■ラブ・トレイン / 黛ジュン&ヘンリー・ミッチェル (キャニオン)
正直、昭和50年代に入ってからの黛ジュンの人気は完全に下降線だったんですが、それでも根強いファンは案外と多く、もちろんサイケおやじもそのひとりでした。
しかし、それでも何が悲しくて……。
と思わざるを得なかったのが、昭和52(1977)年に発売された本日掲載のシングル盤でありまして、それはジャケ写からも一目瞭然、失礼ながら得体の知れないジンガイ男とのデュエット曲を出してきたんですからっ!?
告白すれば、レコード屋の店頭で、このジャケ写を見た時は嫉妬とか生臭さとか、そんなありきたりの感情を通り越して、首のあたりが熱くなったほどです。
しかも確か当時は、件の胡散臭さも満点のヘンリー・ミッチェルと黛ジュンが婚約していたという報道もあったはずで、だからこそ許せるもんじゃ~ないというのが、大方のファンの本音だったと思います。
ところが現実に立ち返り、とにかくA面曲「ラブ・トレイン」に針を落とせば、それはイケイケにフュージョンなディスコ歌謡曲がど真ん中♪♪~♪
最首としみつ&中里綴の作詞もアツアツムードを優先しているんですが、黛ジュンの実兄である三木たかしの作編曲がほとんど大野雄二の「ルパン三世」になっているのも、逆説的に潔く、憎めないほどに痛快至極ですよっ!
そして黛ジュンの歌いっぷりに往年のパンチが戻っているのも嬉しいところです。
う~ん、男との愛情があり、また三木たかしの兄妹愛が強く感じられると言えばそれまでかもしれませんが、三木たかしとしては複雑な心境もあったんじゃ~ないか?
なぁ~んて、思わずそんな邪推と妄想を抱いてしまうのは、サイケおやじだけでしょうか。
皆様ご存じのとおり、結果的にふたりは別れ、肝心の「ラブ・トレイン」もヒットしたとは言い難かったんですか、このあたりで黛ジュンもふっきれたんでしょうか、次作「風の大地の子守歌」や「男はみんな華になれ」が久々の連続スマッシュヒットになったのは、まさか「ラブ・トレイン」で膿を出し切ったという暴言は禁句です。
だって、黛ジュンは何時だって黛ジュンをやり続けているのですからっ!
ということで、例によって書いているうちに熱くなっている自分を感じるテイタラク、どうか、ご容赦下さいませ。
そして虚心坦懐に昭和50年代の彼女の歌に接していただきとうございます。
最後になりましたが、その時期ならば、昭和56(1981)年に出した「夢追いびとよ」が個人的には大好きなのでした。