OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

9月になれば、ヘイ・ジュード

2010-09-10 16:56:09 | Beatles

Hey Jude c/w Revolition / The Beatles (Apple / 東芝)

毎年、この時期になると、幾分ホロ苦い気分で思い出す歌があります。

それが本日ご紹介の「Hey Jude」で、言わずと知れたビートルズの超有名曲! そして彼等自らが設立したアップルレコード初のシングル盤として、もちろん世界中でメガヒットを記録し、今日では堂々のスタンダードになっていますが、ジョンとポールの絆がギリギリで切れていないことでも歴史に残るものでしょう。

発売されたのは欧米が1968年8月末、そして我国ではちょいと遅れての9月14日だった事も、鮮明に覚えています。

というのも、この昭和43(1968)年当時のビートルズ人気は、我国においても落ち着いた感じになり、2年前の来日公演をピークとした嵐のようなブームは去っていましたし、肝心のレコードそのものが、なかなか新曲も出ないという状況でした。

そして何よりも例の「サージェント・ペパーズ」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の混濁したサイケデリックサウンドが、それまでのミーハー的な人気に終止符を打っていたように思いますが、実際、リアルタイムで洋楽ファンの女の子が夢中になっていたのはウォーカー・ブラザースモンキーズであり、野郎どもはニューロックやハードロックの世界に耽溺しつつあったのです。

さらにビートルズがこの前に出したシングルヒットの「Lady Madonna」が、今となってはR&Rリバイバルの先駆けと評価もされながらも、リアルタイムでは時代とのズレがあったことは確か……。

ですからサイケおやじも苦しい小遣い状況の中では、ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」を買ってしまい、例の事件に繋がるほどだったのです。

そして以降は、優等生への反発からストーンズ命の世界に入るわけですが、さりとてビートルズが嫌いになれるわけもなく、ついに待望の新曲が出るという情報には密かな喜びを抑えきれませんでした。

しかし最初にラジオで聴いた「Hey Jude」には、仰天して???の気分になりましたですねぇ。

実はサイケおやじがそこで接したのは、曲の後半部分、つまりラ~ララ、ラララッラァ~の延々と続くコーラスパートだったのです。

ご存じのとおり、「Hey Jude」はシングル曲にしては7分超の長さがあって、しかも半分以上は、問題の繰り返しコーラスのパートになっていますから、そこだけを3分ほど聴いていれば、当時の常識から、これが歌と演奏の全て!? と思い込まされても不思議はないでしょう。

もちろん時折入ってくるポールのシャウトは確認出来ますが、このコーラスだけのところは本当にビートルズが演じているのか、当時は謎に包まれていたというわけです。

ちなみに今では明らかになっていますが、そのコーラスパートを主に歌っていたのは、集められたオーケストラのメンバーでしたから、あながちの違和感も当然でした。

しかもこの時は、サイケおやじが初体験の「Hey Jude」に対し、ラジオのDJだった糸居五郎が、ウ~ン、サイコ~♪ なぁ~て言ったんですから、完全に取り残された気分に満たされましたですねぇ……。

ところが同じ番組内で続けて流されたB面曲「Revolition」には、溜飲が下がりました!

如何にもジョンらしいヒネリの効いたハードロックで、しかもビートルズならではのポップなフィーリングがパワフルに演じられていたのですから、たまりません。

当然ながら、この時点では、どうして「Hey Jude」がA面扱いなのか理解不能でした。

以上は、今となっての笑い話です。

サイケおやじにしても、直ぐに「Hey Jude」の最高にハートウォームなポップソングの真相に遭遇し、忽ち魅せられたのは言わずもがな、B面収録の「Revolition」も最高だったことから、速攻でこのシングル盤をゲットする覚悟を決めたのです。

しかし待ちに待った9月14日になってもサイケおやじには肝心のお金が無く、それでも母親を騙して何んとか金策出来た数日後、手にしたこのシングル盤のありがたさは決して忘れません。

ところが好事魔多し!

なんとレコードを買っている現場を今や天敵となった優等生のガールフレンドに見つかり、「どうしたのぉ? ビートルズは嫌いなったんじゃないのぉ~♪」と、実に皮肉たっぷりに痛いところを突かれ、グウの音も出ませんでした……。

そして以降、またまたクラス内では反主流的な立場が強まるのですが、そこで優しいポールの歌が心に染みたのは言わずもがなでしょう。

それはジョンとシンシアの不仲によって落ち込むジュリアンを励ますために、ポールが意図的に作った応援歌という内容があるにしろ、どうしたんだい、落ち込んじゃって? と語りかけるように歌うポールは、流石に上手いと思います。

ちなみにサイケおやじが洋楽曲の歌詞を自分なりに調べて訳すようになったのは中学に入ってからですが、ビートルズにしても相当に他愛無いと知った初期、あるいは意味不明の言葉が多い中期の歌に比べ、この「Hey Jude」はシンプルにして暖かく、本当に当時の自分にはジャストミートでした。

ということで、人生には応援歌も必要というのが、本日の結論です。

最後になりましたが、冒頭で述べたように、このシングル盤はアップルレコードからの第一弾という事ながら、東芝からの日本盤には依然として「Odeon」のレーベルが使われている謎について、なんと両社の契約は年末だったという事情があったようです。

このあたりが今となってはマニアックな部分として、「Odeon」と「Apple」の両方のレーベルを集めるのが本筋とされていますが、なんか罪作りですよねぇ……。

そしてサイケおやじとしては、楽曲の方に思い入れが強いシングル盤なのでした。


仏の顔も三度目のシカゴ

2010-09-09 16:51:02 | Rock

Chicago Ⅲ (Columbia)

1960年代も後半になると、ロックもLPで聴くという事象が当たり前になり、それは当然、シングル盤よりも値段が高いところから、経済力の無い少年少女には精神衛生上の高い壁となりました。

中でもブラスロックの輝ける新星として登場したシカゴは、デビューアルバムから3作目までが2枚組でしたし、次に出たのが集大成的なライプ盤とはいえ、驚愕の4枚組箱仕様盤とあっては、まさにこの世には神も仏も無い!? と思わざるをえず……。

このあたりは本国アメリカでは、例え2枚組LPであっても、その価格は1枚物とそんなに変わらないという事情があったにしろ、我国での発売元だったCBSソニーは、しっかり倍の値段で売っていましたからねぇ。

しかも何れの内容も、当時の最新流行だったブラスロックの秀作とあれば、リアルタイムでサイケおやじと同世代の洋楽ファンがシカゴのアルバムを私有する事は、一種の憧れと羨望だったのです。

さて、そんな状況の中、本日のご紹介は1971年に出た3作目のアルバムで、今日ではシカゴが攻撃的な歌詞と演奏によって築き上げたラジカルな姿勢を変化させた過渡期の作品という位置付けにされているようですが、とにかくリアルタイムではカッコ良くて、さらに流行性感度が高いという必殺人気盤でした。

ちなみに当時のシカゴは、ロバート・ラム(p,key,vo)、テリー・キャス(g,vo)、ピーター・セテラ(b,vo)、ダニー・セラフィン(ds)、リー・ロックネイン(tp)、ジェームズ・パンコウ(tb)、ウォルター・バラゼイダー(sax,fl) というデビュー時からの不動の7人とあって、そのコンビネーションは鉄壁!

