九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「メディアの憲法報道を問う」⑯

2008年12月24日 11時21分11秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑯
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)



新聞を読まない若者

それにしましても、僕は相変わらず「風」、
冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。
小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとか
そういうたいへん悲惨な状態が生まれています。
こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前に
たいへん失礼な言い方ですけども、
あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。
血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。

だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、
そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、
今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、
冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。
新聞を読まないで何から情報を得るかというと、
インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。
で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、
新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。
お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、
めったに20代の若者から感想は来ません。

僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが
実はこれからの日本を決めていくんですよね。
そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、
空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、
という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、
テレビはあんまりやってこなかったんですね。
テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、
あんまり詳しくやってきません。
ですから良かったと思ってるんですが、
もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、
そんなこと言ってられません。
当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。
あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、
風がたちまち吹き起こりかねない。
そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。

                  つづく




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天皇家にもっと基本的人権を       ネット虫

2008年12月24日 00時32分30秒 | Weblog
天皇誕生日にあたり仲間が次のようなメールをくれた。

天皇は、年齢には過酷な公務のため、病気で健康状態が低下されていると新聞は伝えていた。美智子妃殿下は、国際児童図書に詳しく一流の歌人としても通用する知識人でもあるが、若き日を知る我々世代には、その後の重圧を想わせるに十分である。
 また皇太子妃は、外交官時代のはつらつとした姿とは別人のように強いプレッシャーで健康を損ねている。
 天皇制度賛美の国民も多くいよう。だが、現実の天皇一家はいかに不幸を受苦されていることか。

 象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる。現行憲法を擁護するとともに、長期の展望として天皇制を考える際に、まずは天皇家が基本的な人権を享受されるよう、宮内庁などの官僚は天皇一家の人間としての権利を理解し、無理無体な天皇ご一家の政治的引き回しをやめるべきである。出産も結婚も育児も、人権擁護に基づいての配慮がなされるべきである。現在の天皇制に手をつけなくとも、最低天皇家の人権を擁護すべきである。

 天皇家の基本的人権を遵守するために、天皇制特権の立場によるさまざまな弊害を今日的な時点から廃止して天皇家の苦難を減らしていくべきと考える。天皇陛下の誕生日を御祝いするとは、そのような人権擁護の観点からなされるべきであり、天皇制の政治的利用など論外である。

★ この意見を読んで、皇室の人々の人権の回復には天皇制の廃止しかない、そしてそのことが真の国民の人権の徹底につながるという自分の考えには変わりないものの、天皇制の廃止か当面非現実的であるなら、暫定措置として現在の皇室の人々の人権を大幅に拡大していく必要があるように思える。
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「メディアの憲法報道を問う」⑮

2008年12月23日 16時37分31秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑮
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「70%が改憲容認」の嘘

いまのことをもう一回言いますと、写真の話の他に、
憲法の問題がいい例ですよね。
先ほど改憲賛成が70%って言いました。
しかしそれはみなさま方ご存じのように、よく内訳を調べてみると、
環境権の新設がいいからとか、人格権をはっきり盛り込めばいいんだと
言ってるんであって、憲法九条改正に賛成が70%なんてことはあり得ませんよね。
ここだって、ひとつ勉強して突っ込めばいくらでも事実を書くだけで
批判が出来ます。
では、環境権やプライバシー権を書き込もうと云って、
そのために憲法改正しようと言っている自民党の人たちが、
どれだけ環境権を実現するためにこれまで頑張ってきたか。
環境権訴訟なり、環境権を実現しようと頑張ってきた人たちは、
むしろ憲法九条を守ろうとしてやってきた人たちではなかったでしょうか。
そういう事実を組み合わせて報道するだけで、
何も「けしからん」と書かなくても批判的な力は充分果たせるのではないか
と思ってるんです。
その意味で憲法の報道の仕方が若干変わったのかなぁと思ったのは
朝日新聞の今年の5月3日の記事でした。
九条に絞って世論調査を実施したんです。
「九条変えない世論戻る」って見出しでですね、
「変える」という意見が23%で、「変えない」が66%。
かつては、23%とか66%というのは主見出しにはならなかったと思います。
全体の憲法を変えることに賛成か反対かという意見が
メインの見出しになったと思うんです。
どこをメインな見出しに書くかだけでも、メッセージは変わってくるんですね。
ですから、客観報道というのは基本原則としては大事なんですけども、
むしろそれを多面的に、多角的にいろんな情報を集めて組み合わせることによって
客観報道を守りながら、きちんと批判力を発揮していけるのではないか、
と思ってます。

