OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ベイ・シティ・ローラーズの輝きこそ

2013-05-13 15:33:04 | Pops

ひとりぼっちの十代 / Bay City Rollers (Arista / 東芝)

昭和50年代前半の我国で一番人気を集めた洋楽スタアと言えば、ベイ・シティ・ローラズ=BCRに他なりません。

うぁ~~、懐かしいぃぃぃ~~~♪

と感慨に浸る皆様におかれましては、当時の狂熱は言わずもがな、BCRに夢中になっていた小中学生の女の子を中心とするファン層の有り様は、そのまんま洋楽のリアルタイムな体験として、後々までの人生に影響を!?

そこまで言いたくなるほどの大騒ぎが確かにあった事は紛れもない歴史であり、実際、イギリスはエジンバラで結成されたローカルバンドが、ついには世界を制覇した瞬間の極みとして、日本で社会現象を巻き起こしたのですから、彼等が結果的に星屑バンドと揶揄されているとしても、それゆえに忘れられる存在ではないと思います。

う~ん、まさにビートルズの再来というマスコミの売り文句も、一理を認めざるを得ないのか……???!?

さて、そこで本日掲載のシングル盤は、そういう狂騒の最中、我国で独自に発売されたと思しき1枚なんですが、告白すればサイケおやじがBCRも、そんなに悪くはないなぁ~、と感服(?)させられた名曲「ひとりぼっちの十代 / My Teenage Hart」をA面に収録したコレクターズアイテム(!?)です。

それは何んと言っても絶妙のキメとなっているピアノのシンプルな合の手リフと胸キュンど真ん中のオールディズ調の曲メロが、実に美味しいわけでして、軽いアップテンポの流れの中に、甘さへ陥る寸前のボーカル&コーラスには、ある意味でのベテランの味わいさえ感じられるのですから、これを2ndアルバムにして、最初の日本発売LP「噂のベイ・シティ・ローラーズ」からカットしたレコード会社の思惑こそ、我国洋楽業界の美談(?)かもしれません。

ちなみにBCRはアラン&デレクのロングミュアー兄弟が中心となって結成され、既に1960年代後半にはプロとして活動していたそうですが、正式に「ベイ・シティ・ローラーズ」と名乗ってレコードデビューしたのは、1970年!

以降、数次のメンバーチェンジを経て、世界的にブレイクしたのが1974年頃であり、例の「タータン・ギア」と称されたチェック柄の衣装をトレードマークにしたのも同時期だったと言われています。

ただし相変わらずメンバーチェンジは激しかったようで、一応の人気沸騰時の顔ぶれはレスリー・マッコーエン(vo)、エリック・フォークナー(g)、スチュアート・ウッド(g,b,key)、アラン・ロングミュアー(b,key)、デレク・ロングミュアー(ds) の5人組ながら、その時には実質的なバンド経営者だったアランが三十路近くになっていた所為で、マネージメント側から強制引退させられたというのですから、アイドルバンドは辛いですねぇ……。

なんとっ! 替わりに入ったのがBCRのコピーバンドをやっていたミルクボーイ系のイアン・ミッチェル(g) で、弱冠17歳!

日本で爆発的な人気を得たのは、ちょうどその頃だったんですが、グループに馴染めなかったようで、直ぐに脱退し、次に入ったのが、これまたアイドル的ルックスが全開のパット・マグリン(g,vo) でしたから、おそらく我国でトップスタアであったのは、この人だったと記憶しています。

そして昭和51(1976)年の初来日でドシャメシャな騒ぎを巻き起こしたのも、このメンバーだったと思うのですが、既にご推察のとおり、レコードでの演奏には本人達が関わっている部分が少ない事は暗黙の了解であり、それゆえにライプステージは相当に危なっかしい場面の連続ながら、それをスリルと言い訳せずとも、集まったファンにとっては満足度が高いものでした。

と、サイケおやじが実際に会場へ行ってもいないのに確信するのは、そうしたギグや騒動がリアルタイムのテレビや新聞雑誌等々のマスコミで大々的に報じられていたからで、ほとんど半狂乱の少女の夥しさは、往年のGSブームを彷彿させて余りあるものだと思っています。

また、それを魅せるBCRのキラキラしたポップス魂の見事さも、虚心坦懐に評価されるべきなんでしょうねぇ、サイケおやじの本音は悔しいわけですが。

そう書かざるをえないのは当時、地道にロックをやっていた日本男児のバンド青少年達が、結局はアイドルじゃ~なければ、ロックは売れない! という真実に直面させられたからで、例えば知り合いのパーティーバンドは仕事とはいえ、BCRの「Saturday Night」や「青春の誓い / When Will You Be Mine?」等々をやらなきゃいけない事に腐りきっていたほどです。

もちろん幾つかのバンドに入れてもらって、それなりにやっていたサイケおやじにしても、プロになる気持は毛頭無かったとはいえ、そのあたりは痛感以上のものがありましたですねぇ。

しかし、もうひとつの本音として、洋楽好き人間としては、BCRの楽曲は相当に良い♪♪~♪ それがあったんですよねぇ~♪ ただし、大っぴらに言えなかっただけの話なんですよ。

それに目覚めたのが、本日ご紹介の「ひとりぽっちの十代 / My Teenage Hart」というわけです。

ということで、BCRにはホロ苦い気持がある事は確かですが、その社会現象によって、それまで歌謡フォークがメインだった音楽誌さえもが、アイドルロックバンドに編集方針を転換したり、グラムロックのブームから地味ながら続いていたパワーポップ系のブリティッシュバンドが再注目されたり、我国でも「らしい」グループがレコードデビュー出来たりした事は、案外と結果オーライだったのかもしれません。

うむ、ロックは、そうやって裾野を広げて……、云々と言う気持はありませんが、あの日、あの時にBCRによって、そういう狂騒を体験出来た女の子が長じて母親となっている現在、子供達にも同じ夢を与える義務はあるでしょう。

それは中年おやじ連中にとっても、同じではありますが♪

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2 コメント

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第2弾 (セブン)
2013-05-13 20:23:23
大門さんに続いて、このバンドのドラムの人って
ラリーカールトンに似てましたよね。

私はむしろ喜んでロックンロール・ラブレターやイエスタディヒーローとかを演奏しておりました。

I only wanna be with youのイントロとかも好きでしたが
イアンとハマグリンはどっちがどっちだかわからなかったし、ボーカルはせんだみつおに似ていると思っていました。
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基本姿勢 (サイケおやじ)
2013-05-14 14:52:08
☆セブン様
コメントありがとうございます。

「二人だけのデート」は永遠の名曲ポップスですから、いろんな歌手やバンドによって、多くのバージョンが存在する中、BCRは相当に良いセンスでやってましたよねぇ~♪
これは私も大好きです。

そう言えば彼等のライブはテープ流しの口パク疑惑もあったんですか、少なくとも日本でのライブのターヘな結果を聴けば、真面目にやっていたと(笑)。
ある意味、そのあたりはボストンやスティクスよりも、好感度大と思っています。
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