A-1 Sing A Mean Tune Kid / 僕等の歌を
A-2 Loneliness Is Just A Word / 孤独なんて唯のことば
A-3 What Else Can I Say / 朝の光
A-4 I Don't Want Your Money / 欲しいのは君だけ
 スタジオでのチューニング状況から、いきなりスタートするのが、シカゴ流儀のニューソウルとも言うべき「僕等の歌を」の豪快なファンキーロック! まず、このド頭だけでサイケおやじは体中の血液が沸騰逆流させられたんですが、実際、ワウワウしまくったテリー・キャスのギター、不穏な空気を暴動にまで発展させかねないホーンアンサンブル、どっしり重いビートを持続させるリズム隊の踏ん張りは、明らかに新しい境地へと踏み込んでいるようです。
 いゃ~、特にテリー・キャスのギターソロは、何時聴いても白熱って感じですよっ! というか多重録音も使ったところは、ある意味での暑苦しさも否定出来ませんが、それが逆に最高っ! 終盤にかけてジャズっぽくなるリズム隊の蠢きも、熱いです。
 そして続く「孤独なんて唯のことば」が、これまた変拍子を使ったロックジャズの決定版♪♪~♪ テンションの高いホーンのリフやオルガンのアドリブソロ、さらには曲調やコーラスの感じさえも、丸っきり日活ニューアクションのサントラ音源の趣ですから、サイケおやじのシビレも止まりません。素っ気無いラストの終り方も味の世界でしょうねぇ~♪
 ですから、ポール・マッカートニーがウエストコーストロックしたようなメロディ展開が、ちょいとした邂逅を聞かせる「朝の光」には気恥ずかしもあるんですが、そういう臆面の無さがシカゴの魅力かもしれませんし、再びヘヴィロックの世界へ戻った「欲しいのは君だけ」が、なんとジミヘンっぽくなっているのは、いやはやなんとも……。
 しかし、本音を言えば、大暴れするテリー・キャスのギターも含めて、これがなかなか最高なんですねぇ~♪ おそらくジミヘンが存命ならば、きっとホーンセクションを大胆に入れたファンクロックをやっていたと思えば、サイケおやじは今でも納得し、素直に楽しんでいるのですが……。

~ Travel Suite ~
B-1 Flight 602 / フライト・ナンバー 602
B-2 Motorboat To Mars / 火星へのモーターボート
B-3 Free / 自由になりたい
B-4 Free Country / 自由の祖国
B-5 At The Sunrise / 僕等の夜明け
B-6 Happy 'Cause I'm Going Home
 さてB面は「Travel Suite」とサブタイトルが付けられているように、完全な組曲形式で歌と演奏が進行していきますが、まずは冒頭の「フライト・ナンバー 602」がアコースティック&スティールギターを堂々と使い、綺麗なコーラスワークを主体としたカントリータッチの穏やかな曲で、これは明らかに当時が人気絶頂だったCSN&Yを強く意識したものでしょう。
 実際、このトラックは当時の洋楽マスコミでも話題沸騰の1曲でした。
 しかし続く「火星へのモーターボート」が、純粋なジャズに基づくダニー・セラフィンのドラムソロだけの演奏であり、間髪を入れずに繋がる「自由になりたい」はシングルカットされて大ヒットしたという実績どおりに痛快なブラスロックですから、例えなんであろうとも、この流れがあれば、ブラスロックの王者たるシカゴを聴いている喜びに変わりはありません。
 そして、またまた驚かされるのが、現代音楽風の響きを持った「自由の祖国」で、ピアノとフルートの静謐なメロディフェイクと空間の構築は、シカゴがジャズにも拘る矜持というところでしょうか? ただし、完成度が高い分だけ、ちょいと無理している感じがしないでもありません。
 ですから、これまたポール・マッカトニー風の「僕等の夜明け」が出てくると、些かホットする気分は否めず、こういうポップな切り札を持っているところが、シカゴの強みなんでしょうねぇ~♪
 それはボサロックというか、シカゴが後に取り入れるラテンフュージョンの先駆け的な「Happy 'Cause I'm Going Home」にも同様で、スキャット&ハミングのコーラスが実に親しみ易いのですから、フルートやギターのアドリブも楽しい変化に飛んだ演奏が、本当に明るさ優先で締め括られています。

C-1 Mother / 母なる大地
C-2 Lowdown
~ An Hour In The Shower ~
C-3 A Hard Risin' Morning Without Breakfast / 朝食抜きのつらい朝
C-4 Off To Work / 仕事に出よう
C-5 Fallin' Out / 堕落
C-6 Dreamin' Home
C-7 Mornig Blues Again / 再び朝のブルースを

 このC面も後半に組曲が入っていますが、やはり冒頭からのキャッチーなロック曲2連発が効き目満点でしょう。
 特に「Lowdown」は世界的にも大ヒットし、なんと我国では日本語バージョンまでもが発売されたという騒動が、シカゴの人気を決定的にした事象の表れでした。
 また「母なる大地」での中盤で聴かれるロックジャズな演奏パートでは、ジェームズ・パンコウのトロンボーン奏者としての実力が堪能出来ますよ。
 そして気になる組曲「An Hour In The Shower」は、まさにシカゴ版「A Day In The Life」でしょうから、アイディアそのものに新鮮味は無いんですが、歌詞にも顕著なように、こういう小市民の生活や心情を歌うという部分は、以前の不条理や攻撃的な姿勢を強調していた頃に比べ、新しい表現方法のひとつだったと思われます。そして実際、アコースティックギターをメインに歌い出される「朝食抜きのつらい朝」は、当時流行のシンガーソングライターの世界を強く意識していたのでしょう。
 ただし、そこは流石にブラスロックのシカゴということで、ついには大胆にブラスとロックビートを使い、激しくドライヴする演奏へ突入する「仕事に出よう」は、やはり良いです♪♪~♪ さらに続く「堕落」や「Dreamin' Home」では素敵なコーラスワークも適宜用いつつ、締め括りの「再び朝のブルースを」まで、一気呵成です。

~ Elegy ~
D-1 When All The Laughter Dies In Sorrow
D-2 Canon / 聖典
D-3 Once Upon A Time... / むかし、むかし
D-4 Progress? / 遍歴
D-5 The Approaching Storm / 近づく嵐
D-6 Man vs. Man: The End / 終局
 そして最終のD面が、またまた「Elegy」と名付けられた組曲になっていて、冒頭の「When All The Laughter Dies In Sorrow」は詩の朗読ですし、厳かというよりは勿体ぶった「聖典」、エリック・サティ調の「むかし、むかし」や「遍歴」あたりのインスト曲を聴いていると、なにか同じブラスロックではトップを争っていたBS&Tを意識しているの? なぁ~んて、不遜な事を思ってしまうんですが、まあ、いいか……。
 というのも、次なる「近づく嵐」から「終局」ではファンキーロックが真っ盛りという、実に熱い演奏が披露されるんですよっ! 全てはこの瞬間を演出するための周到な準備だったとしても、完全に許されるでしょうねぇ~♪ 特にブラックロックなリズムギターのカッコ良さは絶品で、サイケおやじも必至でコピーした前科は隠し通せるものではありません。メンバー各人のアドリブ合戦も、手抜き無しの潔さですし、如何にもシカゴらしいホーンリフが琴線に触れまくり♪♪~♪
 というか、正直に言えば、些かもっさりした全体のグループが、真っ当なモダンジャズとは異なる味わいですし、もちろんジェームズ・ブラウンのバンドが演じるようなテンションの高さも無いんですが、そこがシカゴの真骨頂でしょう。
 つまり、これはあくまでもロックの範疇で楽しめる演奏なんじゃないでしょうか? それゆえの親しみ易さは言うまでもありません。

ということで、冒頭にも述べたように、サイケおやじは決してリアルタイムで、このアルバムを聴けたわけではありません。僅かにシングルカットされていた「自由になりたい」や「Lowdown」、あるいは国営FMで抜粋放送されたエアチェックのテープを、しばらくの間は楽しんでいたのですが、それだけでも、この2枚組LPの密度の濃さが実感されましたですねぇ~♪

そしてついに発売から2年数か月後、中古の輸入盤ではありますが、堂々と手に入れて聴く憧れの名盤は、やっぱり素晴らしい出来栄えと実感した次第です。

既に述べたように、今となっては過渡期の云々とされる事は、絶対に無いと思いますねぇ。むしろ初期の作品ほど、何かしらの思い入れが無いと聴くのが辛いこともある中で、これは意外にも素直に接することが出来るように思います。

ただし、これをリアルタイムで聴けたらなぁ……、という思いは拭いようもありません。

まあ、それゆえにすっかり中年者となった自分にも、楽しむ心のゆとりがあるのかもしれませんねぇ。

未だ聴かれていない皆様には、強くオススメのアルバムです。


石川セリの物憂い魅力

2010-09-08 16:54:27 | 歌謡曲

遠い海の記憶 c/w 海は女の涙 / 石川セリ (フィリップス)

1970年代には歌謡曲とは別に、今日ではニューミュージックと称される日本語歌詞によるオリジナルメロディが流行しましたが、何故に「ニュー」なのかといえば、それ以前のGSや歌謡フォーク以上に洋楽からの強い影響を受けていただけであって、結局はそれも新手の歌謡曲だったと思います。

極言すれば、LPにだけ収録されていた洋楽曲の替え歌だったり、あるいはもっと露骨にシングルヒット曲をパクリまくったものさえ、堂々と日本語詞で歌われれば、それでOKという芸の無さも……。

このあたりは職業作家ならば、元ネタよりも良い曲を書こうとするプロ意識が昭和歌謡曲を支えていたわけですが、ニューミュージックにおいては所謂シンガーソングライターという自作自演がひとつのウリになっていたことが裏目となって、失礼ながら安易な姿勢を増長させたんじゃないでしょうか?

