■Massachusetts / The Bee Gees (Polydor)
我国で最も有名なイギリスのグループのひとつに、ビー・ジーズがあります。
ご存じ、バリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟が中心となった所謂ファミリーグループで、1960年代前半から本格的な活動を開始していますが、その音楽性は決してロックではないと思います。
しかしビー・ジーズは卓越したメロディセンスとシンプルなコーラスワーク、そしてハートウォームでありながら同時に併せ持つクールな雰囲気が、他のバンドの追従を許さない魅力じゃないでしょうか。
その初期にはオーストラリアで局地的なヒットを出していたことから注目され、ついに本国イギリスで大々的に再デビューしたのが1967年の初頭でした。しかもマネージメントがビートルズと同じブライアン・エプスタインが率いるネムズ・エンターブライズだったのもラッキーだったと思います。
当時のメンバーはバリー・ギブ(vo,g,key)、ロビン・ギブ(vo,g,key)、モーリス・ギブ(vo,b)、ヴィンス・メロニー(g)、コリン・ピーターセン(ds) という5人組で、まずは「ニューヨーク炭鉱の悲劇」が英米でヒットしていますが、続く幾つかのヒットの中、我国で最初にブレイクしたのが、本日ご紹介のシングル曲だと思います。
これは既に英米では前年に大ヒットしていたウルトラ級の素敵なメロディ♪♪~♪ ですから昭和48(1968)年に発売されるや、バリー・ギブのハイトーンボイスも印象的な、その哀愁のコーラスサウンドが日本中でウケまくったのは当然が必然でした。
もちろん、その頃が全盛期だったGSのバンド、あるいはカレッジフォーク系のグループや歌手が、挙って持ちネタにしていたのは言わずもがなです。
しかし好事魔多し!
なんと絶頂期にロビン・ギブが独立し、続いてヴィンス・メロニーとコリン・ピーターセンも脱退するという分裂騒動から、ついにビー・ジーズはバリーとモーリスの2人組になるのです。
このあたりのあれこれは、当時の我国音楽マスコミでも特にゴシップ的な報道がなされたと記憶していますが、実はこのゴタゴタがあったおかげと言うか、ビー・ジーズは何とか生き残りをかけてロック化計画を進展させていったのは、後の再ブレイクを思えば不幸中の幸いだったかもしれません。
そして1971年になり、ビージーズの過去の音源から捜し出された「Melody Fair」が、映画「小さな恋のメロディ」に使われ、特に日本で大ヒット♪♪~♪ その爽やかにして芯の強いボーカルハーモニーが再び人気を集めたのですから、ついにビージーズがギブ三兄弟によるリユニオンとなったのは、これまた当然の流れでしたし、新たに力強いソフトロック路線で生み出された楽曲も、なかなか魅力がありました。
ただし我国での人気沸騰とは逆に、英米ではやはり落ち目の三度笠……。
それがまさか、1975年頃からのディスコ路線で息を吹き返すというよりも、世界中を大フィーバーさせるとは、想像も出来ませんでした。もちろんサイケおやじは、そんな快楽ファルセットを駆使したビー・ジーズも大好きなんですけどねぇ~♪
そこで「Massachusetts」なんですが、この誰もが口ずさめる、まさにメロディラインを大切にしたサウンド作りこそが、ビー・ジーズそのものだと思うんですよ。
ディスコ路線による一連のヒット曲にしても、フロアで踊っている人の大部分が、何かしらビートよりはメロディに酔わされていたのが、真相だったのかもしれません。
極限すれば、ビージーズって、周りがどんな状況になっても、基本姿勢を変えることが出来ない体質で、そこが魅力じゃないでしょうか。初期のある意味での歌謡ポップスも、第三期黄金時代のディスコ路線も、実は本質にそれほどの変化はなくて、それゆえの大ヒット♪♪~♪
本当に、そう思います。
最後になりましたが、ジャケットにはご丁寧に「Massachusetts」の地理的な説明がイラストで入っているのも、グッド・オールディーズの楽しみなのでした。
コメントありがとうございます。
貴兄プログ、日々拝読させていただいておりますが、例え何があったとしても、体調がすぐれない中にあって、継続は流石と思っています。
ビージーズの場合は、兄弟の声質や音楽的好みが優先される利点を活かしたんじゃ~ないでしょうか? だから単独でも、そのサウンドの個性に変化無し!
そういう素敵な安心感も魅力だと思います。
これからもよろしくお願い致します。
そしてご自愛下さい。
ユーチューブのアカウント停止になり、頭と体が未だ回復しないので、わたしのブログのトラバにあった、ここへ飛んで来ました。
このシングル、当然買いました。
ビージーズは兄弟であるので、一人で録音してもビージーズで発売していたようです。
この前モーリスに続いてロビン(だったかな)が亡くなったとか。
私の青春に活躍した人たちが続々といなくなってきました。
(ビージーズのCDが無かったので野口五郎をきいています)
コメントありがとうございます。
そうでした、本文では触れませんでしたが、B面収録の「Holiday」も決定的な名曲名唱でしたねぇ~~♪ 既に英米ではヒットしていたカップリングは、本当に最高でした。
またルルとモーリスの結婚!
これも、ありましたですねぇ~。
彼女の歌も黒っぽくて、好きなんですよ。地声も大きいそうですね。
それとモーリスって、双子なのにロビンとは対照的に縁の下の力持ちっていう感じですが、やることはやっていたんですね。憎めません。
「マサチューセッツ」は日本の洋楽チャート番組でトップを続けていて、あまりにも連日しつこく掛っていたのでウンザリしていました。今聴くととても良い曲なんですけどね。
この少し後になりますが、モーリス・ギブと女性歌手ルルが結婚して、音楽誌のグラビアで報じられていたのを覚えています。
コメントありがとうございます。
タイガースって、こういうソフトな哀愁ポップスが似合うような気がしますね。クラシック調の歌謡曲も、今となってはビー・ジーズを意識していたところもあったような……。
しかし個人的には後年のディスコ路線! そのあたりの楽曲のジャズバージョンもフュージョンブームと合致して、いろいろと出ていましたですね(苦笑)。
とくにこの「マサチューセッツ」は学校の先生のお許しも出たビージーズの中ではいちばんのヒットでしたか。遠足のバスの中でデタラメな英語で大合唱という思い出もあります♪
GSではタイガースが「ホリデイ」をカヴァー、これが日本でのブレイクに一役買ったように記憶しています。
そして忘れた頃にブレイクした『サタデーナイト・フィーバー』絡みのナンバーは新鮮でした。ディスコ・チューン「STAYN' ALIVE」そして究極のバラード「HOW DEEP IS YOUR LOVE」は若きジョン・トラボルタとともに不滅ですね。