OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の弐

2016-11-10 17:23:57 | Jimi Hendrix
Band Of Gypsys (Capitol / Track / Poldyor)
 
 A-1 Who Knows (1970年1月1日:1st show)
 A-2 Machine Gun (1970年1月1日:1st show)
 B-1 Changes (1970年1月1日:2nd show)
 B-2 Power Of Soul (1970年1月1日:2nd show)
 B-3 Message To Love / 恋のメッセージ (1970年1月1日:2nd show)
 B-4 We Gotta Live Together (1970年1月1日:2nd show)
 
1970年9月18日、ジミ・ヘンドリクス=ジミヘンはロンドン市内のホテルで意識不明のまま発見され、救急搬送されたものの、同日午後には死亡が認定されました……。
 
ですから、同年春に発売されたバンド・オブ・ジプシーズ名義のライブアルバムは、ジミヘンが生前に出した最後のLPになるわけですが、それとて決して本人が望んでいたものではないという説もあるほど、バンド・オブ・ジプシーズを巡る諸事情は錯綜していたようです。
 
ちなみに前回も述べましたが、当時の我が国の洋楽に関する情報は現代とは大違いに遅れていて、頼りは洋楽雑誌かラジオ、あるいは僅かではありますが、そんな話題を扱っていたテレビ番組ぐらいしか無く、ジミヘン死去のニュースにしても、その詳細は直ぐには伝えられなかったわけですが、皮肉な事にと書けば不謹慎ながら、天才の悲報後には、それまで知り得なかった内幕も含む諸々が次々に公にされ、サイケおやじが以下に記すのは、それを独断と偏見により推察したものとお断りさせていただきます。
 
で、その中でも一番の難題になっていたのが、ジミヘンが無名時代に交わした契約関係の処理であり、この天才ミュージシャンを最初に大きく売り出したマネージャー兼プロデューサーのチャス・チャンドラーは、ジミヘンが大ブレイクする過程において、様々に多かったそれらをクリアしていく作業に追われていたのですが、ど~しても残ってしまったのがニューヨークにあったPPXプロダクションとの関係であり、結局は和解案としてLP1枚分に相当するジミヘンの新作音源の権利を渡すという決着に至るのですが、肝心のレコーディングが遅々として進まないのが1969年のジミヘンでありました。
 
なにしろ前年に出した傑作アルバム「エレクトリック・レディ・ランド」に多額の製作費を使ってしまった事から、集金目的の巡業公演は過密であり、また件のセッション時に多士済々のミュージシャンと共演したことから、エクスペリエンスというレギュラーバンドそのものの存在意義も希薄になり、加えてジミヘン本人の悪いクスリ問題とか……。
 
そして結果的にノエル・レディングが実質脱退してエクスペリエンスは同年6月末に解散!?
 
ジミヘンは直ちに新バンドを組む必要に迫られていたわけで、そこに集められたのが旧知のビリー・コックス(b)、マイク・ブルームフィールドが結成したエレクトリック・フラッグで一躍人気物になっていたバディ・マイスル(ds,vo)、さらにジューマ・サルタン(per)、ジェリー・ヴェレス(per)、ラリー・リー(per) 等々、なかなかの大所帯でリハーサルやレコーディングが行われ、実際のライブ活動にしても、同年8月18日にウッドストックの野外フェスで熱演を繰り広げた事は、同名記録映画で拝観出来るとおりです。
 
ただし、バディ・マイスルについては必ずしも毎回参加というわけではなく、既にバディ・マイルス・エクスプレスと名乗る自分のバンドを率いてた事から、例えば件のウッドストックのように前任者のミッチ・ミッチェルが帰参している場合も多かったようです。
 
また、新バンド名は前述したウッドストックにおいては、ジミヘンが「ジプシー・サン&ザ・レインボウズ、あるいはバンド・オブ・ジプシーズと呼んでくれ」と自己紹介しています。
 
しかし、このメンツによるバンド・オブ・ジプシーズはウッドストック以外では数回しかライブをやれなかったようで、最終的にはジミ・ヘン(vo,g) 以下、ビリー・コックス(b,vo) にバディ・マイルス(vo.ds) というトリオ編成に落ち着き、10月頃からは順次スタジオでのレコーディングも行われていた事は、後々小出しにされたジミヘン名義の発掘盤で確認可能なわけですが、それでも前述したPPXプロダクションとの契約違反に関する和解条件には至らないマテリアルばかり……。
 
