OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

歌謡ソウルはカバーもOK!

2013-08-21 15:34:40 | 歌謡曲

はずみで抱いて c/w 南風サンバ / しばたはつみ (日本コロムビア)

洋楽カバーの日本語バージョンは、所謂オールディズ物ばかりではなく、リアルタイムでバリバリのヒットになっていた人気曲を訳詞、あるいは新しい日本語歌詞を附けた替え歌(?)も夥しく作られてきたことは、皆様ご存じのとおりです。

昭和54(1979)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「はずみで抱いて」は、その最高に素敵な邦題も印象的な傑作で、しかも歌っているのが、しばたはつみ

ですから、アーバンソウルなムードが横溢しているのは言わずもがな、実は元ネタがアメリカの黒人音楽界では当時、トップの女性ボーカリストであったチャカ・カーンが前年に出した大ヒットシングル「I'm Every Woman」のB面に収めていた隠れ名曲「A Woman In A Man's World」なんですから、もう、何も言えませんよ♪♪~♪

それは皆様ご自身の聴き比べが最良なわけですが、あえて稚拙な筆を弄させていただければ、チャカ・カーンのバージョンがメロウな中にも強いグルーヴ感を表出するイケイケ感があるのに対し、しばたはつみは如何にも歌謡曲保守本流の下世話なフィーリングをスマートなノリで歌いきっていくという、まさに両者の持ち味が存分に発揮された仕上がりかと思います。

もちろん、しばたはつみは原曲とは異なる歌詞の中身を表現しているわけですから、個性の違いという以上に、楽曲表現の面白さを楽しむ事も出来るわけです。

そして全くシビれさせられるのが、彼女のナチュラルな歌の上手さと黒人音楽の魅力を掴みきったノリの良さ♪♪~♪

ゴージャスなバックの演奏パートを完全にリードしていく、その歌の力は素晴らしいと思うばかりです。

ちなみに原曲をメインで書いたのはラリー・ジョン・マクナリーと言われていますが、このソングライターは所謂AOR系の自作自演歌手でもあり、しぶいギターの腕前もなかなかという、縁の下の力持ち的存在ながら、業界やマニアックなリスナーには信頼感が強いひとりですので、要注意!

また、チャカ・カーンのバージョンでは、バックで強いビートを出しているのがフィル・アップチャーチ(g,b)、リチャード・ティー(key)、スティーヴ・フェローン(ds) 等々の凄腕揃いであり、一方のしばたはつみのセッションにも、まず訳詞(?):長谷川みつ美、編曲:後藤次利&梅垣達志、さらには松原正樹(g)、今剛(g)、笛吹利明(g,key)、佐藤準(key)、林立夫(ds)、斉藤ノブ(per) 等々の、これまた我国トップクラスの名人が勢揃いですし、当然ながら弾みまくったベースは後藤御大の仕事と思われますから、これで文句をタレたらバチあたりでしょう。

さて、しばたはつみのシングル盤には、もうひとつのお楽しみがあり、それがB面収録の「南風サンバ」なんですねぇ~~♪

もちろん、これは曲タイトルどおり、サンバのリズムを使ったジャジーな歌謡グルーヴが満点の仕上がりで、終始演奏をリードしているのが、快適なブラシのドラミング♪♪~♪

そして作詞:岡田冨美子&作編曲:山本幸三郎の良い仕事も絶品で、ちょいと辛辣な歌詞を程好い情感で表現出来る配慮(?)からでしょうか、マイナー調スパニッシュメロディの柔らかな展開が最高ですよっ!

いゃ~、本当に気持良さそうに歌うしばたはつみが愛おしい♪♪~♪

ということで、しばたはつみは何時だって最高ですよっ!

そして現在、こういう歌謡ソウルというか、ブラコン歌謡をやってくれる若手シンガーが登場してくれないのは哀しいですねぇ……。

まあ、現実的には、今風R&Bを日本語でやっている歌手もいるんですが、例によって起承転結のはっきりしない曲構成やメロディラインの貧困さには閉口されられるのが、サイケおやじの本音です。

あんな曲じゃ~、歌の上手さを活かしきれていない事に気がつかないのかっ!?

そんな不遜な事まで思ってしまうほどですから、しばたはつみのレコードに針を落す機会も増えているのでした。

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こんな素敵な甲斐智枝美

2013-08-20 15:39:05 | 歌謡曲

誘ってルンナ~月影のナポリ / 甲斐智枝美 (日本ビクター)

我国のアイドルが歌ってくれる洋楽のカバーバージョン、中でも日本語詞が附けられた企画には、何時だってウキウキさせられるのがサイケおやじの本性です。

本日ご紹介の「誘ってルンナ」は、イタリアの美人歌手として我国でも人気の高かったミーナの「月影のナポリ / Tintarella di luna」がオリジナルなんですが、しかし日本では森山加代子やザ・ピーナッツ等々でお馴染みになっている岩谷時子の訳詞とは別に、千家春があらたに作詞したニューバージョン!?!