ですから、ニューミュージックとして分類されながら、実は確固たる個性を持った専業歌手が何時までも記憶に残るのは当然の成り行きで、本日の主役たる石川セリも、そのひとりです。

おそらくサイケおやじと同世代の皆様ならば、彼女の名前が何らかの印象として、今も残っているのでは? と、推察しております。

で、私が石川セリを強く意識したは、日活がロマンポルノ制作へ方針転換する最後の一般作品となった「八月の濡れた砂(昭和46年・藤田敏八監督)」の主題を歌っていた事に他なりません。

映画そのものは村野武範やテレサ野田が出演した、如何にも藤田敏八監督らしい無気力節と空回りした青春の情熱が横溢する名作になっていますが、それを決定づけたのが石川セリの主題歌だったという部分も否定出来ないでしょう。

この曲は翌年の春にシングル盤として発売され、ラジオの深夜放送や有線放送等を中心に小ヒットしていますが、売り上げ以上に石川セリというアンニュイで不思議なムードの歌手を世に知らしめたことは意義がありました。

しかし彼女のキャリアについてはイマイチ、分からないところが……。

どうやら生粋の日本人ではないらしい? モデルをやっていた? シングアウトというコーラスグループに在籍していた……等々、まあ、そのあたりが幾分アクの強いルックスと相まって、ますます石川セリという名前がミステリアスな印象として残るのでしょう。

そこで本日ご紹介のシングル盤は、石川セリのおそらくは3枚目になりましょうか、昭和昭和49(1974)年8月に発売されたものですが、まずA面の「遠い海の記憶」が今日では和製ソフトロックの傑作として評価も著しい名曲になっています。

なんといってもアコースティックギターによる印象的なリズムストロークと浮遊感溢れるオーケストラアレンジが秀逸ですし、せつなくて胸キュンの曲メロと力強い歌詞をクールに熱唱する石川セリのボーカルが、まさに一期一会の刹那の境地!

実はこの曲は、NHKの少年ドラマとして昭和48(1973)年に放映された「つぶやき岩の秘密」の主題歌として、作詞:井上真介、作編曲:樋口康雄のコンビで書かれたものなんですが、全体の雰囲気が英国カンタベリーサウンドの代表選手たるキャラバンの演奏にも通じるという、滋味豊かなジャズっぽさがニクイばかり♪♪~♪

と、すれば、効果的なエレピの隠し味も大きな魅力ですし、ベースやソプラノサックスによる演奏パートのキメも全く出来過ぎという感じで、石川セリの節回しが、ますます心に染みてくるというわけです。

そしてB面の「海は女の涙」が、これまたフォーク歌謡っぽい大名曲♪♪~♪ 作編曲はA面と同じく樋口康雄ですから、その洒落たソフトロック的なメロディ展開と緻密で親しみ易いアレンジは期待を裏切りませんが、作詞が映画監督の村川透というのがミソ!?!

実は日活ロマンポルノ「哀愁のサーキット(昭和47年・村川透監督)」の主題歌なんですねぇ~、これがっ!?

告白すればサイケおやじは、後追いでしたが名画座で鑑賞した時、ど~しても石川セリの歌が忘れられなくなり、ここにようやく収録レコードを発見! 即ゲットしたのが真相です。

ちなみに「哀愁のサーキット」は峰岸隆之介と名乗っていた頃の峰岸徹がカッコ良すぎるレーサー役で出演し、ヒロインの木山佳と濃厚なラブシーンを繰り広げたという、今や幻の名(迷)作なんですが、その木山佳が新人歌手役で、些かネタバレになりますが、結局は愛する峰岸徹が事故死した後にヒットさせるのが、この「海は女の涙」という物語でした。

しかも、ふたりが最初に出会う海岸では、彼女が波に向かってレコードを投げ捨てているという設定なんですから、たまりません♪♪~♪ ここは実際に映画に接し、この曲を聴いてみれば、尚更に心が揺れるてしまうのは必定です。

さらに石川セリ本人も、ちょい役で出演していますので、これは観てのお楽しみなんですが、現在までソフト化された形跡はあるんでしょうか? 一刻も早いDVD化が望まれるわけですが、現実的には村川透監督にとってはロマンポルノの最終作でもあり、世評もリアルタイムから芳しくなかったことを思えば……。

ということで、冒頭の話に戻れば、当時は歌謡曲の保守本流とは微妙に一線を画する歌手が求められていた証左として、石川セリの存在があったように思います。

平たく言えば、あまり芸能界どっぷりではなく、自らの意思によって自在な表現が出来る歌手というか、そういうイメージを持ったボーカリストが求められていたんじゃないでしょうか? 彼女がほとんどテレビに出演しなかった事も、ある意味では戦略だったのかもしれません。

ですから、何枚も出しているアルバムには、ユーミンや後に結婚した井上陽水あたりが堂々と良い楽曲を提供していますし、近年は現代音楽の巨匠たる武満徹が残した大衆曲を歌うという、驚くべき活動も出来たんじゃないでしょうか。

う~ん、それにしても、このシングル盤はA面がNHK少年ドラマ、B面が日活ロマンポルノという、共に主題歌のカップリングとしては恐ろしき正逆!?!

まあ、それゆえに発売時期をずらしたのは意図的なのかもしれませんが、これも昭和歌謡曲のひとつの側面として、ご堪能下さいませ。

ニューミュージックだって、歌謡曲だよなぁ~♪


恵子と麗子、まあ、キレイ♪♪~♪

2010-09-07 16:55:27 | 歌謡曲

男好き / 牧麗子 (東芝)

気儘に自分の名前を変えられるのが、芸能人の特権!

所謂「芸名」ってやつですが、時としてそれが混乱や誤解を招いたりすることも、度々あるのは皆様もご存じでしょう。

例えば本日の主役たる牧麗子は、昭和40年代前半に東宝に所属していた女優の宮内恵子なんですが、残念ながら当時は主演作品は作られず、あくまでも彩り的な出演ばかりだったのが現実でした。

しかしサイケおやじの記憶には、例えば「ウルトラセブン(TBS)」の第27話「サイボーグ作戦」とか、和製カウボーイ物のテレビドラマ「太陽野郎」等々で、かなり印象に残る演技を披露していました。

ただし後に知ったところでは、本人はミュージカル志望だったことから、レコードデビューの話もすんなりと進んでいたんじゃないでしょうか。ちなみに当時は女優が歌うというのは当たり前でしたし、むしろ歌えない女優さんは……。

そして昭和44(1969)年、東芝と契約するにあたって「牧麗子」と改名し、数曲の音源を残していますが、結果的に売れませんでした。

で、本日ご紹介は、その3枚目のシングル盤A面曲なんですが、これが如何にも当時の「東芝サウンド」がモロに出た逸品♪♪~♪

発売されたのは昭和45(1970)年8月ということで、同社に所属して大ヒットを連発していた奥村チヨや小川知子の路線を狙った楽曲は、作詞:増永直子、作曲:平尾昌晃、そして編曲が川口真という、これだけでサイケおやじの納得してシビレる気分がご理解いただけでしょうか。

それはイントロこそソプラノサックス(?)で奏でられるものの、寄り添うエレキベースが実は全篇をリードしていく演奏パートが、本当に快いんですねぇ~♪ 軽めのドラムスと意図的に演歌っぽいストリングスも良い感じ♪♪~♪

ただし前述した「東芝サウンド」とは、あくまでもサイケおやじの造語ではありますが、低音重視のサウンド作りとエレキベースのリードが特徴的だったところが、ここでは幾分ライトタッチに修正され、それがまた弾みが効いた抜群のスパイスになっていると思います。

