OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

不遜にもホット・レッグス

2014-04-20 15:45:19 | Rock

Hot Legs / Rod Stewart (Riva / ワーナーパイオニア)

最近のストーンズは、もっぱら伝統芸能に勤しんでいる感が強いので、今年の来日巡業にも行かなかったサイケおやじではありますが、それでも「ストーンズ愛」は、それなりに持ち続けているつもりです。

そして、だからこそ、本日は言いたいっ!

ストーンズは、もっと新曲をライプでやるべきでしょう、今こそっ!

しかし、現実的には既に円熟期をも越えているストーンズですから、それよりは往年の人気曲をやってくれた方が、安くもないチケットを買ったファンにとっては嬉しいのも、また、本音でしょう。

つまり、今はそうでも、1968年からの10年間ほどのストーンズは、世界で最も影響力のあったロックバンドであり、そのロック魂はもちろんの事、ストーンズがやっていた独自のサウンドを後追いしていたミュージシャンの夥しさは、言わずもがなの歴史になっています。

そこでサイケおやじは不遜にもストーンズに対するお願いとして、そんな似非ストーンズサウンドのヒット曲、あるいは名曲を、あえてストーンズ自らがカパーするという、些か自虐的な企画のアルバムを要望してしまうんですねぇ~。

例えば本日掲載のシングル盤A面曲「Hot Legs」は、ロッド・スチュアートが1977年に放った、モロにストーンズ狙いのハードロック大成功作として、本家本元がやらずにど~するっ、と願い続けているほどです。

もちろんロッド・スチュアートは自身が表舞台に飛び出したフェィセズ加入時から、後にストーンズのレギュラーとなるロン・ウッドとはジェフ・ペック・グループに在籍していた頃からの盟友として、きっちりストーンズサウンドへの憧れを実践表明していましたので、周囲があれこれ文句をタレるはずもありません。

むしろ、喜んでいたんじゃ~ないでしょうか。

少なくとも、サイケおやじは肯定的でありました。

そして現在のストーンズが、もしも「Hot Legs」をやってくれるのであれば、ロッド・スチュアートのオリジナルバージョンで目立ちまくっていたカーマイン・アピスのウルトラ級後ノリのドラミングをチャーリー・ワッツが、どのように敲いてくれるのか!? 同時にキース・リチャーズのファジーなギターは!?

等々の楽しみも溢れるというものです。

また、、当然ながらミック・ジャガーのボーカルに関しては、何の心配や詮索も無用でしょう。その理由は述べるまでもありませんよねぇ~♪

ということで、サイケおやじが妄想するストーンズ本家のサウンド模倣カバー集が実現するのであれば、他にもエアロスミスの「Chip Away The Stone」、ニューヨーク・ドールズの「Puss 'n' Boots」、ハンブル・パイの「Thunderbox」、キッスの「Christine Sixteen」、そして我国へ目を向ければ、説明不要というRCサクセションの「雨あがりの夜空に」や村八分の「あッ!」等々、キリが無いとは、この事でしょう。

いゃ~、こういう妄想って、ホントに楽しいですねぇ~~~♪

ふりかえれば、ストーンズが伝統芸能に目覚めた(?)のは、例のボブ・ディランの代表曲「Like A Rolling Stone」をカパーするという、シャレにもならなかった事件(?)があってからかもしれません。

流石にサイケおやじも、この時は???の気分でしたよ。

しかし、それでもストーンズが出し続けているCDやDVD等々は、きっちり買ってきていますし、行けなかった、そして行かなかった巡業ライプにしても、その音源はブート等々で少なからず聴いてしまうのですから、もう、これ以上は何も……。

そうだっ! 今日は気を取り直して、ロッド・スチュアートを聴こうっ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドキッとさせられる素敵なヒット曲は

2014-04-19 15:41:27 | 歌謡曲

いい娘に逢ったらドキッ / 伊藤咲子 (東芝)