さらに当然ながら、発売された昭和57(1982)年の流行音楽を和洋勘案し、実に爽やかなアイドル歌謡ポップスに仕上げられていますよ♪♪~♪

もちろん歌っている甲斐智枝美は昭和55(1980)年という、アイドル全盛期にデビューした所謂「スター誕生!」組として、山口百恵が去った後の座を狙うひとりだったと思われますが、同時期には河合奈保子、柏原よしえ、松田聖子、岩崎良美、等々の錚々とした顔ぶれが揃って表舞台に登場していましたから、その厳しさは言うまでもありません。

結果的に甲斐智枝美は歌手というよりも、アイドルタレントであり、汎用性の高い女優として、芸能界で活動していたのが本当のところだったと思いますし、彼女のキュートな面立ちとスレンダーな肢体の魅力から、グラビアの世界でも高い人気を集めていた事は、皆様もご存じのとおりです。

ところが大きなヒットにはならなかった彼女のレコード諸作は、決して侮れないブツが多く、今となっては、どうしてこれが……???

等々の疑問が浮かんでしまうほど、秀逸な歌が沢山残されているのです。

ただし、あえて失礼な分析をさせていただければ、甲斐智枝美のアイドルボイスが前述した同期ライバル達の個性を凌駕出来ず、常に「誰々風」に感じられてしまったんじゃ~ないでしょうか?

このあたりは毎度の暴言、全くサイケおやじの独断と偏見ではありますが、それだけ当時のアイドル歌謡界のレベルが高かったという証左と思います。

さて、そこで「誘ってルンナ」はアイドル歌手としてはほとんど最後に近い頃に出されたシングル曲ながら、その明るいガールポップ性感度の高さは素晴らしく、加えて鈴木茂のアレンジが原曲のイタリアンツイスト風味を大切にしながら、サビに特徴的なテンポチェンジを逆手に活かしたライトタッチのレゲエフィーリングを用いる等々、本当にたまりませんよ♪♪~♪

エコーやコンプレッサーを上手く使ったサウンド作りもイヤミ無く、さらには全篇でカッコ良過ぎるギターワークの冴えも特筆もので、しなやかなフレーズ展開と抜群のリズムセンスは、もしかした鈴木茂本人の仕事なんでしょうか。

初期のリトルフィートっぽさと圧倒的なキメになっているホーンセクションのリフも含めて、いゃ~、何度聴いても、ワクワクさせられる気持の良さは、ポップなジャケ写デザイン共々、温故知新の魅力に満ちていると思います♪♪~♪

ということで、甲斐智枝美のようなアイドルが大勢登場し、売れなくとも素敵なレコードをどっさり残してくれたわけですから、昭和50年代の我国芸能界は充実していたんですよねぇ~♪

なによりも責任の所在がはっきりしている「単体のアイドル」という存在は、特別なパワーを発散していたと思っています。

う~ん、「集団アイドル」全盛の現況下、こういう日本語歌詞の素敵な洋楽カパーは作られないのでしょうか……。

ますます昭和が愛おしいサイケおやじであります。

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イケイケの夏を歌ったシンシア

2013-08-19 15:14:23 | 歌謡曲

夏の感情 / 南沙織 (CBS Sony)

夏場であればこそ、ど~しても書いておきたいのが、南沙織が昭和49(1974)年夏に歌ってくれた「夏の感情」という、夏真っ盛りの名曲名唱です。

ご存じのとおり、この当時の彼女は二十歳前後という、なかなかアイドルとしてはバランスの保ちづらい頃だったんですが、本人の歌唱力のスケールアップと優れた作家陣による楽曲の素晴らしさがあればこそ、個人的にはピークを極めていたシンシアが楽しめると思っています。

で、この「夏の感情」はお馴染み、作詞:有馬三恵子&作編曲:筒美京平という、まさに南沙織の真髄を作り得る黄金コンビですから、ひとつ間違えれば、マンネリに陥る危険性もある中で、結果的にサプライズメロディと過激な歌詞が、がっぷり組み合った大傑作とは、この事でしょう。

とにかくイントロからズバッと切り込んでくるブラスとファズギターのユニゾンリフ、さらにファンキーロック調のホーンセクションとイケイケのリズム隊が作り出すアップテンポの歌謡グルーヴ!

そしてノリにノリまくった南沙織の「つんのめった」様な前ノリ歌唱!

