OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ビートルズに出会った頃

2009-08-03 11:59:55 | Beatles

Please Mister Postman / The Beatles (Parlophone / 東芝)

これまでも度々述べてきたように、サイケおやじの音楽的感性の形成については、テレビよりも先にステレオが我が家にやって来たという、昭和30年代としては異常な家庭環境が大きく影響しています。

そして、もうひとつ、昭和39(1964)年の冬休み、歳末大売り出しの福引でトランジスタラジオが当たったことも、大きかったですねぇ。

この時はお使いを命じられ、半ばふてくされて買い物に行った雑貨屋でもらった1枚の福引券が、私の運命を大きく変えたと言っては大袈裟かもしれませんが、とにかくそれで引き当てたトランジスタラジオは、すでに家にラジオとステレオがあったことから、自然の成り行きで私のものになったのです。

これは嬉しかったですねぇ~~~♪

確実に新しい世界が広がったというか、ちょうど現代の子供がPCを入手してネットの世界に足を踏み入れる事と同じかもしれません。

とにかく当時は、ラジオがテレビと同等の影響力を持っていましたから、私が楽しみにしていた音楽やお笑いの番組、スポーツ中継等々が本当に充実していたのです。そして、そうこうするうちにエレキやビートルズが大きなブームになっていく、その過程を自分だけのラジオで楽しめたのは、幸せの極みだったと思います。

ですから寝る時間になっても、布団の中に持ち込んだトランジスタラジオにイヤホーンを使って、夜遅くまで楽しんでいたのは言うまでもありません。深夜放送なんてものがある事を知ったのも、その頃でした。

またラジオ局にも個性があって、例えばロック系の音楽ならニッポン放送、映画音楽なら文化放送、大衆芸能全般ならTBS、という感じだったでしょうか。当時のDJにしても、積極的にロックやR&Bを流してくれる人が好きでした。

それと深夜放送といえば、昭和40年代前半には所謂お色気番組があって、女性アナウンサーとかセクシー系の女優さんが、甘い囁きを♪♪~♪ これには少年時代のサイケおやじも、その神髄は理解出来ないまでも、相当に妖しい気分にさせられましたですね。

そして当然ながら、それを察知していた母親によって、深夜放送を聴くことは禁じられたり、全く大人の無理解には辟易させられるわけですが、それを中学生になってからは深夜までの勉強という大義名分にすり替えて、難を逃れたのです。まあ、その頃には、前述したようなお色気番組は廃れてしまったのですが……。

そのような事情ですから、小学生だった私がビートルズを知ったのもリアルタイムでした。そして最初に買ったのが、本日ご紹介のシングル盤です。

ご存じのようにビートルズは1964年になって世界中で大ブレイクしたわけですが、ここでお断りしておきたいのが、当時の我国の事情です。それはまずビートルズよりもベンチャーズやアストロノウツの方が人気があったという厳然たる事実! そしてビートルズのレコードが大っぴらに出回ったのは同年の春以降だったということです。

もちろん歴史では我国でも昭和37(1962)年に、あの「My Bonnie」がシングル盤として発売されているのですが、どの程度売れていたかは不明です。おそらくそれほどは……。

しかし昭和39(1964)年になると2月頃から毎月、ビートルズのシングル盤が発売されるようになり、ラジオからも頻繁にそれらが流れるようになったのですが、けっして大きなヒットとはいえなかったと思います。

そしてビートルズが我国で大ブレイクしたのは、あの傑作映画「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」が公開されてからだと個人的には思うのですが、いかがなもんでしょう。当然ながらファン層は圧倒的に女の子、私からみればお姉さま達でした。

おそらく当時の音楽好きな野郎どもは、ビートルズが好きとは、あまり言えなかったんじゃないでしょうか?

さて、肝心のシングル盤についてですが、A面はご存じ、モータウンヒットのカバーとして、今では知らぬ人もない有名曲になっていますが、当時の我国ではオリジナルを歌っていたマーヴェレッツという女性グループはもちろんのこと、モータウンサウンドなんていうもの自体が流行っていませんでした。私にしても、てっきりビートルズのオリジナル曲と思い込んでいたほどです。

初っ端にビシッと鳴り響くドラムスのタイミング、そしてキメのコーラスシャウト「ウェイッ!」から続くジョン・レノンの迫力ボーカルと密度の濃いロックビートが最高の演奏! 胸が熱くなるようなメロディの節回しは、後でオリジナルバージョンを聴いてわかったのですが、ジョン・レノンが絶妙にフェイクしていたんですねぇ~~♪

ポール&ジョージのコーラスも、これまた、熱くてせつないです。

ちなみにこの歌と演奏は、我国では独自編集されたデビューアルバム「ビートルズ! / Meet The Beatles (東芝 OR-7041)」に入っていましたが、当然ながら買うことの叶わないサイケおやじは、中でも一番好きだったこのシングル盤を入手したわけですが、もうひとつの魅力はB面の「Money」でした。

皆様がご存じのとおり、この曲は本国イギリスにおいて既に2ndアルバムの「With The Beatles (Parlophone)」に「Please Mister Postman」と共に収められ、1963年11月に発表されていたものですが、我国では前述のデビューアルバムがそうであったように、再び独自の編集となった「ビートルズ No,2 ! (東芝 OR-7058)」へ収録されて世に出るのです。

しかもそれが、このシングル盤と同じ、昭和39(1964)年6月5日の発売でしたから、LPを買えない者にとっては、純然たる新曲扱いだったのですねぇ~♪

歌と演奏については言わずもがな、これまたモータウンの礎を築いたパレット・ストロングのウルトラR&Bを、これ以上無いほどにヘヴィなハードロックへと変換したビートルズの大名演!