ですから牧麗子の昭和歌謡曲がど真ん中のコブシ回しも軽い雰囲気になっていますし、それが新鮮味に繋がっているようです。

しかし既に述べたように、この「男好き」は全く売れず……。

ところが今になって聴けば、これは平尾唱晃が真価を発揮した小柳ルミ子への一連の楽曲提供の先駆けなんですねぇ~~!?! 失礼ながら、これを小川知子や小柳ルミ子が歌っていたら……、という気持を隠しきれないわけですが、だからといって牧麗子が歌手として劣っていたというわけではありません。

実は彼女が吹き込んだ他の楽曲は、かなりのポップス路線でしたし、つまりは合っていなかったと解釈するべきでしょう。

それでも現実は厳しく、結局は東宝を離れてフリーとなり、ここでまたまた「牧れい」と改名し、以降はご存じのとおり、テレビドラマを中心に、しなやかな肢体を存分に活かしたシャープなアクションと美形そのもののルックスで忘れ難い女優さんになるのです。

ちなみに芸名の「牧れい」は、「まぁ~、綺麗」と皆に思われたいという素直な願望が憎めません。

そしてテレビ特撮の「スーパーロボットレッドバロン(日本テレビ)」ではSSI隊員の松原真理として、眩いほどのパンツ見せを毎回披露♪♪~♪ 少年達を性の目覚めに導きましたし、「ザ・スーパーガール(東京12ch)」ではアクション全開ながら、ユニセックス的なお色気も滲ませる名演で、ファンを歓喜悶絶させました。

さらに当然ながら、その活躍は他のアクション物、時代劇、青春スポコン作品等々、1970年代中頃から1980年代末頃まで、夥しいテレビドラマへの出演で、日本中を熱狂させたのです。

また当然の流れとして、男性週刊誌等々でクールなヌードを披露したこともありましたですね♪♪~♪

ということで、歌手としては結局大成は出来なかった彼女も、女優さんとしては昭和の芸能史を彩ったひとりになりました。

ただし、その芸名の変遷から、後追いで彼女を探求していくファンにとって、なかなか迷い道な部分が残されたのも確かです。

なにしろ同時期の日活ロマンポルノには「牧れい子」という、ちょいとマニアックな人気があった女優さんが活躍しており、「女買占め売り惜しみ(昭和48年・白井伸明監督)」という隠れ名作に主演しているんですねぇ~♪ そして他にも数本の助演作があり、なんと昭和50(1975)年頃からは歌手としてシングル盤も発売していたという、まさに混同されても仕方が無い道を歩んでいるんですが、もちろん「牧れい子」も、クールな美貌が人気の秘密でした。

そしてさらにもうひとり!

日活ロマンポルノには「牧れいか」という、これまた飛びっきりの美貌と思いっきりの良い演技で人気のあった女優さんがいるんですよ。もっともこの人はそれ以前に独立系の成人映画にも出演していたんですが、やはりメジャー(?)な人気を集めたのは、日活ロマンポルノに登場して以降でしょう。

特に「悶絶!どんでん返し(昭和52年・神代辰巳監督)」では、最高に可愛らしい彼女が下卑た下ネタ芸を仕込まれるという、あってはならない演出を完璧にこなしていますし、谷ナオミ主演のSM物「檻の中の妖精(昭和52年・小原裕宏監督)」では、エグイ股縄で責められる名演を披露しています。

ということで、偶然の一致ではありましょうが、簡単に名前を変えられるという特権が、時には混乱を招くという好例が、ここにあります。

最後になりましたが、牧麗子の歌唱力は流石に女優という演技力があればこそ!

こういう歌手が今では絶滅してしまったのが、本当に寂しいですね。


奥村チヨの憂愁

2010-09-06 16:36:52 | 歌謡曲

青い月夜 / 奥村チヨ (東芝)

なんとも悲しそうな奥村チヨのボートレイト……。

いったい何があったのか、とても気になるわけですが、この「青い月夜」が発売された昭和43(1968)年6月頃の彼女は、前年夏~秋にかけての大ヒット曲「北国の青い空」を出してスタア歌手への復帰が叶ったものの、その後がイマイチ続かなかった第二停滞期というのが、今となっての認識でしょう。

確かに当時のシングル曲「あたなに逢いたい」や「涙色の恋」は、なかなか秀逸な歌謡曲だと思いますが、あまりヒットしたという記憶はサイケおやじにもありません。中でも「涙色の恋」は作詞:橋本淳、作曲:筒美京平の黄金コンビによる正統派歌謡曲の名作で、既に後の悩殺フェロモン路線が予行演習されているのですが……。

やはり多くのファンが当時の奥村チヨに求めていたのは、哀愁のエレキ歌謡とも言うべき「北国の青い空」の路線だったんじゃないでしょうか?

そこで軌道修正というか、この「青い月夜」は作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫、編曲:川口真という、ちょいとコロムビア系の作家トリオを起用した会心作!

と、なるはずが、やはりヒット状況は冴えませんでした。

しかし前述した「北国の青い空」の続篇的な楽曲と奥村チヨの歌唱は実に素晴らしく、また川口真のアレンジも必ずやファンの琴線にふれるものだと思います。特にサビと終盤で奥村チヨが聴かせてくれる一人二重唱のコーラスワークは絶品ですよ♪♪~♪ もちろん幾分ベタベタした彼女の歌いっぷりと声質を完全に引き出すのは、東芝ならではのエレキベースをメインにした重低音サウンド! さらにチェンバロやエレキギターを使いながら、実はネチネチと厚みをあるストリングスという仕掛けが最高です。

それと作曲の井上忠夫は言わずと知れたブルーコメッツのメンバーということで、歌詞と曲タイトルに「青」を使ったあたりは、思わずニヤリですし、既に述べたように、曲メロばかりでなく、歌詞そのものが「北国の青い空」のその後を強く想起させるところがニクイばかり♪♪~♪

 瞳をとじて 心をとじて

なぁ~んて、奥村チヨの心情が伝えられては、辛抱たまらん状態でしょうねぇ~♪

ということで、結局は大ヒットには至らなかったものの、これは奥村チヨの名曲名唱のひとつです。

ちなみに彼女が再々ブレイクする「恋の奴隷」は、この「青い月夜」から約1年後の昭和44(1969)年初夏ですし、それ以前の「北国の青い空」が昭和42(1967)年8月の発売だったことを思えば、なんか1年毎に名曲を歌っていた流れが発見出来ます。

こうした事は当時の人気歌手ならば、年間にシングル盤を3~4枚出すことが当たり前だった状況の中でしか起りえない事実かもしれませんが、それだけ昭和歌謡曲が全盛期だった証なのでしょうねぇ。

その中では、当然ながらプロのソングライターの活躍も無視出来ないところで、やはりヒット曲にはひとつの流れが必要という、丸っきり娯楽映画のプログラムピクチャー方式こそが、昭和歌謡曲の醍醐味だと痛感されます。

最後になりましたが、愁いが滲む奥村チヨのポートレイトのジャケットは、もう片面が所謂エロジャケとして人気も高いので、掲載しておきます。

思わず膝からその奥までも、気になってしまうのは、サイケおやじだけではないと思うのですが……。


想い出は帰らない小川ローザ

2010-09-05 16:31:55 | 歌謡曲

風が落とした涙 / 小川ローザ (日本コロムビア)

日本のテレビ放映史上、最もインパクトが強かったCMのひとつが、昭和44(1969)年に小川ローザが出演した丸善石油の「Oh! モウレツ」でしょう。

これはガソリンのテレビコマーシャルだったんですが、白いヘルメットにミニスカ姿で車を運転する彼女を狙うカメラは、当然ながら露出しまくった美脚の太股であり、また車から降りる仕草でナチュラルに男の目を惹きつける脚線美の躍動でした。

そして尚更に強烈だったのが、彼女の傍を通り過ぎる車の風圧によるスカートの舞い上がりと激しいパンチラ! いや、これはもうパンチラどころか、はっきりとしたパンツ見せといって過言ではないでしょう。

当然ながら、世の男性諸氏は歓喜し、また中学生だったサイケおやじを含む日本の青少年は、ギラギラした欲望を刺激されたのです。またパンチラの直後、口元を手で隠すように「Oh! モォ~レツ」というキメの台詞とアクションも流行し、さらに「ハレンチ学園」経由での「スカートまくり」騒動も、これを端緒にしているはずです。

