マッタリ風景

散歩写真と戯れ言のブログ

This is cave that people had lived here during early Jomon period.

2016年07月28日 | 散歩写真





遂に、関東甲信まで梅雨明けしました、今年は新潟が関東甲信に先駆けて梅雨明けするという珍しい年になりました。
今日も青空が広がって、気温が上がって、湿気が多いので、蒸し暑い天候でした。

こんな時、一番上の写真のように、洞窟に入るとヒンヤリとして、気持よく感じます。
写真の洞窟は、先日訪れた阿賀町室谷地区で撮影しました。
洞窟の名前は「室谷洞窟」と命名されて、かつては日本人のご先祖が住んでいたそうです。
いつの時代かというと、何と縄文時代の創世記から早期とのことです、この情報は洞窟前に立ててあった看板に書かれていました。

不思議なのは、今の時代でも、ここまで来るには、自動車で相当な山道をたどってくる必要があります。
縄文時代早期に、現代から考えれば、山奥に人が住んでいて、しかも世代を重ねたということです。

先日NHKで、長野県諏訪大社の御柱祭を扱ったドキュメンタリーを放送していました。
何故、御柱という行事が長野だけにあるのかという疑問を探る内容でした。
縄文時代、長野県はとても栄えていて、沢山の縄文集落ががあったようです。
しかも、稲作文化が日本に伝播して行った後も、最後まで稲作を受け入れなかったのが、長野県だそうです。
最後は稲作を受け入れたのですが、稲作を伝播させた神様に対して、縄文の神様が融合した結果、縄文の神事として御柱という行事が残ったのではないかという仮説でした。

縄文時代、貝塚が形成されたように、海の近くにも人々が住んでいましたが、山の幸を入手できる山間部にも人々が住んでいました。
それからすると、室谷の洞窟に縄文の人々が住んでいても、不思議ではありません。
多分、洞窟の回りでは山の幸があり、近くの川(常浪川)では川の幸があり、豊かな暮らしが営むことのできる環境だったのでしょうね。

ちなみに室谷洞窟は国指定の文化財に指定されていて、洞窟から発掘された出土品は重要文化財に指定されています、
不思議なことに、出土品は地元ではなくて、長岡市立科学博物館に収蔵されているそうです。
できれば、出土品を一回拝んでみたいなと感じました。








コメント
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