OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

昨日は記念日

2009-11-20 11:37:42 | Weblog

昨日は我国にとって、記念日になりましたですね。

国会で民主党が主導の強行採決♪

これには同じ事をさんざんやってきた自公も、反対批判が虚しいだけです。

また現与党も野党時代に批判していたそれをやらかしたことで、同じ穴のなんとやら♪

もはや国会での審議なんて無用の長物ですよ。

いくら議論しても結論は最初から決まっているのです。そんなところへ出席する野党は自業自得、また与党はバカ丸出し♪

そこで代議士先生の俸給を与党は半分、野党は1/4にカットしませう。

こうして少しでも国の財政を助けるのが代議士の役目だと、強く思います。

そしてこれが究極の民主主義! 多数決の理論と選挙結果による民意の反映!

これでダラダラした国政・行政の進行も円滑に進むでしょう。

さらにこちらは役人と与党にだけ、色目を使っていれば、願い事はOK♪

一方、代議士先生は如何に国民の人気を集めるかが、一番の仕事になるでしょう。

俸給が下がった分はテレビ出演と裏金で補てんしましょうね。

ということで、昨日の記念日は何と名付けましょうか?

まさか亡国記念日とは言いたくありませんし……。

とにかく、この国の形が出来上がったのですから、めでたし、めでたし♪♪~♪

ただひとつ、ここ数年、大嫌いな共産党だけが、スジの通ったことを言っているのが、おもしろくないだけです。

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スタンデルズの突出

2009-11-19 11:45:14 | Rock

Darty Water / The Standells (Tower / 東芝)

今では元祖パンクロックの代表的なヒットシングルとして伝説になっている1枚ですが、そんな馬鹿野郎な扱いが、サイケおやじとしては大いに不服です。

確かに反抗的な歌詞、ふてぶてしい歌いっぷり、グイノリのビートで演じられるブルースロックは、後年のそれを強く感じさせますが、認めたくないのが本音……。

そして、だからといって、このスタンデルズと「Darty Water」の魅力は些かも損なわれるものではありません。

明らかにストーンズの影響を受けた、モータウンサウンドのロック的な解釈とリフが全篇を貫き、タイトルどおりのダーティな歌い回しとハーモニカのエグイ味わいは、不良性を刺激するロックの本質的な魅力に満ちていると思います。

スタンデルズは1962年頃から活動を始めたらしく、メンバーはトニー・バレンチノ(g,vo,hmc)、ラリー・タンブリン(org,vo)、ゲイリー・レイン(b)、ディック・トッド(ds,vo)の4人組で、中でもディック・トッドは局地的には売れっ子だったらしいのですが、とにかくこの人がリーダーでした。

で、その顔が効いたのか、MGMや Vee Jay あたりの有名レーベルにも録音を残し、映画出演や営業も上手くいっていたということですが、やはり大ブレイクしたのは、1965年末に発売した、この「Darty Water」です。なんと本国アメリカのチャートでは翌年の夏にトップテンヒットを記録し、我国でも昭和41(1966)年の末頃にはラジオから流れていましたし、バンド名は失念したんですが、GS全盛期の昭和43(1963)年には「Darty Water」を確かに演じていたグループを、私はライプで見ています。

そして例によって告白すると、冒頭でストーンズ云々なんて書いたんですが、実は私はストーンズよりも先に、このスタンデルズの「Darty Water」を好きになり、本日掲載したシングル盤を買ったのです。それは昭和42(1967)年のことでした。

以来、スタンデルズは私の心に残る存在となり、4枚位は出ているというLPも聴きましたが、結局は「Darty Water」に勝るものは無いと思っていますし、一応は世界各国でシングルヒットも他に出しているのですが、所謂「一発屋」という位置づけかもしれません。それほど、この1曲は突出して凄い名演なのです。

しかし、これが好きだからといって、サイケおやじは決してパンクロックを肯定するわけではありません。まあ、そのあたりの頑迷さが、私の Old Wave な自己矛盾なのですが……。

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後追いキンクスの充実

2009-11-18 11:07:38 | Rock

Arthur Or The Decline And Fall Of The British Empere / The Kinks (Pye)

歴史を遡り、辿って過去を知ることは、いろいろと興味深く、リアルタイムでは決して気がつことも無かったと思われる事象にハッとさせられ、思わず唸ったり、感服したり、時には失笑したりと、それが Old Wave の精神的な支柱でもあります。

と、またまた大仰な書き出しではありますが、本日の主役たるキンクスの場合、何故か我国では一時期、リアルタイムでの契約発売が途切れていた所為もあって、後追いで聴く全盛期のレコードは、なかなか味わい深いものがありました。

例えば本日ご紹介のアルバムは、本国イギリスでは1969年10月に発売された、キンクスにとっては初めての本格的なロックオペラ作品として、非常に充実した仕上がりの名盤だと思います。

もちろん日本でも翌年に発売され、なんとアルバムタイトルをモロに直訳した「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」という、凄過ぎる邦題がつけられていました。

しかもミュージックライフ等々の音楽マスコミは、大袈裟なのに没個性とか、リバプールサウンドの残党が云々とか、決して好意的な評価はしていませんでしたから、これでは、ねぇ……。

ただしアルバムからシングルカットされた「Victoria」が、局地的ではありますが、ラジオの深夜放送で人気を集めていたのが僅かな救いでした。もちろんサイケおやじにしても、気になる作品ではあったのですが、当時は乏しい小遣いに欲しいものがどっさりという……。

こうして時が流れました。

そして昭和40年代末、つまり1970年代中頃になって、私はようやく、これをゲットしたのですが……。

 A-1 Victoria
 A-2 Yes Sir, No Sir
 A-3 Some Mother' Son
 A-4 Drivin'
 A-5 Brainwashed
 A-6 Australia
 B-1 Shangri-La
 B-2 Mr. Churchill Says
 B-3 She's Bought A Hat Like Princess Marina
 B-4 Young And Innocent Day
 B-5 Nothning To Say
 B-6 Arthur

まず最初に目からウロコだったのが、その中身の庶民的なところでした。

と言うのも、前述した大袈裟な邦題ゆえに、私はロックオペラというアルバムの内容が、それこそ円卓の騎士とか、イギリスの歴史を時代劇調に扱ったものだと思い込んでいたのです。しかし実際には、アーサーという絨毯屋の小市民が、家族や兄弟、親戚と平凡に暮らしつつ、その人生と共に変貌していく自国イギリスを嘆いたり、女王陛下に忠誠を誓ったりしながらのあれこれを歌っていたのですねぇ~。

