九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

安倍さん、パール判事の長男と会談へ      ネット虫

2007年08月17日 23時32分27秒 | Weblog
 今日の中日夕刊に安倍さんが、今月末のインド訪問で貴重な時間をさいて、パール判事の長男と会談したり、東条英機氏と交流のあったインド独立の英雄の子孫と会って話し合うという。
 しがみついている「戦後レジューム脱却」の追憶の旅なのか?
記事にあるように、安倍さんは昨年の予算委員会で「A級戦犯の方々は平和に対する罪で裁かれたが、それはその段階で新たに作られた概念にすぎない。」とのべさらに「誰にどんな責任があるかは、歴史家に任す。」とのべている。
 しかし今回公式な訪問外交で上記のような人々に会うということは、明らかに日本国の首相の歴史観を披露している行動である。
 そして「この事がアジア各国にどう映るか考えているのだろうか。」と問いかけている。
 私もまったく同感である。インドとはもつと大切なことを話し合わなければならないだろう。自分の歴史観を自己満足させるために貴重な時間をつかってほしくないのである。
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「駆けつけ警護」は、誰の真似?  楽石

2007年08月17日 19時20分40秒 | Weblog
イラクに派遣された陸上自衛隊の指揮官だった佐藤正久氏は、
当時現場では、「駆けつけ警護」を行う考えだったことを
JNNの取材に対して明かしました。 
 
「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、
何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、
ものすごく出ると思います」 
 
さらに佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、
「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」
という状況を作り出すことで、
憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます。 
 
「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。
目の前で苦しんでいる仲間がいる。
普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護 に)行ったと思うんですけどね。
その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」

   

これって、どこかで聞いたような言説ですね。

日本軍が天皇の意向を無視、どんどん戦線を拡大していった
あの当時の軍人の言い訳と同じ。

日本の軍人の悪いDNAを持った人ですね。
そんなこと言ってると、東京裁判ですよ、佐藤さん。



    
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南京事件と報道について、など  へそ曲がり

2007年08月17日 17時49分56秒 | Weblog
 たまにしか帰宅出来ないので、どうしても遅くなってしまいます。お許し下さい。3回分の投稿を1つにしてしまいました。


・その 1

 7月13日付の「楽石」さんの投稿「保守系さんの方法論」をめぐって、もう1つ「南京事件」と「報道」についても意見参加をしたい。

「保守系」氏はこんなことを述べている。

“何故日本人は戦後になるまでこの虐殺を知らなかったのでしょうか。まず報道管制が行われたのは、もっと後のからです・・・”

1 そこで当時の「言論統制」がどんなものであったか、次の内容をみなさんに紹介してほしい。「南京事件」だけはこの適用から外されていたとか、大宅壮一・西条八十・草野心平・石川達三・林芙美子などはこのことを知らなかったとでも言われるのか、ぜひ立証してほしい。

・1928年5月21日 内務省警保局長より各庁府県長官宛通牒 「軍事活動写真フィルム検閲に関する件」
・1937年7月13日、内務省警保局図書課「時局に関する記事取扱に関する件」
・1937年8月2日、憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」
・1937年8月13日 内務省警保局図書課長より警視庁特高部長殿 府県警察部長殿 通牒
・1937年10月14日 陸軍省報道検閲係長通牒 「戦死傷者名を新聞紙上に多数羅列せざる様指導相成度件」      などなど

 
 また、こんなことも述べている。

“また本当にこの虐殺があったなら、何故当時の国際社会は問題にしなかったのでしょうか?・・・・・それなのに報道がされていないのです。唯一、ニューヨクタイムスがあったと報道されているようですが・・・・”

2 「唯一」というのは誰が言っているのか、その人の名前と出所を教えてほしい。また、次の報道を調べて紹介し、“ニューヨクタイムスだけ・・・”ということを立証してほしい。

・シカゴ・デイリー・ニューズ         1937年12月15日
・ニューヨークタイムズ            1937年12月19日
・ニューヨークタイムズ            1938年1月9日
・マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー 1938年2月11日