つづく

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これがミモノ、遠藤対小川・玉田  文科系

2008年12月23日 09時57分25秒 | スポーツ
明後日、天皇杯準々決勝残り1ゲームがあります。名古屋グランパスとガンバ大阪のゲームで、ガンバがクラブ・ワールドカップに出たため日にちがずれたもの。
さて、これは今や事実上の決勝戦。残っているのが横浜、FC東京、柏で、後2者が一方のゲームであって、25日の勝者は横浜と当たるのですから。この3者で最大の強敵は、清水を破ったFC東京だと、僕は考えています。

さて、グラ・ガンバ戦はどうなるでしょうか。
クラブ・ワールドカップ3位決定戦を21日に戦ったガンバは中3日。これが吉凶いずれと出るか。この間の練習でグラがよほど伸びていないかぎり、まずガンバの勝利というのが、大方の見方のはず。なんせガンバは、クラブワールドカップでも一皮むけて、点の取り方など要所を押さえるチーム戦術で凄く伸びたようですから。

ガンバの遠藤は今や、Jリーグ史上最高の選手。しかも中田英寿や中村俊輔とちがって、今の最高円熟期に達するまでをずっと日本で過ごしてきて、本年度アジア・クラブ杯MVP選手にまでなりました。彼の戦術眼、位置取り、パス力、チームをまとめる力などは、想像を絶するものだといわれています。なんせガンバ監督・西野がこう言うんですから。
「遠藤はもう、僕が想像もできないようなプレーをする。そんな選手に育ってしまいました。頼もしいことです」
また、ガンバのフォワードには、ゴールへのダイレクトなプレーで切れ味があり、名古屋にはそれが欠けているとも思います。

対して、ガンバの遠藤に対抗できるグラ最大の武器、それはまず、ここでも再三書いてきた小川佳純でしょう。今期ダントツのリーグ新人王。レギュラー定着1年目で得点11(日本人3位、MFなのに!)、アシスト11(リーグ1位)と、過去に例もない大化けを成し遂げた選手です。また、日本代表レギュラーFWに上り詰めた玉田圭司も「違いを作れる選手」。などと見てくると、グラもなかなかとなってきます。さて予想は?

順当ならガンバ。グラはゲームを支配できないと思います。ガンバのチームとしての攻防に、特に中盤選手の巧みな組織的位置取りに、グラがいいようにやられるという気がします。グラが攻めてもパスコースを消され、やっとゴールまで行ってもスペースを消され、守っては素早くその時々の盲点を衝かれると、少なくとも中盤の攻防については特に、そんな気がします。
でもサッカーは点取りゲーム。例えゲームの7割を支配されようとも、「ゴール前で違いが出せる選手」がいるかどうかが決定的。これは、この前のガンバ・マンU戦を、あのときのルーニーの例を見ても分かること。ゲームはほとんどガンバが支配していても、肝心なところでルーニーにあっという間に2点をもぎ取られてしまいました。しかもこの「ゴール前で違いが出せる」かどうかが、日本人が世界から最も遅れた点だときています。この重要ポイント点では、ガンバの山崎が良いですが、グラには玉田、小川がいます。

さて結論です。
・ゲームはガンバが支配する。後半は特にそうなるだろう。
・名古屋の勝機は先取点を取った時だが、よほどのことがないとそれは無理。
・よって、ガンバ勝利。
・後はただ、4日前の戦いの疲れがガンバに残っていることを祈るのみ。でも、あの「足下だけで繋ぐパチューカ」戦じゃ、ガンバは疲れていないしなー。
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くどいようですが『勝ちとった違憲判決全国集会なごや』にお集まり下い!!      まもる

2008年12月22日 10時54分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
★政府はイラク派兵問題は、空自の撤退で過去の話として論議を避けようとしています。そして米アフガン増派にどう協力するかに懸命のようです。
 そんな今、勝ち取ったイラク派兵違憲判決の意味を問い直し、アフガンへの派兵を阻止する行動が緊急課題となっています。
 今回の「なごや集会」はそうした闘いのための良き出発点になると思います。
 先日にもお知らせしましたが、是非参加していただきますよう再度ご案内します。

*******************************************************************
平和を願うすべての皆様

『空自撤退! みんなで勝ちとった違憲判決全国集会@なごや』にお集まり下い! 

