72の煩悩108は、紆余曲折の阿弥陀マラソン。
愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦が、こころを攻めたてて、人生を総括する。
第二次世界大戦の、生死を潜り抜けた世代を親とする団塊も、はや晩年。その日没(ゴール)を百まで伸ばそうという時代。
かたや、ウクライナとロシアの戦争は、賢明な仲裁役もなく報讐の泥沼化。
鬱屈したコロナ禍と戦争。
全ては、人の心根の、四苦八苦から噴出した吹出物。
不透明な心の問題を浄化するには、光明真言を天高く唱えること。
その事こそが、世界の空を遍照するに違いない。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボタラマニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 」。
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