そこで当時のマネージメントを仕切っていたマイク・ジェフリーズは、1969年大晦日~1970年元旦の越年コンサートをライブレコーディングし、それをPPXプロダクションに渡すという英断(?)から制作発売されたのが、バンド・オブ・ジプシーズの最初のレコードだったという真相が今に伝えられているのですが、それゆえに仕上がった米国キャピトル盤をオリジナルとするアルバムには、一応のミキシングはジミヘンとエディ・クレイマーが担当しているものの、プロデューサーには「Heaven Reserch Unlimited」のクレジットが残されています。
 
今日では定説となっている、ジミヘンが必ずしも望まなかったレコード云々という逸話は、そ~した内部事情によるものでしょうし、配給がアメリカ以外では従来どおり、ポリドール系列でありましたので、掲載の私有LPは欧州プレス盤です。
 
さて、そこでいよいよ肝心な収録演目については上記のとおり、ライブ盤でありながら、ジミヘンの代表曲やヒット曲を含まない構成になっていて、つまりはバンド・オブ・ジプシーズとしての新曲をウリにした狙いがあるのでしょう。
 
しかし前回述べたとおり、以前のエクスペリエンスとバンド・オブ・ジプシーズでは所謂ノリが明らかに違っていたもんですから、サイケおやじは本当に違和感を覚えてしまい、せっかくジミヘンがギンギンのギターを聴かせてくれているのに、バックのリズムがシンプルな8ビートのドラミングを基軸にしているんじゃ~、なんだかなぁ……。
 
ちなみにこの越年ライブは2日間で4ステージ行われ、総計約50曲ほどがレコーディングされたのですが、サイケおやじには、その全てがPPXプロダクションに渡されたのかは知る由もありません。
 
それでも、既に1970年代初頭から、それらの音源が公式レコード収録のテイクとは別にブートで出回っており、そこではちゃ~んとファンがお好みの人気曲が聴けたのですから、ますますこのバンド・オブ・ジプシーズの正規盤を疎んでしまうサイケおやじのバチアタリは、ど~しようもありません。
 
そんなバカヤローなサイケおやじが、やっと目覚めるのは、1972年になってからでした。
 
……続く。
コメント (1)
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迷い道

2016-11-09 18:07:11 | Weblog

公私共に絶不調のため、本日の1枚は休載ご理解下さい。

実はこれまでストックしていたブログ用の文章と画像ファイルが行方不明というか、フォルダーが明けられないという……。

おまけに仕事は縺れっぱなしです。

あっ、そういえば米国の新大統領にトランプ氏が当確なんですねぇ~~~。

うむ、時代はどんどん流れていきます。

 

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バンド・オブ・ジプシーズの切実:其の壱

2016-11-08 17:23:25 | Jimi Hendrix
チェンジズ c/w 恋のメッセージ / Hendrix Band Of Gypsys (Capitol / Track / 日本グラモフォン)
 
バンド・オブ・ジプシーズは1969年、結果的に解散へ追い込まれたエクスペリエンスの後を受けてジミ・ヘンドリクス=ジミヘンが結成したグループで、レギュラーメンバーとして認められるのはジミ・ヘンドリクス(vo,g)、ビリー・コックス(vo,b)、バディ・マイルス(vo,ds) というオール黒人の3人組なんですが、リアルタイムでは同時期にレコーディグされていながら未発表になっていた様々な音源がそれなりに検証可能な現在、サイケおやじには更なる興味の対象になっていますので、そのあたりのあれやこれやを例によって独断と偏見で書いておこうと思います。
 
で、その発端なんですが、当時の我が国は本当に洋楽の情報が遅れ気味で、前述したエクスペリエンスの解散についても、同年6月の終わり頃にノエル・レディングが帰英したことによる活動停止なのか、あるいは同年8月のウッドストックにおける新編成のバンドデビューによる事後承諾なのか、曖昧なままに翌年にはバンド・オブ・ジプシーズと名乗るジミヘンの新しいバンドがデビューし、そのライブ盤が近々発売されるというニュースだけが先行していたような記憶がサイケおやじには残っています。
 
そしてついにそれが出たのが1970年春、我が国では当たり前に様に遅れて、夏になってからだったんですが、なんとっ!
 
