まったり まぎぃ

愉快な仲間たちの事、日常生活で思う事、好きな事あれこれ。

助言をするということ

2011-06-21 10:11:20 | 雑文
別に、助言を求められる事もあまりないのだけれど。

それでも、最近ふと思う事があります。

人に、助言が出来ると言う事は素晴らしいことだ…と。

別に、それが役に立つかどうかというのが問題じゃありません。
立派な意見かどうかも問題じゃありません。

それでも、一つの事に対して、一生懸命考えて、相手の立場になって、自分の立場で考えて、新しい考え方、別なモノの見方、方法等を提案するんですから。

一人の人間としてきちんと生きて経験してこなければ、それはなかなかできないものじゃないかと思うんです。

経験、知識、ともに不足してる私には、なかなかそれが出来ません。

ただただ受け止めるだけなんです。
「こうすれば?」
とか
「こうした方が良いかも」
とか
「こういう方法もあるんじゃない?」
…とかね。
言ってあげたい時がよくあります。

今すぐ役に立つ事じゃないけど…と、いつか人に助言を与えられるような人になりたいです。
もう、そんな悠長な事言ってる年でもないんですが…。
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理解すると言う事

2010-11-07 14:42:38 | 雑文
介護をするようになって、よ~く考える事があります。

考え方とか、信念とか、人それぞれだという事は頭では理解していたつもりです。

今まで、結構人と話す方だと思ってましたし、自分の意見ははっきりと述べる性格ですから、自分の気持ちや相手の気持ちを誤解して理解しているなんて、思っても見ませんでした。

とことん話せば、気持ちは理解しあえる・・・と思ってました。

でも、それは私の単なる勘違い、思いあがりに他ならないって事をつくづく感じるようになりました。

相手の言動から、その人の気持ちを推察しますよね。
その推察が、元々自分の経験からはじき出されたモノですから、かなり個人的なものなんです。
それに、気が付かなかった・・・。
はじき出された推察は、コンピューターの数値の様に唯一無二のモノ、動かせない万人共通の“真実”であると思い込んでいました。

違うんですね、これが。

銀婚式を迎えた私たち夫婦でも、お互いの考え方をきちんとは理解していなかったんです。
推察さえも、違ってた事に気が付いた時、ちょっと、愕然としました。
それは、私だけじゃなく、主人も、かなり私の事を誤解してましたね。

それを、今までも少々は気が付いていたんです。
でも、ま・・・いいかってな感じで、見逃してきたわけです。
それで特に支障もありませんでしたから。

でも、こういう事情になった時、それでは誤解が誤解を生み、物事を進めるのに、後々で大きな障害となる事もあり得ると気が付きました。遅まきながら・・・。

あ・・・、ここで、私が言う“誤解”とは、相手の事を間違って悪く考えるという意味ではありません。
悪く・・・ではなく、全く別な意味に取り違えていたという意味です。

それを防ぐには、やっぱり話し合う事が一番の方法だと思います。
細かいところまで・・・。
“こんなこと、言わなくても判ってるだろう”
ではなく、
“言わなくても判ってるとは思うけど、こういう意味で言った”
とかが必要だと思うんです。

相手の表情から、もしや、誤解してる?・・・と思ったら、その時に確認或いは訂正しておくべきです。

ただ、理解出来たからと言って、それを納得できるかというと、それはまた別の話です。
理解=納得じゃないんです。

理解したから、意見に同意してくれると思うのは間違いです。
これが、私は判ってなかった・・・。

血のつながった親子の間でも、それは同じ事。
長年連れ添った夫婦は勿論。

平行線・・・というのを、この年になって初めて感じています。
こうなると、どちらかが諦めないと話は先に進まないものです。
結論を先に延ばす事が出来ない時は・・・。

まぁ、考えてみれば、話をすり合わせるというのも、そういう事ですかね?
でもね、どちらか一方が諦めるんじゃなく、それは、やっぱり歩み寄りが必要でしょ。

こんなことをつらつらと考えているまぎぃです。
結論は出ませんし、先も見えません。
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あと十日