  4月17日には、名古屋において「違憲判決」を勝ち取ることができました。11月28日、政府はイラク空自の年内撤収を決定しました。これは違憲判決の成果であるとともに、裁判を超えて、多くの皆さんが違憲判決をしっかり受け止めて頂き、イラクからの自衛隊撤退の世論が広がった成果に他なりません。まさに憲法と市民の力で自衛隊の撤退を勝ち取ったのです。
 イラクからの航空自衛隊の撤退(12月中に愛知の小牧基地に戻ってきます)を勝ち取った、この憲法と市民の勝利を、ひとりでも多くの皆さんとともに確認し合い、そしてさらに今後の新たな運動につなげていきたい。そんな思いで,12月23日に下記の「全国集会」を名古屋で開催します。
 この判決は平和を願うすべての皆さんの判決ですから、是非多くの方にご参加頂きたいと思っています。多くの皆さんとともにこの成果を確認し合い、そして今後の新たな運動につなげていきたいと思っています。

【日時】  2008年12月23日(火曜・祭日) 13:30~16:30

【場所】  愛知県勤労会館2階小ホール      【会費】 500円

【概要】 13:00 開場、受付開始     13:30 開会挨拶

    ①「イラク空自撤収完了と裁判勝利」宣言!            
    ②「イラク訴訟紙芝居」特別公演
    ③「リレートーク1」                       
    ④DVD上映と語り 西谷文和さん(イラクの子どもを救う会代表)
    ~~20分休憩~~
    ⑤天木直人さん、小林武さん、内藤功さん他のトーク
    ⑥今後に向けて

     16:30 閉会 

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「メディアの憲法報道を問う」⑭

2008年12月22日 08時58分27秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑭
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「客観報道」を乗り越える

もうひとつみなさん方に物足りなく受け止められている原因だろうというのに、
客観報道主義という問題があります。
ジャーナリズムは客観的でなければいけません、って言われています。
つまり、あったままに報道しなければいけない。
何事も省かず、何事も付け加えずに、つまり偏らずに報道しなければいけません。
事実を伝えることと、意見を伝えるところは分けなければいけません、
という言い方をしています。
そうしますと、なかなか自分はこう思う、ああ思うと思っても、
そのままストレートに記事に反映するということは難しくなってきます。

自分の意見を書こう、感想を書こうと思ったら、
別に解説とか論評とかいう欄をつくらなければならない。
田母神さんの論文が発表されましたということを書くのに、
「政府見解と違う論文が発表された」までは書けます。
客観的な事実ですから。
「とんでもない論文が発表された」と書くと、
これはもう、論評になっちゃうんですね。分けなきゃいけないんです。
ですから、そこを現実に使い分けなければいけない
というしがらみが記者の側にはあるんです。
ですが、これは、もう一歩そこを突き抜けると客観報道の制約というのは
逃れられると僕は思っています。

例えば写真をひとつ例にとりましょう。
写真だから嘘はありませんよねぇ、そのまま写っているんですから。
でも、これ、カメラマンがカメラのフレームで捉えた真実です。
このフレームの外側に何があるかによって、
このフレームの内側の意味が全然変わってきます。
有名な話があるんですね。
ずいぶん前ですけど、アフリカでケビン・カーターってカメラマンが、
やせ衰えた少女をハゲワシが狙ってる写真を撮って、
「ハゲワシと少女」でピュリッツァー賞という凄い賞を貰ったんです。
ところがその時彼に「なぜ少女を助けなかったんだ、
写真を撮ってる暇があったら、なぜ助けなかったんだ」
という非難が殺到しました。
で、そのことが原因かどうかは判りませんが、彼は自殺しちゃうんですね。
で、後で同僚のカメラマンが明らかにしたことは、
とんでもない、助けるなんて、そんなこと全然必要ないよ、
俺の写真を見ろ、って。
その同僚のカメラマンが撮った写真になるとですね、
上の方に母親が写ってんですよ。
母親が国連の援助物資を受け取ってんですよ。
だから、ハゲワシが確かに少女の近くにいるんだけども、
ハゲワシが少女に襲いかかる雰囲気の場面じゃないんですね。
でも、お母さんが写っていたんじゃピュリッツァー賞になるような迫力が
全然ないわけです。

どこをつかみ取ってくるかということによって、
事実というものが変わって来ますから、
わざわざ「とんでもない」という言葉を使わなくても、
そのフレームの外側にある事実をいろいろつかんできて、
組み合わせて報道することによって、
僕は論評の役割は充分出来るのではないか、と思っています。
ただそれをやるためには、記者はものすごく勉強しなければなりません。
ですから、記者にはたいへんな努力が要求されると思います。
しかし若い人たちは後で紹介しますが、たいへんな努力をしていることも
事実ですから、そこはあとでちょっと説明したいと思います。

                  つづく
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御手洗会長 なぜ内部留保を使わない   日刊ゲンダイより