全く曲タイトルどおりの感情に支配されているのがサイケおやじの日常ではありますが、それにしても伊藤咲子が昭和51(1976)年夏に出した掲載シングル盤A面曲「いい娘に逢ったらドキッ」は、良く出来ていましたですねぇ~♪

もちろん阿久悠の作詞が鋭いキモになっている事は言わずもがな、三木たかしの作編曲が実に上手く、美味しいディスコサウンドをアイドル歌謡ポップスに注入しているのですから、これがウケなかったら、ヒット曲の神様は激怒されるにちがいありません。

それはイントロからのツカミになっている、モロにおじさんボイスの低音SE「いい娘に逢ったらドキッ」が最高に効果的ですし、曲展開の基本が当時の洋楽ディスコヒットで流行最先端だった、所謂「ハッスル」物の巧みな導入!?

キャッチーなアレンジのリフ構成やリズムパターン、そしてバックコーラス等々が、ライトタッチでウキウキするヒット曲の要件にジャストミートでありました♪♪~♪

しかも伊藤咲子が持前の素晴らしい歌唱力とソフトでメリハリの効いた歌声を存分に聞かせてくれるわけですよ♪♪~♪

いゃ~、リアルタイムでこれに接したサイケおやじは、無暗矢鱈にアッパーな気分にさせられたわけですが、皆様ご推察のとおり、ここには強力な元ネタがありまして、しかしサイケおやじは不覚にも、それに気がついたのは、既に昭和が平成になろうとしていた頃でした。

そうです、今更説明不要かもしれませんが、件の「おじさんボイス」やアレンジ&曲メロの中核は、その頃に一世を風靡していたミュンヘンディスコサウンドを代表するシルバー・コンベンションが同年初頭に出したLP「ゲット・アップ&ブギー」に収録の「San Francisco Hustle」から、もはや完全にパクったとしか言いようのない真相があったんですねぇ~~~!?!

これについては、実際に聴き比べてもらうのが最良!

と、強く断言させていただく次第です。

ちなみにシルバー・コンベンションは、1974年にドイツで結成された女性三人組というのが一般的な認識ですが、彼女達も実は最初、所謂実態の無いグループであり、スタジオセッションからディスコ向けに制作された幾つかの音源から、1975年になって「Fly, Robin, Fly」が世界的にメガヒットしたもんですから、急遽集められたメンバーは流動的だったと言われています。

しかし、その中にはペニー・マクレーンやロバータ・ケリーという、ソロシンガーとしてもヒットを出した実力派が去来していたのですから、侮れません。

また、当然ながら、シルバー・コンペンションというプロジェクトを手懸けた作編曲家のシルベスター・リーヴァイも、なかなかの要注意人物でしょう。

告白すれば当時、サイケおやじは軽々しいビートと薄っぺらとしか思えなかったストリングスアレンジを多用するミュンヘンディスコは、それゆえに守備範囲外でしたからねぇ~、とてもシルバー・コンペンションのアルバムまでは聴いていなかった盲点を突かれたわけで、それが前述したように昭和から平成に移り変わる時期、折しもドイツでの仕事に勤しんでいたサイケおやじは、そこでようやく「いい娘の逢ったらドキッ」の元ネタに邂逅したというわけです。

つまり当地では、懐メロみたいな扱いで、往年のミュンヘンディスコ系ヒット曲が毎週放送されるラジオ&テレビ番組があって、シルバー・コンペンションの映像&楽曲にも、たっぷり刷り込みが!?