ただし英語が自然に理解出来て、なおかつイギリスのドメスティックな事情に通じていれば、その歌詞の中身はヘヴィな皮肉と真っ黒にユーモアで埋め尽くされているということですが、少なくともそれを演出するサウンドは力強いロック、十八番のホンワカメロディ、さらにブラスを導入したロックジャズやサイケデリックの抽出改良型ポップス等々、なかなかに聴き易く、ワクワクしてウキウキ、そこはかとない哀愁、そして大衆音楽を聴く喜びが詰まっていると思います。

またリアルタイムで没個性とされた点については、なんと他のバンドのヒット&人気曲の美味しい部分が、パクリとまでは言いませんが、それなりに上手く利用されているところに、思わずニヤリ♪♪~♪

というか、もしかしたら、こっちがオリジナル? と思わせる部分まであるのです。

例えば「Drivin'」は、最初っから1968年頃のビーチボーイズ調ですし、骨抜きスタックスサウンドのような「Brainwashed」、ジョージ・ハリスンの元ネタばらし的な「Shangri-La」はシングルカットもされた、せつない名曲♪♪~♪

またレノン&マッカートニーな「Mr. Churchill Says」、ポール・マッカートニーがイーグルスしたような「Young And Innocent Day」、ウイングスの元ネタかもしれない「Nothning To Say」等々、もうニンマリがとまらないですよ♪♪~♪

という感じで、それもこれも、結局は後追いの喜びが尽きないトラックが多いのですが、その中にあって、キンクス十八番のホンワカロックが混濁したロックジャズに変化融解していく「Australia」は、その演奏の充実度が従来のキンクスのイメージを良い方向へと覆した素晴らしさ!

それと「Victoria」と「Arthur」は、これぞ楽しくて力強い、キンクスだけの表現が存分に楽しめる、永遠の名曲・名演だと思います。極言すれば、これ以降に我国でも一部でウケていたパブロックなんていう分野に通じるかもしれません。

ちなみに当時のメンバーは、ベース奏者がピート・クウェイフからジョン・ダルトンに交代した時期ですが、グループの結束は揺らぐ事が無く、セッションプレイヤーも参加したこのアルバムでの演奏は、決定的に自然体で充実しています。特にデイヴ・デイビスのギターはナチュラルなトーンでロックやカントリー、ブルースやR&Bはもちろんのこと、ジャズっぽいリックやコードを随所で多用する大健闘! ビートバンドのイカシたギタリストだった初期の姿からは、ちょっと意外なほど飛躍していると思います。

ということで、書きたいことはもっとあるんですが、それは歌詞の問題やイギリスの歴史云々に関してが多すぎますので、とりあえず、ここまでで逃げておきます。ご容赦下さい。

しかし、その点が曖昧だとしても、このアルバムで聞かれるサウンド作りと歌の魅力は、なかなか素敵だと思いますねぇ~♪ 既に述べたように、それは後追いゆえの楽しみに満ちているのです。

とにかくA面ド頭の「Victoria」は、一緒に歌いたくなりますよ♪♪~♪

ヴィクト~~~リァ~♪

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シングル盤片面でも凄いジェームス・ブラウン

2009-11-17 12:10:00 | Soul

パパのニュー・バッグ / James Brown (King / 東芝)


今となってはジェームス・ブラウンも、ゲロッパッの人!?!

そういう認識が強いかもしれませんが、確かにジェームス・ブラウンのパフォーマンスは、ファンキーなリズムに乗った掛け声ばっかり、それとダンスにマントショウというイメージが定着していのは否めません。

しかしそれは決して土人の叫びでもないし、単なるビートの演芸ではありません。ブルースの魂とソウルフルな熱気を極限まで煮詰め、熱く、熱く放出していく黒人ならではの世界を端的に表現した無形文化財かもしれないのです。

そしたジェームス・ブラウンのスタイルは1960年代中頃に一応の完成形になったようですが、芸能活動をスタートさせた頃はR&Bのコーラスと歌、そしてリトル・リチャードあたりの影響が強い泣き節パラードやアップテンポのグイノリで押し通すステージングが、流石の黒人芸能という感じでした。

それは自らのライプ巡業で煮詰められ、まさに「一座」と呼んで過言ではないステージには、子飼のバンドと前座歌手、司会や道化、コーラス&ダンスのグループが渾然一体となって主役のジェームス・ブラウンを盛りたてるという、圧巻のパッケージショウが黒人層にウケまくったのです。

つまりハズレの無い、「お徳用」だったんですねぇ~♪

そういうことですから、ジェームス・ブラウンもまた、R&BどころかジャズやR&R、あるいは諸々の白人芸能までも貪欲に吸収する汎用性を発揮し、その過程で自らドラムスやオルガンを演奏するジャズっぽいR&Bインストのレコードも作っていたのですが、これは本来、「歌手」として契約していたキングレコード以外のレーベルとも契約を得るための苦肉に策だったと言われています。

そしてそこで作られた演奏の中に、「ウッ」とか「ハァ~ッ」とかの掛け声や叫びが入っているところが興奮度数の高い秘密でしょう。歌えない条件が見事に活かされたというか、それが偶然か故意かは分かりませんが、とにかく成功したのは事実です。

また同時に流行のファンキージャズがR&B色に染まり過ぎても、モダンジャズ保守本流のミュージシャンではないジェームス・ブラウンが演じているとなれば、ガチガチのジャズ評論家やファンからは白眼視される媚びた内容が、逆に大衆にはストレートに受け入れるという好結果に結びついたようです。

それはモダンジャズが特有のシンコペイトしまくったフィーリングが、8&16ビートの黒人R&Bや後のラップに通じる言葉のリズム遊びの世界に融合していく初期段階だったと思います。

平たく言えば、スタッカートを強調したタテノリのリズムの中で、意図的にズレたビートを活かして叫び、唸るジェームス・ブラウンの声とノリが、それ以前のR&Bから少しずつ逸脱していった成果じゃないでしょうか?