直後の9月にはジミヘンの突然の訃報が飛び込んで来たのですから、実は件のLPを買う余裕も無かったサイケおやじにとっては、どうにか聴く事の出来たバンド・オブ・ジプシーズの演奏が如何にも中途半端で物足りないものに思えていました。
 
それが掲載したシングル盤A面曲「チェンジズ / Changes」であり、歌っているのはバディ・マイルス、しかも演奏そのものがシンプルな8ビートによるソウルミュージックという印象で、そりゃ~確かにジミヘンの強烈なギターは聴けますが、決して主役では無いという……。
 
何よりも一聴して違和感を覚えたのが、ドラムスの単調さであり、何故ならばエクスペリエンス時代の前任者だったミッチ・ミッチェルはツインのバスドラを使い、思いっきり手数の多いドラミングという、当時で言えばザ・フーのキース・ムーンとかクリームのジンジャー・ベイカーのようなドカドカ煩いスタイルで、それがジミヘンの過激なギターと対峙して展開される演奏こそが、世界中を虜にしていたエクスペリエンスの魅力のひとつだとすれば、ここでサイケおやじが初めて聴いたバンド・オブ・ジプシーズは、やっぱり肩すかしだったのです。
 
また、もうひとつ期待外れだったのが、この音源が1969年大晦日から1970年元旦に行われた所謂年越しコンサートからのライブレコーディングだったにもかかわらず……、という点でありまして、実はこれが世に出るまでは、ジミヘンの公式ライブ盤は全く発売されていなかったという真相があったことも「火に油」だったように思います。
 
何故ならば欧米では普通に(?)接する事が出来たジミヘンのライブが我が国では全くの夢幻であり、おそらくはサイケおやじを含む日本のファンがこの頃までに体験出来たのは、1967年のモンタレーフェスにおける記録映像の爆発的パフォーマンスだけであったろうと思いますから、ジミヘンこそが一番にライブに行きたいロックミュージシャンであったという現実は、お若い皆様にも踏まえていただきたいところです。
 
しかも、サイケおやじの場合は現在追体験出来るフィルムの全長版よりも、ずぅ~~っと短いパートだけをテレビの洋楽番組で見ただけという状況でありながら、それでもジミヘン対ミッチという構図と展開には心底シビレさせられ、それこそが我が国でも発売されていたエクスペリエンスのスタジオ録音盤を聴く時の知覚拡大に役立っていたのですからっ!?
 
案の定、日本におけるバンド・オブ・ジプシーズの評価は芳しくない時間が長かったと思うのですが、いかがなものでしょう。
 
告白すればサイケおやじは、そうした第一印象が良くなかった所為で、バンド・オブ・ジプシーズのレコードは後々まで買わず、冒頭に述べた最初のアルバムにしても、友人から借りたLPをカセットコピーしたテープで漫然と聞いていただけでした……。
 
……続く。
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悲愁

2016-11-07 17:50:13 | Weblog

仕事が厳しくなっているのに、サイケおやじの心は弱くなっています。

あぁ……、また鬼のような事しなければならないのか……。

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別れの予感…

2016-11-06 17:48:22 | Weblog

今日は……、気持ちが入りません。

少年時代からサイケおやじが大好きだった叔母が突然倒れたとかで、駆けつけてみれば意識不明……。

昼食時には普通にしていたのに、その後に何故か動けなくなったようです。

生老病死はこの世の真理なれど、せつないです。

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明るいロックのキングスメン

2016-11-05 17:46:04 | Rock
ルイ・ルイ / The Kingsmen (Scepter / テイチク)
 
R&RやR&Bの進化系としてのロックは、何も難しい事ばっかりをやっていたのではなく、むしろシンプルだからこそ白人若年層にウケていた曲が少なくありません。
 
キングスメンと名乗るアメリカの白人バンドが1963年に大ヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「ルイ・ルイ / Louie Louie」も全くそのひとつとして、今日まで幾多のカバー作が世に出ている事を鑑みても、白人音楽としてのロック成立の土台だったと比定出来るような気がするほどです。
 