ということで、三木たかしの書いた曲は、なかなか元ネタの探索が困難なところもあるんですが、やはり天才は奥が深いというか、パクリも一筋縄ではいかなかったという凄さには、今更ながら感服しています。

それはガキっちょ向けのレコード、しかもアルバム収録曲から頂戴する「いじましさ」という勘繰りではなく、ウケるものは絶対にウケるという確信に基くものと、サイケおやじは思いたいです。

うむ、ドキッとさせられる音楽は、やっぱり素敵♪♪~♪

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚えていますか、早世ひとみを

2014-04-18 14:43:29 | 歌謡曲

北の岬 / 早世ひとみ (CBSソニー)

ニューミュージックとアイドルポップスにすっかり食い荒らされていた昭和55(1980)年の我国歌謡界に登場した早世ひとみは、正統派歌謡曲の救世主でもあり、忘れ得ぬ美人シンガーのひとりでもありました。

なぁ~んてノッケから書いてしまうと、例によってサイケおやじの大袈裟か……!?

と皆様からは呆れられるかもしれませんが、いえいえ、このジャケ写どおりの歌声で上手い節回しを聞かせてくれたのが早世ひとみ、後の「はやせひとみ」でありました♪♪~♪

とにかく詳細は勉強不足で知らないんですが、確か何かのオーディション番組からデビューに至った経緯も含めて、微妙な翳りが滲む、その美しいルックスと歌謡曲保守本流の歌唱力は、忽ちサイケおやじを夢中にさせるのには充分過ぎたんですよっ!

で、肝心のA面曲「北の岬」は作詞:喜多条忠&作曲:三木たかし、そして編曲:竜崎孝路が歌謡ポップスと演歌の幸せな結婚のような仕上がりを狙ったのでしょうか、インパクトの強さよりは、ジンワリとした歌謡曲ならではの余韻も素敵な仕上がりになっています。

ただし、そういう「品の良さ」が、ある意味ではアクの強さを求める歌謡曲ファンにはウケがイマイチだったようで、リアルタイムではテレビやラジオ、雑誌やスポーツ紙の芸能面等々のマスコミに登場する機会が多かったわりには、大きなブレイクもなく……。

まあ、そのあたりが逆に彼女のコアなファンには、たまらない魅力のひとつかもしれません。

そして、ご存じのとおり、「はやせひとみ」と改名した彼女はデビューから5年を経て、「ちょっと待って大阪」をヒットさせ、またグラビアでは美し過ぎるヌードを披露したりと、なかなか嬉しい存在感を示したんですから、やはり歌謡曲の救世主だったと思うんですよねぇ~♪

つまり彼女のルックスと歌唱力があれば、アイドルポップスでもニューミュージックでも堂々の成果を残せたはずという推察は易く、しかし演歌系歌謡曲でメジャーデビューしたという現実こそ、昭和歌謡曲愛好者は大切にしなければならない宝物でしょう。

ということで、しかし残念ながら、早世ひとみのシングル盤は意外と中古が少ない現実もあり、それほど売れていなかった事に加えて、ファンが手放さないという真相もあるんじゃ~ないでしょうか。

また、未確認ではありますが、所謂オリジナルLPも作られなかったようですし、所属レコード会社の移籍も数回あったとなれば、音源の集成は困難かもしれません……。

しかし早世ひとみは、決して忘れられる存在ではなく、もういちど彼女の生歌をサイケおやじは聴きたいと願っているのでした。
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春になると思い出す北村優子

2014-04-17 15:08:15 | 歌謡曲

若草のデート / 北村優子 (日本ビクター)

社会人になってからの移動や配置換えは、かなりのプレッシャーや重荷を伴うのが現実でしょうが、青少年時代の学校におけるクラス替えや席替えは、サイケおやじにとっての楽しみのひとつでありました。

もちろん、自分の席の隣に、憧れの女子が決まらないかなぁ~~、とか、そういうスケベ心が優先していたのは言わずもがな、可愛い転校生が入って来たなぁ~んていう噂があれば、叶わぬ願いに気持も昂っていたのが、ちょうど春の今時期だったんですねぇ~♪

しかし、そんなこたぁ~、有り得ないわけですよ、実際……。

例えば本日掲載のシングル盤で昭和51(1976)年春にデビューした北村優子は、そうした夢見る対象には絶対でしょう。

このぐらい愛くるしい女の子が自分のクラスに入って来たり、ましてや自分の席の隣に決まったりしたら、毎日がルンルンと思っていた輩は数知れずと思いますが、いかがなものでせうか。