2006-12-21 22:16:10 | 雑文

全く頭にありませんでした。

今年が、もうあと十日しか無いなんて事。

暦が何の意味も持たない生活をしているんだと、改めて思いました。

ただ・・・今日はどんな天気なのか。
寒いのか、暖かいのか。
朝御飯は食べたのか、まだなのか。お昼ご飯は、何にすれば良いのか。配達される晩御飯のメニューは何なのか。

血圧は?
薬は飲んだのか?
そして、ご機嫌は?

今日は、何を探しているのか。通帳?印鑑?TVのリモコン?
毎日違う、物の置き場所。食器棚にマヨネーズ。冷凍食品が庫外へ。で、冷蔵庫に食器用洗剤。

繰り返される、繰り返される問いかけ。
「あれ、何?」
「よく聞こえないから、何の事かさっぱりわからない。あれは何してるの?」
「あの人誰?」
「私は、今日一日何をしてた?」
「どうしてこんなになっちゃったの?」・・・etc.

”息継ぎしろよ”
と言いたくなります。

「今は、冬かね?」
晩御飯を食べている時、そう聞かれました。
「そうよ。」

こりゃぁ、呆けた者勝ちだな。
そう思ったら、馬鹿馬鹿しくて、情けなくて、悔しくて、アホらしくて、ご飯の味がしなくなりました。
”今は、泣かない!”
そう奥歯をかみしめたから、もう今は泣いてもいいですね。

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待たれてる言葉

2006-11-17 00:56:06 | 雑文

みんなが待ってる言葉を、私は知ってる。

全てが丸く収まる言葉を、私だけが持ってる。

皆の視線が、想いが、私に向かっているのも知ってる。
”早く、言い出して
って、
”その言葉さえ言ってくれたら、問題は一挙に解決するのよ
・・・って、皆の期待が私だけに向かってる。

でも、言えない。
言いたくない。

その言葉に、1%も私自身の気持ちは入ってないから。
私にとっての真実は、一欠けらも入ってないから。

それでも言わなきゃいけない時が来るのかなぁ。
押し通しちゃいけないのかなぁ。

無実の人が、余りの苦しさに、楽になりたい一心で罪を認めてしまう。
ちょっと例えが変だけど、でも、その”楽になりたい”という気持ちは、よく判る。
自分が我慢すれば、眼をつぶれば、今の、この苦しさからは逃げられる・・・。何処を向いても真っ暗闇のトンネルからは出られるかもしれない。
・・・そういう、”今”からの脱出だけを願ってしまう刹那的な想いも真実。

だけど、その言葉を発した後、私には何が残る?
皆のほっとした賞賛と感謝の言葉だけ。
そんなもの、一瞬で消えていくモノ達。

”迷ったら、苦しい道を選びなさい”
と先人、賢人達は言うけれど、それは、あなた達のポリシー。
凡人以下の私のポリシーとは、相反する。

自分の人生、何を選んでも後悔するのなら、自分の真実のこもった言葉を発したい。

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もう一人の自分

2006-11-08 11:09:58 | 雑文

多分、今、私は今まで一番嫌っていた部類の人間になってる気がする。
口に出さないまでも、心の中では一番嫌い、一番馬鹿にしていた部類の人間に・・・。

何故、そんな風にしか考えられないんだろう。
何故、解決の道を模索しないんだろう。
何故、人に頼り、人に結論を委ねようとするんだろう。
そして、何故、意味も無く、女の武器と言われる涙だけが、ただただ流れるのだろう。