何度聴いても、徹頭徹尾シビれてしまうサイケおやじなんですが、アイドルにしては相当にアブナイ世界を滲ませる歌詞の内容共々、彼女のボーカリストとしての声の伸びの切迫感が、一番にたまりません♪♪~♪

しかも要所でエロキューションや諦観を漂わせる節回しの表現は、ある意味ではイヤミっぼく、同時に女の本音としての欲求と計算がアンバランスな感情の発露として、夏という季節だからこそ、コントロール不可能が許される!?

そんなこんなの妄想と現実が見事に引き出されてしまうんですよ、実際。

さらにカラオケ演奏パートの充実が、これまた計算された凄さであって、特にドラムスでは連打されまくりのスネアと鳴りっぱなしのハイハットが激ヤバ!?

また、もっさりとドライヴしつつ、グル~ヴィなフレーズと強靭なビートを両立させているベースワークも最高ですよっ!

ちなみに演奏メンバーはキャラメル・ママ人脈という噂もありますが、当時のセッションクレジットは、「夏の感情」をメインにした同名アルバムにも記載がありませんので、サイケおやじには確認する術がありません。

ただし豪華絢爛(?)なストリングスも含めて、後にはキーボードばっかりで作られるようになるアイドル歌謡ポップスの演奏パートを鑑みれば、この当時の贅沢な作りが尚更に楽しめるんじゃ~ないでしょうか。

ということで、しかし告白すれば、サイケおやじはリアルタイムの昭和49(1974)年の夏、この曲を直に歌っていた南沙織を知りません。

何故ならば、拙プログで既に何度か書いているとおり、その時期のサイケおやじは、ある幸運からアメリカ西海岸に4ヵ月近く行けましたので、つまりは日本とは隔絶していたんですねぇ……。

もちろん得たものは非常に大きかったんですが、同時に未体験になってしまったものも多々あり、南沙織の「夏の感情」を生きた時間で聴けなかったのは、ひとつの痛恨の極みと書けば、顰蹙でしょうか?

しかし憧れのアメリカに行けたという優越感で良い気分になっていた自分の小ささに、ハッと目を覚まさせてくれたのが、この歌であった事も、ひとつの真実でした。

いゃ~、書いているうちに、あまりの恥ずかしさに、額に汗が滲んでしまいます。

最後になりましたが、ここで堪能出来る筒美京平ならではのロッキンソウルなサウンド作りは、おそらく英国における3分間ポップス、例えばエジソン・ライトハウスを最初は企画プロジェクトとして成功させたトニー・マコウレイあたりを意識していたと思います。

つまりアメリカのノーザンソウルや西海岸系モータウンサウンド等々、黒人向けのバブルガムポップスと我国の歌謡曲が持ち味とする雑食性が、不思議な公倍数で結ばれたかのような仕上がりが、何時までも古びない秘密なのかもしれません。

ただし、このアレンジで「夏の感情」を制作スタッフの狙いどおりに歌えたのは、やはり当時の南沙織しかいないでしょう。

夏にモーレツなシンシア、最高~~~~♪

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橋幸夫の陽気に行こうぜっ!

2013-08-18 15:40:03 | 歌謡曲

恋のメキシカン・ロック / 橋幸夫 (日本ビクター)

小学校高学年~中学生の頃のサイケおやじは、なにか妙にメキシコに憧れていたんですが、その要因のひとつが本日掲載のシングル盤A面曲「恋のメキシカン・ロック」だと自己分析しています。

もちろん皆様ご推察のとおり、昭和42(1967)年夏に大ヒットしたこの歌は、翌年に開催されるメキシコオリンピックを意識していたのでしょう。

しかしそんな大人の事情(?)は抜きにして、メキシコの持つ陽性のイメージが高度成長期の日本の勢いにジャストミートしていた気がするんですよねぇ~~♪

実際、洋楽でもメキシコ音楽とジャズロックを上手く融合させたハープ・アルパートの諸作がヒットしていましたし、それ以外にもベンチャーズ等々のインストバンドが極めて自然にメキシコ風味の演奏をやっていましたから、意識せずとも、それらは刷り込まれていたわけで、だからこそ橋幸夫が「メキシカン・ロック」なぁ~んていう新ジャンル(?)を歌っても違和感が無かったのでしょう。

と書いたのは、リアルタイムの我国芸能界はエレキ~GSブームの真っ只中、つまりは今日でも超えることが叶わないロック全盛期であり、既成の歌謡スタアであっても、それなりのアプローチが求められていたのです。

例えば女王の美空ひばりにしても、ブルー・コメッツをバックに「真赤な太陽」を歌っていた事は、あまりにも有名でしょう。

しかし若手男性歌手の御三家筆頭格だった橋幸夫が、安易に「不良のエレキ」に染まるという暴挙は許されるはずもなく、もちろんそれらしい歌は幾つも作られていましたが、どうにも煮え切らなかったという思いはサイケおやじだけではないでしょう。

ところが、「恋のメキシカン・ロック」は作詞:佐伯孝夫、作編曲:吉田正という、歌謡界保守本流ガチガチの大御所ソングライターコンビが書いていながら、決して時代の中で古びていないフィーリングが強く、GS組が標榜していたロックなんてものは、所詮はガキのなんとやら!?!