そして、その最初の成功作が、本日ご紹介のシングル曲「パパのニュー・バッグ / Papa's Got A Brand New Bag」で、これは1965年に発売されるや、忽ちの大ヒットになっています。特に良い曲メロがあるわけではないのですが、きっと多くの皆様が、チャラチャラ、カッキ~ン! というキメのリズムギターブレイクを聴いたことがあるんじゃないでしょうか。

全体はブルース形式のR&Bで、分厚いブラスとジェームス・ブラウンの粘っこい歌い回しが、ハネたようなビートを活かしたリズム隊とホーンリフに力強くバックアップされるという展開は、全く永遠に不滅でしょう。

まあ、このあたりは文章にする虚しさが確かにあって、実際に聴いて、感じていただくしかない世界なんですが、虜になると抜け出せませんよ。

極言すれば電化期のマイスル・デイビス、あるいはスライにしても、ジェームス・ブラウンからの影響があって、初めて自らのスタイルを貫いた部分は決して否定出来ませんし、後にはプリンスのように、変態的な解釈を施した黒人ロッカーも登場しているほどです。もちろん白人・黒人を問わず、このあたりをパクったミュージシャンは星の数ほど存在しています。

で、このシングル盤は私が昭和40年代末に中古でゲットした、一番最初に買ったジェームス・ブラウンなんですが、実はそれまでに、私はジェームス・ブラウンの歌をラジオ等々でかなり聴いて、けっこうカッコイイ! なんて思っていました。しかし、それでもレコードが買えなかったは、つまりはジェームス・ブラウンの歌と演奏にはメロディの良さが欠落しているからで、まあ、これは例えば「It's A Man's Man's World」のような泣き節スタイルの曲には当てはまらないことではありますが、それにしてもメロディが……。

なんて思っていたら、その頃に行われたフィルムコンサートで観たジェームス・ブラウンの圧巻のライプパフォーマンス! 黒人にしては小柄な体躯をエネルギッシュに動かし、エキセントリックに叫び、熱く歌う! その姿には今もって言い知れぬ神秘性とカリスマがありました。もう、レコードを買うしか無い!

幸いなことに、私は後にジェームス・ブラウンのライプにも接していますが、こうしたスタイルは普通、レコードよりはライプの方が良いという定説が、ジェームス・ブラウンの場合はライプも良し、またスタジオで作られたレコードも、ちょいと違った良さとして、どちらも迫力満点なのです。

決して語りつくせない偉人のジェームス・ブラウンではありますが、わずかな時間しか楽しめないシングル盤片面の世界でさえ、完全に聴き手を満足させてしまうのは凄いと感服するばかりです。

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こんなカーペンターズも好き♪

2009-11-16 12:03:54 | Pops

Passage / Carpenters (A&M)


カーペンターズのファンからは普通に疎まれているのですが、例によって天の邪鬼なサイケおやじは、けっこう好きなアルバムです。

発売されたのは1977年秋、時期的にはカーペンターズが一気に奈落の底へ転落していた頃の作品で、しかも様々な試行錯誤が良い結果に結びついていないのは、歴史が証明しています。

それは兄のリチャードが悪いクスリ、また妹のカレンが拒食症という、成功の代償としてはあまりにも重い苦悩と健康問題により、煮詰まった果ての悪あがきとまで言われる内容です。

 A-1 B'wana She No Home
 A-2 All You Get From Love Is A Love Song / 二人のラブソング
 A-3 I Just Fall In Love Again
 A-4 On The Balcony Of The Case Rosada
                     
 ~ Don't Cry For Me Argentina
 B-1 Sweet, Sweet Smile
 B-2 Two Sides
 B-3 Man Smart, Woman Smarter
 B-4 Calling Occupants Of Interplaneatry Craft / 星空に愛を

ここで一番に評判が良くないのは、コーラスその他で、カーペンターズ以外の歌声が聞こえる事にも要因があります。またサウンドプロダクトが、当時の流行だったジャズフュージョン寄りのAORになっているのにも、王道ポップス路線に馴染んできたファンには???

しかしサイケおやじは、まずA面ド頭「B'wana She No Home」で楽しめるジャジーなノリが好きなんですねぇ~♪ この曲はご存じ、マイケル・フランクスが書いた、あのフュージョン系ボサロックのノリと抑揚の無いメロディライン、そして意味不明の歌詞が逆に気持良いという仕上がりなんですが、流石はカレンの歌の上手さゆえに、それが見事なジャズ系ポップスになっています。

実際、ここでは参加メンバーのアドリブパートもふんだんに用意され、フルート&サックスのトム・スコット、そしてピート・ジョリーの名演が楽しめますし、タイトで浮遊感も演出するリズム隊が良い感じ♪♪~♪ 後に知ったことですが、この曲に関しては、ほとんど一発録りだったそうですから、さもありなん。

ちなみに、このアルバムのセッションには時期的に、その手のスタジオミュージシャンが動員されていますが、ベースだけはデビュー当時からカーペンターズを支え続けたジョー・オズボーンが起用されていますので、ご安心下さい。

実際、続く2曲目の「二人のラブソング」はシングルカットもされ、それなりにヒットした王道のカーペンターズが楽しめますよ。個人的にも本当に大好きな名曲で、特に最後の最後のリフレインでカレンが自然体で披露するメロディフェイクを聴いているだけで、幸せな気分になれるほどです。

そして「I Just Fall In Love Again」も、まさにカーペンターズならではの和みの世界♪♪~♪ もう冒頭からの3連発で、私のような者は虜になってしまうんですが、本質的なカーペンターズが好きなファンには戸惑いが隠せなかったようです……。

う~ん、確かに違和感があるでしょうねぇ。

それはA面ラストのミュージカルメドレーで決定的に顕著になります。なにしろいきなり、どっかのオペラみたいな??? 全然、カーペンターズの声がしないんですよ……。それでも中盤からはカレンが厳かに歌ってくれるのですが、う~ん……。

ですからB面に入って、従来どおりの爽やか系カーペンターズが聞かれても、どこかしら納得出来ないものが残る感じです。特に「Man Smart, Woman Smarter」では、レオン・ラッセルまでもが参加した、再びのフュージョン系ジャムですよ……。

それでもなんとか、オーラスの「星空に愛を」で、正統派カーペンターズに戻ってくれますが、なんだかなぁ……。

しかし割り切ってしまえば、A面の最初の3曲までの流れは素敵だと思いますよ。私は好きです♪♪~♪

以前にも述べたとおり、カーペンターズのレコードは1980年代に入ると、それこそゴロゴロと中古屋に出ていましたが、特にこのアルバムなんか捨値だったのは正直な状況でした。ただし、その中にあっても、如何にも時代の要請と折り合いをつけるべく奮闘したカーペンターズの裏の魅力が楽しめるのは、確かです。

