2馬力船外機ボートに関連して、百島の同級生の情報から、懐かしい思い出が甦りました。
昔は、船舶免許無しでも船外機ボートに乗れたとか。
それが、30年ほど昔、20代前半の頃に免許制になったとか。
それでも、夜釣りにも使っていたけど、万が一、海上保安庁の船が近づいて停船を求められる状況になった場合・・、「船外機のエンジンを海の中に落として捨てる」つもりだったとか。
それぐらい厳しい罰則令があったのかな・・?
夜釣りよりも、カキの養殖いかだに寝そべって、満天の星を眺めていた記憶の方が強いです。
伝馬船を櫓で漕いで、一緒に夜釣りに行った思い出はあるけど、船外機ボートで釣りに出かけた記憶はないかな?!
伝馬船を櫓で漕いで、百島を一周をした思い出も甦りました。
横島の横に浮かぶ当木島あたりまでが、限界だったかな・・。
あの先は、潮の流れが速くになり、とても弓削島、生名島方面まで、伝馬船を櫓で漕ぎ出してゆくのには、勇気が必要でした。
帰りの潮路も、大変でした。
父が子供の頃、父の祖父が、伝馬船に百島大根を山積みにして、香川県善通寺にあった旧陸軍第11師団駐屯地まで納めに出かけていたようです。
百島から四国の善通寺まで、大根を積んだ伝馬船に、独り櫓を操りながら、瀬戸内海を横切って渡る光景を想像すると、勇気が湧いてきます。
昔の人は、潮の目を読むことができたのでしょう。
おそらく、櫓を漕ぐというよりも、潮の流れを読みながら、櫓の角度を変えて、櫓を海に挿して「舵を取りながら伝馬船を進めていた」のかもしれません。
そうでないと、潮の満ち引き、潮の流れに抗して、「櫓を漕ぐ」というだけの人力ならば、大変な労力となる消耗エネルギーになります。
人力に、自然の力を借りて、尽力となるのかもしれません。
待てば海路の日和あり・・かなぁ。
昔は、船舶免許無しでも船外機ボートに乗れたとか。
それが、30年ほど昔、20代前半の頃に免許制になったとか。
それでも、夜釣りにも使っていたけど、万が一、海上保安庁の船が近づいて停船を求められる状況になった場合・・、「船外機のエンジンを海の中に落として捨てる」つもりだったとか。
それぐらい厳しい罰則令があったのかな・・?
夜釣りよりも、カキの養殖いかだに寝そべって、満天の星を眺めていた記憶の方が強いです。
伝馬船を櫓で漕いで、一緒に夜釣りに行った思い出はあるけど、船外機ボートで釣りに出かけた記憶はないかな?!
伝馬船を櫓で漕いで、百島を一周をした思い出も甦りました。
横島の横に浮かぶ当木島あたりまでが、限界だったかな・・。
あの先は、潮の流れが速くになり、とても弓削島、生名島方面まで、伝馬船を櫓で漕ぎ出してゆくのには、勇気が必要でした。
帰りの潮路も、大変でした。
父が子供の頃、父の祖父が、伝馬船に百島大根を山積みにして、香川県善通寺にあった旧陸軍第11師団駐屯地まで納めに出かけていたようです。
百島から四国の善通寺まで、大根を積んだ伝馬船に、独り櫓を操りながら、瀬戸内海を横切って渡る光景を想像すると、勇気が湧いてきます。
昔の人は、潮の目を読むことができたのでしょう。
おそらく、櫓を漕ぐというよりも、潮の流れを読みながら、櫓の角度を変えて、櫓を海に挿して「舵を取りながら伝馬船を進めていた」のかもしれません。
そうでないと、潮の満ち引き、潮の流れに抗して、「櫓を漕ぐ」というだけの人力ならば、大変な労力となる消耗エネルギーになります。
人力に、自然の力を借りて、尽力となるのかもしれません。
待てば海路の日和あり・・かなぁ。