等々、思わずそんな不遜な事を痛感させられるほどのインパクトがあったんですよっ!

だからこそ、今日でも事ある毎に各方面で聞こえてくるわけでしょう。

また、もうひとつサイケおやじに強い印象を残しているのは、もちろん橋幸夫本人が出ている同年の松竹映画「恋と夢と冒険(松井秀雄監督)」で、メインの舞台がグアム島という、なかなか美しい海の風景がテンコ盛りの作品です。

そして当然ながら、「恋のメキシカン・ロック」がテーマソング扱いになっている歌謡映画でありまして、なんとっ! 島娘役の由美かおるが、この歌をバックにモダンなゴーゴーを踊ってしまうという、いやはやなんとも、素敵なシーンが忘れ難いんですよ♪♪~♪

しかも橋幸夫本人が例によって角刈りのヘアスタイルという、なんともロック&ポップスには馴染まない佇まいという、狙ったとしたら、最高のミスマッチが憎らしいばかり!

あぁ、これが昭和元禄の底力ってやつなんでしょうねぇ~♪

ということで、最後になりましたが、橋幸夫が実演やテレビで「恋のメキシカン・ロック」を歌う時は、軽快なダンスステップがお約束でした。

うむ、橋幸夫は永遠のおぼっちゃんムードが持ち味のひとつであるとすれば、幅広い歌の実力の中にリズム感の素晴らしさもありますからねぇ~♪

その存在感の強さは、他の芸能人には絶対に超えられないものと、あらためて本日は確信させられています。

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サンタナ歌謡は美しすぎて

2013-08-17 15:34:55 | Singer Song Writer

思い出は美しすぎて / 八神純子 (ディスコメイト)

殊更夏の歌謡曲と言えばエレキとラテン、そしてボサノバとサンタナ

というの最後の部分は、全くサイケおやじの独断と偏見にすぎませんが、それでも昭和50年代のニューミュージックを含む歌謡曲に、そのサンタナ風味がたっぷり塗されていた事は、皆様からもご賛同いただけるものと思います。

平たく言えば、ラテンビートやボサノバのリズムを使い、ギターの音色やフレーズがカルロス・サンタナしていれば、気分は最高♪♪~♪

昭和53(1978)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「思い出は美しすぎて」も、そんな時代の要請に応えた(?)、これが見事なシティミュージックの決定版でしょう。

なにしろイントロの思わせぶりなギターソロからして、完全にサンタナ歌謡曲の世界にどっぷり惹き込まれるケレンが憎めませんし、間奏や終盤のアドリブパートにしても、哀愁のサンタナフィーリングがテンコ盛りなんですねぇ~~♪

また、肝心の主役として歌う八神純子の伸びやかなハイトーンボイスは、歌詞も曲メロも自作自演の強みを活かした、なかなか自信に溢れたものと思いますが、意図的にモダン化させたボサノバのリズムとサンタナ風味を上手い塩梅にミックスさせた戸塚修のアレンジも秀逸!

告白すれば、サイケおやじは「サンタナごっこ」をやりたい時には、この「思い出は美しすぎて」を鳴らしながら、同じようなギターを弾いてしまう事も度々という前科があり、現在も入れてもらっているおやじバンドで練習中の課題曲として、最近は再びコピーに勤しんでいるというわけです。

と言うよりも、実はサイケおやじはボサノバのリズムギターが苦手なんで、それは相方のギタリスト氏にお任せし、自分では独り善がりのリードを弾きまくりたいだけなんですけどねぇ、恥ずかしながら。

そして話は逆になりましたが、八神純子はヤマハ系のシンガーソングライターとして、昭和50年代から多くの素敵なレコードを作っていますが、如何にも育ちが良さそうな彼女の歌の世界は、リアルタイムでも妙に貴重な存在感がありましたですねぇ~♪

今となっては、特大ヒットの「水色の雨」ばっかりしかテレビでは歌ってくれませんし、例の盗作問題云々で語られる事も多い八神純子ではありますが、むしろ彼女の本質は、それ以外のところに深く感じられるものがあると思っています。

