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随筆紹介「犬のいる暮らし」 六  文科系

2011年01月17日 01時17分16秒 | 文芸作品
犬のいる暮らし 六         Y・S
                           
 友人の家の犬が死んだ。うちと同じ犬種(ラブラドール)で老衰であった。彼女とは仲良くしていたので、愛するものを失った悲しみを思うと他人事とは思えずに胸が痛んだ。

 数カ月後、彼女からドライブに誘われて立ち寄った先が県外にある動物霊園。りっぱな建物だ。一階が事務所で二階へ上がると図書館のように膨大な数の棚が並んでいる。一つひとつの棚には蜂の巣のようにボックスが三十センチ四方ぐらいに仕切られている。
 友人の犬の前に来た。J列の棚、上から三段目、左から二番目である。お位牌があった。骨壷もある。写真数枚にお供えの花やおやつ、思い出の品などが三十センチのボックススペースに納っている。周りを見渡すとどのボックスもみんな同じような感じだ。ものすごい数、おそらく数千の猫や犬のお基である。

 優しいリズムの音楽が流れてきた。友人がボックスの中にあったオルゴールをかけたのだ。いつもここへお参りに来るとオルゴールを聴きながら愛犬に話しかけるという。十五年近く一緒に暮らし、家族同然だったのだから容易には死を受け入れられないのはよくわかる。周囲も入れ替わり立ち代り、お参りの人々が後をたたない。ふと窓の外を見ると、庭には樹木葬の墓まである。こちらは五十センチ四方ぐらいの大きさで仕切られて、植える木は四種類に決められているとか。中年の女性がご自分のお墓の木の周りを掃除している。霊園の人の話では、この女性はほぼ毎日お参りにきているそうだ。
 私も以前に飼っていた犬を亡くしたときは、言いようのない悲しさで辛かった。人の死とはまた違う。社会事情、利害関係、世間体、そんなものは一切関係のない、ただただ悲しくて寂しかった。

 現在、うちの十三才の老犬のことを思う。別れがくるのはそう遠いことではないだろう。
 だが、この霊園に来て、私はこのような墓は持たないだろうなと思った。悪いことだとは思わないが、なにか私の感覚、観念とはズレているような感じがしたのだ。家族同様の愛犬が死んだら、ともに暮らした歳月を思い涙にくれるだろう。なにかにつけて思い出すだろう。写真を見ては懐かしむだろう。でも、私はそこまででいい。

 この霊園で眠る犬や猫たちは、死んでからも法要を務めてもらい、大切にされている。その影で、毎日何百、何千匹とガス室で処分されている犬や猫たちもいる。それは人の身勝手さから起きているといってもけっして過言ではない。

コメント (2)
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