OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の拾

2020-09-02 19:12:44 | Beatles

驚異的な出来栄えの「アビー・ロード」が大ヒットしていた1969年の秋、衝撃的な噂が世界中に広まります。

それは「ポール・マッカートニー死亡説」でした。

現代の研究によると、噂の発信源はアメリカのイリノイ大学の学生新聞「ノーザン・スター」とされておりますが、それが大きくなったのはシカゴのラジオ曲WKNRで放送されてからの事です。

サイケおやじは当時、若者に人気があった朝のテレビワイドショウ「ヤング720(TBS)」やラジオの深夜放送で取上げられた事で知りました。もちろん、その内容は曖昧で、相当にマニアックでしたが、一抹の真実を含んでいる様に感じられましたので、当時のメモに書き込んでおりました。

以下にその内容を整理してご紹介致します。

アルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真からの手掛り
 整列して道路を横断しているビートルズが、先頭のジョン=神父、リンゴ=葬儀屋、ポール=裸足で歩行ステップが逆なので故人、ジョージ=墓堀人夫の様に見える。
 背景に写っている駐車中のワーゲンのプレートが「28IF」、これはもしポールが生きていれば、28歳である事を表している。
 また、裏ジャケットの「BEATLES」の文字にヒビが入っている。

アルバム「サージェント・ペパーズ」のジャケット写真からの手掛り
 表ジャケットがビートルズと会葬者たちがお墓の周りに集合している様に見える。
 ポールの頭上に手が挙げられているのは、インドでは死を表すものである。
 花壇にベースギターの様な花輪が置いてある。
 裏ジャケットのポールが後ろ向きである。

アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」のジャケット写真からの手掛り
 ブックレット18頁の写真でポールの頭上に手が挙げられている。
 同じく、23頁の写真では白いスーツ姿のメンバーの中で、ポールだけが黒いカーネーションを付けている。ちなみに他のメンバーは赤のカーネーションである。

アルバム「イエロー・サブマリン」のジャケット写真からの手掛り
 ポールの頭上にだけ手が挙げられている。



音源「Strawberry Fields Foreve」のからの手掛り
 曲の終わりのフェード・アウトの部分に「I Buried Paul(私はポールを埋めた)」という声が入っている。

以上の様な手掛りから、ポールは1966年11月に自動車事故で死亡しており、その後に行われた「ポールのそっくりさん」コンテストで替玉を見つけ、その優勝者が今日まで偽のポールを演じているという説が流布されたのです。そして他のメンバーがその事実をそれとなくファンに知らせるために、様々な手掛りをばらまいているというオチがつけてありました。

もちろん現在では、これ等の説はヨタ話として片付けられておりますが、皆様はどのようにお考えになられますでしょうか?

当時は、かなり本気度が高い受取られ方がされていたと、サイケおやじは記憶しています。

それというのも、その頃にはビートルズの解散は時間の問題という雰囲気が濃厚でしたし、予告されていたライブショウのテレビ放送や件の音源を纏めたとされるアルバムの情報がストップしていたからです。

その理由はポールの死……!?

この手の噂としては、「Hot As Sun」というビートルズの幻のアルバムという騒動もありました。

それは彼等が1969年の4~5月にかけてレコーディングを行い、「Hot As Sun」と題されたアルバムを完成させたものの、そのマスター・テープが何者かに持ち去られたというストーリーでした。しかもそれを取り返すために、ビートルズ側は莫大なお金を犯人側に支払いますが、受渡しの段階で肝心のマスター・テープが飛行場の手荷物検査でX線を浴びてダメになったというオチが付けてありました。

まあ……、こ~ゆ~ヨタ話が信憑性を帯びて語られていたのも、つまりは1月のセッションから纏められるはずだったアルバムが大幅に遅れている所為でした。

それではその企画はどうなったのでしょうか? 

実はファンがそんな諸々に気を取られている間にも、着々と事は進められていたのです。

まず9月にビートルズはEMI及びキャピトルとの間で印税に関する新しい契約を結ぶ事になるのですが、そこではアレン・クラインが手腕を充分に発揮してロイヤリティを大幅に増加させることに成功します。

したがって、「アビイ・ロード」の大成功、そして新たな契約のために、後日「レット・イット・ビー」と呼ばれるアルバムと映画の発表は意図的に遅らされた可能性があるのです。

さらにアレン・クラインは遅れているライブショウ映像のテレビ放送をとりやめ、テレビ用の16ミリ・フィルムを劇場用の35ミリ・フィルムに焼き直し、劇場用映画として興行する案を提出します。

尤も、これはビートルズがユナイトと交わした3本の映画出演という契約を履行するためだったという説もあるんですが、何れにせよ、この案は採用され、加えて関連音源を映画に合わせて再編集・再録音するという案まで浮上してくるのですが、再録音にはメンバー全員の反対がありました。

それと云うのも、実は前述した9月の再契約に関してメンバーがミーティングを行った際、ジョンがビートルズからの脱退、グループの解散を持ち出していたからだと、今日の研究では明らかにされております。

原因はビートルズの行く末についての議論が口論に発展したからだとか……。

ただし、その場は前述の有利な契約条件が進行していた事からアレン・クラインが取り成し、その事実は伏せられたのですが、結局ビートルズは……、その時点でとっくに解散していたわけです。

う~ん、 現在……、そんなこんなの事実が明るみに出てしまうと、1969年秋以降に盛んに報道されていたメンバーのバラバラな行動にも納得出来るものがありますねぇ……。

しかし、新たな契約が結ばれた以上、ビジネスはビジネスとして割り切って活動しなければなりません。

そこで、これまでの映像は劇場用映画としての公開を正式決定し、それに合わせて、再び例のマスター・テープを編集し直す事になり、ここで当然ながら、またしても引っ張り出されるのがグリン・ジョンズというわけでして……。

普通ならば、クサッて当然の仕事を引き受けた彼にも、ある目論見があるのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「サウンド・マン / グリン・ジョンズ」

注:本稿は、2003年9月29日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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