■ざんげの値打ちもない / 北原ミレイ (東芝)
昨日から所謂就活が本格解禁(?)ということで、それは様々な集まりが各地で行われたわけですが、告白すればサイケおやじは、その就活ってのをやったことがなくて、もちろんそんなことを書いてしまえば、お若い皆様からの顰蹙は覚悟しているのですが……。
それは現在のメインの仕事が、学生時代からのバイトの続きというか、当時先輩から頂戴していたそれを続けているうちの自然の成り行きでした。
つまり卒業まで2年近く残していた時期に内定というか、件の先輩のところで働くのが当然みたいな雰囲気になっていたわけで、もちろんサイケおやじも深く考えもせず、同調しつつ学生時代の一番大切な時期に遊び呆けた結果が現在のザマですよ。
で、そのバイトというのが、その頃のサイケおやじにとっては実に不思議な仕事もあって、引っ越しの手伝いや富豪の御曹司の使いっ走りはまだしも、ある時なんか、それなりに広い畑に埋まっている印鑑を捜すという、皆目見当のつかない作業までやらされたんですから、青春のエネルギーと悪くないバイト代がなければ出来ないことが多かったんですが……。
当然皆様がご推察のとおり、中には露骨に阿漕なこともありまして、殊更今頃の時節になると忘れられない仕事がサイケおやじにはあります。
それは引っ越しの荷物運びという名目で、向かった先の家屋から家具調度品を搬出するといえば体裁は良いのですが、実際は零落した事業家の借金のカタにあれこれを物色する管財人の手伝いだったわけで、しかも一緒に作業の指示をしていたのが如何にも強欲な古物商だったんですから、手厳しい行動は避けようもありません。
特に座敷に飾られていた豪華なお雛様は骨董的な価値が素人目にも分かるほどで、だからこそ真っ先に運び出す段取りは、その家に住んでいた小学校低学年の女の子の悲しい面立ち、嫌がる泣き声、さらには畳の上に散乱してしまった雛アラレの色彩共々、今もってサイケおやじの脳裏から消え去ることはなく……。
ゆえに毎年、今頃になると否応なく、それを思い出してしまうんですよ。
あ~ぁ、あんな思いは、もう絶対に嫌なだなぁ~~~。
と、決意しつつも現在に至るまでの所業の積み重ねは、どんな大義名分があったとしても、懺悔せざるをえません。
でもねぇ……、ということで、本日はクドイ前置きに免じて掲載のシングル盤A面曲「ざんげの値打ちもない」であります。
もちろん、この歌は雛祭りには全然関係なく、それでもピュアな生き様を貫こうとした哀しい女性の物語は説明不要、作詞:阿久悠&作曲:村井邦彦、そして編曲:馬飼野俊一が渾身の名作として、我が国の音楽史に刻まれた真実は曲げようもありません。
特に発売された昭和45(1970)年当時の日本においてさえ、その歌詞の内容は衝撃性が実に大きく、また演じた北原ミレイのソウルフルな怨歌節は一度聴いたら忘れられるものではなかったんですよねぇ~~。
曲タイトルどおり、懺悔の値打もない仕儀に追われている市井の人々の多くが、この歌に共感を覚えたことは言うまでもなく、折に触れては自らの所業に重ね合わせざるをえない、「懺悔の値打ち」とは!?
今更サイケおやじには、何を語る資格なんてありませんが、懺悔しなければならない現実は山の様に抱えながら、それがひとつも出来ていない情けなさを痛切に感じているのでした。