2008年12月22日 00時05分27秒 | 国内政治・経済・社会問題
●大分・杵築市が税金で1200人救済
 財政が厳しい地方都市にとっては大英断だったに違いない。大分県杵築(きつき)市が、地元の「大分キヤノンマテリアル」と「大分キヤノン」(国東市)を解雇される請負社員約1200人を臨時職員として雇用することを決め、16日から募集を始めた。さらに、大分市と国東市も募集を始める。
 最長1カ月の短期雇用とはいえ、クビを切られた非正規社員を自治体が直接雇用する例はまれだ。「景気が悪いから」と簡単にクビを切るキヤノンの御手洗冨士夫会長(73)は、市長や職員の爪の垢を煎じて飲んだらどうか。
 杵築市によると、来年3月まで、全25課に1〜2人程度を交代で臨時雇用する。道路舗装などの補助が主な仕事だが、市内の研修施設を緊急宿泊所として提供するほか、5400円の日当も支払う。1人当たり平均月額11万円前後の収入になる見込みで、事業費はおよそ2000万円程度になるとみられる。
 市は予備費などを充てる計画だが、一般会計で30億円ほどの小規模自治体だけに、支出する金額は決して小さくない。
「市財政は厳しいが、少しでも解雇された人の手助けになればいい」と商工観光課。
 それにしても、許せないのはキヤノンの御手洗氏だ。同社は「生産数量の減少に伴う雇用調整のケースが出ている」(広報)というが、冗談じゃない。キヤノンの内部留保は9月末時点で約3兆円(!)にも上る。大分の職場を解雇される1200人の社員1人当たりの年収を300万円で計算しても、必要額は0.1%程度で総額36億円。850年間雇える。
「経団連会長でもある御手洗氏は1日に麻生首相と会談した際、『雇用安定に努力する』と言っていたが、舌の根も乾かない3日後に大分の削減計画が明らかになりました。そもそも大分の工場は、県が『雇用創出につながる』と30億円もキヤノンに補助金を出したのに、従業員の7〜8割は非正規社員で、このうち6割が県外者という状況です」(地元議員)
 キヤノンは、ボロ儲けするために、違法な「偽装請負」までやって労働者を安くコキ使い、それがバレると「派遣法を変えろ」と主張。サラリーマンの残業代をチャラにする「ホワイトカラーエグゼンプション法案」にも御手洗氏は走り回っていた。そのクセ、本人は2億円近くの年収を得ているとみられているからふざけている。こんな男が「財界総理」と呼ばれる経団連会長に居座っているなんてどう考えてもおかしい。首相と一緒に早く引きずり降ろすべきだ。

(日刊ゲンダイ2008年12月17日掲載)

★ネットの友人から上記の日刊ゲンダイの記事の紹介があった。
 キャノンばかりでなく、トヨタグループなど他の大企業でもしっかり儲けていて内部留保は抱え込み、こんなピンチの時でもびた一文出そうとしないのは何故なのか? 復讐の念にも似た感情を抱かざるをえない。(ネット虫)

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クラブW杯戦のガンバ、天晴れ  文科系

2008年12月21日 21時21分36秒 | スポーツ
ガンバ大阪がマンUに3対5、パチューカに1対0で、クラブ・ワールドカップの3位になった。二つの闘いを僕流に振り返ってみたい。

まずマンU戦。
世間は大げさに差があると皆言うが、僕はそうは思わない。結論を言えば、ほとんどFWの差だけであると思う。端的に言えば、ルーニー、ロナウドがいるかいないか、これに尽きるのではないだろうか。2得点の差だって、結果的に言えば敵セットプレーの2得点だけではないかということになる。そして、これ以外のサッカーの基本は日本の得意な部分だが、結構同格以上にやっていたと思うのだ。
スペースに走ってボールを繋ぐ組織技術、ボールを止めて蹴る技術、組織的な高いプレスなどなどは、あのゲームでは互角以上にやっていたのだから。ただ、日本にルーニーかロナウドがいたら、向こうはガンバをもう少し自由にやらせずに、プレッシャーをかけてきたかもしれない。がとにかく、日本のペナルティーキック獲得も含めて、3得点すべてが流れの中からの得点であるというのは明白な事実である。「マンUは油断していた」などと言うならば、それは日本も同じこと。「5分で3点は油断していた」となろう。
ルーニー、ロナウドのことだが、守備が進んだ今は、世界中が良いゴールゲッタ-を渇望している。それが特別かつ極少数しか世界にいないから、100億円などという値がつくのだ。そういう人間が今、イングランドに集中している。だからイギリスにはチャンピオンズリーグ本戦トーナメントに出るようなチームが4つもあるのだと思う。ドログバ(チェルシー)、アデバイヨール(アーセナル)、トーレス(リバプール)。ルーニー、ロナウドだけが特別というわけでなく、今のイギリスが特別なのだと考えたほうがよいと思う。
というような以上の意味において結論であるが、ガンバは本当に良くやったと思う。ボールを奪い、繋ぎ、ゴールを狙う。この基礎的技術では、やる気において相手を圧倒していたゲームではなかったか。とにかくあのゲーム、ルーニーが日本にいたら日本が勝っていた。これは誰もがそう思うことのはずだ。つまり、ルーニー、ロナウドの差だけのゲームだったということである。