ということで、とりあえず酷暑にも効き目満点の「思い出は美しすぎて」を、ぜひどうぞ♪♪~♪

実は渋滞に捕まって、動けなくなった車の中で、ひたすらにリピート再生するのが八神純子のCDだったりするサイケおやじにとって、これは特に愛すべき歌でもあります。

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追悼・山口冨士夫

2013-08-16 14:49:41 | 日本のロック

ユメがほしい c/w 大人の戦争 / ザ・ダイナマイツ (日本ビクター)

やはり突然と言っていいのでしょう、日本を代表する本物のロックミュージシャンだった山口富士夫の訃報に接しました。

そこで本来ならば、個人名義のレコード、例えばLP「ひまつぶし」あたりを掲載すれば衷心からの供養となるんでしょうが、サイケおやじは、とても件のアルバムに針を落す心境になれません。

皆様に、こうした苦汁をご理解いただけるかは知る由もありませんが、それでも山口富士夫を偲ぶ時、ど~しても避けられないのが、本格的なメジャーデビューとなったGS時代のダイナマイツにおける諸々の音源であり、今となっては露骨な歌謡曲趣味に彩られたレコードゆえに、何か無視するのがファンの務めのように語られるのは、いかがなものでしょうか……。

故人を評する中で特に言われるのは、その「媚びない姿勢」という一点だと思いますが、しかしプロのミュージシャンである以上、自分の演じた音楽を聴いて欲しくないという人は皆無でしょう、例えそれが「お金のためのお仕事」だったとしても!

投げやりな気持ちや行動で、それらをやっていたら、まず「お金」とは完全に決別しなければなりませんし、ファンやリスナーに何も伝えられないパフォーマーなんて、存在する意義がありません。

さて、そこで掲載のシングル盤はダイナマイツにとってはメジャーデビュー2作目として、昭和43(1968)年春に発売された名作なんですが、実はA面の「ユメがほしい」は超一級の歌謡曲であり、だからこそコアなGSマニアからは忌み嫌われ、GSはロックでは無いという、間違った常識の根源を形成する典型とされている感があります。

そりゃ~、確かに作詞:橋本淳&作曲:すぎやまこういちの狙いは、ダイナマイツを当時の芸能界へ馴染ませようとする要望に応えたものかもしれません。

しかしリアルタイムでは、如何にGSブームが全盛と言っても、こういう歌をオリジナルで持ちネタにしていなければ、その頃は未だジャズ喫茶と呼ばれていたライプハウスからは脱却出来なかったはずで、それは全国展開の巡業には絶対的な宣伝要素となっていたテレビ出演が難しかったのですから、誰を責めるわけにもいきません。

告白すれば、サイケおやじはテレビでしかダイナマイツに接したことがなく、それでも歌や演奏が凄く上手く、特にコーラスワークにも秀でていた印象は今も強烈に焼きつけられたまま!

ですから、レコードで聴く「ユメがほしい」の歌謡ポップス充満のムードに素敵なコーラスワークと幾分チープなギターサウンドがミックスされていれば、それはそれで至高の仕上がりというわけです。

ちなみに当時のメンバーは瀬川洋(vo,g)、山口冨士夫(vo,g)、大木啓造(g,b)、吉田博(vo,b)、野村光朗(ds) という5人組だったんですが、ここでのギターソロが山口富士夫だとしたら、ニューロック期以降の故人しか知らないファンの皆様は、些か面食らうかもしれません。

もちろんレコードバージョンにはストリングがたっぷりと被せられていますからねぇ~~。そういうところをどれだけ許容出来るかによって、ダイナマイツに対するスタンスも決まってくるように思います。

その意味でB面の「大人の戦争」は、A面と同じコンビの職業作家による提供楽曲でありながら、ハナからケツまでシビレるファズが大炸裂のサイケデリックな名演で、むしろこちらこそが、今も昔もダイナマイツ、そして山口富士夫のイメージそのものでしょう。

ほとんど支離滅裂(?)な歌詞にもブッ飛ばされますよ♪♪~♪

あぁ~~、こういう落差の激しい両面性があるからこそ、GSのシングル盤は人気があるにちがいありませんっ!

ダイナマイツにしても、サイケおやじは実演ライプに接した事がないので、あくまでも伝聞とお断りして書きますが、リアルタイムではニューロック系洋楽のカパーをたっぷりやっていたそうですから、「大人の戦争」こそが本領発揮の場であったという推察は易いはずです。

しかしそれだって、A面の「ユメがほしい」を聴いて、実際にレコードを買わなければ体験出来なかったファンが圧倒的に多いわけですから、メンバーがそれを蔑にしていたはずもありません。

ということで、山口富士夫の急逝は、サイケおやじの心に虚ろな穴を穿ちました……。

幸いなことに、故人のライプには数次行けましたし、酒席で本音(?)を聞けた時間も、ちょっぴりですが、ありました。

故人はルックスや過去の告白によって、イメージ的に幾分怖い感じもするんですが、ぶっきらぼうの中に弱い者の気持が分かっている、心の優しさがあった事は言うまでもありません。

ステージに出てくる時、フジオでぇす、と脱力系の挨拶とふわぁ~とした佇まいでやり始める、山口富士夫だけの煮え滾るロックは無形文化財と言えば権威主義かもしれませんが、代替は決して不可能なものであります。

ピュアだとか、ナチュラルだとか、そんな言葉も不適切なほど、山口富士夫は最高でしたっ!