先を見ようとしても、真っ暗なトンネルがただ続いているだけ。
そこで思考は停止してしまっている。立ち止まって真っ暗なトンネルを見つめているだけ。

足が・・・動かない。

今信じられるのは、誰かの服の袖口を掴んでいると言う事だけ。
確かに、一歩前には誰かが居ると言う事だけ。
私に判っているのは、この手を離しちゃいけないという事。

歩けよ!
自分の足で歩けよ!
頼らずに歩ける足があったはずじゃないか。

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15分のドライブ

2006-08-07 21:49:06 | 雑文

このまま帰りたくなくてハンドルを逆に切った。

何処に行こうか。
行く当ても無い。

何かしようか。
したい事も無い。

ただ、一瞬だけでも気持ちを自由にしたかった。

細切れにされた時間は、私を追い立てる。
細切れにされた時間は、私を追い詰める。

許される時間は15分。
だから、15分間だけの心の休み時間。

CDの音量目いっぱい上げて
この空間は私だけの空間。
外界から遮断された私だけの空間。

15分経ったらハンドルを戻そう。
帰ろう。

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心の音

2006-05-23 18:30:09 | 雑文

胸の奥が、こくん・・・と動く。明らかに一度、とくん・・・とする。

ある時は、どくっ・・・だったり、またある時は、ぎゅっ・・・だったり。

心臓がいつもと違う動きをする。
いや、心臓は規則正しく脈打っているはずだから、その動きは心臓じゃないのかも。

痛い、と感じたり、苦しいと感じたり。

若い時は、相手への想いが、その主たる原因だったように思うが、今は違う。
守備範囲が広くなったと言おうか、はたまた気持ちが弱くなったと言おうか。

とにかく今日も一回、心がとくっ・・・と鳴った。
とくっとなって、くーっと絞られて、何かがしんしんと積もって行った。
積もった何かは、私自身が理解できないまま、今度は音も無く消えて行った。

悪い感じじゃ無い。

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雑文 後悔

2006-02-19 18:25:13 | 雑文

なんて効果的なBGMなんだろう。
これじゃぁ、堪えていた想いが堪え切れずに溢れ出してしまう。
後悔してはいけない。後悔なんてしたら自分が何処までも深く沈んでいく事がわかっている。

それでも、後悔せざるを得ない。
あの時、あの飲み込んだ一言を発していれば。
あの時、後回しにしたあの事を、先にしていれば・・・。
あの時、物分りの良い振りをしなければ・・・。
あの涙を堪えた眼を見たら、昔に戻ってぎゅぅっとぎゅぅっと抱きしめたくなった。

大丈夫だ。大丈夫だ。
私はここに居る。
決して気づかれてはいけない。私がこうして後悔の念に苛まれている事を。
私は何時だって前だけを向いて歩いて来た事になっているのだから。
揺らぎの無い想いを持って歩いて来た事になっているのだから。
今まで、それに寄りかかって来てくれたのだから・・・。
だったら、そのまま揺るぎの無い私で居ようじゃないか。
揺るぎの無い私だと、思わせておこうじゃないか。
きっとそれが、私の今の後悔に報いる在り方だろうから。

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雑文 あの時

2005-08-18 18:20:18 | 雑文

「父さんが・・・。」
電話の向こうの弟の声が止まった。沈黙の中に、堪え切れずにもれる弟の喉の音が聞こえた。
問い返すのが辛かった。察しはついたが、確認するのが怖かった。
「どうした?」
[入院した。今度は危ないかも・・・。」
「わかった。帰る。あんたは大丈夫?」
「・・・うん・・・。」
実家が遠い事が、これほど辛く感じた事は無かった。

その後、母からの連絡が入った。
「今度は、喪服を・・・。」
「わかった。」
まだ亡くなった訳ではない。それなのに、喪服の準備をと言わなければならない母の例え様も無い悲しさが伝わって来た。

私が帰るまで息をしていて欲しかった。だから、延命措置をと弟に頼んでいた。しかし、母は言った。
「延命措置がどんなに大変な物か知ってる?見ていられないよ。これだけ頑張ったおとうさんに、これ以上の苦しみを与えたくない。自然にしてあげたい。」
異存は無かった。