ご存じのように、この兄妹は正式デビュー以前はジャズ系の歌と演奏をやっていましたから、フュージョンと名を変えた流行のジャズに踏み込むのも、吝かではなかったと思われます。しかし成功を得たのは保守本流のアメリカンポップスのスタイルであったことが、間口を狭くしてしまったんでしょうか……。

このアルバムを出して以降、ごまかしの多いクリスマス作品や再起を感じさせた1981年の人気盤「メイド・イン・アメリカ」等々を発表しても、けっしてもう、往年の人気には及ばないものがあったのは事実です。

そしてカレンの悲報……。

そんなこんながあって、このアルバムの位置づけは複雑なものを抱えていますが、機会があれば、とにかくA面だけでも聴いていただきたいと願っております。

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これも、ボール・バターフィールド

2009-11-15 10:39:05 | Rock

Put It In Your Ear / Paul Butterfield (Bearsville)

私の世代なら、きっと心に残っているブルースロックの偉人が、ボール・バターフィールドじゃないでしょうか。まあ、例によって、サイケおやじの勝手な思い込みかもしれませんが。

しかしボール・バターフィールドは白人ながらブルースに深く帰依し、ハーモニカとハートウォームなボーカルスタイルでもって、1960年代にはマイク・ブルームフィールド(g) やエルビン・ビショップ(g,vo) を擁した自己名義のブルースバンドを率い、1970年代に入ってからは、さらにソウルフルで野性的なルーツミュージックも取り込んだベターデイズを結成して精力的な活動をしながら、私生活では悪いクスリと酒に溺れ、ついにはバンドも維持出来なくなるのですが……。

そんな苦しい時期に制作され、1976年初頭に世に出たのが、本日ご紹介のアルバムです。

 A-1 You Can Run But You Can't Hide
 A-2 My Song
 A-3 The Animal
 A-4 The Breadline
 A-5 Ain't That A Lot Of Love
 B-1 I Don't Wanna Go
 B-2 Day To Day
 B-3 Here I Go Again
 B-4 Flame
 B-5 Watch'em Tell A Lie

結論から言うと、これは決してブルースロックのアルバムではなく、R&BやAORをも包括した素晴らしい歌物傑作盤なんですが、参集した共演者が、これまた印象的な名演を聴かせてくれるのですねぇ~♪

それはフレッド・カーター(g)、エリック・ゲイル(g)、ベン・キース(g)、ガース・ハドソン(key)、チャック・レイニー(b)、ジェームス・ジェマーソン(b)、ゴードン・エドワーズ(b)、バーナード・パーディ(ds)、クリス・パーカー(ds)、レボン・ヘルム(ds)、デイヴィッド・サンボーン(as,ss) 等々、超一流のメンツばかり! 中でもクリス・パーカーとデイヴィッド・サンボーンは駆け出し時代にボール・バターフィールドのバンドで修業を積んだ身という履歴は有名だと思います。

そしてプロデュースとアレンジが、黒人大衆音楽ではクインシー・ジョーンズと並び称されるヘンリー・グローヴァーですから、中身の充実度は保証付き♪♪~♪

まずA面ド頭「You Can Run But You Can't Hide」からして、チャック・レイニー&バーナード・パーディの名コンビが作り出すヘヴィファンクなグルーヴと熱いコーラス&ブラスのお膳立てがいきなり素晴らしく、そして真摯に歌いまくるボール・バターフィールド! さらに全篇を彩り、強烈に泣きじゃくったアドリブを聴かせるデイヴィッド・サンボーンのアルトサックス! もうこれだけで、シビレが止まりませんよ♪♪~♪

当時は既にクロスオーバーと呼ばれた、後のフュージョンブームの先駆け的な流行があったことから、この「You Can Run But You Can't Hide」で楽しめる歌と演奏が局地的に大いに盛り上がっていたのも、今では懐かしい思い出です。

そして次は一転、ボール・バターフィールドの哀愁のハーモニカと優しい曲メロが完全融合したスローな「My Song」が、実に良い雰囲気で始まるんですねぇ~♪ 印象的なストリングスを配したアレンジも素晴らしく、秘めた情熱を滲ませるボール・バターフィールドのボーカルは、何時までも聴いていたいほどですが、こういう刹那の流れが、このアルバム全体の構成のキモになっているのは、実に用意周到だと思います。

ですから再びデイヴィッド・サンボーンのアルトサックスが泣きまくり、グイノリのビートが心地良い「The Animal」、むせび泣くハーモニカに導かれたゴスペルソウルな「The Breadline」は、ソウルフルな女性コーラスもたまりません♪♪~♪ またA面ラストの「Ain't That A Lot Of Love」ではニューオリンズファンクが爆発していますから、カラオケパートを演じる各人の技のキレ、デイヴィッド・サンボーンの泣きのアルトサックスが、ボール・バターフィールドの歌とハーモニカ共々に楽しめますよ。転がりまくったピアノも痛快♪♪~♪

こうしてレコードをひっくり返したB面でも、いきなりヘヴィなファンクビートが飛び出してくる「I Don't Wanna Go」のヤバイ雰囲気の良さ♪♪~♪ 湿っぽい歌い回しを彩るストリングスも、当時の流行だったニューソウルの味わいが強くて、私は大好きです。

そしてお待たせしました、軽い感じではありますが、ボール・バターフィールドのブルースハープが堪能出来る「Day To Day」は、如何にも1970年代中頃の雰囲気が強い隠れ名演かもしれません。まあ、正直に言えば、あまりにも「なあなあ」の感じがイマイチなんですが、それも時代の要請という懐かしさが、今となってはOKでしょうか……。

その意味では、じんわりと味わい深い「Here I Go Again」や珍しくもボール・バターフィールドが自らシンセを操ったクロスオーバーインストの「Flame」は、些かの時代錯誤ではありますが、それもこれもオーラスの「Watch'em Tell A Lie」で全て帳消しです。

この、甘く妖しい男女語りから始まる不倫パラードの隠れ名曲は、歌詞の中身を知るにつけ、意図的に優柔不断と熱い恋愛感情を表現するボール・バターフィールドの歌い回し、それを彩るデイヴィッド・サンボーンのアルトサックスが最高の極みで、ちょいと短いのが勿体無いほど♪♪~♪

