九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

平和の鐘を撞きませんか?     まもる

2009年08月12日 12時35分11秒 | Weblog
 私の参加する「昭和区九条の会」では終戦を記念し戦争の惨禍で亡くなられた方々を追悼する行事が何かできないかと話し合っておりましたところ、平和の鐘を撞くことに決まりました。
 「梵鐘は寺院において色々な行事を行なうときの合図に、また朝夕には時を伝えるとともに、衆生[しゅじょう]の愚かしい考えや悪行を引きとどめることを目的として打ち鳴らされる。さらに、その音色を聞くことによって、地獄の苦しみから逃れ、極楽に往生できるとされている。」そうです。

 そこで、このあたりで終戦記念日や原爆忌に鐘を撞いているお寺を探したところ、東別院でやっていることが分かりました。
 先日の長崎原爆忌の鐘つきに参加させていただきました。

そこで、八月十五日(土)11時50分に東別院正門に集合していただき平和の鐘つきをすることとなりました。是非ご参加ください。

☆なお、鐘つきの前に「9条アピール」のシール投票もやりますので参加される方は10時40分に正門においでください。

☆写真は埼玉の寄居町の平和の鐘つきのようすです。
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インターネットを使って選挙運動を変えよう・・・・「近未来の選挙運動」

2009年08月12日 10時14分44秒 | Weblog
★もう一つネット紙JANJANから。同紙で中井伸二氏がインターネットによる選挙運動の活性化・将来性・また問題点について述べていて興味深かったので紹介します。
http://www.news.janjan.jp/election/0908/0908088427/1.php                          (まもる)
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「近未来の選挙運動」・・・インターネット選挙    中井伸二

 おととしの参議院議員選挙のとき、僕はある候補者の選挙運動に、生まれて初めて加わった。選挙運動とは何かを、少しだけ垣間見た経験がある。ボランティアの運動スタッフが従事する仕事は、もっぱら……
*公職選挙法に基づいた大量の「選挙ビラ」を家々の戸口へ配り歩くこと。また、繁華街の駅頭などで道行く人たちに配ること
*公職選挙法に基づいた「候補者推薦ハガキ」を書くこと。(このハガキに、信頼を置く知人友人/家族親族の宛名〔枚数制限なし〕を書いて、選挙事務所へ届ける。選挙事務所から一括で郵便局へ持ち込まれ、宛名の先へ配達される。)
……で、あった。まさに物量だけの勝負で、ひたすら人海戦術のみだった。善意のボランティア運動員は、のべ人数で、いったいどれほどになったのだろう。けっきょく、さほどの活躍もしないまま捨てられたであろう紙資源の量を考えると、選挙運動の物量作戦が、如何に多くの無駄を費やしていたか、その計り知れなさで途方に暮れる。
 ほかに、選挙運動で行われることと言えば、街宣カーで、ひらすら屋外を廻りに廻って、お決まりの「連呼連呼」や、白い手袋をはめた手を空しく振りまくり、併せて空しい笑顔をも振りまきまくることに尽きる。公認をもらった政党から、大物の応援が振り分けられるかどうかも、その日・そのときの情勢やら、臨機応変な流れの中で決まったり/決まらなかったり。政策や公約を訴えたくても、ちっとも実のある選挙広報になど、なるはずがなかった。有権者との具体的な議論など、言うに及ばずだ。
 有権者の手応えなど、元来なおざりな候補者の握手を握り返される、お義理の圧力だけで推し量れるわけがない。しっかりと「言語」を交わし、ある程度の議論をしなくては駄目だ。有権者が何を求めて候補者が何を提案するか、その丁々発止のやりとりを通じ、選挙ポスターや政見放送だけでは絶対に分からない候補者の心のうちにまで、有権者の感覚が届いて触れるに至る。そこまでを経て、「この人に投票すべきなのか、それとも、あの人に……」といった取捨選択の段階まで、ようやく進む。

