投稿者 palクン 日時 2011 年 6 月 03 日 12:11:32
福島県南相馬市からの報告を続けよう。福島第一原発から20キロ、30キロの線で市域が3つに分断されてしまった街である。
「地震・津波」と「原発災害」の2つの被災地(死者・行方不明者は福島県で最多)であるこの街を訪れるにあたって、聞いておきたいことがあった。東京その他の全国で流れているマスコミの報道について、地元の人たちがどう思っているかである。そして、「東京」を筆頭とする他の地域の人々が「被災地」「被災者」に向ける視線についてどう思うか、である。
私がびっくりしたのは、南相馬市の市役所を取材に訪れた時だ。取材が終わり、担当の男性職員と軽い雑談になったときだ。 「NHKも朝日新聞も(南相馬市から)撤退してしまった。こないだ朝日はファクスで取材の問い合わせ来てたよね? あれどこだった?(福島市の電話番号だと同僚が言う)ほら、福島市ですよ。福島市から電話とファクスで取材してくるんだよなあ」 福島市は南相馬市から山を越えて車で1時間半ほどかかる。福島第一原発からは50キロ以上離れている。 「記者は会社の規則で原発から50キロ以内に入っちゃいけないっていうじゃないですか」 男性職員は苦笑した。
「私ら、ここに暮らしているんですよ」
南相馬市の3分の2は市民が暮らしている。30キロラインから外はまったく平常通りだ。私自身がその南相馬市に立ってみると、「50キロより外」に退避してしまったマスコミ企業は、残念ながら間抜けなほどの「腰抜け」に見える。 「あんたら、それでもジャーナリストなの?って言いたい。こんな大事件、逆にチャンスじゃないの?」 私の経験では、市役所職員のように記者と日常的に接している仕事の人たちは、大手報道企業のことを悪く言うことはめったにない。慎重な人たちだ。だから、この男性職員の怒気のこもった言葉には余計にぎょっとするのだ。 職員は横の女性職員を見た。
「もうね、彼女なんかすっかり『マスコミ不信』だよ」 彼らの言葉を「過剰反応」と言うことはできない。同市から記者は撤退した。トラック輸送も止まった。新聞すら届かないのだ。「見捨てられた」と市民たちが怒るのも無理はない(「福島民友」「福島民報」の地元紙はコンビニまでは届く)。
「東京の背広の連中は分かってない」
「この街の光景は異常でしょ? 店もやってないんですよ。放射能が降り注いでいる危険な場所に、みんな仕方なく暮らしている。異常ですよ」
そう怒りを表明していたのは、木幡竜一さん(47)である。経営している土木工事会社が、政府が決めた20キロラインの内側(立ち入り禁止区域)に入ってしまったため、会社に近寄れなくなってしまった(自宅は外側)。ダンプ、パワーショベルといった「商売道具」が使えないのはもちろん、工事の注文のファクスが入っても受け取れない。そんな話を以前書いた(「政府の避難計画は机上の空論だ、放射線量は高くないのに南相馬はゴーストタウン」)。
「こんな異常な話はない。全国に知らせてくれ、と地元のテレビ局に電話したんだ。なのに、まったく報道されない。どうなっているんですか」
木幡さんに問われた私は答えに窮した。被災地が多すぎて手が回らないんじゃないでしょうかと言うと、木幡さんはやんわりと否定した。
「原発から40キロだかのラインからは、マスコミは会社の規制で入って来ないんだっていうじゃないですか。ふざけた話ですよ」 「警視庁の(行方不明者の)捜索とか、テレビ局が来たからやっているのを、全国に見せているだけだ。あんなものを流してもしょうがないでしょう」
南相馬市に先立って訪れた岩手県野田村でも、よく似た怒りの声を聞いた。人口4650人の小さな漁村で、死者37人、全半壊450棟と、壊滅的な被害を受けたのに、村人の苦境について報道は一向に関心を向けない。地元紙すら取材に来ない。「官僚といいマスコミといい、東京の背広の連中は分かってない」と村人たちは怒っていた。
自分たちが苦しんでいるのに、忘れられている、無視されているという思いほどつらいものはない。(以下、略) 】
以上は、アシュラ掲示板から取りました。原発の今後に向けて最も大事になる「福島の今」を記録することでは、既成マスコミはほとんど役に立たないようです。官僚が率先して強調しているらしい「パニック、混乱防止」への配慮などでは全くなくって、何か官僚たちから脅されている感じすらいたします。官僚は官僚で、自分らの罪状を薄めるために「福島の記憶」を小さくしておきたいのだし、速く消したいということも明らか。
福島の記録っで頼れるのは、我々ネット社会だけなのでしょうか。だとしたらとにかく、記録しておきたい。いつまでも、風化させたくない。