その夜は、弟が一晩中父に語りかけていたらしい。今までの事、これからの事。静かに、枕もとで一人で語りかけていたと母が言った。
父が健在だった頃、弟はよく父に叱られていた。私には甘かった父だったが、弟には殊更に厳しくあたっていた。おそらく、かなり反発心も持っていただろうが、同じ仕事を始めて、先輩としての父と接するようになり、尊敬するようになったと、いつか話していた。そんな気持ちを順々に語りかけていたようだ。

やっぱり父は待っていてくれた。翌朝早く、私が子供達と駆けつけるまで・・・。その後も、次々と訪れる親戚達を全て無言で迎えて、そして静かに眠った。

いつ眠ってしまったのか、誰も気がつかなかった。呆気ないほど静かだった。そして、信じられなかった。私自身が夢の中に居るようだった。
悲しみが襲ってくるのは、ずっとずっと後になってからだった。

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慟哭

2005-08-09 17:39:59 | 雑文

何の前触れも無く
突然襲ってくる
テレビを見ている時
本を読んでいる時
人と話している時
かなりの時が経っていると言うのに
止められない

心臓をぎゅっと掴まれた様で
痛い・・・痛い
喉の奥が詰まって
声にならない声が洩れそうになる

奥歯をぐっと噛み締める

居ないんだ・・・
もう、会えないんだ

この想いは本能だ
身体を構成している細胞全部が痛んでる

だから
その想いに
正直になるしかない

悲しみなどという言葉では表しきれない
表現可能な言葉を
私は持たない

 

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雑文 父の手

2005-07-05 16:09:52 | 雑文
「結婚したくない」そう言った私を父は抱きしめた。初めてだった。幼い頃はともかく、こてこて日本人の家庭である我が家には、そういった習慣は無かった。だから、最初は驚き、緊張した。しかし、直後に涙が溢れた。
「ドライブにでも行って、気持ちを静めて来い。でも、必ず帰って来い。」そう言って、私の背中を押した。
ハンドルを握って、ものの5分と経たない内に私の心は決まっていた。
決して相手が嫌だった訳ではない。むしろ、気に入って付き合ってみても良いかな位に思っていた。しかし、結婚は別問題だった。
まだ自由で居たかった。誰かのために自分の時間を使うなんて、考えられなかった。自分自身の為だけに時間を使いたかった。仕事も漸く覚えたばかりだったし、自由になるお金もある。旅行もしたかった。趣味も広げたかった。
夜中まで時間を気にする事無く友達と喋りたかったし、休みの前の日には思いっきり夜更かしもしたかった。思いは膨らむばかりだった。今思えば、単なる我儘だったが・・・。
それらを全て封じ込めなくてはいけなくなるのかと思った。
しかし、私を誰よりも愛する、きっと私自身より愛している父を信じようと思った。父の判断を信じようと思ったのだ。
「結婚してもいいよ。」素直じゃなかった。心の中では、それが最上の選択なんだと言う事はわかっていたのだけれど、一度は拒否した立場上、手のひらを返した様な笑顔は見せられなかった。
今度は、父の大きな手のひらが私の頭を撫でた。また涙が溢れた。
「なーに泣いてんだ。」そう言ってまた父は頭を撫でた。私は何も言わずに心地よく泣いた。
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雑文 ただ一つの結論