・その 2 

 8月11日付の「保守系」氏のコメントにはいつもながらのおかしさが沢山ある。3つほど挙げよう。

1“曽野綾子さんの調査は凄いものですから・・・・・”、“住民からも・・・・・定説を覆す証言が相次いでいる”とのこと。
 曽野氏の言う「証言を覆す証言」を覆す証言が今回いっぱい出ていることを彼女はどう見ているのか。
「06年度教科書検定問題」以後にどんな「凄い調査」をしたのか、また、しようとしているのか、その「凄さ」の中身をぜひ知りたいものである。
 とりわけ、“面識がある”というのなら、直接尋ねた上で反論したらどうか。
 いくら“信用している”と言われても、あれではさっぱり分からない。
 
2“アドルフ・アイヒマンがユダヤ人虐殺の「責任者」であった”とのこと。大江健三郎さんが本当に「責任者」と言っているのだろうか?大江さんの発言をもっと詳しく紹介してほしい。
 アイヒマン自身は“自分は命令されたことを実行したに過ぎない”と言っていたはずである。
 私の記憶では、ユダヤ人虐殺の「最高責任者」はハインリッヒ・ヒムラーのはずであるが・・・・。
 
3“この裁判の行方次第にしましょうか”と言っているが、初めは“判決は出された”と言っていたはずである。どこで取り消したのか。



・その 3

 月刊雑誌「現代」の9月号の中に「私の護憲論 2」という論稿があった。ジャーナリストの「立花 隆」氏のものである。
 この中で立花氏は、憲法第9条は当時のGHQ側から言い出したのではなく、日本側の当時の首相「幣原喜重郎」氏がマッカーサーとの対談の中で持ち出したことを立証しようとしている。
 そのために立花氏は以下の資料を出して来ている。
1 入江俊郎氏の回想「憲法成立の経緯と憲法上の諸問題」
 ※ 入江氏は当時法制局次長及び局長として新憲法作りにおいて日本側の中心的な役割を果たした人。後に最高裁判事を務めた。
2 1950年、国会議員団が戦後初めて渡米した際、マッカーサーとの会談の中で、議員団に語った内容。
3「マッカーサー大戦回顧録」及び退官後の「米上院軍事外交委員会聴聞会」での証言
4 1946年2月4日、マッカーサーから出された、いわゆる「マッカーサー・ノート」などなど

 そして、“幣原発案説はマッカーサーだけでなくアメリカの他の証言者からもいろいろ出てきます。憲法9条の発案者はマッカーサーなのか、幣原なのか、アメリカの押し付けなのか、そのあたりの議論は次号でまとめてします。”と結んでいる。
 どんな内容が出てくるか、楽しみである。
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犬死が英霊となる真夏の日

2007年08月17日 15時42分08秒 | Weblog
こんなブログを見つけました。楽石


 終戦記念日にはいつもながら暑い中同じようなこと
 が繰り返される。
 戦没者追悼式を始め、各種イベントが行なわれる。
 この日をなぜ祝日にしないのかと思う。
 夏休みでお盆休み中だから、実質は同じようなもの
 だが、この日が日本にとってもアジアいや世界に
 とっても大きな節目の日であったことは確かだ。
 多分、敗戦記念日でもあるから、反対する人もいた
 のだろう。
 大多数の日本人にとっては、この日を境に平和と
 復興、繁栄の全く新しい生活がが始まったはずだ。
 昨夜から連続でNHKテレビが特集を組んでいたの
 で見た。
 東京裁判を扱ったものであった。NHKがこういう
 問題にどこまで踏み込んでいくのか興味は
 あったが、結果的には予想通り失望というより、
 戦後レジームからの脱却を言う人たちの圧力を
 大きく受けた内容であった。第一話の昨夜は
 A級戦犯、東条英機が思慮深い悲劇の求道者の
 ような扱われ方をしていた。文官の広田弘毅なら
 まだ分かるが。
 第二話の今日は、インドのパール判事(勝者が敗者
 が裁くことの不当性から、日本は無罪だと主張した
 連合国側唯一の判事)の人と成りと見識の高さを
 細かく追跡していた。
 ある面は真実で頷けるところもあるが、全体には
 日本としては、しかたのない戦争だった、
 指導者もがんばり苦しんだので、国民もみんなで
 反省しましょう。という感じですっきりしない。
 戦後はまだまだ終っていない。

  犬死が英霊となる真夏の日
    (アルバトロスより)

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「テロ特措法」「イラク特措法」とは? 知って反対しよう!   お節介屋

