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保安院の大罪(13) 「官僚」は大暴力制度?  文科系

2011年06月26日 13時10分58秒 | 国内政治・経済・社会問題

保安院の大罪(13)  「官僚」は大暴力制度?   文科系

 最近つくづく思うことだが、官僚制度って日本最大の暴力的制度ではないか。

 昨今何よりも、福島の大惨事に関わって原子力保安院を批判するマスコミが何故現われないのだとよく考える。するとここに行き着く。「マスコミが、保安院を怖がっているとしか思えない」と。怖がるような彼らの暴挙は、実は無数に存在する。小沢一郎問題でもこの疑いがずっと世を騒がせてきたが、今最もホットな一例をあげてみる。このシリーズ10、11の「罪に罪を重ねる(1)(2)」である。始まりは、内閣官房長官スピーチを経産官僚が非難した発言。それを公表・批判したマスコミへの暴力的恫喝など権力の乱用。仕方がないから経産大臣にまで話を持ち込むと、今度は自らの行動全てをなかったことにしようという陰謀策動。経産省がこれほどにマスコミ干渉を行ってきたという、ほんの一例に過ぎないだろう。長谷川幸洋氏が闘って見せたからこそ、初めて明るみに出たという醜く過ぎるやり口である。

 さて、官僚によるこれほどの暴力的「異論」封殺が、福島原発における以下のように重大な罪状の可能性に絡んでくるならば、全く捨て置けない事態だと思うがどうだろうか。彼らの「被疑性」を数え上げてみよう。
①福島事故原因が明らかになっていない。津波と地震自身とで、どちらにどれだけ比重があったのかがはっきりしていない。よって保安員の重大過失、罪状も解明されていない。
②事故後の人為的ミス、あるいは人材に対する課題の難度、などなどの内実も分かっていない。つまり、ここにおける保安院の指導の過失、罪状も分からない。
③以上①、②の実際によって、他原発にも同じ事が起こりうる確率が違ってくる。そういう数字を、経産省自身が本気で調べたとも思えないし、知っていたことですら隠してきた事も多い。それどころか、意図的にごまかしてきた事さえも多かったと断言できる。自分らの責任逃れからと見るのが自然だろう。
④膨大な数の内部被ばく者が発生したわけだが、小児甲状腺癌、骨髄癌などなどの被害の大きさが分かるのは、はるか先のことだ。それで再稼働などとは、国民に対して鬼畜にも劣る手前勝手。こんなことで再稼働を許せば、先の話として癌患者の発生数などを誤魔化しにかかるのが落ちだろう。薬害エイズを長く認めなかったように。
⑤経産省周辺はこうして、「人としての慎み」に欠ける。国民を思うという点で全く品格がない。そもそも、故郷を失った膨大な人たちをどう考えているのか? 避難所で寿命を縮めた人々についても同じだ。申し訳なかったという気持ちが、東電と共に全く感じられないのである。④、⑤合わせてみると、これで公務員・「(原発の危険性に備える国民の)保安院」とは、聞いて呆れる!? 
 
 これだけの疑いがあるのに、どうしてマスコミはどこも、何もこれを究明、報道できないのか? 万一犯罪にはならなかったとしても、職務上の重大過失、怠慢、それに関わる公務員としての道義的責任などなどは無数に存在するのではないか。それに、これらに対する信賞必罰は、民間会社よりもはるかに厳しくてよいはずなのだ考えるのだが。ちなみに、彼らが見張る相手の所に、彼ら自身が若くして天下って終身の高給を得るという仕組みがあったこともはっきりしている。保安院が経産省のなかにあることすら、国際機関から非難されているのだ。また、見張られる会社側から見張る経産省側へも無数の人材がきていたことも公表された。つまり、「保安などズブズブに骨抜き」という確信犯が疑われるわけなのである。この確信犯性がどうして問題にならないのだ。これで法治国家と言えるのだろうか。こんなに重大なことを指摘する者がいないというのは、上記の長谷川幸洋氏のようになるのを恐れているのだと推論するが自然だろう。

 現在全くこうなっていない理由について、今一度改めて思いを馳せてみる。すると、昨今当然の成り行きだったと、分かってくる。自民党政権末期はもう官僚の言いなりであったろう。民主党新政権が官僚組織の妨害、サボタージュにあったことは明白である。先ず、推定無罪も何のその、自民党政権崩壊間近からズルズルと続いた小沢問題。次いで、鳩山政権の崩壊は、普天間問題。これには、外務省、防衛省の妨害、サボタージュが絡んでいたことも今や、明白である。厚労相、長妻大臣などは、毎日が組織的妨害との闘いであったらしい。かくして、官僚言いなりの菅直人内閣の誕生。消費税も、普天間も、原発政策の方向性などなども、すべてその言いなりに見える。こうしてつまり、官僚の既成「国策」に逆らったり、その暴力的やり口を告発するものは、総理大臣だろうが誰だろうが次々と葬り去られたり、泣き寝入りするしかなかったと言えるのではないか。ちょうど、長谷川幸洋氏が、泣き寝入りしたならばその社会的生命が奪われたであろうことと同様に。僕らも、彼を真似して彼らを告発しなければいけないのだと思う。

 結論。永年に渉って国民から委託され来たった組織、権限をこんなふうに使うモノは、この日本最大の暴力機関と結論するしかないと思うのだが、どうだろう。国民に選ばれた国会、議院内閣制による内閣など、官僚たちの永年積み上げた組織にかかるならば赤子同然という扱いなのでもあろう。官僚べったりを告発され始めたマスコミにも、何とかこの問題を扱わせることはできないものだろうか。

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