2005-06-10 09:26:38 | 雑文
日頃私は思っている。対人関係の問題と言う物は、当人同士にしか解決できない物であると。行き詰まってどうにもこうにも出来ない場合でも、それを解決出来ないまでも、動かす事の出来るのは当人のみだと。
例えば、問題について誰かに助言を求めたとしよう。しかし、それは、話したAの個人的な見方、立場と言う物が必ず介在する。正確な状況の説明には決してならない。だから、求めて得られた助言と言う物も決して中立的な解決では有り得ない。
やはり、助言は助言でしかないのである。それを鵜呑みにするなどと言う事は、愚の骨頂。そして、自分に有利な助言をしてくれる者こそ真の理解者であると思うのは、誤解でしかない。ましてや、有利な助言に従うなどと言うのは、問題の解決を人任せにしているに他ならない。
しかし、助言を求めるなと言うのではない。立場の違う人の意見を聞くにとどめるべきなのだ。そうする事によって、問題の発生した相手Bの考えを少しでも理解しようとするべきである。自分に迎合しようとする意見のみを聞くのではなく、全く違った意見を助言として受け入れるべきである。
そうした上で、自分としての意見を構築し、問題解決に当たらなければならない。誰かの意見の受け売りであったり、多勢に無勢といった多数決的な意見では、問題の本質的な解決には程遠い物となる。
他に同じ問題は決して無いのである。AとBの間の、その時の、その状況下で起こった問題なのだから。第三者が発した意見が、真の解決方法になれるはずがない。当事者としての微妙な心の動き、揺れ、怒り、それを理解できるのは、当事者でしかないのだから。
だから、解決できるのは当人のみである。結論を出して、問題にピリオドを打つのも、当人のみである。それが他人には誤りと映ったとしても、それが真の解決なのである。それが他人には見慣れた結論であっても、それは表向きだけであって、そこに至った道程は一つとして同じ物は無いのだから。それが、その問題に対する唯一無二の結論なのである。
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雑文 父の字

2005-05-19 18:13:17 | 雑文
部屋の片付けをしていたら、父の文字が出てきた。散乱しつつあった手紙や書類の山の中から・・・。何の書類だったか思い出せないのだが、ふと裏返して見た所に書いてあった。覚書だったのか、まとまった内容の物ではなかった。
癖のある、でも整った、誰もが”達筆”と言った文字だ。幾分小さく書いてあったので、きっと病気が進行しつつある時の文字だと思われる。懐かしかった。もう二度と見る事は出来ないと思っていた文字だった。それにしても、何故田舎の家じゃなく、此処にあるんだろう。
小さい頃から、私の習字や作文の宿題を指導するのは父だった。私としては、もう自分で充分やっていけると思う頃になっても、父は目を通したがった。そして、習字は何度も書き直させられたし、作文は赤いペンで修正が加えられていた。殆ど、修正の箇所ばかりで、原稿用紙は赤く染まっていた。
だから、小学生の頃から、私の字は大人びていたし、作文は絶対小学生が使わないだろうと思われる言葉で埋まっていた。先生には、全てお見通しだったことだろう。
病気が進行するにつれ、父の字は段々小さく、読み難くなっていた。仕事をするにあたっても、私が代筆する事が多くなっていた。いつも、言った。
「お前に仕事を覚えてもらわないとな。だから書かせてるんだぞ。」
強がりだった。
そして、何時の間にか父の字を見る事が無くなっていた。常に口述筆記で、ペンを持つ事はしなくなっていた。強気の父は、書けなくなった自分を人前にさらす事が我慢できなかったのだと思う。それでも、弱気は見せなかった。母が父の名前を代筆する時は、よく言ったものだ。
「そんな字で、俺の名前を書いてくれるな。」
今、私の字は父に似ていない。しかし、身についた文章の形はそのままだと思う。やっぱり硬い。これを読んだら、父はまた添削の赤ペンを入れるのだろうか。きっと、真っ赤にしてくれるだろうな・・・と思う。
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雑文 迷い

