バイクで最初の「もらい事故」は、昭和53(1978)年10月の初めでした。
夜に帰宅途中、信号待ちをしていた交差点に酒酔いの車が突っ込んで来ての事故に巻き込まれたんですよ。
そして両腕を固定され、10日間程の入院となったんですが、恥ずかしながら、当時若かったサイケおやじが一番に苦しかったのはオナニーが出来なくて、夢精に怯える日々を送った事なんですが、それも「好事魔多し」の真相証明でありました。
実はその日の朝、某高層ホテルの客室フロアのエレベーター前で、サイケおやじがなかなか来ないエレベーターを待っている時、ふと横に現れた女性を見ると、それはロマンポルノ等々で当時のトップ女優のひとりであった中島葵でした。
もちろんサイケおやじは、彼女にはスクリーンの外では初めて会ったというわけで、彼女クラスの女優さんであれば常にマネージャーとか付き人あたりがいっしょのはずだと思うのですが、その時の彼女は単独行動だったので、サイケおやじが意を決して話しかけてみると、やはり彼女は「中島葵」であることを認められたのですから、さあ、それからが大いなる舞い上がり♪♪~♪
サイケおやじは彼女の大ファンであること、映画を沢山観ていること等々を泣きそうになりながら喋り、おまけに厚かましくもサインまで頂戴致しました。
さらに、やっと来たエレベーターの中ではロビーまで二人っきりの信じられない時間まで過し、別れ際に握手までもして頂いたのです。
どうです、うらやましいでしょう~?!
しかし、それこそが好事魔多し!
今夜はこの手でオナニーだっ!
なぁ~んて、決して浮かれていたわけでは無いのですが、冒頭で述べた夜の「もらい事故」は、幸運と災厄のコントラストが強く出てしまった、この世の理のような気がしています。
また、これには後日談というか、その入院中に妹とガールフレンドに家の自室を探索され、エロ本やSM誌の山を発見されたもんですから、気まずい展開に……。
当然ながら、それが為に、いいえ、本当はサイケおやじの不甲斐なさが原因なのですが、ガールフレンドは去って行きました、トホホ。
うむ、人世は常に悲喜こもごもだと、今でも痛切に感じさせられる思い出であります。
ということで、家族や友人知人、そして仕事関係者、さらには皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけして、申し訳ございません。
同時に皆々様からのご厚情には深く感謝しております。
ちなみにサイケおやじのバイク歴は16歳からなので、その間、今日まで転倒は数知れずなもんですから、転び慣れしていると言えば語弊があっての顰蹙物とは自覚しつつも、だからこそ昨日の「もらい事故」は軽傷で済んだという現実は本当だと言わせて下さい。
事故状況から通常だとサイケおやじは前方に飛ばされ、頭っからの全身打撲だったはずで、そうなったらヘルメットなんか何の役にも立ちません。某政党の幹事長のように、軽くても頸椎をやられていたはずです。
もちろん悪運が強い事は百も承知で、だからこその転倒自己防衛が身についていたと言うのは、なかなか気恥ずかしいのですが、一応はドナーカードを常に持ち歩く身であることを告白させて下さいませ。
そして何にしろ、事故や災いは突然にやって来ます。
サイケおやじも初老の身なれば、今まで以上に覚悟を決めていく所存です。
失礼致しました。