ちなみに当時は家庭用ビデオなんていう文明の利器がありませんでしたから、テレビの前でひたすらに丸善石油の提供を待ち望んだ日々が、確かにありました。

そして一躍有名になった彼女が小川ローザという名前のモデルさんであり、主な仕事はトヨタレーシングチームのマスコットガールであったというキャリアが広まると、それは当たり前のようにレコードデビューの話へと繋がり、こうして同年8月に発売されたのが、本日ご紹介のシングル曲というわけです。

それは前述のCMを強く意識したジャケット写真が嬉しいパンチラデザインなんですが、もちろん件のテレビ放映版も含めて、所謂「生パン」という事はありえません。

しかし当時は、これでも充分に刺激が強く、また彼女も歌番組やバラエティでは堂々の超ミニスカや水着姿を大サービス♪♪~♪ 中でもサイケおやじが今も記憶に鮮烈なのが、コント55号がやっていた「裏番組をぶっ飛ばせ(日本テレビ)」のウリになっていた野球拳で派手に負けまくり、最後にはバスタオル1枚の姿になったことでした。

もちろん、これは演出であって、毎回の出演者の「格」によっては、勝ってばかりで脱がない女性ゲストもいたわけですが、いくらそうであったとしても、現代のテレビでは絶対に無理な企画でしょうねぇ。しかも小川ローザは全くの自然体で、それを演じてしまったところに、陰湿さを感じさせずにストレートなエロスを振りまくという真骨頂があったように思います。

ですから、ポスターの盗難も頻発し、社会現象となる人気は沸騰! ついには彼女を主役にしたテレビドラマも作られたと記憶しています。

しかし、その頂点を極めた昭和45(1970)年2月だったと思いますが、前述したレーシングチームのエースドライバーだった河合稔と電撃結婚!

これには相当にガックリきたファンが夥しく、そういえば「電撃結婚」とか「婚前旅行」なぁ~んていう言葉が一般的になったのも、この時が最初かもしれません。

そして夫婦揃ってコマーシャルに出演する等々、まさに幸せの絶頂だった同年8月、なんと河合稔が事故死!!!

失意の小川ローザは芸能活動を休止し、その後も復帰はしたものの、ついに昭和48(1973)年頃に引退されたと言われていますが、やはり何時までたっても記憶から消えないのは「Oh! モウレツ」であり、突然に閉ざされた新婚の悲劇だと思います。

さて、肝心のシングル曲「風が落とした涙」は作詞:中村小太郎、作曲:田辺信一によるシンミリとした歌謡フォークの胸キュン名曲で、正直に言えば小川ローザの歌唱は拙いところもありますが、前述の悲劇に接して後は、なおさらにせつない印象が強くなっています。

なにしろ歌詞の一節には、

 想い出は帰らない
 夢のようなふたりの
 想い出は帰らない
 涙と一緒に消えたから

という、あまりにも運命のいたずら的な……。

う~ん、聴く度に、胸がしめつけられられますねぇ。

素っ気無い彼女の棒のような歌い方が、実にアンニュイなムードを醸し出し、チェンバロを上手く使ったクラシック調のポップスアレンジによって全篇が本当に上手く仕上がっているのは、憎いばかりです。

所謂セクシーアイドルは今日まで大勢登場していますが、鮮烈なデビューから悲劇的な退場まで、これほど短期間に忘れ難い印象を残した人は、ちょいといないんじゃないでしょうか。

それは全て運命であり、また神のみぞ知る世界の中で現実に起こった出来事として、ファンならば心して小川ローザを記憶に留めるべきかもしれません。

またリアルタイムの彼女を知らない皆様には、まずはぜひとも、このシングル曲を聴いていただきたいと切望するばかりです。


アメリカ盤で聴くトラフィックの魅力

2010-09-04 16:40:54 | Rock

Mr. Fantasy / Traffic (Island / United Artists)

サイケデリックロック期にスティーヴ・ウィンウッドやデイヴ・メイソンがやっていたトラフィックというバンドは、その強い存在感と数々の謎を残していますが、本日ご紹介のアルバムはアメリカでのデビューLPとして、これまた味わい深い1枚になっています。

 A-1 Paper Sun
 A-2 Dealer
 A-3 Coloured Rain
 A-4 Hole In My Shoe
 A-5 No Face, No Name, No Number
 A-6 Heaven Is In Your Mind
 B-1 House For Everyone
 B-2 Berkshire Poppie
 B-3 Giving To You
 B-4 Smiling Phases
 B-5 Dear Mr. Fantasy
 B-6 We're A Fade, You Missed This

ご存じのように、トラフィックはスペンサー・デイビス・グループの天才少年として売り出したスティーヴ・ウィンウッドが、新たな飛躍を求めて脱退後の1967年春に結成したバンドで、メンバーはスティーヴ・ウィンウッド(vo,p.org,g,b,etc)、デイヴ・メイソンン(vo,g,sitar,b,etc)、ジム・キャパルディ(vo.ds,per)、クリス・ウッド(sax,fl,key,etc) という4人組でした。

しかしトラフィックは決してスティーヴ・ウィンウッドのワンマンバンドではなく、ジム・キャパルディはボーカリストとしても確固たる味わいを持っていましたし、なによりも作詞に才能を輝かせていました。またクリス・ウッドの演じるフルートや各種リード楽器がジャズやクラシック、さらには民族音楽の領域にまで踏み込んだ表現を可能にしていたのですから、ソウルフルでハートウォームなボーカルとマルチプレイヤーとしての才能を持ち合わせていたスティーヴ・ウィンウッドも遺憾なく、自らのやりたい道を進むことが出来るはずだったのですが……。

ここにもうひとり、トラフィックには絶対欠かせない存在となったのがデイヴ・メイソンで、とにかく一般ウケするヒット曲を生み出す才能はグループで一番でしたし、既に土着的なアメリカンロックに着目していた先見性は、後の活動を鑑みれば疑う余地もありません。

ところが不思議にもこの人は、他のメンバーとソリが合わなかったのでしょうか、頻繁に出入りを繰り返しながらも、実はトラフィックが成功した貢献者としての地位はガッチリと固めているのです。

実は当時のデイヴ・メイソンは巡業ステージではギターを弾かせてもらえず、ベースをやらされていたり、また実際の生演奏ではジャズを基本にしたアドリブ合戦についていけなかったと言われていますから、本人の行動にも納得は出来るのですが……。

ちなみに、そうしたライプではスティーヴ・ウィンウッドがオルガンやギターで爆発的な演奏を披露し、そのギターの腕前にしても、デイヴ・メイソンよりは上手いという現実は、疑う余地もありません。

しかしレコード制作の現場や実際の売り上げでは、トラフィックの人気を決定づけた大ヒット「Hole In My Shoe」がデイヴ・メイソンの手になるものだったことから、事態は複雑だったのでしょうねぇ。

そして結局、イギリスで最初のアルバムとなった「ミスター・ファンタジー(Island)」が完成発売された1967年12月には、既にバンドから抜けていたというのが真相!? それゆえに翌年初頭に発売された本日ご紹介のアメリカ盤では、ジャケットに3人しか写っていないというわけなのです。

ただし当然ながら、収録された歌と演奏には間違い無くデイヴ・メイソンが参加しており、その構成は前述のイギリス盤を基本にしながら、きっちりシングルヒット曲をメインに据えるという、如何にもアメリカのレコード会社らしい仕様になっていますし、驚いたことにはミックスまでもが随所で微妙に異なり、さらにアメリカ盤特有のカッティングレベルの高さゆえに、なかなかサイケおやじ好みの1枚になっています。

まず冒頭の「Paper Sun」は既に述べたとおり、トラフィックのデビューシングル曲にしてサイケデリックポップスでは極みつきの1曲だと思いますが、デイヴ・メイソンの弾くシタールやバンドが一体となった力強いビートの作り方、また当然ながらソウルフルなスティーヴ・ウィンウッドのボーカルと浮遊感満点のコーラス、さらに各種楽器の混濁した存在感の強さが、見事なロックになっています。もちろん曲メロそのものの親しみ易さと中期ビートルズからの影響は言うまでもないでしょう。

いゃ~、本当に聴く度に幸せになれますねぇ~♪

そして、もうひとつのシングルヒット曲「Hole In My Shoe」が、これまた当時はラガロックと称されたインド~東洋系モードに彩られた王道のサイケデリックポップスで、おそらくはメロトロンで作り出されたであろう不思議な音の壁やシタールの響き、浮遊感溢れるメロディ&コーラスの心地良さは絶品♪♪~♪

ちなみに以上の2曲は、イギリスでは先行シングルとして発売されたことからデビューアルバムには収録されず、また当然ながらそれはモノラルミックスであったものが、このアメリカ盤LPでは立派なリアルステレオミックスが楽しめるのも大きな魅力!