そして当然ながら、リアルタイムの北村優子はルックスに比例して、歌がターヘだったのが、このA面収録のデビュー曲「若草のデート」では、モロ出しですからねぇ~~♪

可愛さ余って憎さ百倍とは決して言えない、ある意味では人気アイドルの要件を満たしていたのが、北村優子の素晴らしい資質でありました。

ちなみに件の楽曲が作詞:阿久悠&作曲:森田公一、さらにアレンジが柳田ヒロ or 萩田光雄の担当であれば、正統派アイドル歌謡ポップスは「お約束」、それ以上の仕事が提示されているのですから、彼女の歌唱力が余計にマイナスのベクトルを示しているのは、逆説的に大正解と思うばかり♪♪~♪

つまりサイケおやじは、決して北村優子を貶しているのではなく、むしろ、アイドルとして芸能界にデビューせずして、なんになる!?!

そんなふうに思いつめるほどです。

ということで、ご存じのとおり、北村優子の芸能生活は短く、だからこそ忘れ得ぬ存在になった感も強いのでしょうが、それにしてもデビュー曲が「若草のデート」だったのは、全てにおいて出来過ぎかもしれませんねぇ~♪

春になると、ど~しても彼女を思い出してしまうサイケおやじであります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何時かはこれを歌えるようになりたい…

2014-04-16 16:07:53 | 歌謡曲

横浜ホンキートンク・ブルース / エディ藩 (東芝)

やるものを選んでしまう歌があるとすれば、本日ご紹介の「横浜ホンキートンク・ブルース」も、そのひとつかと思います。

なにしろ作詞:藤竜也&作曲:エディ藩という、ハマに所縁のカッコ良過ぎる二人が書いた、粋な男の歌謡ブルースとあっては、作者それぞれの自演バージョンを筆頭に、有名なカバーバージョンとしては、原田芳雄、松田優作、尾藤イサオ、宇崎竜童、新井英一、等々のハードボイルドな面々が、自らの個性を思いっきり表出させつつ、オリジナルの味わいを聞かせたレコードを残していますからねぇ~~、もう、太刀打ち出来ませんよ。

つまり今日、当たり前になっているカラオケで、安易に「横浜ホンキートンク・ブルース」を歌うなんてことは、相当の勇気と覚悟を求められるわけでして、しかし昨夜の酒席で、これをやらかしたのが、サイケおやじの昔の同僚だったんですから、いやはやなんとも、同じ場に居合わせただけで、額に汗が滲ました、う~ん。

ちなみに今回の出張では、昔の人脈を頼っている部分が否定出来ないので、あんまり露骨な顔も出来なかったわけですが、でもねぇ~~。

そりゃ~、確かに酒を飲んでいる時ぐらいは、カッコ良くしていたい気持はサイケおやじだって同様ですが、流石に「横浜ホンキートンク・ブルース」は唸れませんよ。

それほど、この歌は男の憧れというわけです。

さて、そこで本日掲載したのは、元ゴールデン・カップスでニューロックを歌謡曲に浸透させたエディ藩が昭和57(1982)年頃に出した自演バージョンのひとつで、もちろん歌とギターは自前の「節」で押し通した、これが流石の仕上がりになっていますから、サイケおやじは最初っから聴き入るのみです。

うっ、思わずヘミングウェイにかぶれ、フローズンダイキリに酔い痴れそうな♪♪~♪

そんな男のぶる~すは、最高ですよねぇ~、やっぱり。

そして何時かは、自分もそうした世界を歌えるような男になりたい!