パチューカ戦
北中米カリブ海は戦術的に世界から遅れているのではないかと、すでにリガ・デ・キトとの闘いで思った。今時あんなに足元だけでボールを繋ぐやり方で、世界に通用するわけがない。スペースへ走りこまないし、スペースを作りもしない。これでどうやってゴールを落とすのかと思った。守備が高度になった今、ゴール前のスペース利用の発想法がなければ得点できないはずなのである。
ガンバ戦も案の定だった。個人技術があるからボールは保持するが、スペース的発想法がないからゴールには迫れない。敵陣への最後4分の1ぐらいの所でいつも出足が止まってしまった。こういうチームはボールを持たせて味方ゴール前のスペースを消しておいて、必要なときに高い位置で足元狙いの敵パスをカットして攻めて行けばよいのだ。こうしてガンバは面白いように攻めていた。ボール保持率はガンバの40対60以下だったはずなのにである。1対0は順当過ぎる当然の差である。ガンバは得点される気がしなかったのではないか。

なお、この二つのゲームでガンバは一皮向けたと思う。「いくら攻めさせても、味方ゴール前のスペースにだけ注意すればよい。攻撃のほうが難しいのだから」、「高い位置での一瞬のボール奪取からシュートまでは切れ味」この二点において。
どうも25日の天皇杯準々決勝では、グランパスが不利になったようだ。ガンバが疲れていて、グラが急に伸びているはずと、期待するしかない。

なおこの準々決勝の僕の予想は見事に全部外れた。勝つと思っていた広島、清水、鳥栖が全部負けた。グラが負ければ、4つとも外れとなる、情けない。
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「メディアの憲法報道を問う」⑬

2008年12月21日 13時15分53秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑬
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


わけ知り顔で愚直になれない報道姿勢

あと感じていることをもう一点付け加えますと、
これは別に憲法問題に限りません。
社説を含めた政治報道一般に考えられることですが、
わけ知り顔になってしまうということです。
こんなこと言ったって無駄だよなぁ、将来これ実現しないよなぁと
内心思ってしまうものですから、書く記事もつい迫力がなくなってしまう。

よく云われることですが、政治を政局に絡めて論じてしまう人がいます。
政治の問題として真っ正面からその問題に斬り込んで
論評したり分析したり批判すべきなのに、
これをこう言っている自民党の思惑はとか、民主党の思惑はとかですね、
わけ識り顔に解説してしまって核心に斬り込まないということが
しばしばあります。
そんな記事に限って、原理原則に照らした批判みたいなものは弱いんです。

例えば自民党の思惑はこうこうこういうことなんだよ
というところまでは行く、だけどもそうゆう思惑を抱いて行動することは
間違っているんだと云うところまではなかなか行かない。
ですから、心ある読者、或いは心ある視聴者の方はなんかもどかしくて、
イライラしてしまうというような場面があるんだろうと思うんです。

「そんなこと言ったってなぁ」って典型が核問題です。
日本の新聞の社説はこれはどの新聞も同じです。反核非核は論じます。
つまり、核に反対、核を使うことはいけないことだ、ということまでは論じます。
でも、究極の反核、非核は反戦のはずなんですね。
ところがなかなか反戦までは行かない。
行かないのはもちろん僕は判っているんです。
38年もそういう立場にいたんですから。
それを現場の記者たちのためのことも含めて若干の反省も込めて
自己批判を説明させていただきます。
なぜそうなっちゃうのか。
まず、今の新聞記者のほとんどの人で、戦争賛成、憲法改正賛成と
積極的に思っている人はいないと思います。
ただ、世論調査をすると、憲法を改正するのはいいことじゃないの、
という数字が60、70%出てきちゃうんですね。
そうすると、報道する記者の側もなかなか自信が持てないんです。
読者の意見と俺の意見は遊離しちゃってるかなぁ、という懐疑心が湧いてくる。
憲法に関するここ数年の状況は明らかにジャーナリズムの側にいる人たちが
国民のあの反応を見て、自信を失って、戸惑ってるというのが
現状だろうと思います。