2007年08月17日 12時23分19秒 | Weblog
 ※イラク特措法とテロ特措法の復習です。
                          
    ●「テロ特措法(テロ対策特別措置法)」

2001年9月の米国同時多発テロを受け、日本が、米国の対テロ軍事行動を支援するための法律。

 実際には、米国のアフガニスタン報復攻撃の後方支援に当たっている。

 01年11月、2年間の時限立法として成立。03年、05年、06年の3回、期間が延長された。  4回目の延長となる07年11月、夏の参院選で参議院で過半数となった野党の民主党が反対し、延長の改正案が否決される可能性が高い。

 01年11月、テロ特措法成立を受け、米軍支援・アフガニスタン難民支援のための自衛隊派遣基本計画が、閣議決定した。

 基本計画では当初、米軍支援は半年間に限られ、派遣自衛官も1380人以内、艦船5隻以内、航空機8機以内との制限があった。

 自衛隊は半年ごとに派遣延期が続いている。

 03年にイラク戦争が勃発し、当時の小泉内閣は03年10月に2年間の延長を閣議決定。05年10月に1年、06年10月も1年延長した。

 日本の最大の貢献は、インド洋上での無料のガソリンスタンド役。アフガン攻撃の多国籍軍である米英など10カ国の艦船に対し、自衛隊の艦艇2隻が無償の燃料補給をしており、「給油活動は、あの地域における重要なテロ対策 と位置付けている」(政府)。

 しかし、イラク攻撃に向かう米艦艇への燃料補給が、戦争への事実上の参加につながっているのではないかという批判が強く、 海外での武力行使を禁じた憲法違反ではないかとの疑念がぬぐえない。

 ほかに、海上自衛隊の艦艇で物品や建設用重機、避難民救援物資の運搬をしている。  航空自衛隊も在日米軍基地とグアムの米軍基地を結び、米兵や物資を輸送する後方支援をしている。

 07年11月に期限切れになることから、再延長を主張する自民党と、反対する民主党が対立。

 8月、駐日米国大使が小沢代表と会談した際、法の延長を求める大使に対し、小沢代表は「国連決議のないまま米軍が始めた戦争」として拒否の構えを崩さなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ●「自衛隊イラク派遣」           

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
自衛隊イラク派遣(じえいたいイラクはけん)は、イラク戦争初期の2003年(平成15年)12月から、イラクの国家再建を支援するために行なわれている日本の自衛隊派遣行為の総称。

派遣はイラク特措法によるもので、活動の柱は人道復興支援活動と安全確保支援活動である。活動は非戦闘地域に限定されているが、自衛隊創設以来、初めて戦闘地域との論議のある地区に陸上部隊を派遣した。

陸上自衛隊は人道復興支援のため、比較的治安の安定したイラク南部の都市サマーワの宿営地を中心に活動したが、2006年(平成18)7月に撤収した。航空自衛隊は現在も輸送活動を続けている。

自衛隊イラク派遣は日本国憲法を根幹から見直す・考える問題に発展し、イラク派遣は今後の安全保障といった日本の将来に関わる重大な派遣と位置づけられている。先進国である日本が果たすべき国際貢献とは何なのか、軍事力の行使以外の方法で国際貢献はできないのか、そもそも「軍事力の行使なし」という前提で考える国際貢献など急速な事態に即応できない、などの国民全体を巻き込んだ論争を生む。論争は、今後の日米関係、日本とイラクの関係、国際協調とは何かなどと幅広い。

目次 [非表示]
1 派遣内容
1.1 規模
1.2 活動内容
1.3 派遣部隊の交代
1.4 部隊編成
1.5 表彰
2 経緯
2.1 2003年(平成15年)
2.2 2004年(平成16年)
2.3 2005年(平成17年)
2.4 2006年(平成18年)
2.5 2007年(平成19年)
3 サマーワの反応
4 サマーワ・ムサンナー県の治安状態
5 マスコミ報道
6 論点
6.1 前提となる主張
6.2 派遣そのものについて
6.3 派遣延長について
7 参考資料
8 関連項目
9 外部リンク