ということで、それほど認識されていないアルバムかもしれませんが、実はAORの名品じゃなかろうか? と本気で思うほどです。

正直、ブルースロックを期待して聴いてしまえば、それは肩すかしでしょう。しかし当時のファンキーロックなグルーヴというか、物凄いファンクなノリを聞かせてくれるリズム隊の気持良さ、また全篇でかつての親分だったボール・バターフィールドを盛り立てるデイヴィッド・サンボーンの恩返し的な名演が、本当に熱く胸に迫ってきますよ。

しかし残念ながら、ボール・バターフィールドの以後の活動はフェードアウト気味……。発掘作品も含めた幾つかのリーダー盤も無視状態でしたし、ザ・バンドの解散イベント「ラストワルツ」に顔を出したのがウケた以外は……。

そして1987年には悪いクスリが原因で、享年44歳、ついに天国へと召されていきました。

今となっては、そんな状況を知るにつれ、このアルバムの出来栄えが奇蹟とさえ思えるほどです。現在はCD化もされているようですから、機会があれば、ぜひともお楽しみいただきたい1枚です。

特にデイヴィッド・サンボーンのファンの皆様ならば、言うまでもありませんよね。

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そこに居た、エリック・クラプトン

2009-11-14 11:11:56 | Rock

E.C. Was Here / Eric Clapton (RSO)

昭和49(1974)年10月のエリック・クラプトン初来日公演は、所謂ひとつの事件でした。

それは極東への神の降臨であり、我国のファンの中でも特にギター好きならば、万難を排して会場へ参集する儀式に他なりませんでしたが、なんと東京では武道館で2回の開催予定だったチケットが、瞬時に売れ切れ! さらに追加公演もアッという間に……。

それでもサイケおやじは必死で、どうにか追加された11月2日を入手出来たのですが、ここで友人から初日の分と交換してくれ、と懇願され、それはなかなか良い席だったので、なんのためらいもなく了承したのですが……。

さて当日、なんとサイケおやじの都合が厳しくなり、やっと会場へ入った時、神様は2曲目の「Let It Grow」をアコースティックでやっていました。

その時の来日メンバーはエリック・クラブン(g,vo) 以下、ジョージ・テリー(g)、ディック・シムズ(key)、カール・レイドル(b)、ジェイミー・オールデイカー(ds,per)、イヴォンヌ・エリマン(vo,g)、マーシー・レヴィ(vo) という、まさにバリバリの現役バンドでしたから、実は来日が決定した頃から、ライプの初っ端はどんな曲で始まるのか? ファンの間では様々に予想され、私も友人達と語り合っていたのです。そして希望的観測としては「いとしのレイラ」が一番人気だったと記憶しています。それが……。

私の聴けなかったオープニングには、チャップリンの映画音楽だった「Smile」が地味に演じられそうですし、3曲目にはレイドバックと称された、私にとっては気抜けのビールという「Better Make It Through Today」が、それこそ茫洋と歌われたのです。あぁ、強烈な肩すかし!?!

それでもファンは拍手していましたよ。私も含めて、なんとか自ら盛り上がらないと申し訳ないような気分じゃなかったでしょうか……。

ですから4曲目に「Badge」が出て、それ以降の中盤は「愛の経験 / Have You Ever Loved A Woman」をメインに据えたブルース大会が披露されると、グッと会場には熱気が充満し、もちろん私も大満足♪♪~♪ ついに神様の降臨です。

ところが終盤になると、例の大ヒット「I Shot Tha Sheriff」等々、ユルユルのレゲエ大会……。なんとかラストの「いとしのレイラ」で溜飲は下がったものの、アンコールの「Blues Power」は、やっつけ仕事だと感じたほど……。

まあ、今となっては、神様と同じ空間を共有出来たというか、エリック・クラプトンがそこに居ただけで満足してしまった感動が、確かにありました。

それゆえに、本日ご紹介のライプ盤が翌年発売され、その中身の「熱さ」と「濃さ」には圧倒されましたですよ。そして忽ちサイケおやじの愛聴盤となったのは、ご理解いただけると思います。

 A-1 Have You Ever Loved A Woman / 愛の経験 (1974年7月19日録音)
 A-2 Presence Of The Rord (1974年7月20日録音)
 A-3 Drifting Blues (1974年7月20日録音)
 B-1 Can't Find My Way Home (1974年7月20日録音)
 B-2 Rambling On My Mind (1974年12月4日録音)
 B-3 Further On Up The Road (1975年7月20日録音)

録音されたのは1974年7&12月と翌年の7月の音源から、上手く編集されていますが、とにかくエリック・クラプトンの充実、その本領発揮度は素晴らしいかぎり♪♪~♪ 前記したバンドメンバーとのコンビネーションにも強い信頼の絆が感じられ、とても良い雰囲気なんですよ。

それはまず冒頭、「愛の経験」の、まさに歌詞通りの人生を送っていた当時のエリック・クラブンが、歌と言うよりも、己のギターに託しての心情吐露が畢生の名演!

今では良く知られているように、その頃のエリック・クラプトンは親友のジョージ・ハリスンの妻だったパティとの不倫関係というか、どちらかと言えばエリック・クラプトンの自虐的な片思いが通じていたドロドロの時期だったとはいえ、それゆえに悪いクスリや酒に溺れ、また友情と恋愛感情の狭間で神様とは思えぬほどの弱さを露呈していたのですから、たまりません。

密やかに忍び寄るイントロのワンフレーズから、胸を締めつけられるようなチョーキングによるブルース衝動、そしてほとんど半分しか歌詞を歌わず、あとはギターに代弁させるという、まさに「ブルースを歌うギター」の神髄は、時に激した感情の爆発も含めて、筆舌に尽くし難いものです。そしてジョージ・テリーの上手い助演からのバトルと協調も素晴らしすぎますねぇ♪♪~♪

実はエリック・クラプトンのプイベートな事情は、これをリアルタイムで聴いていた時には、それほど知らなかったのですが、後になってそれを知るほどに、ますます味わい深い名演になっていくのも、凄いところだと思います。