もう一つは、戦後世代がいまや三分の二を過ぎているということです。
改憲の問題をジャーナリストとして担ってるのも戦後世代です。
そうすると、今の憲法に対する思い入れ、或いは戦争に対する感覚は、
ここにいらっしゃる大先輩の方々とは違うんですね。
つまり、皮膚感覚としての憲法感覚とか、戦争認識はないんです。
理論の上では理解してるが、皮膚感覚としてはなかなか直ぐ反応できない、
という部分がたいへん多いですね。
おそらく、こういう集会にお見えになる方々は、
憲法改正って言ったら最初にちょっと待てよ、という感覚が先に立って、
それから次ぎに理屈とかいろいろなことが出てくるだろうと思うんですが、
戦後世代の、生まれたときから平和があって、
生まれた時から今の憲法があった人たちにとってみれば
憲法改正って言われたときに、ちょっと待てって感覚になるのは
なかなか難しいかもしれません。

                     つづく
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九条が世界に広がっています   大西五郎

2008年12月20日 19時18分11秒 | Weblog

先に行った「日本国憲法の原点がここにある」という学習会で、
日本国憲法が改憲派が言うようにアメリカ(GHQ)の押し付けなどでは
決してなく、世界の叡智を結集したものだということを
国際連盟憲章、パリ不戦条約などを引用しながらお話しました。

 その後も世界における日本国憲法第九条についていろいろ調べています。
その結果、憲法九条が人類の宝であるという確信をますます強めています。
日本における九条の会は7294(11月の全国交流集会で確認)になり、
日々増えています。

5月に「憲法九条世界会議」が幕張メッセで開かれ、
41カ国・地域から参加者があり、日本の憲法九条が世界の人々の指針に
なっていることが証明されました。
 九条の会が日本以外でも続々結成され、または結成されようとしています。
その歴史を振り返ってみましょう。

◇1991年にオーバービー博士によって「9条の会USA」が結成されました。
◇2005年にカナダのバンクーバで日系人が中心になって
「バンクーバ9条の会」が結成されました。
   (今では現地の大学教授などカナダ人も加わって運動が発展しています)
◇2006年にスリランカで「スリランカ9条の会」が結成されました。
◇2007年に韓国にも「韓国9条の会」が結成されました。
◇ベトナム、フィリピン、ニュージランドでも「9条の会結成準備会」が
できています。
◇フランス、イタリア、ドイツの青年の間で「ユーロ憲法に9条の精神を」の
運動が起きています。
◇アメリカ退役軍人の人たちが「連邦憲法に9条を」という署名を
上下両院議員に提出しました。

 そして、軍隊を持たない国も広がっています。
◇中米コスタリカが軍隊を持たない憲法を1949年に作りました。
(警察隊はあります)
◇その隣国のパナマも軍隊を持たない憲法を1994年に作りました。
(警察隊はあります)
◇アイスランドも永世中立を宣言し、軍隊を持っていません。
◇リヒテンシュタイン公国、ツバル共和国も軍隊を持っていません。
◇イタリアは1947年に戦争否認の憲法を作りました。
 「イタリアは他の人民の自由を侵害する手段及び国際紛争を
解決する方法としての戦争を否認する」(イタリア共和国憲法第11条)
また、「九条の精神」が世界の人々の考え方をリードしています。
◇かつて長らく戦乱の続いたヨーロッパ全体を一つの国にして、
戦争のないヨーロッパにしようとEUが結成されました。
◇東南アジア友好協力条約が結ばれ、東アジアを一つの国にと
東アジア共同体結成を目指しています。
◇南米でも12カ国が地域統合を目指して南米諸国連合を発足させました。
◇アフリカで部族対立を「日本の憲法9条の精神で解決しよう」と
いう運動が起きています。
◇スペイン領カナリア諸島のグランカナリア島にスペイン語の
「9条の碑」が建てられています。
◇最も新しい動きでは、クラスター爆弾禁止条約が締結されました。

 これらはいずれも日本国憲法が謳った「日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した(憲法前文)」結果
生まれた憲法九条の精神が、
世界の人々の間にも広がっていっていることを示すものだと思います。


      大西さんから、送っていただいた原稿です。(落石)


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「メディアの憲法報道を問う」⑫

2008年12月20日 14時08分50秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)のつづきです。(落石)


