■Incenes And Peppermints / Strawberry Alarm Clock (Uni / 日本ビクター)
ネタに困ると所謂リバイバルやリメイクに走るのは、凡そ流行物を扱う業界では常套手段でしょうが、しかし「空気を読む」という要領が悪ければ、それは失笑……。
つまり時代の要請の中で、まさにリアルタイムでしか輝けなかったものが確かにあって、それを安易に焼き直そうとすれば、困難という以上の窮屈さが全てを失わせるんじゃないでしょうか。
例えば本日ご紹介のシングル曲「Incenes And Peppermints」は、一聴すればバブルガムに分類されそうな楽しいオルガンポップスだと思いますが、同時にサイケデリックがど真ん中の音作りとコーラスワークが見事に融合した奇蹟の名曲名演!
ですから、1967年というロックが混濁と成熟への道を辿っていた最中、見事にチャートトップの大ヒットになるのもムペなるかなです。
ところが演じているストロベリー・アラーム・クロックは、カリフォルニアのローカルバンドであって、こういうヒット曲にありがちなスタジオで作り上げられた架空のグループでは決してなく、それなりにきっちりした自分達の音楽性を持っていたと言われています。
メンバーはエド・キング(vo,g)、リー・フリーマン(vo,g)、マーク・ウエイツ(vo,key)、ゲイリー・ロベルト(vo,b,g)、ジョージ・パネル(vo,g,b)、ランディ・ソウル(vo,ds) という6人組で、実はデビュー前はふたつのバンドを掛け持ちしていた面々が合体してストロベリー・アラーム・クロックを名乗ったという経緯も、全ては「Incenes And Peppermints」のヒットに由来していたのです。
それはプロデューサーのフランク・スレイが後援していたソングライターのジョン・カーターが書いた楽曲をレコーディングする必要から彼等が選ばれたという、実に業界丸出しの裏事情があるとおり、件の「Incenes And Peppermints」を歌っているのは前述したバンドメンバーではなく、たまたまスタジオに遊びに来ていた友人(?)だったという伝説です。
おそらくバンドの面々にしてみれば、「Incenes And Peppermints」を演じる事はデモテープ作りという「お仕事感覚」しかなかったんじゃないでしょうか。
ところが地元のラジオ局が何故か「Incenes And Peppermints」を積極的に流したところから、大手のユニレコードで配給が決定し、アッという間に全国的な大ヒットになってしまった夢の中、急遽バンド名をレコード発売名義のストロベリー・アラーム・クロックに統一したのですから、いやはやなんとも!?
しかし大ヒットによって巡業ステージが義務付けられたバンドには、ウリの「Incenes And Peppermints」を実際に歌ったボーカリストは在籍しておらず、そのあたりの内部事情がストロベリー・アラーム・クロックを当時の業界では当たり前だった架空のスタジオグループに分類してしまった要因だと思います。
そこで問題の「Incenes And Peppermints」をじっくり聴いてみると、まず演奏能力とハーモニーワークがなかなか堅実で、さらにアレンジのセンスも侮れません。
おまけに1967年という、今日ではサマー・オブ・ラブなぁ~んて称されているサイケデリック感覚が滲みまくったサウンドの構成力も古びていないと思います。
ですから、これは決してリメイクなんか出来ない、まさにリアルタイムの時代の中で唯一無二に輝いた稀有の名曲名演♪♪~♪
とサイケおやじは考えるばかりなんですが、なんとっ! 我国で「Incenes And Peppermints」が流行ったのは1970年頃だったというオチがあるんですよっ! もちろんそれはラジオの洋楽番組をメインとした局地的なものでしたが、それでも初めて聴いた時には絶妙と形容するしかないキャッチーなロックフィリーングに完全KOされましたですねぇ~♪
ちなみにストロベリー・アラーム・クロックは、アメリカにおいて数曲のシングルヒットとマニア御用達のソフトロック系アルバムを幾枚か出しているんですが、結果的に一般ウケしたのは、この「Incenes And Peppermints」だけというのが現実でした。
また妙な「神聖」が、この歌と演奏に感じられるのは何故でしょう。
それは主観としてのロック全盛期が、その空気と共に全くの無意識で封じ込められた結果なのかもしれません。
まあ、そうした思い入れの強さが、サイケおやじを頑迷な愚か者にしているのでしょうねぇ……。
しかし悔しかったら、これを超える同曲のリメイクを聞かせて欲しいもんだと思うばかりです。