これぞっ、ブルースロックの極みつき! これを聴けただけで、アルバムの価値は十分すぎるほどです。

しかし嬉しいことに、他の演奏も素晴らしいんですねぇ~♪

同じく黒人ブルースの古典曲「Drifting Blues」では前半をアコースティック、そして中盤からはエレキに持ち替えてのクラプトンのブルースギター、その秘密が解き明かされますが、スライドでのチューニングが幾分、甘いのはご愛嬌でしょう。こういう普段着姿の神様にも好感が持てますし、ここでもジョージ・テリーの繊細なプレイが感度良好です。ちなみにアナログ盤ではフェードアウトで終わるパートが、CD化された時にはロングバージョンとなり、続く「Rambling On My Mind」もしっかり楽しめる嬉しいプレゼントになっています。

その意味ではアナログ盤に正規収録の「B-2 / Rambling On My Mind」が尚更に興味深く、エリック・クラプトンの掛け声の指示によってキーを変えていく転調技が、流石のバンドアンサンブルで堪能出来ますよ。もちろん全員のブルースロック見本市は見事の一言です。ちなみに、ここで聴かれるダーティなギターの音色は、もしかしたらギブソン? この時期の神様はフェンダーのストラトキャスターが有名ですが、やっぱりギブソンを使ってくれると、個人的には嬉しいですねぇ。

それと「Presence Of The Rord」や「Can't Find My Way Home」といった、ブラインド・フェィス時代の代表曲が、コーラス隊として参加している女性ボーカリストのイヴォンヌ・エリマンとのデュエットとして演じられているのも、なかなか良い感じ♪♪~♪ と言うよりも、実は彼女の歌いっぷりがあってこそ、後半で炸裂するエリック・クラプトンのギターが凄い「Presence Of The Rord」には、絶句して歓喜悶絶ですよっ! なんて、強烈なっ!

こうして迎える大団円が、アップテンポのロックビートが冴えまくる「Further On Up The Road」ですからねぇ~♪ もうエリック・クラプトンが絶好調の怖いフレーズを連発すれば、力強いバックメンバーのノリも最高ですから、ついつい一緒にギターを弾きたくなりますよ。

ということで、これはエリック・クラプトンのギターを堪能出来る人気盤♪♪~♪ 確かに今となっては、その後のライプ過多症候群を鑑みて、一抹のマンネリ感もあると思います。しかし当時は、これしか、無かったんですよ、ブルースを存分に弾きまくってくれるエリック・クラプトンのレコードは!

そして後年、この音源を拡大したものに、その他の1970年代ライプを追加した4CDのセットも発売されるのですが、基本はやはり、このアルバムじゃないでしょうか。それは私の勝手な思い入れが強いところでしょうし、確かにエリック・クラプトンのギタープレイは不遜にも手癖が散見されるのですが、こんなに気持良い「手癖」を持っているのは、神様の証です。

まあ、本人は「神様」扱いが迷惑で、それゆえに「ギター」よりも「歌」を優先させていた事実は歴史になっていますが、やっぱり、ねぇ~。ファンはギターを弾くエリック・クラプトンが好きなんですよ。

このアルバムが、あえて作られたのだって、それが分かっていた結果だと思います。

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デュアン・オールマンの衝撃

2009-11-13 12:00:28 | Allman Brothers Band

The Allman Brothers Band At Fillmone East (Capricorn)

既にしてロックの殿堂入りは確実の名作ライプ盤ですが、これに出会った頃の衝撃度は青春時代のサイケおやじには、後頭部を殴れたような!?!

それは昭和46(1971)年のちょうど今頃の季節でした。

ラジオの洋楽番組で聴いた「Statesboro Blues」は、このアルバムに収録された名演のひとつだったのですが、イントロから炸裂するハードなリフと強烈なスライドギター!

なんじゃ、こりゃぁ~~~!

と、ほとんど松田優作状態の叫びが、思わず口から発せられた記憶も鮮烈です。

度々述べているように、その頃の私は既にスライドギターが大好き人間でありながら、それにしても当時はストーンズのブライアン・ジョーンズか、ライ・クーダーぐらいしかロック系のギタリストは知りませんでした。

と言うよりも、スライドギター奏法がロックの世界では一般的じゃなくて、もちろん本物の世界だった黒人ブルースのレコードにしても、我国ではアルバート、フレディ、そして B.B の三大キングか、ストーンズ経由で知られていたマディ・ウォーターズやウリン・ウルフあたりの編集盤ぐらいしか出回っていませんでした。

またオールマン・ブラザーズ・バンドが聞かせていたブルースロックにしても、それまでのクリームやフリートウッド・マック、そして同系のイギリスのバンドやアメリカでのサイケデリックから派生したグループの演奏とは、決定的に違う何かが、この1曲だけで感じられたのです。

さらに大衝撃だったのは番組の中で、このスライドギターを弾いていたデュアン・オールマンがバイクの事故で同年の10月、つまり私が放送を聴いた直前に他界したという悲報を告げられたことです。

あぁ……、こんな凄いギタリストを、もう聴けないなんて……。

出会いは別れの始まり……、とは本当の名言だったんです。

そして、もうこうなると辛抱たまらん状態のサイケおやじは、「Statesboro Blues」が収録された本日ご紹介のライプ盤をゲットする覚悟を決めたのですが、それはなんと2枚組で、日本盤は三千円!! これは当時、高校生だった私には苦しいものがありました。

しかし青春の情熱というか、憑かれた執念は物凄いエネルギーを発揮するものです。それこそ昼飯代を倹約しまくって、日本盤よりも安かった輸入盤の中古をゲットしたのが、掲載したアルバムです。

 A-1 Statesboro Blues
 A-2 Done Somebody Wrong
 A-3 Stormy Monday
 B-1 You Don't Love Me
 C-1 Hot 'Lanta
 C-2 In Memory Of Elizabth Reed
 D-1 Whipping Post

くぅぅぅぅ~、このアルバムを聴いた時のリアルタイムの衝撃は、再び凄いものがありました。

当時のバンドメンバーはデュアン・オールマン(g) とグレッグ・オールマン(vo,key) の兄弟を中心にディッキー・ベッツ(g)、ベリー・オークリー(b)、ブッチ・トラックス(ds,per)、ジェイ・ジョニー・ジョハンスン(ds.per) という6人組で、当時としては画期的というか、2人のドラマーがいるバンドは珍しい編成でした。

そしてこのアルバムは1971年3月、ニューヨークのフィルモア・イーストで録られた音源から編集されていますが、あらかじめライプレコーディングを想定したセッションには、ゲストプレイヤーも参加しており、ここでは特にハーモニカ奏者のトム・ドューゼットの名演も楽しめます。

しかし圧巻なのは、やはりデュアン・オールマンの神業ギター!