叶わぬ願いと知りつつも、願わずにはいられないのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラブタッチしたいピーマン

2014-04-15 14:51:50 | 歌謡曲

ラブ・タッチ c/w ブルーの瞳 / ピーマン (ワーナーパイオニア)

なんとも味気無いジャケ写ではありますが、中身は素敵なピーマンのシングル盤♪♪~♪

と書いたのも、デビュー盤のスリーヴでは極小ホットパンツ姿を見せてくれた彼女達ですからねぇ~、急にガードが堅くなったようなイメージは、やっぱり減点でしょう……。

しかし、繰り返しますが、特にA面収録の「ラブ・タッチ」が作詞:千家和&作曲:林山諺、そして編曲:小林南という、如何に玄人ウケを狙った作風による、ライトタッチのディスコ歌謡でありまして、もちろん発売された昭和49(1974)年の洋楽流行最前線だったフィリーソウル味は、お約束♪♪~♪

そのアップテンポでシャープなイントロから、ラァヴタッチッ! ラァヴタッチッ! とキメまくるコーラスワークの鮮やかさは、一度聴いたら、虜は確実ですし、続く曲メロ本篇の流れが、これまたキャンディーズっぽいと言っても、決して贔屓の引き倒しにはならないはずです。

おまけに、と書けば失礼千万ではありますが、バックの演奏のカッコ良さもたまらず、この楽曲をそのまんま、スリー・ディグリーズに演じて欲しいなぁ~~~。

思わず、そんなに決死的熱望が芽生えてしまうほどです。

ただし、結果的に空振りになってしまったのは、彼女達のコーラスワークに比べて、ソロパートが幾分弱く、妙にはっきりしない音程が気になったりするのは、サイケおやじの独り善がりの考察なんですが……。

その意味で、さらにキャンディーズ味が濃厚なB面収録曲「ブルーの瞳」は、これがロケンロールなアイドル歌謡のど真ん中!

もちろん、有り得ない話ではありますが、作詞;千家和也&作曲:林哲司、さらに編曲:林哲司&萩田光雄という制作陣の顔ぶれからして、当時はキャンディーズのオリジナルをカパーしたのかっ!?

なぁ~んて思っていたのが、サイケおやじの不徳の致すところです。

うむ、ガールグループの奥底は深いですねぇ~、本当に。

そして、だからこそ、こういう世界を探求する奥の細道は止められないわけですし、何よりもガールグループの提供してくれる「芸能」の味わい深さが魅力的というわけです。

ということで、このシングル盤を出した頃のピーマンが、どんな恰好でテレビやステージに出でいたのか? それを実は全く知らないサイケおやじにしても、ジャケ写で着ている衣装の下の部分は、ど~なっているのか、大いに気になるのは、現在でも偽りの無い気持です。

昭和歌謡曲のガールグループを有象無象に集めた映像集が、出ないかなぁ~~、という妄想も強くなるのでした。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これを聴きつつ、希望への旅

2014-04-14 14:45:21 | 歌謡曲

希望の旅 c/w いつか何処かで / 平山三紀 (日本コロムビア)

今週は若い者に連れられ、日本各地を行脚予定のサイケおやじですから、とにかく今朝は願い込めて、このシングル盤を聴いたわけですよ。

もちろん、今回の旅が「希望」に繋がるようにっ!

というわけですが、果たして、どうなりますか、ちょいと微妙なのが本当のところです。

さて、まあ、それはそれとして、とにかく平山三紀は日本の歌謡ポップス史にその名を刻する存在という評価(?)は別にしても、筒美京平が志向したロッキン&ニューソウルな歌謡曲を具象化するには適材だったんでしょうねぇ~♪

それは実際、例のメガヒット「真夏の出来事」に代表されるのかもしれませんが、天の邪鬼なサイケおやじは、むしろそれ以外の楽曲を愛でる傾向にあり、例えば昭和47(1972)年初夏にヒットした本日掲載のシングル盤A面曲「希望の旅」における、ちょっぴりフレンチ系というか、ここからはあくまでもサイケおやじの独断と偏見に満ちた推測になるんですが、筒美京平は、ちょうど前年から我国で大ブレイクしていたミッシェル・ポルナレフあたりのサウンドに狙いをつけていたんじゃ~ないでしょうか?

