随筆 不整脈ランナーの記 文科系
不整脈はますますひどくなったが、まだジムで走っている。時速や心拍計とにらめっこしながら。ランニング日記を見ても、暑くなりはじめたころ、6月~7月は「走行中に心房細動、ランニング中止」が多い。すると当然、走力は落ちてくる。59歳の初めに走り始めてちょうど10年、ずいぶん遅くなった。その初めの頃には、10キロマラソンで49分22秒という公式記録があるのに、今はもう1時間で8キロ走れるかどうかだ。時速で比較しても12キロ時から8キロ時に落ちたということ。精密検査をしてくれた大病院の医者が、半年ほど前、走っても良いと言ってくれたことだけが頼りなのだが、心房細動は脳梗塞などを引き起こすことがあるから、きちんと管理しなければならないのである。毎日の投薬、走行中は心拍数の常時確認、日々日常の適度な補強運動などに気をつかっている。
さて、7月31日に8.1キロばかりを1時間で走ってからは、なんとかなっている。昨日なども何とか無事に8キロ走れているから。先ず歩く。時速6キロぐらいで始めて、7キロに速め、5分ぐらいしてこの速度のままで走り始める。15分か20分ほど経ったら8キロ時ほどに上げて、あとは適当に様子を見ながらその日の調子によって9キロ時、10キロ時などと上げていくのだが、最近10キロ時はめったになくなってしまった。こんな程度の速さでは息苦しい感じはまったくないのであって、ただ心拍異常を起こさないように加減しているだけなのである。こんなやり方は、昔を思えばとても寂しいものだが、この寂しさもだんだん薄らいできた。こんなジム・ランニングでも、毛細血管などの太さ、密さなども含めて酸素が体に良く回ることを初めとして、無数の効用を生むのである。
ギターを日に3~4時間弾いても、体も手指も痛めないだけではなく、肩もこらない。持病の腰痛(椎間板ヘルニアで若い頃に手術をしている)もランニングを始めてからはほとんど出ない。走らない日が続くと確実に眼が疲れるようになるところを見ると、酸素補給力は視力にも良いのだろうと思う。つまり、2~3時間の活字、ブログなどにも全く疲れるという感じがないのである。歩いたり階段登りなどの足が軽いのも、日々とても気分のよいものだ。つまり、今の速度で走るよりもはるかに酸素を必要としない程度の「運動」の2~3時間ぐらいは、なんともないということなのだろう。
走った1~2日あとは食欲も凄いから昔のように夏痩せ、冬太りもない。つまり、30歳までの体型が基本的に維持できているのである。現に新婚旅行の時の背広が今でも着られるのは自慢だ。必要なだけの栄養というものを体がちゃんと知っていて、過不足ないように調節してくれているのだと思う。
皆さん、走るのは良いよ。それができなければせめて早足歩きを、できれば6~7キロ時でと、是非おすすめする。
最後に、僕が昔ある小説に書いた文章を一部転記しておきたいと思います。題して、まー、「人間、この歩き好き!」とでもしておきましょうか。
【 〈 ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たしてこられたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を造ったという。だとしたら神こそ走る「人」なのだ 〉
そして慎治(主人公です)は今夜、この言葉を軽く自分流儀に引き取ってみる。
「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ!」
いやあ!、我ながら実にお洒落、お洒落! 】
不整脈はますますひどくなったが、まだジムで走っている。時速や心拍計とにらめっこしながら。ランニング日記を見ても、暑くなりはじめたころ、6月~7月は「走行中に心房細動、ランニング中止」が多い。すると当然、走力は落ちてくる。59歳の初めに走り始めてちょうど10年、ずいぶん遅くなった。その初めの頃には、10キロマラソンで49分22秒という公式記録があるのに、今はもう1時間で8キロ走れるかどうかだ。時速で比較しても12キロ時から8キロ時に落ちたということ。精密検査をしてくれた大病院の医者が、半年ほど前、走っても良いと言ってくれたことだけが頼りなのだが、心房細動は脳梗塞などを引き起こすことがあるから、きちんと管理しなければならないのである。毎日の投薬、走行中は心拍数の常時確認、日々日常の適度な補強運動などに気をつかっている。
さて、7月31日に8.1キロばかりを1時間で走ってからは、なんとかなっている。昨日なども何とか無事に8キロ走れているから。先ず歩く。時速6キロぐらいで始めて、7キロに速め、5分ぐらいしてこの速度のままで走り始める。15分か20分ほど経ったら8キロ時ほどに上げて、あとは適当に様子を見ながらその日の調子によって9キロ時、10キロ時などと上げていくのだが、最近10キロ時はめったになくなってしまった。こんな程度の速さでは息苦しい感じはまったくないのであって、ただ心拍異常を起こさないように加減しているだけなのである。こんなやり方は、昔を思えばとても寂しいものだが、この寂しさもだんだん薄らいできた。こんなジム・ランニングでも、毛細血管などの太さ、密さなども含めて酸素が体に良く回ることを初めとして、無数の効用を生むのである。
ギターを日に3~4時間弾いても、体も手指も痛めないだけではなく、肩もこらない。持病の腰痛(椎間板ヘルニアで若い頃に手術をしている)もランニングを始めてからはほとんど出ない。走らない日が続くと確実に眼が疲れるようになるところを見ると、酸素補給力は視力にも良いのだろうと思う。つまり、2~3時間の活字、ブログなどにも全く疲れるという感じがないのである。歩いたり階段登りなどの足が軽いのも、日々とても気分のよいものだ。つまり、今の速度で走るよりもはるかに酸素を必要としない程度の「運動」の2~3時間ぐらいは、なんともないということなのだろう。
走った1~2日あとは食欲も凄いから昔のように夏痩せ、冬太りもない。つまり、30歳までの体型が基本的に維持できているのである。現に新婚旅行の時の背広が今でも着られるのは自慢だ。必要なだけの栄養というものを体がちゃんと知っていて、過不足ないように調節してくれているのだと思う。
皆さん、走るのは良いよ。それができなければせめて早足歩きを、できれば6~7キロ時でと、是非おすすめする。
最後に、僕が昔ある小説に書いた文章を一部転記しておきたいと思います。題して、まー、「人間、この歩き好き!」とでもしておきましょうか。
【 〈 ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たしてこられたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を造ったという。だとしたら神こそ走る「人」なのだ 〉
そして慎治(主人公です)は今夜、この言葉を軽く自分流儀に引き取ってみる。
「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ!」
いやあ!、我ながら実にお洒落、お洒落! 】