と言うよりも、実はサイケおやじがトラフィックに接したのは完全な後追いで、例のブラインド・フェイスからの遡りでしたから、モノラルバージョンは本当に後で聴いたわけで、つまりはこっちに耳が馴染んでいるというわけです。

もちろんシングルでのモノラルミックスには、如何にも当時らしい力強い混濁感が顕著ですから、それはそれで別な魅力があるのですが……。

しかしサイケデリックロックはスタジオでの詐術も芸の内だと思いますから、せっかくのステレオミックスを楽しまない手はありません。

ですから、このアルバムに収録された各曲の緻密な構成は聴き込むほどに味わい深く、エスニックとスタックスソウルがゴッタ煮となった「Dealer」では強力にドライヴしまくったエレキベースが最高ですし、アル・クーパーもカパーしている「Coloured Rain」のミョウチキリンなゴスペル味、さらに穏やかな中にもソウルフルなスティーヴ・ウィンウッドのボーカルが素晴らしい「No Face, No Name, No Number」が入っているA面は、前述したふたつのヒット曲との流れも絶妙の構成になっています。

いゃ~、本当にたまりませんよ♪♪~♪

そしてそれを締め括るのが、トラフィックの代表的な名曲名演であろう「Heaven Is In Your Mind」です。そのザ・バンド的とも言えるアーシーなグルーヴ感やメロディ展開にアフロ系のビートとサイケデリックが真っ只中の雰囲気を濃厚に表現したコーラスや様々な彩りが混じり合い、さらに後半の熱いギターソロは、まさにニューロック!

ちなみに、このアメリカ盤は最初、この曲名をアルバムタイトルにしていたのですが、直ぐにもうひとつの代表曲から「ミスター・ファンタジー」に変更され、その初回プレス盤はコレクターズアイテムらしいですよ。尤もサイケおやじは、あまり拘りはないのですが……。

そこでB面にレコードをひっくり返せば、こちらは尚更に正統派サイケデリックロック&ポップスの味わいが深く、凝ったイントロや古臭いメロディ展開がモロにサージェント・ペパーズ色の強い「House For Everyone」は、如何にもデイヴ・メイソン! また、その続篇的な「Berkshire Poppie」にはスモール・フェィセズの面々もコーラス参加しているという楽しさが、これまた温故知新の雰囲気を盛り上げています。

さらに「Giving To You」は日活ニューアクションのサントラ音源みたいなジャスロックインストで、ここではクリス・ウッドとジム・キャパルディの演奏力の高さが侮れないと思いますし、当然ながらスティーヴ・ウィンウッドが弾いているであろうギターソロとオルガンも強力ですよ。

そしてお待たせしました!

後にはブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&Tも名演を残している「Smiling Phases」が、トラフィックの実に力強い歌と演奏で堪能出来るという喜びは、何度聴いても飽きません。それはBS&Tのバージョンとは異なり、特にアドリブパートがあるわけでもないんてすが、ドタバタしたジム・キャパルディのドラミングとスティーヴ・ウィンウッドの熱血ボーカルが不思議なほどにジャストミート♪♪~♪ 幾分やっつけ仕事のようなコーラスパートが逆に良い感じなのも、そこに深淵な企みがあるんでしょうねぇ~♪

こうして迎えるクライマックスが、トラフィックと言えば、この曲という「Dear Mr. Fantasy」です。おそらくロックファンならば、一度は耳にしたことがあるに違いないミステリアスなメロディにトリップしまくった歌詞!?! もちろんスティーヴ・ウィンウッドの歌とギターは唯一無二の情熱を発散させ、じっくり構えたところから燃え上がっていく演奏展開は、意想外のクールな雰囲気さえ滲ませるという、まさに奇蹟の名演じゃないでしょうか。

アル・クーパーや他にも様々なカパーバージョンが残れされていますが、絶対にこのオリジナルバージョンを超えたものは無いと断言して、後悔しません。

演奏はこの後、ラストのフェードアウトのパートに短い「We're A Fade, You Missed This」が被さっての大団円となりますが、このあたりはビートルズの「リボルバー」っぽい色彩が鮮やかですねぇ~♪

ということで、既に述べたように、イギリス盤デビューアルバムとは異なる選曲とアメリカ盤特有のエッジの効いたカッティングにより、このLPは同じバンドとは思えないイメージさえ感じます。

率直に言えば、このアメリカ盤LPはストレートにロックっぽい仕上がりになっていますし、また逆にイギリス盤仕様のアルバムは幻想的なサイケデリック味が強いというのが、サイケおやじの感想です。もちろんレコードに刻まれた「音」そのものが、アメリカ盤は骨太ですが、イギリス盤は繊細な味わいがあるように思います。

それと聴き捨てならないのがビートルズからの影響で、随所に隠し様も無いメロディやサウンドのキモがテンコ盛り♪♪~♪

結論から言えばトラフィックはセカンドアルバムで、またまたデイヴ・メイソンが復帰し、今度はスワンプロックの英国的な展開を披露するのですから、この時期だけの一瞬にビートルズとの邂逅と別離を演じきったんじゃないでしょうか?

そうした不安定な美学もまた、トラフィックという不思議なバンドの魅力かもしれません。


ふっと思い出した風吹ジュン

2010-09-03 16:30:01 | 歌謡曲

愛がはじまる時 / 風吹ジュン (ユニオン)

今や女優として、しっかりと自らのポジションを固めている風吹ジュンも、最初はモデルというか、元祖グラビアアイドルのひとりとしてのブレイクがその端緒であった事は、皆様が良くご存じのとおりです。

なにしろ愛くるしい面立ちとセクシーな肢体、さらに如何にも男好きする仕草が実に自然体でしたから、その人気は昭和48(1973)年にユニチカの専属モデルとして登場した時から急上昇!

併せて、それ以前にやっていた富士フィルムでの仕事等々も注目され、彼女が写っているポスターの盗難は日常茶飯事でしたし、男性週刊誌のグラビアでもトップの人気を集め、世界的に有名な写真家のデビッド・ハミルトンまでもが彼女をモデルに起用するという騒ぎは圧倒的でした。

そして当然の流れとしてレコードデビュー♪♪~♪ それが本日ご紹介のシングル盤で、昭和49(1974)年の初夏に発売されるや、忽ち売れまくっての大ヒットになっています。

ところが肝心の歌唱力は、熱心なファンだとしても、???でしょう。

しかし売れている現実の中では、続けてアルバムも制作され、それがナレーション中心のLPという、当時としては些か温故知新が強すぎる中身だったことも、今となっては懐かしいところかもしれません。

結局、ファンが彼女に期待していたのは、あくまでもフォトジェニックな部分であり、もし当時、家庭用ビデオやDVDが普及していたら、間違いなくイメージ作品がバカ売れしていたに違いありません。

ちなみに彼女は決してグラマーでも巨乳でもありませんでしたが、肢体のバランスの良さと滲み出るセクシーなムードが最高だったのです。

所謂「恥ずかしいカラダ」とか「E~、Body」ってやつでしょうねぇ~♪

しかし好事魔多し!