そう思えば、流れるように平板なメロディ展開と弾んだリズムのコントラストがエグ味の強い平山三紀の声質には逆説的に相性が良く、しかもグッとブラックフィーリングが表出するサビでの解放感は、快楽的確信犯かもしれませんよっ!

ただし、そこに特有のコブシが用意されていたとしても、何故か昭和歌謡曲に無くてはならない、ある種の湿っぽさから少しばかり離れてしまう結果も否めず、そういう当時としてはカッコ良過ぎるところに正統派歌謡曲ファンは、ついていけないものを感じてしまったような……。

ご存じのとおり、その頃には未だ「ニューミュージック」なんていう便利な業界用語はありませんでしたからねぇ~~。

その意味でB面収録の「いつか何処かで」は、さらに洋楽志向がど真ん中!

過言ではなく、ほとんどイントロからフィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ / Up Up And Away」の剽窃ですよねぇ~、これはっ!?

しかし、流石は筒美京平!

元ネタを凌駕する爽快なメロディ展開は、余計な詮索なんか無用とばかりの軽快さ♪♪~♪

あぁ~~、これを平山三紀が持前のブッキラボウでシャープな節回し全開で歌うとなれば、その全てを素直に許容する事は難しくありません。

と言うよりも、むしろ最高に快楽的な歌謡曲の醍醐味と申せましょうか、いや~、とにかく最高ですよ♪♪~♪

うむ、今回の出張もこう、在りたいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浪花ソウルの歌謡曲はエエですわ

2014-04-13 15:02:31 | 歌謡曲

アップショット c/w サミー・ボウ / 大上留利子 (SMS)

関西と言うよりも、浪花のレディソウルと呼びたいのが大上留利子でしょう。

ソウルフルでエネルギッシュ、それでいて抑えた表現も抜群の歌唱力は、ルックス同様に押し出しも強く、しかし決して鬱陶しい世界ではありません。

スカッとする爽快感やジワジワ滲み入る余韻の歌心は、まさに唯一無二の個性として、一度聴いたら、絶対の虜♪♪~♪

本日掲載のシングル盤は昭和54(1979)年に発売された、ソロ名義では3作目のLP「ええ歌ばっか」からのカットなんですが、実はA面収録の「アップショット」に、どうにも微妙なミックスの異なりを感じるのは、サイケおやじの思い込みでしょうか?

まあ、そのあたりは、45回転のシングル盤に特有の音圧に関する諸問題(?)のひとつかもしれませんが、それはそれとして、とにかく作詞:Vinyl&作曲:宇崎竜童が書いた「アップショット」は、軽いタッチのディスコ歌謡で、しかもメロディには所謂「竜童節」が顕著ですからねぇ~~♪

その和風のコブシをファンキーに歌いこなす大上留利子こそが、この曲を演じるに相応しいボーカリストです、と断言!

いゃ~、それまでの彼女は関西ベースということで、なんとなくコテコテ&真っ黒フィーリングが先入観念としてリスナーに刷り込まれていると思うんですが、もちろんサイケおやじも、それに属する者のひとりとして、この「アップショット」の洗練された都会派ソウルの味わいには、目からウロコ♪♪~♪

実はご存じのとおり、このシングル盤両面2曲を含む前述のアルバム「ええ歌ばっか」は、加藤和彦のプロデュースなんですよっ!

とすれば、ドロドロのソウルがスマートでスウィートなお洒落系に移行し、同時に心を揺さぶるグルーヴに満ちているのは当然でしょうねぇ~♪

そして、それが強烈に出ているのがB面収録の「サミー・ボウ」で、作詞:阿久悠&作曲:大野克夫が書いた、悲しくも湿っぽいソウルパラードがハートウォームな余韻を湛えて彼女に歌われる時、サイケおやじは身も心も奪われてしまいます。

あぁ、これが本物のソウルってやつでせうか……。

ということで、大上留利子は和製ソウルの歌手であり、当然ながら昭和歌謡曲の天才シンガーのひとりでもあり、現在ではゴスペルの領域でも堂々の活動を繰り広げているようですから、気になる皆様には、ぜひとも公式レコードデビュー時の諸作に接して欲しく思います。

ただし残念ながら、件のアルバム「ええ歌ばっか」はCD化もされていないんでしょうか、今となっては、なかなか聴くことが難しいとか!?