しかしサウンドの要は楽曲だけを聴いていると、なかなか黒人っぽい雰囲気が強く出ているわけで、おまけに所謂ガレージとか、後のサイケデリックという、とにかくロックが遮二無二盛り上がっていた勢いがそのまんま、シングル盤という素晴らしきメディアに収まっているところも素敵なんですねぇ~~♪
 
とにかく何を歌っているのかしっかりとは聞き取れないボーカルの節回し、繰り返すリフの快感、トンパチなギターソロ、ガサツなドラムスの響き等々、全篇がノーテンキな明るさに満ちているのも最高だと思います。
 
ちなみにキングスメンはレコードのジャケ写や洋楽雑誌に掲載のスチールショットを見る限り5人組のグループであった事は分かりますが、そのメンバー構成はバンド結成時から出入りが相当にあったようで、それでもこの「ルイ・ルイ / Louie Louie」を大ヒットさせた1963年の時点ではリン・イーストン(vo,sax)、マイク・ミッチェル(g)、ノーム・サンドホーム(g,b)、ドン・ガルーシ(org)、ゲリー・アボット(ds) という顔ぶれだったと思われますが、実は我が国でキングスメンの「ルイ・ルイ / Louie Louie」が大っぴらに発売されたのは1966年、つまりは昭和41年という、我が国ではエレキやGSのブームが日々拡大膨張していた頃でしたので、サイケおやじもラジオから流れ出す洋楽ヒットの中でも突発的にロックしていたと感じたのがキングスメンの「ルイ・ルイ / Louie Louie」でありました。
 
そして実際、日本のGS系のバンドではプロアマを問わず、これが定番演目のひとつになっていたような記憶さえ残っているほどです。
 
しかし肝心のキングスメン本隊は既に述べたとおり、この時点までにメンバーの出入りが数度あり、掲載盤ジャケット裏の解説では、前記した編成からバリー・カーティス(org) とディック・ピータースン(ds) が交代参加したバンド紹介が載っています。
 
また、この類のグループのレコードでは、実際の録音セッションでバンドメンバー以外の助っ人ミュージシャンが演奏しているのでは?
 
という疑惑が常につきまというのが音楽産業の実情ではありますが、個人的にはキングスメンの他のレコード、特にLPを聴いてみると、それほど違和感の無い、良い意味でトーシロなフィーリングが貫かれているように思いますし、後に知ったところでは、キングスメンは結成からレコードデビューした後でも、学生相手のダンパやライブステージの仕事がメインだったそうですから、現場主義の纏まりが例え稚拙と軽く扱われたとしても、それゆえのロックっぽさこそがキングスメンの魅力だと思います。
 
それと「ルイ・ルイ / Louie Louie」には多くのカバーバージョンが存在する中にあって、サイケおやじが叶わぬ夢と知りつつも、もしもストーンが演じてくれたならっ!?
 
なぁ~ていう妄想を抑えきれないのが、これまた「ルイ・ルイ / Louie Louie」という楽曲の持つ魔力かもしれませんねぇ~♪
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あぁ…、仕事で

2016-11-04 19:34:42 | Weblog

出張移動中のため、本日の1枚は休載、ご理解願います。

深夜には帰着出来そうなので、明日は予定どおりの予定という、いやはやなんとも自嘲するばかり……。

失礼致しました。

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今だからこその伊東きよ子

2016-11-03 18:16:38 | 歌謡曲
花のマドンナ c/w 廃墟のバラ / 伊東きよ子 (CBSソニー)
 
昭和40年代前半の我が国歌謡界はグループサウンズと歌謡フォークが新しいブームになっていた事から、些か立ち位置が曖昧な歌手も大勢登場していたという印象なんですが、サイケおやじにとっての伊東きよ子は、まさにその両方の味わいをしっかりと感じさせてくれます。
 
で、掲載したのは昭和43(1968)年に発売された彼女のシングル盤なんですが、まずは作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平が提供したA面曲「花のマドンナ」が、ちょっぴり演歌っぽいフォークロックというか、サウンドの狙いにはママス&パパスみたいなアメリカ西海岸系の味わいが滲み、それでいてメディが妙に民謡っぽいような、しかし本当のところは歌謡曲が保守本流で表出されたとしか言いようのない、本当に不思議な歌と演奏が楽しめますよ♪♪~♪
 
勘違いかもしれませんが、これ以前の彼女のシングル曲「リンゴの花咲くころ」の二番煎じとは決して言いたくはありません。
 
それはサイケおやじが小理屈を垂れ流してしまった前述の文章よりも、ずぅ~~っとキャッチーな仕上がりになっているのは言わずもがな、リアルタイムではGS歌謡でもあり、また歌謡フォークとしても堂々のヒットになっていたのですから、今になっても聴く度に新鮮な気分になりますねぇ~~♪
 
とにかく力強い演奏パートのグルーヴだけでも、特筆物でしょう、これはっ!
 
