OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の九

2020-09-01 13:53:35 | Beatles

アップル・コアが8月末に発売を予定していたビートルズの新アルバムの基本コンセプトは、先行シングル「Get Back」に象徴される様な原点回帰、つまり初期のライブっぽい音作りを主体にした内容に鑑み、ジャケットもイギリスでの1stアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を再現したデザインが企画されました。

そこで、その時と同じカメラマンのアンガス・マクビーンが再び起用され、メンバーは1963年と同じポーズでEMIオフィスの階段に並びますが、この時のジョンは上機嫌だったと言われている事から、結局は幻に終わるこのアルバムの発売には、一時的にせよメンバーの了解があったものと思われます。

そして新アルバムのタイトルは、この時点では掲載した「Get Back with Don't Let Me Down and 9 other songs」、後に「Get Back with Let It Be and 11 other songs」等々に変更されるのですが、何れも1stアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」のジャケット写真の下部にあった「with Love Me Do and 12 other songs」にならったもので、最終的には「Let It Be and 10 other songs」となり、その都度、ジャケットも試作されています。

しかし、またしてもメンバーからのクレーム、そしてライブショウ映像の編集の遅れ等々の理由から発売が延期……。

ちなみに、この時に撮影された写真は、後に発売されるベスト盤「1967-1970」、通称「青盤」に使用されますが、掲載した幻のアルバムのジャケット写真とは違うカットが選ばれています。

で、結局明快な説明も無いままに幻となった新アルバムは、しかし6月末の時点では、その発売がほとんど決定していた事に間違いは無く、下記のとおり、収録曲の発表まで行われていました。

  A-1 One After 909
  A-2 Save The Last Dance For Me
  A-3 Don't Let Me Down
  A-4 I've Got A Felling
  A-5 Get Back
  B-1 For You Blue
  B-2 Teddy Boy
  B-3 Two Of Us
  B-4 Maggie Mae
  B-5 Dig It
  B-6 Let IT Be
  B-7 The Long And Winding Road
  B-8 Get Back(reprise)

そして付随した情報によれば、曲の間にはメンバーの会話や楽器のチューニングの様子等も挟み込まれ、それはジョージ・マーティンのアイディアだったと言われておりますが、とにかく生演奏の雰囲気を充分に活かした編集が行われていた様です。

ということで、以上の様に発表したのですから、当然プロモーションも活発に行われ、新マネージャーに就任して張り切るアレン・クラインは早速、関連アセテート盤をアメリカとカナダの放送局に送り、秋には放送された様ですが、それが後に海賊盤のネタ元となった事は言わずもがなです。

もちろん、そんなこんなのニュースは当時の日本でも大きく取上げられ、上記の曲目やアルバムの発売予定日等々が洋楽雑誌や青少年向けの週刊誌に掲載され、その頃は未だ少なかった輸入盤を扱う店では、予約まで受け付けていました。

しかし……、それが延期されたのは、今では歴史上の事実!

発売延期に伴うお詫び広告の掲載も懐かしい出来事です。

では何故、ほとんど決まっていたこのアルバムの発売が中止になったのでしょう?

ひとつの答えとして、「其の八」でも述べたとおり、こうした当時の営業サイド優先による動きの裏で行われていたビートルズの新レコーディング・セッションについて、それなりにメンバーが手応えを感じていたからではないか?

と、サイケおやじは思います。

まず、それは「Get Back」がイギリスのチャートで1位だった5月30日に突如発売された「The Ballad Of John And Yoko(ジョンとヨーコのバラード)/ Old Brown Shoe」のシングル盤に始まります。

これはビートルズ名義になっておりますが、A面「The Ballad Of John And Yoko(ジョンとヨーコのバラード)」は4月14日にジョンとポールだけでたったの1日! それも8時間で全てが仕上げられ、当時いざこざが多かった2人の間には、それが信じられないほどの意思の疎通と音楽的輝きがあったと、記録されています。

さらにB面「Old Brown Shoe」はメンバーが勢揃いし、これも4月16日と18日の2日間で完成という早業でした。

ちなみに、この2曲のプロデュースはジョージ・マーティンで、イギリスにおけるビートルズのシングル盤としては、初めてステレオ・バージョンだけの発売になりました。

また同じ頃、ジョージ・マーティンはビートルズの新作アルバムの正式プロデュースをポールから電話で依頼され、承諾します。そして始まったのが7月からのセッションで、それこそがイギリスで9月26日に発売されたアルバム「アビイ・ロード」であった事は、皆様ご推察のとおりです。

日本での発売は10月21日で、サイケおやじは、それが遅れていた噂の新アルバムだと思っていました。

しかし……、これまで報道されていた内容と曲目が大きく違いますし、また入っているサウンドそのものがライブ風というよりも、気持ちが良いほど緻密に計算された仕上がりになっていたのは、これまた皆様ご存知のとおりです。

それでは……、1月のセッションから編集され、発売予定だったアルバムはどうなったのでしょう?

実は「アビイ・ロード」の華々しい大成功の裏では、暗闘が続いていたのです。

そして同時にショッキングなニュースが世界を駆け巡るのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「サウンド・マン / グリン・ジョンズ」

注:本稿は、2003年9月28日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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