印象的なピアノのイントロからグググゥゥゥ~ンとウネリながら入っていくギター、そして重いドラムスとベースが作り出すドライヴ感の物凄さ! さらにダーティなジョン・レノンの熱唱ボーカルにやけっぱちなコーラス! こういう黒っぽさを、当時はどう表現していいのか、ちょっと戸惑うほどシビレましたですねぇ~~♪

この両面、本当に朝な夕なに鳴らしまくったですよっ。

ちなみに当然ながら、このシングル盤はモノラル仕様なんですが、「Money」に関してはステレオとモノラルでミックスの違いが散見されます。そして結論から言うと、この日本盤シングルに収められたバージョンは、そのステレオミックスをモノラルに落としたものじゃないでしょうか? というのも、ピアノのイントロに導かれて入ってくるギターとドラムスが、イギリス盤のモノラルミックスだとスティックによるビートの刻みになっているのですが、このシングル盤では完全にステレオバージョンのミックスと同じプレイになっているのです。

尤もこれに気がついたのは、前述したイギリス盤のモノラルミックスを聴けた1970年代になってからのことですが、それには非常に違和感がありましたですね。そして何故かアメリカ盤「Second Album」のモノラルミックス (Capitol T2080) も、この日本盤と同じく、ステレオミックスを直截的にモノラルに落としただけということは、やはりステレオミックスに軍配があがるということかもしれません。そして日本盤LP「ビートルズ No,2 ! (東芝 OR-7058)」もまた、アルバム自体がモノラル仕様だったんですが、同様にステレオミックスのモノラル直落としバージョンになっているところをみれば、それも肯定出来るのでした。

ということで、ビートルズはカパーを演じても、やっぱりダントツの存在でした。それに気がつくのは当然ながら、もっと後のことなんですが、それにしても当時はこんなにストレートにドライヴ感満点のロックをやってくれるバンドは皆無だったと思います。正直、演奏面に関していえばベンチャーズの方が優れているかもしれません。しかしそこに無いのがド迫力のボーカルとコーラス! 両面ともにシャウトして熱唱するジョン・レノンは、本当に歌が上手いですねぇ~♪ もちろん通常の「上手さ」とは、一味違うんですが♪♪~♪

こうしてビートルズへの扉を開かれたサイケおやじは以降、ストレートにそちらへ行けば良かったものを、結局は回り道してしまった原因のひとつとして、ラジオがあったこと告白しておきます。

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2 コメント

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僕も夢中でした。 (明彦)
2009-08-03 23:13:39
当時の話になると、なぜか熱くなり、
とてもクールに 状況を説明出来る状態には なりません。


私が 洋楽で一番最初に買ったシングルは
『恋する二人』です。
映画館にも 何度も足を運びましたが、
こんなにのめり込んだのは、
親友だった奴と 一緒に洋楽を楽しんだからだと思います。

サイケおやじさんの言われるように、
当時はビートルズより、ベンチャーズのほうが
圧倒的に人気度は高かったと思います。
アイヴィー・ルックでヴェンチャーズを聴くのが、
当たり前でしたから。

また、ヴェンチャーズのアルバムは左右の音の分離が良いので、ステレオを友人に自慢するのにも、ピッタリでした。

中学生の時(1964年)
クラスの女の子は ポール派、ジョン派、リンゴ派などがいて、
洋楽に興味のない子は
西郷輝彦さん、舟木一夫さんに夢中でした。

そういう私は、
中学校に行く前にかならず、
『サティスファクション』を3回聴いてから、登校していましたね。
返信する
熱気の日々 (サイケおやじ)
2009-08-04 12:23:40
☆明彦様
コメント、ありがとうございます。

当時は洋楽よりも歌謡曲人気が高かったと思うのですが、ジワジワとビートルズ、そしてGSがスタアになっていきましたですね。

映画「ヤア!ヤア!ヤア!」はリアルタイムではなく、ちょっと後の二番館で従姉といっしょに観ましたが、お客さんは、ほとんどがお姉さま達で、最初っから最後までワーワー、キャーキャー! こんな騒ぎの映画は、今もって他に体験したことがありません。
同時に館内は、化粧品の匂いが充満して、最後には吐きそうになりました(笑)。

それと中学時代の登校前、私はストーンズの「JJF」でした。
本当に当時は熱かったですね♪
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