改憲問題に中立はあり得るか

それから二番目に申し上げますのは、憲法改正問題というのに
中立という立場があるんだろうかということです。
さっき申し上げた旗印を掲げて突っ走るっのは問題だよと言っておきながら
中立という立場があるんだろうかというのは矛盾じゃないかと
感じられる方もあるかもしれませんが、
僕自身のなかではそんな矛盾という気持ちは全然ないんですね。
もちろんどっちの賛成も直ぐにはしないにしても、
これだけ重要な国の基本の問題に関しては必ず新聞としての
理念なり理想なりがあるはずなんです。
だから、それを持たずにただどっちつかずに中立でいようやと
いう姿勢はあり得ないのではないか。
例えば中日新聞で憲法の論説を書くときにみんなでよく出る、
またこれは社の偉い人たちも会議でしばしば言うことなんですけども、
「戦争はいかんぞ、戦争は絶対に起こしてはいかんぞ」という基本です。
これに関しては、社内でいろいろな意見があっても、絶対に不一致はないんです。
そういう基本がなくてただ中立という方針は僕はあり得ないのではないか、
という気がしています。


どこに軸足を置くか

そういう点から言いますと一番疑問なのは、論憲という言い方で
社の姿勢を示している新聞社です。憲法を論じよう、おおいに議論しよう。
まぁ、大いに議論するのは結構です。
だけど議論するにしたって、今言ったように憲法のような重要な問題ですから
その軸足をどこに置くか、ということは大切だろうと思うんです。

戦争は絶対やめよう、場合によっては戦争もしょうがないか、
のどっちに軸足を置くかで議論の内容が全然変わってきます。
ですから、なんだかんだと議論すればいいというものではないだろう
という気はしています。
それからあっちでもないこっちでもないという議論の仕方をする
社説なんかもあるんです。
形の上では護憲の立場がにじみ出ている社説を書いている新聞社もあるんですが、
僕らの眼で見ると、これは腰が据わってないなぁ、
何かどっかに遠慮してるなぁと云う感じのすることがしばしばあります。
つまり絶対的な価値観を持たない中立というのは憲法問題の社説に関しては
あり得ないと思ってます。
私はいまここに個人として来てますから、
中日新聞社の公式発言だとは理解しないでほしいんですが、
中日の姿勢に関してひと言申します。
私どもが社説を書くときに、「戦争はいかんぞ」ってのは
これは誰もいいますが、その他に一番大事にしてきたことは、
「これまで日本人が築いてきた戦後の秩序感覚というのは
大事にしていこうじゃないか」と云うことです。
つまり、戦後的価値観、戦後的な秩序は大事にしていこうじゃないか、と。

それからもう一つ確認したのは、
これは別に社是とかなんかで決めたわけじゃありませんが、
みんなでこういう考えでいいんだよなぁと云って話し合いの席でよく出るのは、
憲法は国民を縛るものではないよなぁ、国民が公権力をしばるもんだよなぁ、
これが第二点。
それから、ナショナリズムをあんまり鼓吹するのはやめようやねぇ、
危ないよなぁ。
それと関連して、ナショナリズムが高揚しているときに憲法を論ずるのは
危ないよねぇ、と言う議論もよくしました。
つまり、憲法を考えるときにそう言う軸足がないまま論憲と言ったり、
どっちつかずの、中立と言ったって公平ではないという気はしています。

                         つづく

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『空自撤退! みんなで勝ちとった違憲判決全国集会@なごや』にお集まり下い!!

2008年12月20日 10時47分34秒 | 国内政治・経済・社会問題
★私の参加する昭和区九条の会に上記の催しへの参加要請が、イラク訴訟の川口弁護士よりありました。
このブログでも時々紹介している、元大使の天木直人氏も参加します。違憲判決の内容とその効果など、学ぶことが多い集会だと思います。多くの皆さんが参加されるようご案内いたします。                                     (まもる)

*******************************************************************
平和を願うすべての皆様

『空自撤退! みんなで勝ちとった違憲判決全国集会@なごや』にお集まり下い! 

  4月17日には、名古屋において「違憲判決」を勝ち取ることができました。11月28日、政府はイラク空自の年内撤収を決定しました。これは違憲判決の成果であるとともに、裁判を超えて、多くの皆さんが違憲判決をしっかり受け止めて頂き、イラクからの自衛隊撤退の世論が広がった成果に他なりません。まさに憲法と市民の力で自衛隊の撤退を勝ち取ったのです。
 イラクからの航空自衛隊の撤退(12月中に愛知の小牧基地に戻ってきます)を勝ち取った、この憲法と市民の勝利を、ひとりでも多くの皆さんとともに確認し合い、そしてさらに今後の新たな運動につなげていきたい。そんな思いで,12月23日に下記の「全国集会」を名古屋で開催します。
 この判決は平和を願うすべての皆さんの判決ですから、是非多くの方にご参加頂きたいと思っています。多くの皆さんとともにこの成果を確認し合い、そして今後の新たな運動につなげていきたいと思っています。