なんと彼女が人気絶頂となった昭和49(1974)年9月、事務所との契約問題の縺れから暴力団関係者に誘拐されるという事件が勃発! この時は警察も大きく動いた所為で、一晩ぐらいで解放されたらしいのですが、それからは彼女の男関係も含めた過去や金銭感覚等々がエグイ表現で報道されるという、まさにスキャンダルの嵐でした。

当然ながら彼女の人気も急降下……。

それでもタレント活動やレコードの発売は続きましたが、デビュー当時の勢いは取り戻すことが出来ませんでした。

さて、サイケおやじは、もちろん風吹ジュンが気になる存在ではありましたが、その絶頂期とも言える昭和49(1974)年6~9月にかけては、ある幸運から渡米していたので、その熱狂や誘拐事件等々の騒動にはリアルタイムで接していません。

しかし帰国してから知る彼女のスキャンダルの数々や、一連の事件報道の諸々、また人気の凋落ぶりには心を痛める以前に、なにか呆気ないものを感じていました。本日掲載したシングル盤にしても、彼女の本性(?)を知った熱狂的なファンの友人から、失望の言葉と共に貰ったものです。というか、捨てるといっていたのを、私が強引に頂いたのが本当のところです。

しかし、流石に今日の地位がある彼女は、しぶといです。

実はサイケおやじは以前、彼女を良く知っているという知り合いから、風吹ジュンの過去や内幕を様々に聞かされたことがあって、そこにはとても書けない話がどっさりあるんですが、しかし彼女の努力家という一面は無視出来ないだろうと気がつきました。

中でもテレビドラマや映画における女優としての活動は、アイドル時代も含めて、なかなか味わい深いものがあります。直言すれば、自分の過去が「芸の肥し」になっている雰囲気さえ感じる時があるほどです。

中でも世間を圧倒したのが、松田優作の主演映画「蘇える金狼(昭和54年・村川徹監督・東映)」での強烈な濡れ場でしょう。バックから激しく責められる彼女の愉悦の表情と肉体の蠢きは、リアルさと大袈裟な演技の上手い折衷ではありますが、これを出来る女優さんは、極僅かじゃないでしょうか?

個人的には、このあたりでロマンポルノに出演して欲しいと心底、願ったものです。

また同じ頃、ついに披露したオールヌードのグラビアも、良かったですねぇ~♪

しかし現実は、それからしばらく後に彼女は結婚! 二児の母親となったのはご存じのとおりですし、諸々あっての離婚から女優としての芸能界復帰後は、さらに深みを増した演技を見せています。

結局、風吹ジュンは芸名そのまんまに、風に吹かれてきたジュンちゃん♪♪~♪

そういうイメージと昭和芸能界ならではの世界で、如何にもの輝きを放った人なんでしょう。

最後になりましたが、人気漫画「がきデカ」のジュンちゃんは、彼女がモデルだという説を付記しておきます。もちろん昨夜、久しぶりに件の漫画に接し、突如として風吹ジュンを回想、この文章を綴ったというわけです。


BBAは無骨な男の子守唄

2010-09-02 16:24:24 | Rock

Jeff Beck, Tim Bogert, Carmime Appice (Epic)

新譜を出す度に賛否両論が渦巻くジェフ・ペックの作品群の中にあって、一番に誤解と中傷、さらに狂熱をもって迎えられたのが、本日ご紹介のアルバムじゃないでしょうか?

なにしろ集まったのがティム・ボガード(b) にカーマイン・アピス(ds) という、アメリカでは最もヘヴィでハードなロックを演じながら、商業的にも成功していたヴァニラ・ファッジ~カクタスをやっていた重量級のコンビでしたし、一方のジェフ・ペックは英国三大ギタリストのひとりとして、やはりハード&ブルースロックの王道を歩んできた人気者でしたから、全洋楽ファンにとっては、もしかしたらクリームの再来を期待する気持が大きかったと思います。

しかもジェフ・ペックはソウル&ファンキーロックの新路線で、それなりの成功を収めていた第二期ジェフ・ペック・グループを、またティム・ボガードとカーマイン・アピスはハードロックのB級グルメ的なバンドとして人気も高いカクタスを、それぞれがあえて解散させてまで集結したのですから、もう、期待するなというほうが無理というもんです。

こうして1973年、ついに発売されたのがベック・ボガード&アピス=BBAと称されるトリオによる、待望のスタジオレコーディングアルバムでした。

 A-1 Black Cat Moan' / 黒猫の叫び
 A-2 Lady
 A-3 Oh Th Love You
 A-4 Superstition / 迷信
 B-1 Sweet Sweet Surrender
 B-2 Why Should I Care
 B-3 Lose Myself With You / 君に首ったけ
 B-4 Livin' Alone
 B-5 I'm So Proud

結論から言えば王道ハードロックと驚異的なテクニックによるフュージョン、さらにはニューソウルの白人ロック的な展開がゴッタ煮となった、些か纏まりの良くない仕上がりかもしれません。

しかしジェフ・ペック(g)、ティム・ボガード(b,vo)、カーマイン・アピス(ds,vo) という凄腕メンバーがそれまで積み上げてきたキャリアの総決算が、ここに結実しているのも、また事実だと思います。

例えばA面ド頭の「黒猫の叫び」は、ずっしりと重心の低いヘヴィなロックビートが特徴的で、全篇を貫く如何にものリフを基調に、メロディよりもドスの効いたバンド全体のノリで押しまくるあたりが、ハードロック中毒者にはたまらないところでしょう。スライドやフィンガリングの魔法を駆使するジェフ・ペックのギターも流石だと思います。

しかし同時に、これでロッド・スチュアートが歌っていたら……、なぁ~んていう欲求が不満に繋がるのも確かです。

まあ、そのあたりはBBAにしても自覚があったのでしょう。

次なる「Lady」は強靭なテクニックと異常なテンションの高さが爆発融合した傑作演奏で、特にドライヴしまったティム・ボガードのペース、極端な後ノリが最高というカーマイン・アピスのタイトなドラミングが大暴れですから、ジェフ・ペックも油断が出来ません。気になるボーカルパートもティム・ボガードとカーマイン・アピスが以前にやっていたヴァニラ・ファッジ直系のハーモニーワークで補っているあたりは、潔いと思います。

それはアップテンポでブッ飛ばすヤードバーズ調の「Livin' Alone」、あるいはパワーポップな「Why Should I Care」というストレートなカッコ良さにも顕著なんですが、正直に言えば、この2曲に関しては物凄いテクニックと纏まりの良さは素晴らしいと思いますが、こんな事をやるから、中途半端という誹りが免れなかったんじゃないでしょうか? もちろん他のバンドだったら、逆立ちしても、この境地にまでは到達出来ないんでしょうが、あえてこのトリオでやる意義があったのか……。

ですからスティーヴィー・ワンダーが既にヒットさせていた「迷信」のファンキーハードな解釈にしても、後追いというイメージがリアルタイムであったのも事実です。

しかし、ここで存在感を発揮したのが、ティム・ボガードとカーマイン・アピスのヴァニラ・ファッジ組! ご存じのとおり、ヴァニラ・ファッジは「You Keep Me Hangin' On」や「Shotgun」といったR&Bの有名曲を、自分達の流儀でサイケデリックロックへと変換させる手法でヒットを飛ばしていた、如何にも白人ロックのヘヴィな主流派でしたから、後は任せろっ!

実はジェフ・ペックがこの2人とバンド結成を決意したのは、前述の「Shotgun」をレコードで聴き、実際にヴァニラ・ファッジのライプに接してからという、それが1969年秋頃だったと言われていますが、なんと直後にジェフ・ペックが交通事故で重体……。

必然的に企画は延期となり、ティム・ボガードとカーマイン・アピスはヴァニラ・ファッジの解散から新バンドのカクタスを結成する運びとなり、またジェフ・ペックも再起を果たして第二期ジェフ・ペック・グループをスタートさせたのが、運命のいたずらでした。

つまり、せっかくBBAとして始めたことが、最初っから業界や評論家の先生方から、既に時代遅れという烙印を押されていたのです。

しかし、リアルタイムでそんな裏事情を知らなかったサイケおやじは、死ぬほど好きなメンツが集ったBBAには、ノー文句で飛びつきました♪♪~♪

そしてスティーヴィー・ワンダーのオリジナルバージョンとは一味違う「迷信」の、実にキマッた演奏にシビレまくりましたですねぇ~♪ なにしろドカドカ煩いカーマイン・アピスのドラムスと縦横無尽に暴れまくるティム・ボガードのペースは、それでいてビートとリズムが絶対的に決まっていますし、それゆえに好き放題というジェフ・ペックのギターがアブナイ世界をモロ出しにする大奮闘! 特に後半のアドリブソロは激ヤバですよっ! また気になるボーカルパートもエキセントリックな味わいをレコーディング技術によって醸し出すという裏ワザによって、なかなか結果オーライじゃないでしょうか。

ニューソウルとハードロックの幸せな結婚という感じだと思います。

そうした要素は、セルフパロディ的な「君に首ったけ」でも存分に楽しめますよ。

ちなみに、この曲はメンバーの共作なんですが、ご存じとおり、前述の「迷信」は最初、スティーヴィー・ワンダーがジェフ・ペックに提供しながら、掟破りともいうべき所業によって先に自らのシングルを発売するという因縁があり、その成果、否か、この「君に首ったけ」はスティーヴィー・ワンダーが後に発表する「悪夢 / You Haven't Done Nothin」にクリソツと思うのは私だけ!? いや、これは別にスティーヴィー・ワンダーが悪いのではなく、偶然の一致とするのが常識でしょうねぇ。

閑話休題。

で、こうしたニューソウル指向は、このアルバム全篇において絶妙の隠し味であるばかりではなく、「Sweet Sweet Surrender」や「I'm So Proud」では堂々とそれをロックで演じた決定版! 間違い無く、このアルバムのハイライトだとサイケおやじは思っていますが、実はこのあたりも当時は非難の対象だったんですよっ!?!