[編集] 派遣内容

[編集] 規模
派遣期間 - 平成15年(2003年)12月15日~平成16年(2004年)12月14日まで(基本計画上)
平成16年(2004年)12月9日に基本計画の1年延長を決定。
平成17年(2005年)12月8日に基本計画の1年延長を決定。
平成18年(2006年)6月20日に陸上自衛隊のみ撤収を命令。
人数
陸上自衛隊 約550人(基本計画で600人以下と制約)
海上自衛隊 約330人
航空自衛隊 約200人
派遣機材
航空機 - C-130H(輸送機)
艦艇 - 輸送艦おおすみ、護衛艦むらさめ : (基本計画上艦艇2隻以内および護衛艦2隻以内)
車両 - 浄水セット、野外手術システム、ドーザ、掩体掘削機、グレーダ、グレードローラ、トラッククレーン、各種施設機材、軽装甲機動車、96式装輪装甲車、高機動車など200両以内
携行火器 - 9mm自動拳銃、9mm機関拳銃、89式5.56mm小銃、5.56mm機関銃MINIMI 、84mm無反動砲、110mm個人携帯対戦車弾
宿営地 - ムサンナー県サマーワ郊外(北緯31度16分・東経45度13分)、広さ約350ha
費用(予算) - 不明

[編集] 活動内容
陸上自衛隊
陸自によるサマーワでの活動の3本柱は「給水」「医療支援」「学校・道路の補修」の人道復興支援活動である。

2005年(平成17)1月現在の状況

給水
約5万1770トン(1日平均200トン、多い日で250トン以上を給水)
自衛隊が供給していた浄水装置の10倍強の浄水装置6基の寄贈、設置。
医療支援
医官らがサマーワ総合病院を筆頭に、6つの病院で医療機材の使用法などの医療技術の指導。(89回)
学校等の公共施設の復旧・整備
学校(完成:11ヶ所、補修中:6ヵ所)
道路(完成:14ヵ所、補修中:3ヵ所)
その他(完成:8ヶ所、補修中:10ヵ所)
現地住民の雇用
公共施設の復旧などで1日平均700人の現地住民を雇用。
復興関連物資の輸送
海上自衛隊
陸上自衛隊の派遣時に、車両約70両などの部隊輸送を艦艇で行なった。(平成16年2月20日~4月8日)

航空自衛隊
空自は主にC-130輸送機による輸送活動が任務。拠点はクウェートのアリ・アルサレム空軍基地におかれ、イラク南部ナシリヤ近郊のタリル飛行場との間を往復していたが、陸上自衛隊のイラク撤収に伴い多国籍軍・国連のための輸送活動が強化され、危険性が高く避けられてきたバグダッド国際空港やイラク北部のアルビルへも活動を広げている。国連の人員・物資輸送は平成18年(2006年)6月20日の計画変更により任務となった。

人道復興支援活動
日本の人道復興支援関連物資や陸上自衛隊が使用する物資・隊員などを輸送。
安全確保支援活動
イラクの治安回復活動に関連した多国籍軍の物資・兵員などを輸送。
兵員輸送と武器・弾薬の取り扱い

武器・弾薬の輸送は行わないとしており(平成15年12月9日小泉首相記者会見)、実施要項のなかでも同様に定められているが、兵員輸送などの際に兵士らが通常携行する小銃などの武器・弾薬は人員輸送の一環として輸送している(平成16年8月2日小泉首相答弁)。
輸送活動の実績(平成16年3月3日~平成19年3月8日)

輸送回数:477回(ここでいう回数とは輸送を行った日数)
輸送物資量:514.107トン

                              
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民主党の動向、新聞ニュース  文科系

2007年08月17日 12時20分32秒 | 国内政治・経済・社会問題
前に予告したように、標記のことについて毎日新聞のニュースをお知らせしたい。他の新聞のこんなニュースも是非教えて欲しい。

毎日新聞はこの14日火曜日から「『逆転』考 衆参ねじれ国会」を連載している。2大政党の主要人物を毎日1人ずつ登場させて、「今後」を語らせているのだ。5面3分の1ほどを使って、奇数回が自民、偶数回が民主となっている。今日まで2回の民主党の幹部の言葉を抜粋してみた。