謹んで、故人のご冥福を……。

合掌。

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雪が恋しい時の歌

2013-08-15 14:58:35 | 歌謡曲

虹と雪のパラード c/w みんなでつくろう / ピンキーとキラーズ (キングレコード)

全く異常な暑さが続くと、あれほど困り者だった雪が恋しくなるのは、人の世の常識的我儘でしょうか。

ついつい、そんな気持で聴いてしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲「雪と虹のパラード」です。

ご存じのとおり、これは昭和47(1972)年に札幌で開催された冬季オリンピックのテーマ曲として、NHKが主導して作られたと言われていますが、そのあたりの事情を考慮しても、一番ヒットしたと思われるトワ・エ・モアのバージョンの他に競作盤が様々に出ており、このピンキーとキラーズのバージョンは中でもサイケおやじが特に好きな仕上がり♪♪~♪

もちろん作詞:河邨文一郎&作曲:村井邦彦の基本線は統一されていますから、ここでは大柿隆のアレンジとピンキーの歌いっぷりに興味が深々なのは言わずもがなでしょう。

ちなみにピンキーとキラーズは説明不要、昭和43(1968)年のデビュー大ヒット「恋の季節」を筆頭に、素晴らしいソフトロック系歌謡曲を出し続けたグループなんですが、ピンキー=今陽子の天才的な歌唱力ばかりが評価され、バックのジョージ浜野(vo,g)、エンディー山口(vo,g)、ルイス高野(vo,b)、パンチョ加賀美(vo,ds) という顔ぶれのキラーズが、何か添え物的な扱いに思われているのは、個人的に承服しかねるものがあります。

何故ならば、ピンキーとキラーズは本来、セルジオ・メンデスの路線を踏襲するボサロック系歌謡グループとして、初期には自前の演奏でオリジナルばかりではなく、カパー曲も相当にカッコ良くやっていた事をサイケおやじはしっかりと記憶しているからで、時代の要請(?)から、時には流行のモータウンやスタックス系の演目も披露する時に発散させる、ナチュラルな横揺れのピート感は、ピンキーの大らかでソウルフルなボーカルスタイルを見事にバックアップしていたんですよっ!

それがテレビ出演時はコーラスだけの存在になっていましたからねぇ……。

実力を真っ当に評価されなかったのは、ちょいと残念なんですが、しかし、そうは思っていても、肝心のピンキーとキラーズが聞かせてくれる「雪と虹のパラード」は、やはり今陽子の歌が最高に上手いですよ♪♪~♪

また大柿隆のアレンジがソフトロックの保守本流である、リアルタイムのハリウッドポップスから良いとこ取りしたイヤミの無さですから、キラーズが担当したコーラスの存在感もほどほどに、ソツが無いのが物足りないほどです。

そして既に述べたとおり、数多い競作バージョン、例えばブルー・コメッツ、相良直美、スクールメイツ等々、トワ・エ・モアの本命盤(?)以外の諸作と比べても、全く遜色が無いんですからねぇ~~♪

何故か、現在ではピンキーとキラーズの歴史から外されている感も強い「雪と虹のパラード」ではありますが、発売された昭和46(1971)年の流行音楽状況の中にあっては、一聴して人畜無害なサウンドに包まれた歌の世界が予想外にウケていた事も鑑み、ちぃ~っとは再評価を望みたいところです。

また、久々に私有盤を出したついでにと言っては失礼なんでしょうが、B面に収められた「みんなでつくろう」を聴いてみたら、これが明るい未来を信じていた昭和元禄期のお気楽気分を楽しめる好トラック♪♪~♪

結論から言えば、シンプルなメロディとアドリブっぽい歌詞による、幾分のお遊びソングではありますが、サウンドの作りはジャズっぽいソフトロックであり、流石は作詞:山上路夫、作曲:いずみたく、そして編曲:大柿隆の手腕が冴えまくりと思うばかりです。

ということで、真夏に冬の歌ってのも、ミエミエの逆説的ウケ狙いではありますが、来年にはソチ冬季オリンピックも予定されていますし、気分だけでも暑さを逃れ、先に進みたいわけですよ。

まあ、本当に冬が到来すれば、夏の暑さが恋しくなるのは分かっているんですけどねぇ~~♪

相変わらずのサイケおやじの我儘な戯言、ご容赦願えれば、幸いでございます。

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小川みきで真夏が燃える

2013-08-14 15:17:58 | 歌謡曲

燃える渚 / 小川みき (フィリップス)

リアルタイムよりも後追いで人気が高い歌手のひとりが、本日掲載のシングル盤を出した小川みきでしょう。

実際、本格的に歌手デビューしたのは、おそらく昭和45(1970)年頃だと思うのですが、その時は別の芸名だったんじゃ~ないでしょうか?