というのも、このLPはアメリカのチェススタジオで録音されたと言われているわりには、サウンド作りが引っ込み思案というか、所謂「よそいき」なんですねぇ……。しかも大音量でレコードを鳴らすという風習がほとんど無い我国では、それがハードロックのアルバムとしては致命的な欠陥と受け取られ、また強力なボーカリストを擁していないバンドが、こんなコーラスワーク主体で甘々のソウル曲を演じてしまうところが、ど~しても許されることでは無かったのが、その頃の日本洋楽事情だったと思います。

それでもこのセッションの一部をプロデュースしたドン・ニックスの書いた「Sweet Sweet Surrender」は、アメリカ南部系のソウルフィーリングが滲み出た刹那のバラード♪♪~♪ イントロから繊細なジェフ・ペックのアコースティックギターとエレキによるワウワウの彩りが実に印象的ですし、どっしり構えたリズム隊の存在が、泣きの曲メロをシミジミと歌うボーカル&コーラスを力強く盛り立てる展開は、サイケおやじがこの頃から今日まで、一番に求めていたものでしたし、実際、学生時代に入れてもらっていたバンドでは強硬に自分の意見を押し通し、下手は下手なりに演目としていたほどです。

もちろんジェフ・ペックのギターソロも、強靭な響きとフレーズの泣きがジャストミートしていますよ♪♪~♪

そうした魅力は、やはりニューソウルを白人ロックバンドがやってしまったという「I'm So Proud」でも全開! カーティス・メイフィールドの代表曲にして、イノセントなラブソングの極みつきが、このメンツで演じられるという奇蹟が、たまりません。

それはドタバタしたドラムスと無骨なペース、自意識過剰のギターと思い入れが空回りしたようなボーカル&コーラスというミスマッチが生み出した、一期一会の傑作トラック! なによりも野暮天男の純情が自然と滲み出た胸キュンメロディの解釈には、素直に感情移入してしまうサイケおやじです。もちろんこのバージョンも学生時代のバンドでやってましたが、結果は足元にもおよばず……。

しかし発売当時は、この2曲が好きだなんて言うと、軟弱と決めつけられた風潮が確かにありましたし、ファンキーでもニューソウルでも、ハードロックでも、その何れも集中的にやりきれていないアルバム全体の仕上がりに失望感があったことは確かです。

ところがそんな風評を覆したのが、同年5月のBBA初来日公演!

そこから作られた日本独自発売のライプ盤が、あまりにも凄い名演揃いという真実により、このスタジオ録音盤が尚更に賛否両論となるのですが、それは今日までも継続しているんじゃないでしょうか?

ということで、実はそのライプ盤こそが、BBAの真相に一番近づけるものでしょう。ただし、それだって、このスタジオ録音盤があってこその楽しみというか、逆戻りしてハッとさせられる瞬間を多々含んでいるのが、案外と聴き飽きない秘密かもしれません。

ちなみに、裏ジャケットに写るBBAのライプショットでは、ジェフ・ペックがストラトを弾いていますが、このスタジオセッションではレスポールをメインに使っていたと思うのですが、いかがなものでしょう。

もし、そうだとすれば、全篇から漂うブリティッシュロックのムードも理解出来ますし、来日公演では実際にレスポールを弾いていたのですから、BBAは米国産ソウルミュージックと生粋の英国ロックがガチンコをやった記録としても楽しめるんじゃないでしょうか。

ある意味、ハードロックファンに捧げる子守唄?

何時までも往年の夢ばっかりは見ていられない?

これを聴いて、そっとおやすみ♪♪~♪

結果的にBBAは前述のライプ盤を残した後に自然消滅しています。一説によれば、セカンドアルバム様用のレコーディングも完成させていたようですが、それは幻に……。

だからこそ、このアルバムは今でも賛否両論なのでしょうね。

最後になりましたが、個人的にはアメリカプレスのアナログ盤をMMの太めの針で、しかも大音量で鳴らす聴き方が好きです。そうするとジェフ・ベックのギターが如何にドライヴしまくっているか、堪能出来るでしょう。またティム・ボガードのペースがド派手に蠢き、カーマイン・アピスの強烈な後ノリビートが存分に楽しめると思います。


泉アキの新境地

2010-09-01 16:52:58 | 歌謡曲

夕陽がまぶしい c/w 黄色いひなぎく / 泉アキ (フィリップス)

1日で一番気温が高いのは午後2時頃、なぁ~んて小学校の理科の時間に教わったような気が致しますが、今となっては夕暮れ前が最高に暑いんじゃないでしょうかねぇ……。

もちろん仕事の疲れもピークに達する寸前という時期ですし、何よりも夕陽がまぶしいっ!?!

ということで、思わず口ずさんでしまうのが、本日ご紹介の「夕陽がまぶしい」♪♪~♪ ハーフの女性アイドル歌手としては、その草分けのひとりだった泉アキが、昭和44(1969)年夏に発売した名曲ヒットです。

ちなみに、この当時の彼女は昭和42(1967)年11月デビュー時からのエネルギッシュで溌剌とした歌いっぷりからイメージチェンジを図っており、レコード会社もフィリップスに移籍しての第二弾は、実にしっとり系の仕上がりが冴えています。

なにしろ作詞:阿久悠、作曲:村井邦彦、さらに編曲が川口真という黄金のトライアングルであれば、泉アキもクラウン時代の些か大袈裟な表現はグッと抑えての歌謡フォークなボーカルが良い感じ♪♪~♪

しかしサビでの情熱の節回しは、まさに彼女ならではの張り切った歌いっぷりが全開ですし、なによりも「ひと夏の恋」の名残を綴った阿久悠の歌詞に、全篇でほどよい情感を込めたあたりは、歌手としての泉アキが大きく成長した証だと思います。

また村井邦彦の洒落たセンスが滲み出た曲メロは、しかし決してマニアックではない、所謂昭和歌謡曲の味わいを大切にしたフォーク調ですから、川口真のアレンジもアメリカ西海岸系のフォークロックとR&Bのノーザンピートを上手く使う手法が成功しています。

特に、この当時の歌謡曲では絶対のキモだったハードにドライヴするエレキベースは、サイケおやじの最も好むところ♪♪~♪

そしてB面が、これまた侮れませんっ!

もちろん曲に携わったのは前述した黄金のトリオですから、何も言うことがないほどなんですが、あえてこちらがA面でも異存無しと断言して、後悔しないでしょう。

それはまさに昭和歌謡曲のエッセンスとも言うべき、湿りっ気のある歌詞と泣きメロの巧みな融合♪♪~♪ さらに膨らみのあるホーンセクションと各種打楽器を隠し味としたアレンジの妙♪♪~♪ 中でも印象的なブゥ~ンと唸るエレキベースのキメ!

このあたりは翌年春に発売される辺見マリの大ヒット「経験」が、村井邦彦&川口真という、この「黄色いひなぎく」と同じコンビによるサウンド作りの前哨戦として、非常に興味深く、なんとアレンジのポイントは、ほぼ同じなんですねぇ~♪

とにかく、このシングル盤の両面、ぜひともお楽しみいただきとうございます。

う~ん、それにしても川口真はおそるべし!