一方、B面に収録の「廃墟のバラ」は作詞:山上路夫&作曲:シンプソンが提供のモロに歌謡フォークした裏名曲なんですが、意外にも(?)ポップなアレンジは筒美京平の的確な仕事だと思えば、これはこれでサイケおやじが好きな歌になっています。
 
ということで、伊東きよ子は根強い人気が続いている歌手だと思いますが、逆に言えば一般的な認知度はイマイチかもしれません。
 
歌声や節回し、そして残した楽曲の味わいに個性が強過ぎる所為と言えば、それまでなんでしょう。
 
しかし今でも新鮮さを失わないのが彼女の歌の魅力であり、全く伊東きよ子という歌手を知らずに、その残された楽曲を何かの機会に聞けたとしたら、必ずや歌っているボーカリストが気になるんじゃ~ないかなぁ~?
 
僭越ながら、サイケおやじはそんな確信を抱いているのでした。
コメント (2)
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愛しのミニー・リパートン

2016-11-02 18:22:04 | Soul
Lovin' You / Minnie Riperton (Epic / CBSソニー)
 
大衆音楽が殊更多様化した1970年代は、それこそ日々新しいリズムやビート、そしてメロディが溢れていた幸せな時代だったと思いますが、それゆえにリスナーは混濁した情報に惑わされ、極言すれば活字メディアや各種放送媒体に惑わされる結果として、レコードを買わされ、ライブコンサートのチケット争奪戦を演じていたんですが、最終的には自分の耳だけが頼りという真実はひとつ!?
 
サイケおやじにそれを痛感させてくれたのが、ミニー・リパートンが歌ってくれた本日掲載のシングル盤A面曲「Lovin' You」でありました。
 
既に皆様ご存じのとおり、この歌は小鳥のさえずりのSE、アコースティックギター、キーボードだけのシンブルな演奏をバックにミニー・リパートンが慎ましくもハートウォームな節回しと澄んだボーカルを聞かせてくれる美メロ曲♪♪~♪
 
ですから、冒頭に述べたように様々な歌や演奏がゴッタ煮状態の中にあって、ふとした機会にミニー・リパートンの「Lovin' You」が流れて来た時の鮮烈さは、ハッとするほど良い感じでしたねぇ~~♪
 
サイケおやじが忽ちにしてレコードを買ってしまったのは言わずもがな、それは世界共通の快感であったらしく、アメリカのヒットチャートでも堂々のトップに輝いています。
 
そしてミニー・リパートンは1975年、この一撃で完全な大スタアになったのですが、楽曲そのものは前年に発売されていたLP「パーフェクト・エンジェル」からのカットであり、アルバムバージョンよりもエンディングが早くフェードアウトしているのは賛否両論でしょうか。
 
ちなみに彼女は決してピカピカの新人ではなく、子供の頃にはオペラの勉強もしていたそうですが、本格的に音楽業界へ入った時は幾つかのグループでボーカルを担当し、中でもロータリー・コネクションと名乗るグループでの諸作は、その幾つかがこの「Lovin' You」のヒットに便乗して我が国へも輸入され、もちろんその時は既に廃盤扱いだったので、所謂カットアウト盤が安値で売られていましたし、一応ソロアルバム扱いになっていた「カム・トゥ・マイ・ガーデン」のタイトルを附されたLPも再発(?)されていましたが、個人的にはイマイチ……。
 
それはもちろん皆様がご推察のとおり、この「Lovin' You」を含むアルバム「パーフェクト・エンジェル」には、根底から基本的要素が異なる制作方針があったようで、なんとっ! プロデュースがスティーヴィー・ワンダーなんですねぇ~~~!
 