ド頭に入っている「Statesboro Blues」の物凄いスライドは、そのリズム感、音とフレーズのコントロールが神の領域に近づいているとしか思えないほどです。しかも豪快無比!

さらにブルースロックの神髄というか、「Stormy Monday」での強靭でハードなアドリブや「You Don't Love Me」で炸裂する瞬間芸的な閃きの連続を聴いていると、う~ん、これは天国へ召されるのも神様の思し召しとしか思えなくなるのです。

また、そうした凄みを遺憾なく発揮出来るのも、バンドメンバー各人の技量と纏まりが素晴らしいからでしょう。しなやかで粘っこく、さらに強いビートでキメまくりのリズム隊はツインドラムス体制の成果でしょう。

と同時に、デュアン・オールマンとディッキー・ベッツがバンドアンサンブルのキメに演じるツインリードのパートは、長いアドリブソロの中で何時しか浮かんでは消えていく素晴らしい瞬間を見事に演出しています。特に「In Memory Of Elizabth Reed」で聴ける3度のハモリとバッキングは最高過ぎますねぇ~♪

こうしてデュアン・オールマンの虜になったサイケおやじは、この天才の過去を探求するにつれ、ますますその凄みに圧倒されるのです。例えば、このアルバム以前に出ていながら、同好会バンドの先輩から聴かせてもらったまま、なんとなく忘れていた「レイラ」の2枚組も、あわててゲットしたほどです。

デュアン・オールマンのプレイは、スライド奏法でもレギュラーチューニングが多いようですし、単音アドリブでも3連&6連のフレーズを多用していますが、特有の浮遊感と閃光の瞬間的な至芸は、どうやらモードジャズの影響も含んでいると感じることが度々です。

実際、オールマン・ブラザーズ・バンドとしてのライプで演じられる長いアドリブ合戦、あるいはバックアップのコードワークが、一筋縄ではいきません。

同じ傾向としては、これ以前のクリームが非常にジャズ寄りの演奏でしたが、それはメンバー各々が喧嘩をしているようなところがありました。ところがオールマン・ブラザーズ・バンドは、なかなか協調性があって、グループとしての表現も秀逸だと思います。なんと言うか、柔軟に盛り上がっていく、これはグルートフル・デッドあたりのライプ演奏にも通じるものがあると感じます。

ということで、デュアン・オールマンを知ってしまったサイケおやじは、なんとか天才の技をコピーしようと奮闘したのですが、当然ながら足元にも及びません。

しかし、こうしてデュアン・オールマンに出会えた幸せは、今も忘れていないのでした。

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楽しくなければポップスじゃない!?

2009-11-12 11:03:08 | Pops

ヘンリー8世君 / Herman's Hermits (EMI / 東芝)

所謂ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれた1960年代中頃からの英国ロック&ポップスの流行の中で、特にアイドル的な人気を得ていたのが、本日の主役たるハーマンズ・ハーミッツというよりも、そのグループのボーカリストだったピーター・ヌーンです。

つまりロックの中のアイドルスタアとして、イギリスはもちろん、それを上回る人気と実績を残したのがアメリカでの活動で、極端に言えばストーンズやキンクス、ホリーズ等々よりも、それは上級だったのがリアルタイムでの真相なんですねぇ。

これは我国でも同様でしたよ、お若い皆様には信じてもらえないかもしれませんが……。

ハーマンズ・ハーミッツはイギリスのマンチェスターで活動していたハートビーツというセミプロのバンドが母体となり、そこへ子役として既に実績のあったピーター・ヌーンが参加したことにより地元で注目され始めたのが1963年頃でした。

そしてビートルズの大ブレイクによって同様のバンドを探していた音楽業界の動きがあって、ついに翌年には敏腕プロデューサーのミッキー・モストに認められ、正式にレコードデビューすることになりますが、同じ頃、バンド名をハーマンズ・ハーミッツに改めています。

それはピーター・ヌーンが当時の人気TVアニメキャラ「シャーマン」に似ていたことから、もじって「ハーマン」と名乗ったことに由来するらしいのですが、そのあたりもバンドのイメージと発売するレコードに直結していくのです。

ちなみにメンバーはピーター・ヌーン(vo)、デレク・レケンビー(g)、キース・ホプウッド(g)、カール・アンソニー・グリーン(b)、ジャン・バリー(ds) となっていますが、あくまでもメインはピーター・ヌーンであり、他の4人はバックバンドという見られ方だったと言われています。

で、やっていたのはロックじゃなくて、ゴキゲンなポップス♪♪~♪

例えばデビューシングル曲だった「朝からゴキゲン / I'm Into Something Good」は職業作家時代のキャロル・キングが書いた名曲を、実に楽しく、気持良く歌っての大ヒット♪♪~♪ 以降、「ハートがドキドキ / Can't You Hear My Heart Beat」「ミセス・ブラウンのお嬢さん / Mrs. Brown You've Got A Lovely Daughter」等々、とにかくウキウキさせれますよ。

しかもミソとなっているのが、古き良き時代というか、イギリスでは時代遅れになっていた懐かしのメロディや民謡・俗謡の焼き直しを意図的に用いたアレンジが、温故知新の魅力だったようです。それは実際、イギリスよりもアメリカでウケまくった事実に顕著ですし、ピーター・ヌーンの如何にも英国少年というルックスにはジャストミートだったのでしょう。

ちょいと聴きにはオトボケであり、悪ふざけとしか思えない歌と演奏が、本格的なロックの時代へと入っていた1960年代中頃には、ある種のオアシスであり、憩いのひとときを提供してくれたのかもしれません。

で、そんな極みが本日ご紹介の「ヘンリー8世君 / I'm Henry The Eight I Am」で、これがロックとは絶対に言えず、またジャズやスタンダードでもない、完全なるイギリス流儀の懐メロなんですが、なんとアメリカで1965年にチャート1位の大ヒットになっています。

実は告白すると、サイケおやじが、このシングル盤をゲットしたのは、アメリカのチャートヒットを研究というか、その「トップ40」あたりは完全に集めようとしていた1970年代後半のことなんですが、ブリティッシュビート全盛期に、同じイギリス出身のグループとはいえ、「ヘンリー8世君」みたいな曲を大ヒットさせたハーマンズ・ハーミッツの底しれぬ人気には驚愕しましたですねぇ。

