OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

芸能ロックだぜっ、カーナビーツ!

2010-04-29 15:54:57 | 日本のロック

好きさ好きさ好きさ / ザ・カーナビーツ (Philps)

現在の逼塞した国内状況を思えば、まさに昭和40年代は狂騒的な勢いがありました。

ですからエレキやGSのブームも当然が必然という感じを抱かれたとしても、それは高度経済成長という歴史的な裏付けだけでは説明のつかない、「なにか」があったと納得せざるをえません。

なんて、今回も理屈っぽい書き出しになったのは、本日の主役たるカーナビーツのハチャメチャな存在感があまりにもその時代にジャストミートしていたからで、本当に説明も謎解きも難しい魅力があったグループでした。

もちろんカーナビーツがデビューした昭和42(1967)年はGSブームが急上昇期とあって、その頃は毎日のように放送されていた歌謡番組には新人バンドが続々と登場していながら、中でも特にトンデモ系の呆れた勢いが、カーナビーツには最初からあったのです。

メンバーは臼井啓吉(vo)、越川弘志(g)、喜多村次郎(g)、岡忠夫(b)、アイ高野(ds,vo) という5人組ながら、なんと言ってもブレイクのきっかけは、掲載したデビューシングル曲におけるアイ高野のシャウトとキメのポーズ!

楽曲そのものは、今では有名になったゾンビーンズの、リアルタイムではヒットしなかったオリジナルに日本語詞をつけたものですが、その哀愁を含んだ曲メロに「好きさぁ~、好きさぁ~」という覚え易いポイントがあり、しかもブレイクでは「おまえのぉ~、しゅべえてぇぇぇぇ~」というアイ高野のシャウトがあって、さらに瞬間的に客席に向けられるスティックでのキメのポーズが最高の芸能魂に溢れた演出になっていましたから、特に女性がメインのファンは大熱狂!

アッという間にGSのトップバンドに躍り出て、おそらく全盛期の人気ではスパイダースタイガースにも劣らないものがあったと思います。

ただし現実的には失礼ながら、決して演奏が上手いバンドではなく、少年時代のサイケおやじがリアルタイムで接したライプでも、他に出演したのがサベージやジャガーズという落ち着きがあって上手いバンドだった所為もあるんですが、素人の自分が感じる範囲でも、これは……??? と思わざるをえないほどポロポロでした。

ところがその時に一番ロックしていたのがカーナビーツだったのも、また忽せに出来ない記憶です。

つまり音が外れようが、ビートが崩れようが、とにかく勢いと熱気を醸し出せれば、それはロックのライプの魅力という本質がカーナビーツの人気の秘密だったように思います。

ちなみに当時も今も、カーナビーツはアイ高野というイメージが定着していますが、個人的には本来のリードシンガーである臼井啓吉の野太い声質による歌いっぷりも忘れ難く、それがあってこそ、アイ高野が随所でキメるシャウトとポースが活きたんじゃないでしょうか。

それと言うまでもなく、この「好きさ好きさ好きさ」があってこそ、サイケおやじは本家ゾンビーズを知り、後には直系バンドのアージェントにも夢中になれたのです。

その意味で、クールなゾンビーズやアージェントと対照的な狂騒を演じていたカーナビーツに、この曲を歌わせた制作側の狙いは結果的にも凄すぎます。

う~ん、それが時代の勢いというものなんでしょうねぇ。

ですからカーナビーツはリアルタイムでも海外ポップス&ロックヒットのカパーが多く、またライプステージでのファズの使用度が他のバンドに比べて圧倒的だった事実も忘れてはなりません。そして驚くなかれ、アイ高野は和製キース・ムーンなんて、一部では呼ばれていたほどだったんですよ!?!

ご存じのようにカーナビーツも他のGS同様、昭和44(1969)年以降は人気も凋落し、解散……。アイ高野は再編ゴールデンカップスやクリエーションで活躍した後、数年前の春に五十代半ばで急逝したわけですが、もしもそんな言葉があるとすれば、「芸能ロック」最高のドラマー&シンガーは、この人でしょう。

現実的には不可能だったにせよ、全盛期のライプ音源が残されていれば、ぜひとも世に出して欲しいと願っているのは、私だけでしょうか。

当時は乏しかった小遣いゆえに、洋楽優先でレコードを買っていた自分にしては、このシングル盤を入手するのは大英断! しかし決して気の迷いなんかではなかったものが、当時のカーナビーツから受けた強烈なイメージで、それはロックの真髄だったと、今も信じているのでした。