保安院の大罪(2) 文科系
保安院が事故直後の未公表の3月12日などの放射性物質拡散データを公表し、こう述べたとお伝えした。
【経済産業省の原子力安全・保安院は「データがどれだけ役立ったかは現時点では分からない。当時、公表しようという考えに至らなかったことは深く反省している」としています。】
さて、この未公表が、近くの住民にとってどれだけ重大なことであったか。今日の中日新聞2面記事を注意深く読むと、ことの重大性がよーく分かる。そして、憎むべき保安院をこう批判したい。
何が「公表しようという考えに至らなかった」、だ! 何が、「深く反省している」、だ。反省猿など何匹逆立ちしてもかなわない大悪党・確信犯のくせに。12日朝に起こった重大事故をいまだに隠していて、その間に内部被爆など、無数の被害者を将来に向けて生み出しているはずなのである。
2面記事の見出しはこうだ。
『蒸気放出前にテルル 金属性放射性物質 7キロ地点で検出』
重い金属性のテルルが浪江町内7キロ地点とか、大熊町、南相馬市に飛んでいたというのである。しかも事故翌日の12日朝から昼にかけて。これが何故そんなに問題なのか。記事の末尾は、京都大学原子炉実験室の山本俊弘准教授のこんな談話を紹介している。
『現在分かっている状況では、テルルが漏れるとは考えにくい』
中日のこのニュースはこう読むべきなのだろう。こんな重い物質が12日の午前にこんなに遠くまで飛ぶなどということは、現在まで公表されてきた範囲の原子炉事故経過の出来事からは説明が付かない、と。重い物質が遠くまで飛ぶような爆発は、発表された経過ではこのかなり後のことであって、12日15時36分の1号機水蒸気爆発が最初のはずだからである。
さて、事態はこういうことになろう。12日朝に何か重大な爆発があった。それを、東電と保安院がグルになって隠している可能性が非常に高い、と。
もうひとつさて、第1原発の(3キロ以内から)10キロ以内に避難指示が拡大されたのが、12日5時44分。それがさらに20キロ以内に広げられたのが、同日18時25分。上のように朝の大事故を隠してこういう指示が(大幅に遅れて)出されたとすれば、その間に起こった被爆は業務上過失致死罪に相当するのではないだろうか。内部被爆なども確実なのであって、それも非常に多数に上るはずだから、ものすごい重罪と言えるのではないだろうか。
この事実を、奴らはこのままずーっと隠していくのかもしれないが、僕たちはよーく覚えていたいものである。
中日新聞は、こんなことも述べている。東京電力の説明、「1号機の継ぎ目から水素とテルルが漏れて、風に乗って流れた」に対して、こんなふうにやんわりと批判を加えているのである。
『拡散しやすい揮発性のヨウ素131の検出量はテルルの半分程度』
重いものの方が多く飛んでいるという事実の説明にはなっていないよと語っているわけだろう。