九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

おしょろいさま       まもる

2009年08月16日 11時59分33秒 | Weblog
★我が家では物心がつく以前からお盆のご先祖お迎の行事を「おしょろいさま」と言ってめんめんと続いている。
 ネットで読んだ記事の中に次のようなものがあった。

 「ご先祖の御霊をお精霊さま(おしょろいさま)といいますが、中部地区ではお盆のお仏壇の精霊棚のお供えもふくめて「おしょろいさま」と呼ぶことがあります。 このお供えにキュウリの馬や、ナスビの牛があります。これはお精霊さまがいらっしゃるときキュウリの馬に乗って早く走って来られるよう、お帰りになるときはナスビの牛でゆっくりお帰りになるようにとのことだそうです。ですから、キュウリの馬は早く走れるように足を少し長くします。お迎えの十三日は、早く召し上がれるようにそうめんや冷や麦、小さなお団子などをお供えします。また、小さな松明を瓦の上で焚いたり、お精霊様のために足を洗う水を張ったタライを玄関に置いたりするのも御先祖をうやまう気持ちからのことなのでしょう。」

 この方のように、キュウリとなすの使い分けや、タライの用意はありませんが、
御ままごとの様に三度三度御膳に精進料理を出して接待します。
 子供の小さい頃は情操教育などと続けていましたが、今やじじばば二人、将来仏になっても接待してもらうはずもなく、侘しい行事です。
 しかし、子供のころ、送り火や迎え火を点ける優越感や、なすびの馬を作り味噌・米・塩・砂糖などを包んで振り分け荷物にしたり、うどんで手綱を作ったり
する楽しさが思い出されて続けています。
 今年は孫が馬づくりを手伝ってくれて馬が立ちにくく愉快な「おしょろいさま」でした。

  孫作りコモ飛び出せし馬の足    
  送り火の燃えし道筋人もなく      

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母の嘘     落石

2009年08月16日 10時57分28秒 | Weblog

92歳の母、週2回、デイケアに行っています。
先日、お世話をしてもらっているFさんから電話が。
デイケアに行かないとのこと。
ケアに行っている間に、Fさんが休憩をとることになっているので、
あわてて母の家に。

しばらく観察していたが、どこも体調が悪いようには見えない。
なぜ、行かなかったのか?と聞いても
「・・・・」
ずる休みのようである。

まもなく妻がやって来た。
母は妻の顔を見るなり、こう言う。
「昨日、デイケアに行ってね。タイヘンだった」と。
「おかあさん、昨日はデイケアの日じゃないよ」と妻。
母は話題を変えた。

母はなぜ、そんな話をしようとしたのか?
デイケアに行かなかったことを指摘される前に
先手を打ったのでは?
ツジツマのあっていないことなど、頓着なし。
まるで、3歳の子供。

そういえば、ずる休みをして、どんな言い訳をしようか?
と、あれこれ、考えた記憶が甦ってきた。
母の条件反射能力は子供に伝わっていない。

妻がさえぎらなかったら、どんな話が聞けたのだろうか?

     


