☆原爆の日が近づくとネットでその関係の情報をサーフィンするのがここ数年の習いになりました。今回出会った情報の一つに長崎証言の会のHPhttp://www.nagasaki-heiwa.org/n3/syougen.htmlに載っていた「松尾あつゆき」の「いまわのきわに・・原爆句抄」がありました。紹介します。
★松尾あつゆきは,長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の前身)の学生時代から、自由律俳句の荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)に師事して俳句を学び、俳句誌『層雲』の主要な同人として活動しました。長崎商業学校の教諭から食糧営団に移り、その勤務中に被爆、妻子4人をそのときに失いました。
彼はその極限における悲しみ、痛み、怒りを俳句にして次々と表現していきました。伝統詩型にこだわらない、自由律の形式を若い頃から選んでいました。原子爆弾という未曾有(みぞう)の破壊兵器による人類初の被害を文学表現に託するには、この詩型は特に適していたと思われます。
しかし、その原爆句はアメリカ占領軍のプレスコード(報道管制)により発表することができませんでした。この原爆詠(句)が一般的に読まれたのは、1955(昭和30)年8月に刊行された『句集 長崎』が初めてでした。
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【いまわのきわに―原爆句抄 】 松尾あつゆき
★八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
月の下ひっそり倒れかさなっている下か
★十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。
わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
すべなし地に置けば子にむらがる蝿
臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい
★長男ついに壕中に死す(中学一年)。
炎天、子のいまわの水をさがしにゆく
母のそばまではうでてわろうてこときれて
この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔
外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら
★十一日 みずから木を組みて子を焼く。
とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
ほのお、兄をなかによりそうて火になる
★十二日 早暁骨を拾う。
あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で
あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな
★十三日 妻死す(三十六歳)。
ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる
★十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明
夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