勉強不足のサイケおやじは、そのあたりの経緯については全く知らず、もちろんレコードも所有していませんが、その彼女が「岡田みき」と名乗って、「サマー・サンデー」という、発売された昭和41(1971)年にしては、些か落ち着き過ぎたサウンドの隠れ名曲を歌っていた事は覚えています。

というのも、それがなんともコニー・フランシス調とでも申しましょうか、彼女のボーカルのひとつの魅力であろう、パンチの効いたソウルフルな部分が往年の弘田三枝子にならないように、意図的に抑えられたかのような印象なんですよねぇ……。

それについては項をあらためて、いずれじっくり書きたいと目論んでおりますので、本日はここまでとさせていただきますが、やっぱりヒットするまでには至らず、翌年には再び改名して、「小川みき」となるのが、彼女の簡単な履歴かと思います。

もちろん結果的に、それでもブレイク出来なかったのが、彼女の不運と言えばそれまでなんですが、サイケおやじは当時から相当なファンになっていて、レコードもちょいちょい買っていました。

不思議系といも言えそうなルックスも良い感じ♪♪~♪

で、この「燃える渚」は昭和48(1973)年に発売された、文字どおりに真夏の恋を歌った人気曲であり、溌剌とした彼女のボーカルには心底、シビれさせられること請け合い!

今日では作詞:安井かずみ&作編曲:筒美京平のコンビネーション中、最高傑作とまで評する歌謡曲マニアが存在するほどらしいんですが、サイケおやじは流石にそこまで断定するほどの勇気がありません。

しかし欧州産R&R風味の軽い曲展開と意外なほど重心の低いリズムアレンジが印象的なメロディラインは素晴らしく、それを真っ向勝負で歌ってくれる小川みきの潔さは特筆すべきでしょう。

あぁ~、これを聴いていると、もしも弘田三枝子が、これを歌ったら!?!

なぁ~んていう不遜な想いがムクムクと湧き上がってしまうほど痛快至極な仕上がりは、決して過言ではありませんっ!

ちなみに筒美京平と言えば「平山三紀」が表舞台の代名詞になっている感がありますが、御大はこちらの「みき」にも、かなり入れ込んでいたんじゃ~ないでしょうかねぇ~~~。

まあ、そのあたりは、あくまでもサイケおやじの独断と偏見ではありますが、「小川みき」が正統派歌謡ソウルな声質である事を鑑みれば、ちょいと時代にアクセス出来なかった不運は否定出来ないのでしょうか……。

実は「燃える渚」には予行演習というか、小川みきが前作として出したシングル曲「雨の中の口づけ」のB面にカップリングされていた「小さな過去」という元ネタがあり、当然ながら歌詞は異なっているんですが、ボーカルとサウンドの要は同じというあたりに、筒美京平の執念(?)が感じられると書けば、またまた不遜極まりなく、今更お詫びのしようもありません。

ということで、小川みきは既に述べたとおり、リアルタイムではブレイクせず、この後も「小川美希」と三度の改名でレコードを出しているんですが、う~ん……。

それでも彼女の残した音源は未確認&未聴のデビュー期のものを除けば、サイケおやじは全て絶大な良さかあると思うばかり!

今となっては所属レーベルも違いますので、纏まった復刻は成されないという悲観と諦観に染まっているんですが、それでも「小川みき」名義のシングル曲は様々なオムニバス盤で復刻されていますので、この夏にはぜひ、どうぞ♪♪~♪

そして彼女のレコードについても、拙プログで追々にご紹介する所存であります。

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アッコの夏はダイナマイトな裏表

2013-08-13 15:04:01 | 歌謡曲

夏の夜のサンバ c/w チャンスは三度 / 和田アキ子 (RCA)

