■San Franciscan Nights
/ Eric Burdon And The Animals (MGM / 日本グラモフォン)
1960年代のブリティッシュビートバンドの中で、特に我国でも絶大な人気を得ていたのがアニマルズだったという事実は、これまでにも度々書いてきましたが、その人気はエリック・バートンの粘っこいボーカルを主軸とした黒っぽいサウンドでした。
ところが、昭和42(1967)年に発売された本日ご紹介のシングル曲は、始まりこそトーキングスタイルのイカシたブルースロックでありながら、途中で一転! ほとんど気の抜けたビールのような、しょぼいフォークロックになるという、なんとも???の問題作……。
しかし、という内容が、実は当時の最新流行だったのも、また事実だったのです。
ご存じのとおり、アニマルズはアラン・ブライスの卓越したキーボードとアレンジのセンス、そしてエリック・バートンの物凄い歌唱力がジャストミートした「朝日のあたる家」で大ブレイクした後、いろんなゴタゴタから何度かのメンバーチェンジも行われ、結果的にエリック・バートンのワンマンバンド的な方向へと力関係が変化していったのですが、それでも基本はR&B中心主義を貫いていたのが、1966年頃までの実情でした。
ところが1967年になると、その本家アニマルズが解散!?!
そしてエリック・バートンは自らソロシンガーとして再出発するにあたり、バックバンド的な意味合いの強い新生アニマルズを率いることになり、その最初のヒットが邦題「サンフランシスコの夜」という、このシングル曲だったのです。
ただしバンドとしてのイメージはがっちりと維持されていて、当時のメンバーはエリック・バートン(vo)、ジョン・ウェイダー(g)、ヴィッグ・ブリッグス(g)、ダニー・マクローチ(b)、バリー・ジェンキンス(ds) という顔ぶれでしたが、レコーディングやライプステージではメンバー各々がマルチプレイヤー的に様々な楽器を担当していたという真相もあるようで、例えばジョン・ウェイダーがバイオリンを演奏している写真を、十代だったサイケおやじは洋楽雑誌で胸を躍らせながら見た記憶があります。
またバリー・ジェンキンスはナッシュヴィル・ティーンズから移籍してきた実力派というのも、ライプの現場では長尺演奏が求められていたサイケデリック時代に対応する人選だったのかもしれません。
そして実際、エリック・バートンと新生アニマルズは1967年初頭から渡米、つまりアメリカを拠点に巡業や新作のレコーディング活動をスタートさせたのです。
今日の歴史では、この1967年は所謂「サマー・オブ・ラブ」として若者文化のサイケデリックな風潮が注目されていた時期でしたから、ロックをメインにした業界にしても、完全にそれが無ければ相手にされないものがあったと思われます。
極言すれば業界主導によるヒット曲作りという、ある意味での産業ロックがサイケデリックのブームだった側面は否定出来ません。例えばシンボル的なヒットとなった「花のサンフランシスコ」とか、ジミヘンやザ・フーが強烈なステージを見せつけたモンタレーのロックフェスティバルにしても、何かと不純なエピソードがつきまとっているはずです。
ところが、そんな裏事情を知る由も無かった当時のサイケおやじは、明らかに従来のアニマルズとは雰囲気が大きく異なる「サンフランシスコの夜」を、それこそポカ~ンと口を開けて聴いていたのですから、良い時代でした。
分からないのも魅力のひとつ!?!
ちなみにその頃はビートルズが「Strawberry Fields Forever」を出し、我国芸能界はエレキとGSが主流になり、テレビではヒーローが悩み続ける「ウルトラセブン」が放映されるという、まさに新しい感覚が日毎に登場していたのですから、おそらくは現在のように保守的なサイケおやじであれば、完全に拒否反応の日々だったと思います。
しかし、そうならなかったは、自分の若さゆえでしょうねぇ~♪
本当に若いって素晴らしいですよ。
そんな分かりきったことを思うのは、この「サンフランシスコの夜」を聴くと、尚更に強くなります。つまり今の自分は、完全に老成モードの真っ只中という告白なのでした。