ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

春は何?

2013年05月28日 | 資本と社会の問題
金閣寺よりも、銀閣寺の方が、個人的には自分好みです。

銀閣寺は、慈照寺と言います。

しかし、銀閣寺を築造した室町幕府の将軍足利義政は、慈照という想念を窮民にではなく、贅沢な東山山荘の建立に集中したのです。

当時、最大の飢饉に直面しているのにもかかわらず全く対策を講ぜず、日々、銀閣寺の築造に没頭した将軍だったようです。

だから、立派な世界遺産として残っていますが、天下の統治者としては、無能というか、失策です。

一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、飢饉に際して、領国内の農民に年貢を免除したと言います。(天下草創)

さらに、江戸幕府を創始した徳川家康は、二代将軍秀忠に、金銀の大いなる遺産を軍事の次に「窮民に対しての慈恵的救済」に使うようにと厳命しています。(天下一統)

近代社会になっても、同様です。

国家政府が、何を基準として、国民の「さいわい」を導こうとするのかが・・問われるのです。

「夏は麦、秋は米、冬は銭、多少にかぎらず、老若男女各志を運び申すべき事」

・・三浦梅園さんへ。

「春は何?」

百美人。

2013年05月28日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
昨夜のNHKテレビ・・「鶴瓶の家族に乾杯」。

福山の鞆の浦が出ていました。

走島って、村上姓の名字が多いんだ!

鞆の町・・あんなに垢抜けていたかな?

とても雑然とした町並みのイメージがありました。

ゲストの関ジャニ・エイトの村上クンの祖父は、福山市水呑町出身とか・・芦田川の沼隈側にある鞆の浦に近い地域です。

高校の同級生に、鞆から一人通っていたのがいました。

ある日、彼が、百島に来て居たので、ビックリしたことがあります。

聞けば、父親が百島出身だとか言っていました。

とても、いい人間でした。

さて、村上姓のルーツですが、これも百島絡みで展開すると興味深いことが浮かび上がります。

村上姓の系譜は、非常に複雑で大きいのです。

清和源氏を起源しているのも不思議です。

そして、海の村上、陸の村上・・瀬戸内海から越後・奥州にも及びます。

百島絡みで理解しやすいのが、赤松一族が、ルーツの起源を「村上源氏」としているところです。

源氏の旗は、「白」なのです。

百島の古い言い伝えで、嘉吉の乱のあと、「赤松一族七人衆が、百島に住み着いた」とあります。

七人衆と言っても、七人だけではありません。

その家族、家来の一族郎党の数十人が、同時に逃れてきたと考えられます。

勿論、百島村上一党の庇護のもとに、許されたのでしょう。

蘇民将来の子孫也の京都八坂神社から、西へ伸びる四条大通り沿いには、百島絡みの地名が多く残っています。

時系列、歴史的考察や背景を無視して、展開していいものか、どうか?・・大変です。

余談ですが、この頃、雑踏的な古都になりつつある京都よりも、古都金沢の方に興味が魅かれます。

加賀百万石という意識が、無意識に強く大切なアイデンティティとして働くのでしょう。

だから、石川県は、加賀美人が多いです。

いいえ、そうではなくて・・金沢は、百万石の「百」という文字を貴重に扱う地域です。