この「手紙~」って詩と歌のことNHKの放送で知りました。
介護の世話になっている親が子供に語りかける歌です。
身につまされ恐いほどの感動と衝撃でした。
老いの現実がものすごくリアルに表現され、もうその役割を果たした私にも、あの時の光景が強烈に思い起こされました。
次は私たち老夫婦の番です。本当に身につまされました。妻などは思わず席を立ったほどです。
シンガーソングライターの樋口了一さんの歌いぶりも淡々としているだけに、迫りくるものが強烈でした。
★ユーチューブのアドレスを載せておきました。(青転して右クリックし検索ください。
http://www.youtube.com/watch?v=DNuEUygU1vA&eurl=http%3A%2F%2Fyuki%2Dwan%2Eat%2Ewebry%2Einfo%2F200903%2Farticle%5F26%2Ehtml&feature=player_embedded
取りあえずその詩の一部を書いてみます。
「手紙~親愛なる子供たちへ~」(一部です)
年老いた私がある日、今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい。
私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい。
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても、
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい。
いずれ歯も弱り 飲み込むことすら出来なくなるかも知れない
足が衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい。
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい。
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ
歌詞の詳細は下記へ
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html
この詩は作者不詳なのだそうです。ネットに流布しポルトガル語で書かれた詩をシンガーソングライターの樋口了一さんが歌にしたとのことです。
このあとネットを検索すると多くの人が感動を語っていました。その中の一節です。
「詩を読んだ瞬間、わが身を隠したい思いにかられました。
子供に気を使い、遠慮し、常に手もみ状の関わりの中で云いたいことの半分も云えず子供にうとまれることに怯えながら、正面からぶつかる事を避けて偽りの”いい関係”でいる。
そんな親はこんなに堂々と”見守って欲しい、うなずいて欲しい、人生の終わりに
付き添って欲しい”なんてとても云えない・・・。
「ぼけたら施設に入れて~、あんた達に迷惑かけたくないから」というのが常套。
親と子の関係は時の流れとともにステージを変え、それに伴なって関係も変化するのに、親と子の双方に、この変化を受容出来ない現実があるように思います。
福祉の現場では、子供が老いた親を虐待するのは日常的に起きています。そのかたわらで虐待されても仕方ないよなぁ~、あれじゃ~って思っている自分等がいます。
ジブンの直近の将来なのに、そう思ってしまう自分が無性に情けない気がします。
今からでも遅くはない!子供と正面からわたりあってみよう!傷つくことを怖れずに!」
介護の世話になっている親が子供に語りかける歌です。
身につまされ恐いほどの感動と衝撃でした。
老いの現実がものすごくリアルに表現され、もうその役割を果たした私にも、あの時の光景が強烈に思い起こされました。
次は私たち老夫婦の番です。本当に身につまされました。妻などは思わず席を立ったほどです。
シンガーソングライターの樋口了一さんの歌いぶりも淡々としているだけに、迫りくるものが強烈でした。
★ユーチューブのアドレスを載せておきました。(青転して右クリックし検索ください。
http://www.youtube.com/watch?v=DNuEUygU1vA&eurl=http%3A%2F%2Fyuki%2Dwan%2Eat%2Ewebry%2Einfo%2F200903%2Farticle%5F26%2Ehtml&feature=player_embedded
取りあえずその詩の一部を書いてみます。
「手紙~親愛なる子供たちへ~」(一部です)
年老いた私がある日、今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい。
私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい。
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても、
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい。
いずれ歯も弱り 飲み込むことすら出来なくなるかも知れない
足が衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい。
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい。
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ
歌詞の詳細は下記へ
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html
この詩は作者不詳なのだそうです。ネットに流布しポルトガル語で書かれた詩をシンガーソングライターの樋口了一さんが歌にしたとのことです。
このあとネットを検索すると多くの人が感動を語っていました。その中の一節です。
「詩を読んだ瞬間、わが身を隠したい思いにかられました。
子供に気を使い、遠慮し、常に手もみ状の関わりの中で云いたいことの半分も云えず子供にうとまれることに怯えながら、正面からぶつかる事を避けて偽りの”いい関係”でいる。
そんな親はこんなに堂々と”見守って欲しい、うなずいて欲しい、人生の終わりに
付き添って欲しい”なんてとても云えない・・・。
「ぼけたら施設に入れて~、あんた達に迷惑かけたくないから」というのが常套。
親と子の関係は時の流れとともにステージを変え、それに伴なって関係も変化するのに、親と子の双方に、この変化を受容出来ない現実があるように思います。
福祉の現場では、子供が老いた親を虐待するのは日常的に起きています。そのかたわらで虐待されても仕方ないよなぁ~、あれじゃ~って思っている自分等がいます。
ジブンの直近の将来なのに、そう思ってしまう自分が無性に情けない気がします。
今からでも遅くはない!子供と正面からわたりあってみよう!傷つくことを怖れずに!」