 たましいのうそにつきあう水の秋


コメント (1)
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国家道具説          文科系

2009年08月16日 10時54分32秒 | Weblog
★8月11日のまもる氏の記事「真実の夢なら叶う。 オバマ大統領を広島・長崎へ!!」に多くのコメントが寄せられましたが、その中の一つに文科系氏の「国家道具説」などのコメントがありました。
 そのコメントについて、読者より「大切な問題提起なので、記事として再掲載してほしい」との要望がありました。
 管理人の判断としても、この議論を深めたいと思いますので再掲載します。
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☆国家道具説 (文科系)
            2009-08-12 10:35:17
 原理主義的マルクス主義は国家を支配階級の支配のための道具とだけ見てきました。生産関係が上部構造を「決定する」という理論を、国家という上部構造解明に使ったということです。
 これに対してネオマルクス主義政治学は、国家というものを、支配階級とほかの階級のその都度の社会的力関係が反映するものととらえました。この政治的力関係が土台から相対的に独立したものという側面を強調したということでしょう。
 なお、普通選挙制度とか直接選挙制度とかの確立、発展は、上記の理論的対立で後者の可能性、優位性を大きく広げたものと見ることができるのではないでしょうか。
 さて、この後者の理論でもって、国家道具説では説明できなかったようないろいろな過去の諸現象が上手く説明できるようになったと言われてきました。
そもそも大資家が支配する国家に、形式的な側面があるにせよ、どうして普通選挙や直接選挙による大統領制度などが誕生したのか。
大資本家がいなくなった過去の社会主義国の国家に、どうして労働者本位でない官僚制度が生まれたのか。
 そもそも、政策としては労働者本位なものを掲げている各国の共産党が、労働者にとって過酷この上ない新自由主義諸国家の中でなぜ勢力を伸ばせていないのか。この点については、こんなことも言えると思います。資本主義社会の必然的破綻を演説、予言、解明するだけのような「政策」では、政治的優位は確立できないということです。たとえば、グラムシが語ったように、日常生活における長期的陣地戦に民主勢力がこつこつとひとつずつ現実的勝利を収めていかねばならない。ちなみに、グラムシはネオマルクス主義の思想的源流と見られる理論家でした。
 さて、現在のアメリカ国家というものをこういうネオマルクス主義的に見ると、興味深い特徴がいくつもあるのではないでしょうか。
①まず、米大統領が、直接選挙で選ばれるということ。日本のような議院内閣制よりもはるかに、時代、社会的力関係を反映しやすいはずです。
②資本主義の新自由主義段階が、総本山アメリカを中心に百年単位のような壊滅的打撃を受けている時に、オバマが現れたということ。自民党超長期政権の崩壊模様も、この壊滅的打撃に端を発していると見て間違いないはずです。その大打撃が、マルクスが指摘した資本主義固有の矛盾によるものであるということも大事なことではないでしょうか。
③さらにまたオバマ自身が、有色人種であるということも、特にアメリカにおいては大事なことなのではないでしょうか。ワスプでなければ、アメリカ社会の第1線にはけっして立てないといわれたのは、つい昨日のことだったように思います。肌の色、アングロサクソンの血統、プロテスタントであるということ。大統領オバマに至るまでにも、同じ流れのこんなことがありました。共和党政府国務長官に黒人であるライスが座ったということです。
 以上の理論対立と、オバマの特徴分析とは、今とても大事なものと僕は考えています。
 最後にさて、以上の論述、用語自身は抽象的なものですが、超歴史的な抽象的用語のようなものではありません。社会、歴史の世紀単位の現実分析から出てきて、かつ最先端の理論的対立の一つに基づくものといって良いと思うのです。弁証法よろしくこれらを絶対視するものではありませんが、相対的には正しく、使える社会分析方法だと思っています。

★追加です (文科系)
2009-08-12 21:16:37
現在の志位和夫氏はまさにネオマルクス主義論争の時に日本共産党内で台頭されてきた方です。国家道具説の立場から、ネオマルクス主義批判の論文を書いて、それを大部の著作に出版しました。この内容が当時の最高幹部・宮本顕治氏に高く評価され、若くして大抜擢されたと覚えています。
彼は今、当時のこの思想や、この論争のことをどう思っているのでしょうか。大変興味があります。

★案外、実現するかも? (文科系)
2009-08-15 16:40:49
 この夢、案外実現するかも知れないと思ったりする。
マネー資本主義は×で、産軍複合体依拠も×。「自由主義経済だから保護主義もだめだよ」と言い続けてきたのに、日米欧こぞって自国産業支援・保護政策のオンパレードではないか。
 加えて、この間の反省から世界的に「内需拡大こそ全て」との風潮。日米のように低所得者を最大限に生み出してきた国は、このままではとうてい立ち直れないことはちょっと先が見える人にははっきりしている。日本の「大衆的ばらまき政策」に見えるものも、単なる選挙対策ではなくって、「大衆的内需拡大」というこの文脈で捉えることも必要であろう。アメリカもサブプライム爆発を少しでも反省すれば、同じことになろうかと思う。
この内需拡大政策から言っても、莫大な国家予算を浪費するだけで健全な景気循環を作れない産軍複合体依拠では、経済の先は見えてこないはずだ。
 さて、こういった状況から、「公はインチキ、私こそ真理」というだけで何の学問的根拠もなかった新自由主義経済学に代わって、新しい経済学も生まれてくるのではないか。ちょうど第1次世界大戦の反省から、有効需要創出に焦点を当てた新たな資本主義経済学・ケインズ主義が生まれ、急速に台頭してきたように。
 歴史の移り目には何が起こるか分からない。従来の思想では考えられなかったことを、人々が考え始めるからだろう。
「この20年は、インチキ社会主義がなくなって、資本主義・自由主義が有頂天になりすぎた」
こんなことは、学者なら誰でも分かることだ。
そういう方向への政治家の象徴的行動である「とにかく第1歩」としては、「オバマの広島、長崎訪問」はあり得ないことではないと思う。ただしその場合、オバマがケネディのように旧勢力から憎まれるだろう。でも、どうせ選挙は直接選挙、票も選挙カンパもカラードなどを含めて、大衆的なものが多いと聞くし、こういう道を支持する資本家、大金持ちも結構多いはずだ。内需拡大が利益になるような勢力である。

この夢かなえて欲しいなー!


コメント (4)
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