2005-05-10 18:19:30 | 雑文
もっと楽な道は無いのだろうか。もっと、のんびりとした学生生活を送らせてやる事は出来ないのだろうか。この道しか無いのだろうか。
何度も問い返す日々が続いている。
誰もが通る道だから、そして私達も通ってきた道だから。ただそれだけで、同じ道を歩かせているような気がする。もっと違った道があるんじゃないのか。ふと疑問を持つ事が多くなってきた。
アルバイト、部活、恋愛等々。その中に勉強と言う文字は無い。それでも、充実している様に見える。
その中で、見えない先を睨んで、ただ走り続けている子。
その先に何があるのだろう。この道を行けば、努力した分、しなかった人より沢山の幸福が待っているのだろうか。その保証さえあれば、私は今以上に自信を持ってハッパをかける事が出来ようものを。
自分が来た道が正しかったのか、間違っていたのかさえも判らないのだから、導き様がないじゃないか。自分自身だって、これ以外の道を知らないのだから。
人は唯一つの人生しか知るすべは無い。輪廻転生したからと言って、それ以前の人生の記憶は無いのだから。
他人は他人、自分は自分と簡単に割り切ってしまえるものなら良い。
自分はどうだったのだろう。同じ世代の時に・・・。振り返ってみても、こういった迷いは無かった気がする。こういう迷いは、親だけに共通したものなのだろうか。
子供には、衣・食・住全てにおいて、将来苦労はさせたくないし、困難に立ち向かえるだけの力をつけてやりたい。与えてやれるのは、そういった教育の機会だけなのだから。残してやれるのは、お金じゃなく、教育を受けて身についた力だけなのだから。
そう信じるしかない。
それでも、楽しそうな学生を見ると、つい我が子と比べてしまう。その子達が味わえている楽しみを、私は我が子から奪っているのではないだろうか。つい、そう思ってしまう。
人には言えるのに・・・。
「他人と比べて親が動揺してはいけません。自分の子を信じる事です。何か事が起こった時、その時に初めて現状をよく見つめて検討すればいいのです。」
今日もそう言って、悩める母親を一人解放してあげたばかりなのに・・・。
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雑文 砂山

2005-04-30 16:05:25 | 雑文
あれは何歳の私だったのか。小さな、せいぜい5m位の砂山の上で、あちこち掘っては時折遠くを見る、そんな動作を繰り返していたのは。
視線の先には、グランドを駆け回る白いスポーツシャツの父が居た。ボールを打っては捕り、投げては打つ、草野球に興じる父が居た。
私のそばには、ひたすら砂を掘り返す小さな弟が居た。弟は私の様に父を探す事も無く、ただ自分の興味のままに足元を掘り返していた。
暑い日だった。早く迎えに来てくれないかと私は幾分砂遊びにも飽きていた。しかし、ゲームはなかなか終わりそうになかった。父も私達の方を気にかける様子は無かった。
もしかしたら父は私達の事を忘れてしまったんじゃないか、このまま一生この砂山の上で弟と二人過ごす事になるんじゃないだろうか。幼い私には、とてつもなく恐ろしい現実として、その情景が思い描かれていた。
泣きたくなって来ていた。何の不安も無く遊んでいる弟に無償に腹が立ってきた。
不安を打ち消すために、弟に対するちょっとした意地悪をするために、砂山から降りて、近くの松林に入った。散策するうちに不安も意地悪心も消えていた。その時、遠くから弟の泣き声が聞こえてきた。
「あ!泣かせてしまった。」
怒っている母の顔が目に浮かんだ。弟を泣かせると決まって私がしかられた。
あせって弟の所へ戻ると、そこには父が居た。弟を抱き上げて私の方を見た。
「どこ行っとったん?」
汗が光る顔で心配そうに言った。
私はとっさに思い浮かぶ言葉も無く、ただ黙って父の顔を見た。しかられると言う怯えと、やっと父が迎えに来たと言う嬉しさとがない交ぜになっていた。
「そろそろ帰ろか。待たせたな。」
叱られないと言う事がわかって、ほっとしたとたん、鼻の頭がじん・・・とした。
弟を抱いた反対の手で私の手を取った。嬉しかった。もう、この砂山で待たなくて良いんだ。堰を切ったように父に向かっておしゃべりを始めた私は、うんうんと頷きながら歩く父を時折見上げた。何度も見上げた。
車に乗り込む時、ふと砂山を振り返った。あの砂山も遊び場としてはなかなか面白かったと思った。また来てもいいな、とも、その時初めて思えた。
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