思えばリアルタイムの我国でも、ハーマンズ・ハーミッツの歌はラジオから流れていましたが、ベンチャーズやビートルズのような強いビートが感じられなかった彼等の音楽は、サイケおやじの好みではありませんでした。

しかし後年になって聴いてみると、それらは良質の洋楽ポップスであり、時にはハッとさせられるほどです。極言すればロックオペラ時代のキンクスのようでもあり、またカーペンターズと本質的に共通する和みも聴き逃せません。

ちなみにカーペンターズがハーマンズ・ハーミッツの1967年の大ヒット曲「見つめあう恋 / There's A kind Of Hush」を1976年にカパーリバイバルさせたのも、当然が必然だったと思います。それはちょうど、私がハーマンズ・ハーミッツの魅力に気がついた時期でしたから、尚更に印象深いわけですが♪♪~♪

ということで、ポップスの本質的な魅力がいっぱいというハーマンズ・ハーミッツは、特にアメリカで強い人気を保ち続け、実はオリジナルのバンドは1970年頃に解散したようですが、ピーター・ヌーンは芸能界を生き延びて、なんと1980年代になってもライプ活動をやっていたというポスターを、私はアメリカの街角で見かけた時には、ちょいと感動したほどです。

元祖「バブルガム」のグループとしても、再評価されるべきバンドかもしれません。ベスト盤CDが出ていますので、機会があればお楽しみ下さいませ。

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スライドギターでブルースを

2009-11-11 10:13:45 | Rolling Stones

Little Red Rooster / The Rolling Stones (Decca / キング)

これは私が「Jumpin' Jack Flash」の次に買ったストーンズのシングル盤です。

曲はご存じ、アメリカの黒人ブルースをストーンズ流儀でカパーし、見事にチャート1位の大ヒット! 発売はイギリスで1964年11月、我国では翌年の2月でしたが、私が入手したのは昭和44(1969)の1月です。

そのきっかけは、直前に買ったアルバム「決定版! ローリング・ストーンズ・デラックス」に収録されていたブルースカパー曲「I Can't Be Satisfied」の名演にシビレきっていたからで、特にブライアン・ジョーンズが弾くスライドギターの魔法に憑かれていたのです。

そしてストーンズの同系演奏を求めていた私の前に現れたのが、このシングル盤というわけですが、買ったのはレコード屋ではなく、所謂「ヒッピー」のお兄ちゃんがやっていた露天でした。

当時は、そうしたヒッピー族が日本でも増えていた頃で、もちろん欧米のサイケデリック文化のひとつとして、自由な生き方を求めたドロップアウトの人種だったんですが、特に我国では学生運動からの脱退組やまともな就職を嫌った人達、あるいは流行に流されていた者も含めて、二十代の男女が多かったように思います。

そして彼等は盛り場の路上で手作りのアクセサリーや古本、あるいは輸入ポスターの粗悪なコピー品、自作の詩集やアンティーク等々を売っていることも多く、私がこのシングル盤を買ったのも、そんな彼等のひとりだったというわけです。

で、そのお兄ちゃんは様々な古着やレコードを商っていたのですが、みかん箱に入れられたシングル盤の中にはストーンズのブツが幾つかあり、そこで意を決した私は「スライドギターが聴けるストーンズは、ありますか?」と質問し、勧められたのが本日の1枚だったというわけです。

ちなみに値段は50円でしたが、決して中古ではなく、ピカピカだったのには吃驚♪♪~♪ おそらくはデッドストックだったんでしょうねぇ。

そして帰宅して針を落とした瞬間、そこにはドロドロにエグイ、ブルースの世界がありました。

オリジナルはブルース界の雄=ハウリン・ウルフが1961年に吹き込んだ名作で、その凄みのあるボーカルとギスギスしたスライドギターが強烈な印象ですが、ストーンズの演奏はブライアン・ジョーンズのまろやかで深みのあるスライドギターを要に、ミック・ジャガーがレイジーな黒っぽい語り口という、今聴けば白人らしさが隠しようもない仕上がりです。

しかし当時は、そんな事は知る由もありません。

曲調は決してメロディアスではなく、むしろ語りっぽい歌なんですが、それを彩るブライアン・ジョーンズのスライドギターが千変万化♪♪~♪ これがクセになるんですよ。

ちなみにスライドギターとは説明するまでもありませんが、弦を抑える方の手の指にガラスビンの口の部分や金属製の筒を装着し、弦の上を滑らせながら音をコントロールする技法で、当然ながら弦を弾くやり方はフィンガーピッキングを主体としているものの、これは各人の企業秘密というか、独自の奏法が個性に繋がるところです。

もちろんサイケおやじも後年、スライドギターに挑戦したのですが、どうやっても上手く音やフレーズがコピー出来ません……。なんと、それもそのはず、ギターのチューニングがレギュラーではなく、オープンチューニングだったという秘密も知ることになりました。

まあ、それはそれとして、こうした黒人ブルースの技法をロックという白人音楽に取り入れる現実については、リアルタイムの1960年代では非常に珍しかったと思います。

それは人種差別が当然の本場アメリカでは、ブルースという音楽は黒人専門の分野であり、白人層で聴いたり、演奏している奴らは「変わり者」でした。そうした事情はイギリスでも同じだったというよりも、黒人音楽そのものに対する知識や素養があまりなかった時点で、既にブライアン・ジョーンズが自在にスライドギターを演じていたという事実は、行き過ぎたものだったかもしれません。

今となってはスライドギターがロックでは当たり前に使われていますので、このあたりの事情は要注意でしょうね。

とにかくスライドギターには、ある種の魔力が秘められていると思います。

そうじゃなければ、こんなメロディの無い曲がチャートのトップになるはずもなく、また別の意味ですが、実は歌詞に秘められたエロい比喩を使った表現と中身を鑑みれば、やはりストーンズならではの世界なのでしょう。

ブライアン・ジョーンズのスライドギターはオリジナル演奏のフレーズを参考にしているとはいえ、その豊かな響きは最高♪♪~♪

ちなみに録音されたのは、ストーンズが2度目のアメリカ巡業を行った1964年秋、それも聖地シカゴのチェス・スタジオを訪れてのセッションでしたし、現場には作者のウィリー・ディクソンが立ち会っていたそうですから、それでも臆することなく、これだけの歌と演奏をやってしまったストーンズは、おそるべし!

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