また、同曲の作詞作曲はミニー・リパートン&リチャード・ルドルフという実社会の夫婦である事もハートウォームなポイントかもしれません。
 
なにしろ歌詞を聴いてみれば、愛する相手が恋愛対象でもあり、また自分の子供への無上の愛でもあるという、まさに普遍の真実ですからっ!
 
ところでスティーヴィー・ワンダーとの関係については諸説がある中で、ミニー・リパートンはスティーヴィー・ワンダーの巡業ライブ用のコーラス隊であるワンダーラヴに参加していたのが1973年だったそうですから、そこで親分に認められたんじゃ~ないでしょうか。
 
なんたって、「Lovin' You」で大ブレイク時のウリ文句が「5オクターブを歌う」ってなもんでしたから、その声質を活かすべく、演奏はシンプルに、そしてメロディは愛らしくという企画は大正解だと思います。
 
しかし好事魔多し!
 
せつなくも悲しい現実として、彼女は癌に侵され、闘病余儀なく……。
 
それでも充実したレコーディングを残しつつ、1979年夏に早世しています。
 
享年31歳、しかしミニー・リパートンが聴かせてくれた歌声は未来永劫、決して忘れられることはないはずです。
 
それは現在でも、彼女のアルバムが売れ続け、また同時に「Lovin' You」がスタンダードな人気曲になっている事でも明らかでしょう。
 
その生涯を知ってしまえば、特に「Lovin' You」という素敵な愛の歌に一抹の寂寥感や儚さを感じてしまう気分は否めないものがありますが、それゆえに尚更愛おしいのがミニー・リパートンの歌声だと思っております。
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歌謡コーラス+黒人メリスマの魅力

2016-11-01 18:07:27 | 歌謡曲
君だけが c/w 君は何処から来たの / ザ・キング・トーンズ (ポリドール)
 
歌謡曲と黒人R&Bの相性が良いことは、名曲名唱が既に今日までに数多残されて来たことで証明済みだろうと思います。
 
キング・トーンズが昭和45(1970)年早々に出した本日掲載のシングル盤A面曲「君だけが」も、如何にもその常道に徹した作風が好ましく、とにかくイントロからずう~っと繰り返されるギターリフがたまらなく最高なんですねぇ~~♪
 
それはテンプテーションズやミラクルズ等々のモータウン勢、あるいはスタックス周辺のサザンソウルでも定番として使われた手法であり、ルーツを探索すれば黒人ゴスペルの世界へも通ずると云われていますが、それが歌謡曲でも違和感を覚えさせれられないところにキング・トーンズの黒人音楽に対する真摯な姿勢を感じてしまいます。
 
ちなみに製作スタッフは作詞がキング・トーンズのメンバーのひとりたる加生スミオ、そして作曲:むつひろし&編曲:早川博二という鉄壁の布陣というのも納得されますねぇ~~♪
 
随所に演歌系のコブシ、もちろん本来は黒人ゴスペル所以のメリスマの応用なんでしょうが、そのイナタイ味わいの程好さも良い感じですし、内田正人のスカイテナーも冴えまくり♪♪~?
 
ところで、曲の中間部での「チュチュチュパヤパヤ」のコーラスは女性なんですかねぇ~~?
 
そんなところもサイケおやじが大いに好むところであります。
 
さて、一方のB面曲「君は何処から来たの」がちょいとクセモノというか、作詞&作編曲の全てを加生スミオが担当したのも意味深な、これがなんとっ! 当時既にブームが盛り上がっていた歌謡フォークにグッと接近した曲調でして、最初からスローテンポの物悲しいメロディが内田正人ではない、誰かメンバーのリードで歌われ、サビで雰囲気を変えるべく登場する内田正人のスカイテナーが尚更に印象的という構成と仕上がりは、なかなか面白く聴けますよ。
 
ただし告白させていただければ、リアルタイムでのサイケおやじは、こんなダークダックスみたいな曲はなぁ……、と不遜にも思ってしまったわけでして、いやはやなんとも正直な気持ちっても、後々はせつなさに変化するものと勉強させられましたです。
 
ということで、本日キング・トーンズを取り出したのは特段の意味合いも無いんですが、最近は妙に黒人コーラス物を聴きたくなっているのも本音ですので、ひとつよろしくお願い致します。
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