金閣寺よりも、銀閣寺の方が、個人的には自分好みです。
銀閣寺は、慈照寺と言います。
しかし、銀閣寺を築造した室町幕府の将軍足利義政は、慈照という想念を窮民にではなく、贅沢な東山山荘の建立に集中したのです。
当時、最大の飢饉に直面しているのにもかかわらず全く対策を講ぜず、日々、銀閣寺の築造に没頭した将軍だったようです。
だから、立派な世界遺産として残っていますが、天下の統治者としては、無能というか、失策です。
一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、飢饉に際して、領国内の農民に年貢を免除したと言います。(天下草創)
さらに、江戸幕府を創始した徳川家康は、二代将軍秀忠に、金銀の大いなる遺産を軍事の次に「窮民に対しての慈恵的救済」に使うようにと厳命しています。(天下一統)
近代社会になっても、同様です。
国家政府が、何を基準として、国民の「さいわい」を導こうとするのかが・・問われるのです。
「夏は麦、秋は米、冬は銭、多少にかぎらず、老若男女各志を運び申すべき事」
・・三浦梅園さんへ。
「春は何?」
銀閣寺は、慈照寺と言います。
しかし、銀閣寺を築造した室町幕府の将軍足利義政は、慈照という想念を窮民にではなく、贅沢な東山山荘の建立に集中したのです。
当時、最大の飢饉に直面しているのにもかかわらず全く対策を講ぜず、日々、銀閣寺の築造に没頭した将軍だったようです。
だから、立派な世界遺産として残っていますが、天下の統治者としては、無能というか、失策です。
一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、飢饉に際して、領国内の農民に年貢を免除したと言います。(天下草創)
さらに、江戸幕府を創始した徳川家康は、二代将軍秀忠に、金銀の大いなる遺産を軍事の次に「窮民に対しての慈恵的救済」に使うようにと厳命しています。(天下一統)
近代社会になっても、同様です。
国家政府が、何を基準として、国民の「さいわい」を導こうとするのかが・・問われるのです。
「夏は麦、秋は米、冬は銭、多少にかぎらず、老若男女各志を運び申すべき事」
・・三浦梅園さんへ。
「春は何?」