その意味で、掲載したシングル盤に収録の2曲は、どうやらベスト盤に入っているらしいので、あえて本日は、こちらをご紹介したというわけです。

いゃ~、ホンマに大上留利子は、エエですねぇ~♪

と、思わず関西弁でグルーヴするサイケおやじなのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここから聴いても丸山圭子は素敵♪

2014-04-12 15:17:28 | Singer Song Writer

裸のわたし c/w 空 / 丸山圭子+ピピ&コット (Cine Disc)

掲載したのは緑魔子主演による昭和48(1973)年の映画「日本妖怪伝サトリ」の主題歌を収めたシングル盤で、当然ながらジャケ写表は緑魔子の無愛想なスチールを使っていますが、そのA面曲「裸のわたし」は後年、「どうぞこのまま」のメガヒットを放った丸山圭子の力強く、それでいて和みのボーカルが楽しめる隠れ人気作♪♪~♪

そりゃ~、確かにイントロには不気味な鈴の音がSEとして用いられたり、全体のアレンジもヨーロピアンポップス調ながら、それでも幾分大袈裟なのは映画本篇が風刺的作風とはいえ、一応は「妖怪」を扱っているからでしょう。

しかし、作曲も担当した丸山圭子の歌は本当に大らかですし、演奏中で印象的に使われているハーモニカとの相性も素敵な、その一抹の虚無感はクセになりますよ。

ちなみに歌詞は、この映画を監督した東陽一が自ら綴ったものですが、その辺を離れても、これはなかなかの名曲名唱と思うばかりです。

そして驚いたというか、この時の丸山圭子は二十歳前だったんですよねぇ~♪

以前にも書きましたが、サイケおやじはシンガーソングライターとしての彼女が大好きで、その頃に加入していた歌謡フォークグループのピピ&コットの音源も密かに聴いていたんですが、このシングル盤のB面「空」は、丸山圭子の作詞作曲による同グループ名義の歌と演奏になっているんですから、たまりません。

もちろん、件の映画とは無関係の典型的な歌謡フォークがど真ん中という真相(?)は賛否両論かもしれませんが、個人的には丸山圭子に免じてという気持です、はい。

あたらめて述べるまでもなく、丸山圭子は前年に某ラジオ局主催のソングコンテストで優勝した実績から、いきなりLPデビューした才媛でありながら、その頃に契約していたレコード会社の策謀(?)だったんでしょうか、何故か問題(?)のピピ&コットなんていうグループに入って、ピアノを弾いていたのは、なんだかなぁ……。

結局、昭和50(1975)年にグループが解散し、晴れてソロシンガーとして再デビューしてみれば、「ひとり寝のララバイ」「どうぞこのまま」「あなたにつつまれて」「ふたりの砂時計」等々のヒット曲を連発し、同時にアルバムも秀作が多数♪♪~♪

おまけに当時の彼女は、フェロモン&セクシーイメージのセッションポートレイトもかなり見せてくれましたからねぇ~♪

その声質、そのルックス共々、オカズ性感度の高さも侮れませんでしたよ♪♪~♪

今回は当該作品について、あえてご紹介を差し控えるのは、後々のお楽しみという事なんですが、失礼ながらピピ&コット時代の彼女の佇まいからして、まさかあそこまで男好きするタイプになろうとは!?

それも正直な気持ちであります。

ということで、とにかく丸山圭子が好きなんですよ、たとえ歌謡フォークであろうとも!

