本稿をなぜ提起したか。
3、11を経て私たちが知ったのは原子力ムラの存在でした。
しかしそれと関係なくとも、結果として原発推進の側に身をおいたことになる人間、集団はなかったか。
「人間」とは先ずは私自身であり、「集団」には進歩的と称されてきた集団はなかったか。
●原子力をどうみてきたか。
戦後のこの国の大勢は、原子力の軍事的利用は否定するも平和利用は肯定するというものでした。
しかしこれを崩したのは、ソ連の核実験。
直前の原水禁大会はアメリカの核実験再開を想定し、「再実験する国は平和の敵とみなす」との決議をしました。
これを受けて、ソ連に抗議すべきというグループと、米ソを同一視してはならないというグループに分裂。
社会党・総評を主とするグループは「原水禁国民会議」を結成。
代表の森滝市郎氏は「核と人類は共存できない」を掲げました。
これを基に、原発立地での反対住民に理論的根拠を与えたのが、高木仁三郎氏はじめ「原子力資料調査室」の皆さん。
一方、日本共産党の原子力政策の基本は、→『日本経済への提言』1977年
(1)原子力の軍事的利用を阻止し、
(2)研究・開発の民主的総合的発展を図り、
(3)安全・有効な平和利用をすすめる。
●この結果、
共産党はチェルノブイリ以降も、個別の原発推進政策には反対しつつも、
原発自体は認める立場をとってきた。
私が寒心を持つのは、この立場をとる大きな一因に、原水禁との対立関係がありはしないか、ということ。
●しかし昨年の「さよなら原発集会」は、
そうしたことを払拭した集会となりました。
しかし、それは一過性のものであった、という声が聞こえてこなくもなく、
その心配と憤りがあっての一文であります。