 そうした一連を、インターネットで行うように、「近未来の選挙運動」(できるだけ早く)は、そのあり方を一変させようではないか。候補者は、もはや街頭へ出ることが、ほとんどなくなる。街宣カーの「連呼連呼」は禁止。白い手袋をはめた手を、むやみに空しく振る行為も禁止だ。候補者は選挙期間中、ひたすらPCと向き合い、有権者と直接、政策と公約についてインターネット上で議論を交わし尽くす。ブログのコメント欄でも、ツイッターでも、あるいはビデオチャットでも、あらゆる手段を駆使して。もちろん、総務省あるいは各自治体の選挙管理委員会が開設する、「公共選挙運動専用サイト」の中だけで行われるようにするのでも構わない。(グーグル社は、インターネット選挙運動で、有権者の意想集約に効果を発揮するシステムの開発に取り組んでいると聞く。)
 居住場所や職場にインターネット環境を持たない人たちのために、やはり公共(無償)の「インターネット選挙運動閲覧専用端末」を用意しなければならないだろう。当然、ケータイからもアクセスできるようなシステムを、どの政党/候補者も、いずれは求められることになる。(現在、衆院選での政権獲得をアピールするため、民主党がケータイゲームを提供しているようだが、あのレベルでは到底、お話にならない。)

インターネットは諸刃の剣
 話が、いっそう展開してしまうが、中長期的未来において、国民市民は一人一人、ブログまたはSNSの個別ページを(ツイッター付きで)必ず保有するようになるのかも知れない。選挙に際して有権者は、普段から開設されている候補者のブログ(SNS)へアクセスしさえすれば、自ら候補者に質問をぶつけ、議論を果たし、人となりを知ることができるような時代に。
 その上で、投票に臨む。自宅にいながらにして、簡単だ。選挙管理委員会が開設したインターネット投票サイトへアクセスし、ID・パスワードを入力。「プチッ」とワンクリックで投票は完了……。

 斯くの如く、インターネットのメリットを最大限に活用すれば、選挙運動はシンプルにして平穏静粛、しかも、しっかりと政策論争ができ、実のあるものとなる……と、思いきや、実際のところ、インターネット投票で国民市民の投票の秘密は、どう守られるのだろう。すべての投票履歴が一元管理され得る社会など、やすやすとは歓迎できまい。
 国民市民の、完全なる一元管理社会の成立を、誰もが容認できるほど、人々が強い信頼を置くレベルまで、行政の進化が到達しない限り、合理性を極めた「インターネット選挙運動→投票」は、実現し得ない。

 所詮、インターネットは諸刃の剣。痛し痒しのバランスを見極めながら、まさにこれから、僕らの現代社会は進化を探る。
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鳩山代表「核廃絶は日本の使命」と非核外交に意欲

2009年08月12日 09時52分07秒 | Weblog
★ネット紙JANJANの山本宏樹氏が民主党代表の鳩山氏の広島での追悼式参加に際しての発言について記事にしていました。
 鳩山氏の発言は非常に前向きで民主党よろめき論を払しょくしてくれました。
 鳩山総理になってもこの調子でお願いしたいものです。(まもる)
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 広島の原爆死没者追悼式に出席し、あいさつ民主党の鳩山由紀夫代表は広島「原爆の日」の8月6日、広島市を訪れ、広島県原爆被害者団体協議会(被団協)が主催する原爆死没者追悼慰霊式典に社民党の福島みずほ党首らと共に出席した。

 鳩山代表は挨拶で「オバマ大統領が演説した核兵器のない世界を実現することは、唯一の被爆国である我が国の道義的使命。各国の指導者に核廃絶を直接訴えることが肝心だ」と述べ、核問題に対する自らの考えを表明した。北朝鮮の核開発問題については「朝鮮半島の非核化に向けて、あらゆる努力を惜しむつもりはない」と語った。

 鳩山代表はまた、来年5月にニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「日本が極めて主導的な役割を果たす必要がある」とし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期批准や兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約を各国に働きかける必要があると、「非核外交」に取り組む姿勢を強調した。

 式典終了後、鳩山代表は市内ホテルで記者団の質問に「アメリカとロシアの非核化に向け、日本がリーダーシップを発揮すべきだ」と話した。また広島市が積極的に進めているオバマ米大統領の広島訪問要請も「意味のあること」とした。
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随筆  ”『音楽』生活”    文科系

2009年08月12日 01時54分57秒 | 文芸作品
5月23日にここに書いた拙稿の続きのようなものですが、ご笑覧ください。


4月28日からほぼ3ヶ月半、ほとんど1曲だけを仕上げようとして弾き続けているが、難航中だ。この曲だけでも1日1~2時間は費やしているのに。南米はパラガイ人のバリオスというギター演奏家兼作曲家の「郷愁のショーロ」という曲である。20世紀前半に生きた人であって、この曲の他に「大聖堂」「森に夢見る」などが、最近のプロの演奏会などによく選ばれている。1935年をはさんだ3年間をヨーロッパ演奏旅行に費やしたほどの演奏家へと成功した人物である。
南米の音楽、曲というと「コンドルが飛んでいる」が日本人に最も愛されていると思うが、どこかあれに似た趣がある曲だと思う。いずれも南米インディオの音楽史が詰まったような曲と言って良いのではないか。大部分のパラガイ人にはグアラニー・インディオの血が流れているのだし、バリオスという人がそのことをまた誇りにもしていたようだから。なおショーロというのは、19世紀後半に完成したブラジルの都市大衆音楽である。「郷愁のショーロ」というのはこうして、ブラジル大衆音楽の形式でパラガイへの郷愁を歌い上げた曲ということになるのだろう。

アグスティン・バリオス・マンゴレ。1885年にパラガイに生まれて、1944年にエルサルバドールで死す。
1906年 パラガイのアスンシオンで演奏活動開始。
1910年 アルゼンチン、ウルガイで演奏活動。
1916年 ブラジルに移り、以降15年この国を本拠とする。
1931年 大好きな放浪(演奏)の旅へ。ベネズエラなどで演奏。翌年、ニッガ・マンゴレと名乗る。ニッガはアグスティンの逆さ読みで、マンゴレは昔のパラガイ・グアラニー・インディオ酋長の名前。パラガイ人は皆、この部族の血を受けている。この人、オランウータンに似た容貌魁偉な大男だったらしい。パラガイ人だったことや、インディオの血を誇りにしていたようだ。
1934~36年 ヨーロッパ演奏旅行で、名声を博す。その後エルサルバドール音楽院ギター科教授
1938年 コスタリカで心臓病発作
1944年 エルサルバドールで死す。

バッハ、ソル、ショパンを好きで、影響を受けた。パラガイ、ブラジル、アルゼンチン、チリの民族音楽も取り入れている。

さて、「郷愁のショーロ」(の練習)自身のことである。先ず、スピ-ドが速すぎて、難しい部分2カ所がどうしても遅れてしまう。その2カ所、1日10回以上3ヶ月弾いてきてもまだ弾けない。それでもいつか弾けると信じている僕も僕だが、この年でも根気よくやっていると少しずつ希望が出てくることを今までの体験でよく知っているからである。年寄りには時間だけはあるのだし。僕は先生についてから今まで、気に入った曲しかレッスンに乗せないできたのだが、これは特に気に入った曲の一つ。だからこそ、こんな根気も続くのだろう。どんな曲かを、表現してみたい。

3部に分かれているのだが、第1部はギター曲としては珍しくほとんど単音で弾かれ、郷愁らしい短調のメロディーが16小節続いていく。2、3部を弾いてはまたここに戻って、この第1部を合計4度も弾くという構成になっているから、これが最もメインの部であることは間違いない。故郷のケーナのような楽器のメロディーイメージでもあるのだろうか。
2部は一転して和音だけで、やはりもの悲しげな短調21小節が展開される。それも全てが16分音符と8分音符で作られたいわゆるシンコペーションのリズム和音である。この2部が、第1部と、3部2度繰り返しとを弾いた後にもう一度繰り返されてから、また第1部に戻って終わっていくというのが曲全体の構成である。
さて3部である。これだけが長調で作られている。まず初めの移り変わり部分が今までの短調とは打って変わったように、とても晴れやかに美しい。この初めの晴れやかさでもってこの3部を象徴してみせたようにも思える。さらにこの3部全体は、主として低音を旋律にしていて、まるで現在故郷へと一歩ずつ歩みを進めているといったそんな趣の力強さも有している。この3部繰り返しの後は、先にも述べたようにまた2部と1部との短調部分各1回ずつを経て曲全体の終了となる。
単音だけの1部、和音だけの2部、両方合わせたもっともギター曲らしい3部。短調の1、2部、長調の3部。と、まずとにかく、リズム変化も加えてバラエティーに富んでいて、それだけに三部それぞれの曲想を比較しながら作っていけて、そのことが楽しく弾ける大きな理由にもなっているようだ。

それにしてもこの曲、いつになったら弾けるのだろうかと思う。ただし、2カ所のツッカエがずっとなくならなくても後悔はないだろう。これだけの努力ができたと思えるのだから。それだけ楽しめる活動があるということ自身が、この年になると生き甲斐にもなっているようだ。

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