実は本日、掲載のシングル盤を出したのは、そうしたギャップの免疫を狙っての事でして、本当はそれも必要ないほど彼女は素敵な存在というわけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリアンヌは霧の中♪♪~♪

2014-04-11 15:36:24 | 歌謡曲

霧の中のマリアンヌ / レオ・ビーツ (キングレコード)

昭和元禄の象徴のひとつ、GSブームにおいては有象無象幾つものグループがデビューし、夥しいレコードと楽曲が残されましたから、リアルタイムでも、その全てを楽しむなぁ~んてことは、今となっても夢のまた夢!

しかし、だからこそ、売れなかったり、特段のヒットにならなかった歌や演奏の中から、自分の好みにジャストミートの音源を後追いで発見する楽しみは、趣味に生きる道の冥利というものかもしれません。

例えば、その中でサイケおやじが好きな1曲として本日ご紹介するのが、掲載したシングル盤A面曲「霧の中のマリアンヌ」です。

演じているレオ・ビーツは福岡の出身、所謂実力派としての評価も高かったようで、渡辺プロに所属し、奥村チヨのバックバンドもやっていたんですが、きっちり自らのレコードも数枚出していて、この「霧の中のマリアンヌ」は昭和42(1967)年晩秋に発売されたメジャーデビュー曲と言われています。

もちろん、既に述べたとおり、決してヒットしたとは言い難い結果ではありますが、サイケおやじは当時、この歌を何かで聞いていたのは確かで、メロディーやラテンリズムを活かしたピート感が記憶の片隅に残っていた事が、後追いでレコードを中古ゲットし、針を落した瞬間に蘇ってきましたですよ♪♪~♪

と言うよりも、実はその記憶の断片を求めて、曲名も知らずに探索し続けた成果として、レオ・ビーツの「霧の中のマリアンヌ」に辿りついたのが真相です。

あぁ~、このイントロから躍動するリムショット多用のドラムスのリックは、ちょうどキャノンボール・アダレイがヒットさせたジャズロックの人気曲「Jive Samba」にクリソツで、こういうところからも、レオ・ビーツが上京前にラテンバンドだったというルーツを示すものと思います。

そして気になる楽曲を書いたのが作詞:橋本淳&作曲:すぎやまこういち、とくれば、日本人好みの哀愁を適宜塗した歌謡曲性感度の高さは言わずもがな、如何にものGSっぽさ、つまりガチガチのロックではない、良い意味でのダサいフィーリングが独得の面白さを表現しているんですねぇ~♪

ちなみにバンドメンバーは里見洋(fl,per)、西信行(vo,key)、古賀修(g)、中野健二(b)、中村伸次(ds)、東信行(per) の6人組で、演奏やコーラスワークの勢いやソツの無さは、如何にもハコバン出身の証でしょうか。

個人的にはイントロから強い印象を残すオルガンやムード歌謡一歩手前の雰囲気の作り方が、完全にツボですよ♪♪~♪

サビに入るや、リードボーカルが熱唱するあたりも良い感じ♪♪~♪

実は皆様ご推察のとおり、このレオ・ビーツは以降の紆余曲折を経て、今やプログレ演歌と称されるカルトなバンドに転身し、それが里見洋と一番星

とすれば、どこかしら枠に収まりきれない、分かり易さと破天荒さのバランスの妙が、発表当時では早すぎたという考察が可能という説も成り立ちます。

しかし。それでもレオ・ビーツの「霧の中のマリアンヌ」は最高のラテン歌謡ロックである事に変わりはありません。

どうか皆様には、サイケおやじの独断と偏見に満ちた戯言に惑わされること無く、この素敵な歌と演奏を虚心坦懐にお楽しみいただきとうございます。

ということで、アッという間に突入した新年度も既にスピードを増して過ぎゆく日々、新人歓迎会等々で気疲れ(?)しそうなのが、これからの予定……。

それでも怯んじゃ~いられませんよねぇ~。

本日のサイケおやじは、せめて「霧の中のマリアンヌ」を心の拠り所にして、過ごす所存であります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする