OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

地獄の沙汰も結果オ~ライ

2016-11-20 18:43:17 | Queen
地獄へ道づれ / Queen (EMI / 東芝)
 
地獄を見たのは初めてじゃ~ありませが、あらためて思うのは、この世の中、綺麗事だけじゃ~済まされないなぁ~~、という当たり前の真実です。
 
もちろん、理想を追求するのは美しいし、素晴らしい事なんですが、だからと言って周囲にそれを強要したところで、何も事態は改善しないわけですよ。
 
そして、なるべくならば嘘は無い方が良いっ!
 
ということで、どうにか地獄から脱出したサイケおやじが本日ご紹介したいのは、クイーンが1980年に放ったメガヒット「地獄へ道づれ / Another One Bites the Dust」であります。
 
皆様ご存じのとおり、この頃のクイーンは雑食性が旺盛で、それはアルバム単位の大作主義から離れた方向性の様でしたから、デビュー以来のファンが違和感を覚えるのとは別に、新しいリスナーを掴む事との折り合いは如何にっ!?
 
そんな雰囲気が滲んでいたのも、前作シングル曲「愛という名の欲望 / Crazy Little Thing Called Love」がロカビリーのパロディを真剣に演じきっての大ヒットになっていましたからねぇ~、続けて世に出た新作アルバム「ザ・ゲーム」のとりとめのない仕上がりが賛否両論だった事は、今でも語り草でしょう。
 
ところが、そこからカットされたこの「地獄へ道づれ / Another One Bites the Dust」には、シングル盤扱いだからこその痛快性が確かにあって、それは驚くなかれのファンキー大会!?!
 
これは実際に聴いていただければ納得されると思いますが、耳に残るジョン・ディーコンのベースラインは、人気黒人グループのシックから完全に頂戴したという疑惑が否定出来ませんし、それでいてギターやドラムスの如何にも白人っぽい感じやクイーンが十八番のSE的サウンド作りの妙があってこそ、フレディ・マーキュリーの押しの強い節回しも冴えまくり♪♪~♪
 
ほとんどメロディらしいメロディが出ないのに、これはクイーンでしかありえないという仕上がりは、忽ちサイケおやじの好みにジャストミートでありました♪♪~♪
 
巷間云われているように、デビュー以来のクイーンはアメリカで成功する事が急務とされながら、1970年代にはそれが果たされたとは言い難い状況でしたから、こ~ゆ~作風への転換も有意義だったのでしょう、そのヒット状況はブラックチャートでも上位にランクされる結果となり、おそらくはクイーンのシングル諸作の中ではベストテン級に知られている楽曲かもしれません。
 
うむ、こんなにイカシたビートとサウンドがあれば、地獄で何故悪いっ!?
 
なぁ~んていう妄言も吐いてしまいそうなのが、現在のサイケおやじです。
 
最後になりましたが、ここ数日の私的地獄行の間、皆様からの応援や励ましのコメントには大いに助けられました。
 
心から、感謝申し上げます。
コメント (2)
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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の四

2016-11-19 15:24:22 | Jimi Hendrix
Band Of Gypsys 2 (Capitol)
 
 A-1 Hear My Train A Comin'  (1969年12月31日:1st show)
 A-2 Foxy Lady  (1970年1月1日:1st show)
 A-3 Stop  (1970年1月1日:1st show)
 B-1 Voodoo Child (1970年7月4日:アトランタ・ポップ・フェスでの録音)
 B-2 Stone Free (1970年5月30日 / 2nd show:バークレーでの録音)
 B-3 Ezy Rider (1970年5月30日 / 1st show:バークレーでの録音)
 
バンド・オブ・ジプシーズのデビューアルバムはニューヨークにあったフィルモア・イーストにおけるライブ盤だったので、当然ながら2日間で4ステージ分の音源が公式レコーディングされたという情報も伝えられたのですから、ジミ・ヘンドリクス=ジミヘンの死後、あれやこれやと出される遺作の中でも、1986年に突然発売された掲載の続篇盤には、大いに期待するものがありました。
 
なにしろ、既にその一部はブートで出回りながら、例によって劣悪な音質でしたから、それが正規盤で出されるのならば、絶対に凄いはずっ!
 
と思い込んで速攻ゲット!
 
そのレコードに針を落とす瞬間のワクワク感は今も忘れ難いんですが、実は案の定というか、肩すかしの結果は残念無念……。
 
それがサイケおやじの偽りのない気持ちです。
 
と書いたのも、上記した収録データをご覧になれば皆様にも納得されると思います。
 
肝心のリアルなバンド・オブ・ジプシーズの演奏はA面だけで、B面はバディ・マイルスが抜け、ミッチ・ミッチェルが帰参したニュー・エクスペリエンスの演奏だったんですねぇ~~!?!
 
しかも当時不思議に思ったのが、「Foxy Lady 」と「Stop」の2曲がなんとっ! ビデオから音声だけを抜き出して使ったというのですから、そんな映像が残っているのかっ!?
 
いゃ~、サイケおやじの気持ちは本当に穏やかではありませんでした。
 
で、気になる演奏内容は、まず十八番のスロ~ブル~ス「Hear My Train A Comin' 」はモノラルに近いミックスながら、やはりジミヘンのギターは凄いの一言!
 
しかし「Foxy Lady」は賛否両論かもしれません。
 
というのも、この曲はミッチ・ミッチェルが敲いているバージョンが幾つも耳に馴染んているので、サイケおやじとしても、シンプルなバディ・マイスルのドラミングには違和感が未だ打ち消せず、ど~してもバディ・マイルスだけが好き勝手にやっている感じで、なんともジミヘンとの相性の悪さが露呈しているんですねぇ……。
 
ところが反面、それゆえにジミヘンのギターが妙に孤立、あるいは浮遊しているような感じで、その点からすれば、なかなか面白いテイクかもしれません。
 
その意味で痛快なのが「Stop」で、とにかく低重心のビートを提供するビリー・コックスとバディ・マイルスの存在感が強いところから、ジミヘンも明らかにエクスペリエンスとは異なるアプローチ、そのアクセントの付け方が新鮮に聴こえるんですねぇ~♪ バディ・マイスルとジミヘンのソウルフルなボーカル&コーラスの掛け合いも良い感じ♪♪~♪
 
ただし、それゆえに所謂ロックっぽさが薄れているところも確かにあって、バンド・オブ・ジプシーズが一般ウケしなかった理由も、それかなぁ……。
 
そしてこの2曲は既に述べたとおり、ビデオからの音源という事で、音質も良くありません。
 
あぁ……、なんて中途半端な仕事をやるのかなぁ~、当時の制作スタッフはっ!?
 
しかも、1991年頃に出たバンド・オブ・ジプシーズの再発CDに、このA面3曲がボーナストラックで入れられた時でさえ、音質の改善は曖昧だったというテイタラクは何でだよぉ~~!?
 
と長い間、サイケおやじは嘆いていたわけですが、1999年になって、それが解消された事は皆様ご存じのとおりですから、とりあえず今はここまでと致します。
 
また、問題となったB面収録の3曲は、発売当時に正規未発表とされていたライブ音源なんですが、とにかくミッチ・ミッチェルの復帰ゆえに安心感があるのは確かで、特にバークレーでの演奏は凄まじい限り!
 
まさに、これぞっ! ジミヘンっ!
 
という快演が楽しめますが、逆に言えば、そこに留まっている事も確かで、結局は答えを出せずに逝ってしまった天才を偲ぶだけというのも、ファンにとっての悲喜こもごもでありましょう。
 
ところで、このアナログ盤LPにはジャケットの仕様もカタログ番号も同じでありながら、収録曲が異なるブツが実在し、如何に記すのは、そのデータです。
 
 A-1 Hear My Train A Comin' (1969年12月31日:1st show)
 A-2 Voodoo Child (1970年7月4日:アトランタ・ポップ・フェスでの録音)
 A-3 Stone Free (1970年5月30日 / 2nd show:バークレーでの録音)
 B-1 Easy Rider (1970年5月30日 / 1st show:バークレーでの録音)
 B-2 Hey Joe (1970年5月30日 / 2nd show:バークレーでの録音)
 B-3 Hey Baby (1970年5月30日 / 2nd show:バークレーでの録音)
 B-4 Lover Man (1970年5月30日 / 2nd show:バークレーでの録音)
 
どうです、これってリアルなバンド・オブ・ジプシーズの演奏はド頭の1曲だけという、詐欺まがいの売り方でしょう。
 
もちろん、今となっては収録トラックの全てが手軽に聴けますが、当時こんなものが堂々と流通していたのも、それだけジミヘンの天才性が認められ、ファンがそれを渇望する以上、商売優先のレコード会社ばかりを責められはしないわけで、そこには殊更バークレーでの凄いライブ音源に身も心も奪われてしまう現実があるのですからっ!
 
ということで、またまたの罪作りをやらかしたバンド・オブ・ジプシーズではありますが、そのあたりの事情にジミヘン本人の意思が入っていないのですから、分かってはいても何かを期待するリスナーやファンは、じっと我慢するのも次なる喜びに繋がるものなのです。
 
もちろん、そんなこんなの戯言を書いているのも、現在はバンド・オブ・ジプシーズを取り巻く状況が諸々良い方向へと進んだ歴史を知っているからでして、まさか世紀を跨いで聴き続けることが出来るなんてのは、正夢の結実だと思います。
 
……続く。
 
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応援感謝!

2016-11-18 20:23:27 | Weblog

地獄の底まで落ちました。

後は這い上がるだけっ!

コメント (1)
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ここでつぶやき…

2016-11-17 19:08:50 | Weblog

……地獄。

コメント (3)
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迷走…

2016-11-16 17:26:54 | Weblog

仕事が縺れ、各方面から虐められているサイケおやじです。

今日は先が見えないので、これにて失礼させていただきます。

明日の風はどっちから?

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バンド・オブ・ジプシーズの切実:番外篇

2016-11-15 18:26:14 | Jimi Hendrix
ジミ・ヘンドリクス / Buddy Miles (Mercury / 日本フォノグラム)
 
バンド・オブ・ジプシーズが当初、イマイチ賛同を得られなかったのは、おそらくはバディ・マイスルのドラミングに要因があったと思われます。
 
なにしろジミ・ヘンドリクス=ジミヘンが大ブレイクした時のバンド、つまりエクスペリエンスにはミッチ・ミッチェルという、非常に手数と足数(?)の多いドラマーが在籍し、ジミヘンの激烈なギターに一歩も引かない豪放なスタイルで敲きまくっていたのですから、それがジミヘンという全く新しいロックの提供者にはジャストミートだったという印象は、その虜になったファンにとって、簡単に打ち消せるものではありません。
 
極言すれば、ノエル・レディングの影が薄くなるほどに強いエクスペリエンスの存在感は、ジミヘンとミッチ・ミッチェルの対決が主軸であり、それがバンド・オブ・ジプシーズになって、シンブルな8ビートを主体にプレイするバディ・マイルスがドラマーの座にあったのでは、ジミヘンのギターには満足させられても、バンド全体から発散される「ジミヘンの音楽」には違和感を覚えて当然だと思います。
 
もちろん、ジミヘンがエクスペリエンスよりも新しいスタイルを追求提示するためにバンド・オブ・ジプシーズを始めた事は間違いではなく、それにファンやリスナーがついていけなかったという、些か意地悪な結果がバンド・オブ・ジプシーズの不人気(?)に繋がったような気がしています。
 
しかもバンド・オブ・ジプシーズが本当に短命で、バディ・マイルスが直ぐに抜けてしまった後には再びミッチ・ミッチェルが帰参しての所謂ニュー・エクスペリエンスが始動し、ジミヘンの最期まで世界中を熱狂させたのですから、またまたの賛否両論が!?
 
う~ん、それじゃ~、バディ・マイルスは悪者扱いかっ!?
 
という声がはっきり聞こえてしまいますねぇ……。
 
しかし、サイケおやじは決してそんなふうには思っていません。
 
むしろ最初はジミヘンに対しての相性に面白味が無いと感じたバディ・マイルスのドラミングが、実はそのシンプルさゆえにジミヘンのギターが尚更に自由度の高いプレイに向かっていたんじゃ~なかろうか?
 
それを勘違いと言われれば、認めざるをえませんが、後に様々公にされていくバンド・オブ・ジプシーズの殊更ライブ音源では、ヨレずにタイトなリズムとビートを打ってくるバディ・マイルスの存在が、本当に自由闊達、そしてグリグリにソリッドなジミヘンのギターを支えているんじゃ~ないでしょうか。
 
ところでジミヘンとバディ・マイルスの接点としては、ジミヘンがエクスペリエンスを率いてアメリカに凱旋帰国のライブステージとなった1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスに、同じく出演したのがバディ・マイルスが在籍するエレクトリック・フラッグという因縁(?)があります。
 
で、このエレクトリック・フラッグはバターフィールド・ブルース・バンドを辞めたマイク・ブルームフィールド(g) が結成した、ホーンセクションも含む白黒人種混成という、なかなか当時のアメリカとしては珍しかったと云われるグループで、そのデビューが前述した1967年夏のモンタレー・ポップ・フェスでしたから、同じ黒人でありながら、ロックをやるジミヘンとバディ・マイルスが意気投合しても不思議では無い雰囲気があったのかもしれません。
 
また、バディ・マイルスは十代でプロの世界に入った天才児であったそうですし、ジミヘンにしても駆出し時代はR&Bスタアのバックバンドで活動していたのですから、そんなサーキットで既に知り合いだったという推察も可能でしょうか。
 
ちなみにバディ・マイルスとマイク・ブルームフィールドの接点について、またエレクトリック・フラッグについても、何れ追々に書かせていただきますが、とにかくサイケおやじが重要と思うのが、ジミヘンもバディ・マイルスも、ロックという白人音楽をやって売れたという事です。
 
それは当時の映像等々でも確認出来るように、ジミヘンのライブの観客は大部分が白人層であり、またバディ・マイルスにしても、エレクトリック・フラッグが潰れた直後の1968年秋に自ら結成した新バンドのバディ・マイルス・エクスプレスが、やはり同様にブラスロックを志向していたという事実もあり、それならばもっと黒人にもロックを楽しめるようにしたいというよりも、所謂ファンキーロックを目指していたようにも思います。
 
さて、そこで本日掲載したのは1970年に製作された、そのA面には何とも大仰な邦題が附されたバディ・マイルスのシングル盤なんですが、原曲「Runaway Child」は自身のリーダーアルバム「リヴ・トゥギャザー / We Got To Live Togetjer」の中の1曲で、折しもレコーディング中にジミヘンの訃報に接したバディ・マイルスがあえて追悼の意を表したとされる逸話があるそうで、しかし楽曲そのものは典型的なソウルミュージックなもんですから、それほどバンド・オブ・ジプシーズ的なサウンドではありませんので、誇大表示という疑惑も!?
 
実際、最初に針を落とした時のサイケおやじは、なんじゃ~、こりゃ~!?
 
と、すっかり松田優作状態になったほどです。
 
でも、まあ、いいか♪♪~♪
 
それを微笑ましく許せるのも、バディ・マイルスのビシッとキマったドラミングとソウルフルな歌声、熱い節回しがあればこそです。
 
ということで、本日も独り善がりに徹してしまい、申し訳ございません。
 
しかし、最初はピンッとこなかったバンド・オブ・ジプシーズが今はすっかり好きになっているのは、どうやらバディ・マイルスの存在にあると思うのがサイケおやじの偽りの無い気持ちであります。
 
……続く。
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We All Remember Leon

2016-11-14 14:44:51 | Rock
ソング・フォー・ユー / Leon Russell (Shelter / 日本フォノグラム)
 
またひとり、偉大なミュージシャンが天国へ召されました。
 
それが殊更1970年代ロックに親しんだ皆様ならば説明不要のレオン・ラッセルで、実際当時は故人の活動・活躍が、ロック&ポップスを過言では無く、牽引していました。
 
その素晴らしい偉業は夥しく、それゆえに拙稿で述べることは叶いませんが、少なくとも洋楽に興味を抱き、あるいは自然体で耳から音楽を感じている現世の我々にとって、レオン・ラッセルの書いた名曲、裏方ミュージシャンとしてのプレイしていた演奏の数々、そして所謂「しゃがれ声」による刹那の節回しで聞かせてくれた故人の歌唱は、それと気がつかなくとも心に残る音楽的な思い出でありましょう。
 
ですから、ここに衷心よりのお悔やみとして、サイケおやじは本日、何を取り出せばそれに叶うのかと自問し、やはり故人の存在を一般的に知らしめた名曲「ソング・フォー・ユー / A Song For You」を朝イチで聴いてしまいました。
 
もちろん、この楽曲はカーペンターズが1972年に出した4枚目のアルバムタイトル曲としてのカバーバージョンが世界的に知られていますが、レオン・ラッセルは既にその2年前、自ら関わった新レコード会社のシェルターから出したリーダーアルバムで自作自演! 忽ち業界を中心に認められた傑作となり、カーペンターズがカバーしたのも当然が必然だったわけですが、我が国では件のシェルターレーベルの発売が1973年まで遅れていたのが結果オーライというか、前述したとおり、カーペンターズが歌った「ソング・フォー・ユー / A Song For You」が大ウケだったという下地が出来上がっていたもんですから、この本家の歌もすんなりと売れていた記憶があります。
 
それはなによりも哀切のメロディとレオン・ラッセルの男気ハードボイルドな歌声による節回しが、違和感どころか逆にジャストミートしていた、至極当たり前の結果ではありますが、今日まで夥しいカバーバージョンが多様なスタイルで作られてきた中にあっても、最高にリアルな魅力です。
 
 いろんな場所で、様々な曲を歌ってきたけれど……
 
 俺の人生が終わっても
 
 君のために この曲を歌っていたことを
 
 忘れないでくれ……
 
あぁ……この歌詞は故人の生き様にオーバーラップするに留まらず、音楽を愛する我々全てに共感される、せつなくも幸せなものと思うばかりです。
 
ありがとう、レオン・ラッセル!
 
サイケおやじは、決して忘れません。
 
合掌。
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パワーアンプの危機的状態

2016-11-13 17:25:13 | Weblog

自宅のステレオが不調なので、オーディオケーブルを入れ替えていたら、どうやらパワーアンプの電源が安定していないという、一番恐れていた事態に……。

既に30年以上も使っているので、寿命と言われれば、それまでなんですが、良い感じで最近まで鳴っていたので、なんとかしたいです。

ということで、本日の1枚は休載させていただきます。

失礼致しました。

 

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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の参

2016-11-12 18:24:47 | Jimi Hendrix
Band Of Gypsys (Capitol / Track / Poldyor)
 
 A-1 Who Knows (1970年1月1日:1st show)
 A-2 Machine Gun (1970年1月1日:1st show)
 B-1 Changes (1970年1月1日:2nd show)
 B-2 Power Of Soul (1970年1月1日:2nd show)
 B-3 Message To Love / 恋のメッセージ (1970年1月1日:2nd show)
 B-4 We Gotta Live Together (1970年1月1日:2nd show)
 
1970年9月のジミヘン早世以降、堰を切ったかのように次々と発売されていく遺作音源は、例えばオーティス・レディングとLP片面ずつ抱き合わせになっていた「モンタレー・ポップ・フェス」からのライブ盤、スタジオでレコーディングされていた未発表トラックを纏めた「クライ・オブ・ラブ / The Cry Of Love」や「戦場の勇士たち / War Heroes」、映画のサントラ扱いだった「レインボー・ブリッジ / Rainbow Bridge」そしてライブ音源を拾い集めた「イン・ザ・ウエスト / Hendrix In The West」、さらには例の「ワイト島 / Isle Of Wight」、おまけに一般公開が不可能な記録映画「エクスペリエンス」を構成しているロイアル・アルバート・ホールでのライブ音源等々、諸々の正規アルバムが1972年頃までに世に出たのですから、ファンは嬉しい悲鳴に一喜一憂!?
 