2回目は民主党参院会長、興石東氏だ。
質問(以下、問とする) どう衆院解散・総選挙に追い込んでいきますか
回答(以下、答とする) (前略)いずれ安倍内閣は立ち往生するに決まっている。首相問責決議案は最後の手段なので、解散に追い込めるところで出します。
問 (テロ特措法について)参院で審議を引き延ばし、11月1日の期限切れに間に合わなくする戦術もありますか。
答 インド洋から自衛隊は撤退しろと言っているのだから、本当に廃案に追い込むならそういう戦術も当然考えられる。
問 小沢代表との関係は。
答 (前略)今度から(小沢、菅、鳩山の)トロイカ会談に私も入る。

4回目の今日は前民主党代表代行、藤井裕久氏
問 小沢代表はテロ特措法の延長に反対を表明しています。
答 (前略)それは日本が(政府の憲法解釈で認めていない)集団的自衛権(の行使)に入り込んだことを意味します。小沢さんが反対するのは当然です。アフガニスタンで将来、国連平和維持活動の形で日本が参加する可能性が必ずしもないわけではないが、治安維持が目的ならダメです。(自衛隊活用の)原則は厳格に考えなければ。
問 98年参院選でも与野党勢力が逆転しました。当時、藤井さんも所属していた自由党は小沢党首が自民党と組む決断を下し、結果的に自民党を助けました。
答 自自連立政権を発足させるにあたり、自民党が自由党の政策を「全部のむ」と言ったんですよ。でも、結局ほごにされ、自民党政権を延命させただけで終わってしまった。小沢さんも「私の失敗だった」と言っている。この轍を踏んではいけない。甘い形での妥協は厳に戒めなければなりません。
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オーマイニュースから   楽石

2007年08月17日 09時27分35秒 | Weblog
こんな記事がありました。


8.15を語る歌人の会に初めて参加した。

 この会は歌人の山田あきさんの呼びかけで始まり毎年8月15日に
開催され今年で17回目になる。

 今年は会社が休みであり今年初めて参加できた。

 司会の丹波真人さんとはコスモスの大会以来30年ぶりの再会ができ、
同じく司会の下村すみよさんとは同じ「炎」の同人ながら初めてお会いできた。

 短歌で訴える平和・朗読紅短歌会は沖縄音楽を演奏し、こんな歌を朗読した。

 赤き血の飛び散る国に住む児らのテレビに写る眼かなしも 山本らつ(大阪)


 尾山宏氏(中国人戦争被害者損害賠償訴訟・弁護団長)による
「戦争のこと戦後のこと」と題する講演、
桜井千代さん他のマリンバ演奏、
短歌リーディング「歌集八月十五日」を読む(構成 沖ななも)
などがあり、その他、次の講演があった。

 わが戦後史として 内藤明氏 (早稲田大学教授)
 私の八月   川合千鶴子氏 (明日香短歌会)
 戦中戦後  川端弘氏 (林間短歌会)

 安倍首相と同じ歳という、まひる野所属の内藤教授は、
なぜ安倍首相のような人間が生まれ、ある程度支持されているのかという分析をした。
安倍首相は加害責任について多分知らないのではないか?
あるいは聞かなかったのではないかと述べていた。

 こんなフレーズが印象的だった。

・短歌は歴史を記憶している
・人間のトータルを短歌は持ちえている。
・短歌を持っているのは幸せかもしれない
・短歌は歴史を見直す武器になる
・短歌を通して戦争が語り継がれる。

 今後は戦争の直接体験の話ではなくこんな間接体験の話が重要になるだろう。

 非常によく準備された会で、猛暑の中だったが、
日本青年館の中ホールがいっぱいになる220人参加の盛況だった。
超結社の歌人の会としてはあまり例がない。
日本青年館は私の結婚式をやったところであり実に懐かしかった。

 9月9日(日)13時から永田町の星陵会館で憲法を考える歌人のつどいがある。
三木睦子さん 早乙女勝元さん 辺見じゅんさん 吉村睦人さんの挨拶と講演がある。
歌人も頑張っています。


     

歌もなかなか力がありますね。

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伊吹山の百合    楽石

2007年08月17日 09時19分46秒 | Weblog
ちょっと花の話題を。
先日、伊吹山に行ってきました。
お花畑は満開。
こんな百合も咲いていました。

さて、この百合にとって戦争と平和と
どちらかを選べと聞いたら・・・・

なんて、9条ウログ中毒ですね。
もちろん、そんなことは一瞬たりとも考えずに
楽しんできました。
涼しかった。
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