いゃ~、昨日は猛暑から一転、集中豪雨と落雷にやられてしまいました……。

もう、こうなると「小島よしおスタイル」でしか夏は過ごせないなぁ~、と思うばかりですが、今日も今日とて、暑いですねぇ~~~。

ということで、思考力も限界なので、掲載のシングル盤は思いっきりベタベタな1枚になりました。

ご存じ、昭和歌謡曲のダイナマイトクイーンと言えば、和田アキ子

しかもこれなんかは、ファンキーピートなラテンソウルが激しく炸裂する修羅場にあって、これぞっ! アッコの真髄が存分に発揮された名曲名唱であることは、チマチマと稚拙な筆を弄するまでもありません。

 Ah!
 ギラギラ太陽が 沈んだら
 男と女は ハッシッシッ

なぁ~んていう、実にホットな歌詞は阿久悠の例によっての確信犯としか思えないでしょう~~♪ こんなのを発売された47(1972)年夏のテレビ歌番組では、堂々と歌えたというあたりが、如何にも面白かった時代の象徴としか言えませんよ。

また森田公一の作編曲が、これまた痛快至極なイケイケ天国♪♪~♪

既に述べたリズムとピートの分かり易さは言わずもがな、シャープなブラス&ホーンの使い方が完全にブラスロックになっているのは流石の通俗性かと思います。

ですから、もうかなり前から、クラブ系DJ御用達になっている現実こそが、アブナイ誘惑の嵐と書けば、完全に自分を見失っているわけですが……。

そこでB面の「チャンスは三度」が幾分コミカルな歌詞とジャズっぽい曲構成になっているは絶妙の裏表とでも申しましょうか、作詞:阿久悠&作曲:森田公一のコンビは意志の疎通も説明不要、むしろアワノケイイチのアレンジこそが、このトラックのキモになっているのかもしれません。

う~ん、またまたアナログ盤の「レコードをひっくり返して、針を落す」という儀式の有難味を感じている次第です。

最後になりましたが、こんな異常気象な日々には、和田アキ子のような絶対的に上手い歌手を聴くのもオススメですよ。

もちろん、スカッとする気分の高揚♪♪~♪

それを一瞬でも感じられるのは、生きている幸せと思っています。

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ベルベッツの熱帯夜歌謡

2013-08-12 15:09:37 | 歌謡曲

長い熱い夜 c/w 人さわがせ / ベルペッツ (Atlantic / ワーナーパイオニア)

今日も暑いですけど、昨夜も酷かったですねぇ~~~▼◎!?▲?

思わず本日掲載のシングル盤を出してしまったのも、皆様既にご推察のとおり、暑いというよりは熱い!

ですから、もちろん入っている両面2曲が共にグルーヴィなソウル歌謡であり、それを素直にケツ振りながら聴くのが真夏の常識的態度だと思います。

そしてもちろん演じているベルペッツは、和製スリー・ディグリーズを企図したグループでしょう。実際、このシングル盤が世に出た昭和49(1974)年末頃の洋楽事情を鑑みて、特にフィリー系ソウルやノーザンビートを歌謡曲に活かすのは流行最先端でしたからねぇ~♪

ちなみにベルペッツのメンバーはヒロ=広松美和子、マイヤ=杉原裕子、メーベル=アマベル・ローという顔ぶれなんですが、果たして彼女達がこのレコードを出す前からグループを組んでいたのか、あるいは楽曲が出来ていたから、集められたのか?

そんなこんなを諸々に想像してしまうのも、ベルペッツの実力があっての楽曲の素晴らしさを堪能出来るからに他なりません。

なにしろA面「長い熱い夜」からして作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、編曲:萩田光雄という黄金の制作トリオが関わっていますから、ド頭からぶっ飛ばし放題のグルーヴはお約束以上♪♪~♪

似た様な感じでは、ポピーズやゴールデンハープ・スペシャルっぽいノリが痛快至極なんですよっ!

しかしさらに素敵なのはB面「人さわがせ」で、やはり作詞:阿久悠&作編曲:筒美京平が狙ったのは、ハードエッジなシャッフル系ピートソウルという、勝手にサイケおやじが命名したニューソウルの歌謡曲的展開でありまして、これがなかなかに黒いフィーリングが溢れんばかり♪♪~♪

個人的には圧倒的にB面が好きという、コレクターズアイテムのひとつになっています。

ということで、もちろん全然売れなかったシングル盤なんですが、現在ではクラブ系DJや歌謡曲マニア等々、後追い鑑賞組に再評価される事によって人気盤になっているようです。

う~ん、確かにリアルタイムじゃ~、これはカッコ良過ぎた仕上がりと思うばかりなんですが、サイケおやじにしても発売から数年を経てのゲットで掌中に収めたブツは、有線向け(?)のサンプル盤ですし、ベルペッツが他に何枚のレコードを出していたのかは知る由もありません。

しかし、例えこれ1枚であったとしても、ここまでの人気作を昭和歌謡曲の枠内で残してくれた事は、喜ばしい歴史と思っているのでした。

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