それが当時高校生だったサイケおやじにとっては、聴きたくても経済的な事情が許さず、それでも昼飯のパン代を流用したり、友人知人からレコードを借りてはカセットコピーして、なんとか天才の偉業に接してみれば、そこには述べるまでもなく、物凄いジミヘンの世界が繰り広げられていました。
 
もちろん、十人十色の好き嫌い、そして演奏や録音の良し悪しが常に議論の対象になるが如き諸問題は、そこに確かにありました。
 
しかし、サイケおやじの場合は、何を言われたって、バンド・オブ・ジプシーズよりは好きっ!
 
なぁ~んて、今から思えば、とんでもなく不遜な戯言を弄していたのですから、お恥ずかしいかぎりです。
 
というよりも、前述したジミヘンの遺作音源があまりにもサイケおやじの好みだったもんですから、正直バンド・オブ・ジプシーズのライブアルバムは、ど~でもよくなっていたという、これまた大バカヤローだったわけです……。
 
で、そんな頃に邂逅したのが、いきなりの新譜扱いで発売された「カルロス・サンタナ&バディ・マイルス! ライブ! / Carlos Santana & Buddy Miles ! Live ! 」と題されたLPで、これはサンタナの主要メンバーとバディ・マイルスの一味がジャムったステージライブ音源から作られた、なかなか熱い1枚だったんですが、中でもバディ・マイルスの熱血シャウトと迫力のドラミングに対峙するカルロス・サンタナの泣きじゃるギターが本当に最高で、毎日夢中になって聴いていたんですが、ある日、うっと呻いて(?)気がついたのが、これって、バンド・オブ・ジプシーズじゃ~ねぇ~かなぁ~~?
 
という、まさに目からウロコ状態で、そのまんまの勢いから以前にテープコピーしていた件のカセットを再生してみれば、このジミヘンはっ!? このバンド・オブ・ジプシーズはっ!?
 
その時になって、ようやくバンド・オブ・ジプシーズとジミヘンがやろうとしていた何かが伝わって来たような気持ちにさせられましたですよ。
 
速攻で中古屋を巡り、遅ればせながらバンド・オブ・ジプシーズのアルバムをゲットした事は言うまでもありません。
 
そして心を入れ替えて(?)LPに針を落としてみれば、まずはA面初っ端の「Who Knows」がライブアルバムのド頭とも思えぬ、本当に何気ない感じでスタートするという脱力系なんですが、曲が進行していく中で、やっぱりジミヘンのギターは猛烈に弾けていますし、なによりもバディ・マイスルとジミヘンのツインボーカル体制があればこそ、極めてソウルミュージックに接近したハードロックという趣向は、当時としては、なかなかに新しかったんじゃ~ないでしょうか。中盤の展開ではバディ・マイルスのスキャット気味のファルセットや後半におけるジミヘンの爆裂ギターソロにも、今となっては面白く聴ける以上の興味深さを感じてしまいます。
 
ですから、続く「Machine Gun」ではジミヘン主導による擬音大会というか、ギターやドラムスによる爆発音や機銃掃射の如きSE(?)を用いての演出とナチュラルなロックのフィーリングが充満したアドリブ主体の展開にはゾクゾクさせられてしまいます。と同時に、このトラックでは不思議な浮遊感も捨てがたい魅力で、それが最後には呆気ないほどのエンディングに結実させるための手段であったのならば、なかなかクールな目論見と思うばかり!?
 
ちなみに、このA面2曲はモノラルに近いミックスになっていて、特に「Machine Gun」ではビリー・コックスのベースが淡々としている事もあり、もっとツッコミが欲しいと願ったのがサイケおやじの初聴時の気持ちでありましたが、同じパターンを執拗に繰り返すリズムやビートで作り出されるグルーヴは、既に黒人音楽のひとつの典型になっていた所謂ファンクの常套手段に近いものがありますから、聴いているうちに、そ~した覚悟が自然に決めさせられるところが凄いんじゃ~ないでしょうか?
 
