OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ハイウェイが夢だった頃

2022-01-04 18:15:54 | ニューミュージック

中央フリー・ウェイ / 庄野真代 (日本コロムビア)

昨日は失礼いたしました <(_ _)>

しかし、それにしても高速道路ってのは便利さと危険性の二律背反で成り立っている事を痛感させられた次第ではありますが、諸外国に比べれば、まだまだ日本は安全第一!?!

ドイツなんかは例のアウトバーンにおいて、時速二百キロぐらいでの走行は当たり前ですし、悪天候でも、そんなに速度規制が無かった時代をサイケおやじは体験していますので、尚更です。

しかも、中にはハンドルから手を放して飲食している奴までいるんですから、いやはやなんとも…… (^^;

さて、そこで本日取り上げますのは昭和52(1977)年初夏にヒットした、これが庄野真代にとっては3枚目のシングル盤A面曲「中央フリー・ウェイ」であります。

もちろん、これは皆様ご存じのとおり、ユーミンが荒井由実と名乗っていた時代の昭和51(1976)年に出した傑作アルバム「14場面の月」に収録されていた人気名曲のカバーなんですが、実はご紹介の庄野真代バージョンが売れた事で、オリジナルのユーミンバージョンが一般的に知られる様になった気がしているんですが、いかがなものでしょう。

ちなみに庄野真代は公式デビュー時にはシンガーソングライターとして登場したんですが、結果的にブレイクしたとは言い難く、それゆえに「ユーミン頼み」という、その頃からの業界内切り札(?)に縋ったと言えば、なんだか安易に思われるかもしれませんが、他にも様々に作られた同曲のカバー作の中では、特段に良い仕上がりかと思います。

なにしろ、庄野真代バージョンのアレンジは佐藤準でして、ど~やら売れセン狙いが最初からあったんでしょうか、当時流行のシティミュージック、つまり後年のAORの前兆とも思える口当たりの良さは絶品で、原曲のフワフワした曲調をパーカッションやキーボードで彩ったリズム隊にホーン&ストリングスを絶妙に配した周到さ故に、「可愛い女」を恣意的に聴かせる庄野真代のボーカルもイヤミになっていない感じですし、こ~ゆ~芝居っ気を普通(?)に節回してしまうあたりが、いよいよ「飛んでイスタンブール」からスタートするニューミュージック歌謡路線の大ブレイクに繋がったんだとしたら、これがユーミンのバージョンよりも好きだというサイケおやじの心持を、ご理解いただければ幸いでございます。

ただし、このジャケ写ポートレートの彼女は、なんとも動物的で、なんだかなぁ…… (^^;

でも、これを聴くと、お気楽に遊び惚けていた学生時代を思い出す事も確かでして、もちろんガールフレンドを乗せて、ハイウェイをドライヴするなんていう贅沢は夢のまた夢でありました (^^;

そして、だからこそ、こ~ゆ~憧れを歌ってくれるシンガーこそが、ニューミュージックを根付かせてくれたわけで、今でも漠然とした幸せを感じるのでした♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする