=IAEAの判定を正しいとすれば、浜岡以外は動かしても大丈夫でしょう。事故は起っても致命的にはならないと思います=。
との「らくせき」さんの披瀝を聞いて思ったことは、「原子力の平和利用」ということでした。
「原子力の平和利用」という概念は、アメリカの核戦略を正当化するために産み出されたものですが、それはそれとして「原子力の平和利用」論は、「核」と人類との共存という根本問題も素通りしてきました。
そして今フクシマで改めて知ったことは、人間の手によって「核=放射能」を自在にコントロールすることはできないということ。
二つだけ挙げれば…。
一つは、大量に放出される危険な放射性廃棄物、それをどうするか!
二つ目は、 〔外部被曝〕の場合は、除洗という方法がありますが、
〔内部被曝〕の場合は本日(20日付)『朝日新聞』が一面で報じているような事態に見舞われることになります。すなわち、イラン戦争が始まったのは8年前、そのとき住民がとった行動による癌がいま大量発生しているという実態です。
このような事態に、「核」に対する反対運動体は、どう対処してきたか。
『原水禁』は、「核兵器廃絶」と共に「核廃絶」をスローガンに掲げてはいましたが、内部に電力労組を初めとする原発推進労組を抱え、その運動は一部労組の動員方式という弱点を抜け出せませんでした。
『原水協』は、原水禁のスローガンは運動に分裂をもたらすものであり、スローガンは「核兵器禁止」一本にしぼるべきとの攻撃しきりでした。
ブログPaulさんが、原水協は 「原発は事故さえ起らなければ問題はない」という立場なのか、「原発が存在すること自体が問題である」という立場なのか、と問うたその答え。
=原水協の立場はどっちかと聞かれれば、段階的撤退、再生可能エネルギーへの転換を求めたりしていますので、(原発ノー)の方になると思います。ただ原水協はこれまで第一義的課題として核兵器廃絶をすすめてきたので、原子力への考え方はいろいろです。=
まことに正直!?。だから、先日の6、11行動デーにも、大江健三郎、瀬戸内寂聴、内橋克人さんらの呼びかけによる「原発さよなら集会」にも、脱原発署名運動にも関与しないことがよく判ります。