その意味でB面は相当に分かり易くなっている印象で、楽器の定位はちぐはぐながらも、それなりにステレオミックスになっていますし、まずはシングルカットもされていた「Changes」におけるソウルミュージックがモロ出しの展開は、特に観客を煽るバディ・マイルス、それに共謀するジミヘンのギターという仕掛が、明らかにエクスペリエンス時代とは異なる勢いを演出しています。
 
それは次の「Power Of Soul」でますます顕著になり、なんとっ! 珍しくも変拍子を入れた曲展開の中でウネリまくるビリー・コックスのベースにノッケから泣いているジミヘンのギターは嬉しいところですねぇ~~♪
 
また「Message To Love / 恋のメッセージ」は、この時期のジミヘンがライブでは定番にしていた演目のようで、幾つかのライブ音源が正規に出回っているんですが、ここでのジミヘンのギターはガッツ溢れるというか、個人的には名演だと思うのですが、いかがなものでしょう。
 
あぁ~、このあたりまで聴き進めていくと、その場の聴衆と共に盛り上がっている自分を感じるのは、ようやくバンド・オブ・ジプシーズに素直になれた証かもしれません。
そしてオーラスの「We Gotta Live Together」はフェードインして始まる、これまたソウル系ハードロックとは言いながら、客席との一体感を求めるバディ・マイルスは些か浮いている感じが……。ただし、ジミヘンのギターからは鬼神の如き凄みが発散されていて、実は今日では明快な回答になっいるとは思いますが、当日のライブステージでは「Voodoo Child」に続けて演じられていたという真相がありますから、それも当然だと思います。
 
ということで、ハッと気がつくと、サイケおやじは、最初は違和感を覚えていたこのバンド・オブ・ジプシーズのライブ盤に何とも奇妙な魅力を感じ、グッ惹きつけられていました。
 
そして1974年になって聴く事が出来たアイズリー・ブラザーズのライブ盤で、またまたバンド・オブ・ジプシーズ症候群を患ってしまったのが、サイケおやじの本性であります。
 
最後になりましたが、本日掲載したジャケットはバンド・オブ・ジプシーズの英国盤LPのものであり、通称パペットカバーと言われるとおり、ジミヘン以下、その隣にはブライアン・ジョーンズとボブ・ディラン、手前にはイギリスの有名DJだったジョン・ピールを模した人形が登場しているという、なかなかのお楽しみ盤で、現在ではかなりの高値が付いているとはいえ、1970年代には中古でも入手は容易でした。
 
つまり、その頃は、それだけ売れていながら、実は人気薄だったのがバンド・オブ・ジプシーズの存在だったような気がします。
 
しかし、近年は再評価というか、ビリー・コックス&バディ・マイルスと組んだトリオ編成のバンド・オブ・ジプシーズが本当に短命であったという現実も踏まえての事もあるようで、機会を窺うようにしては発掘&再編集された音源が出されるのですから、全ては聴いての結果オ~ライ?
 
……続く。
 
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春を待たずに逝ってしまったりりィ姐さん

2016-11-11 16:01:54 | 日本のロック
家へおいでよ c/w オレンジ村から春へ / りりィ (東芝)
 
りりィ姐さんの訃報に接しました……。
 
闘病中だったとはいえ、享年64歳は早すぎるとしか……。
 
本当に言葉もありません。
 
掲載したのは追悼の想いで針を落とした、昭和51(1976)年のヒットシングルです。
 
A&B両面共にりりィ姐さんの自作なんですが、「家へおいでよ」は基本歌謡フォークに坂本隆一がジャズファンクなアレンジを施した所謂「和グルーヴ」の傑作と最近は評価も高い名唱にして名演♪♪~♪
 
もちろんバックはバイ・バイ・セッション・バンドだと推察出来ますので、安心して身も心も委ねてしまいますし、ミディアムテンポで特有の「節」を聴かせてくれるりりィ姐さん、最高ぉ~~♪
 
一方、B面扱いの「オレンジ村から春へ」は、当時某化粧品メーカーのCMタイアップ曲として、こちらは陽気なカントリーロックになっていますが、りりィ姐さんのハスキーボイスを無駄にしない国吉良一のアレンジが良い感じ♪♪~♪
 
テレビから頻繁に流れていた所為もあるんでしょうが、個人的にはたっぷりと刷り込まれています。
 
ということで、本日は衷心よりお悔やみを……。
 
りりィ姐さん、どうぞ安らかに……。
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