【日時】  2008年12月23日(火曜・祭日) 13:30~16:30

【場所】  愛知県勤労会館2階小ホール      【会費】 500円

【概要】 13:00 開場、受付開始     13:30 開会挨拶

    ①「イラク空自撤収完了と裁判勝利」宣言!            
    ②「イラク訴訟紙芝居」特別公演
    ③「リレートーク1」                       
    ④DVD上映と語り 西谷文和さん(イラクの子どもを救う会代表)
    ~~20分休憩~~
    ⑤天木直人さん、小林武さん、内藤功さん他のトーク
    ⑥今後に向けて

     16:30 閉会 

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麻生首相の支持率低落は首相の憲法感覚も原因か  大西 五郎

2008年12月20日 10時03分40秒 | Weblog
12月9日に新聞各紙やNHKそれにJNNが世論調査に基づく麻生内閣の支持率を発表しました。
それによりますと、支持率は朝日新聞の調査で22%、毎日新聞で21%、読売新聞は20.9%、中日新聞が25.5%、NHKが25%、JNNは23.9%と、軒並み20%台前半まで急落し、政権を維持するためには危険水域といわれる30%を大きく割り込みました。
新聞やテレビ報道の解説によりますと、麻生首相は「政局より政策」と言っておきながら、追加景気対策を盛り込む第二次補正予算案を今の臨時国会には提出せず、1月の通常国会に先延ばししたことや定額給付金の不人気などが原因と指摘しています。
もちろんそれが大きな要因と思いますが、それだけでなく、憲法改正を進めようとする麻生内閣の政治姿勢に国民が拒否の反応を示したことが底流にあると思います。

 憲法感覚が問われる麻生首相

明治憲法(大日本帝国憲法)は、国家が国民を統制するという考えに貫かれた法典でした。それに対して現憲法(日本国憲法)は国民が国家権力を縛るという立場で作られたものです。第9条は、国家に戦争の道具である軍隊をもたせないぞ。国家が勝手に外国と戦争をすることを禁ずるぞという宣言です。憲法というものをどう考えるかの根本問題です。
改憲派は、国民を統制するための憲法を再現しようとしています。安倍元首相の「戦後レジームからの脱却」というのは、憲法で国民が国家権力を規制するという現在の体制を明治憲法の時代に戻そうというものでした。だから国民がそれに「ノー」を突きつけ、安倍氏は自信を失って政権を投げ出したのです。
麻生首相はどうでしょうか。麻生内閣の閣僚には第9条をなくせという改憲派(靖国派)といわれる人たちが多数入閣しています。麻生首相は、集団的自衛権の行使について解釈を変更し、他国(米国)の軍隊と一緒になって軍事行動がとれるようにしようと言っています。そしていちいち新しい法律を作らなくても、いつでも自衛隊を海外に派兵できるようにする「恒久法」の成立を目指しています。
麻生首相は、産科医不足問題で「自分は病院を経営しているからわかるが、医師には社会常識に欠ける者が多い」と言いました。医師が不足している中で麻生家が経営する病院で医師に無理な勤務を要求し、それを断られて、経営者である自分の権力に従おうとしないのは常識のない奴だという意味で言ったのだとしたら、麻生首相の方こそ社会常識に欠けています。憲法で国民を統制しようという考え方と同じです。
また麻生首相は、「同窓会に行くと同級生がよぼよぼしている。自分は健康に気をつけているから医療費はかかっていない。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで食べて何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」ということを言いました。首相でありながら社会保障制度が分かっていないことを露呈しましたが、分かっていないというよりは、国が国民を守る義務を負っていることを拒否し、国民は国に奉仕すべきだという考え方のあらわれです。ここでも憲法感覚が問われます。
国民は、こうした麻生氏の憲法感覚にキナ臭さを感じているのではないでしょうか。それが低支持率をもたらしている底流にあるように私には思えます。

★この記事は、大西氏の承諾を得て東海放送人九条の会のHPより転載しました。

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「旧麻生鉱業に外国人捕虜300人=63年前、公文書に記載-厚労省」

2008年12月20日 09時45分53秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
『首相は外相時代から旧麻生鉱業に捕虜がいたことを一貫して否定。
麻生首相は、自らの「輝かしい」系譜を誇っているようですが、こういう方面については「なかったこと」にして目を瞑る(隠す)のでしょうか。
前空幕長は「身内の恥は言わないのが良い」みたいなことを言っていました。
「自虐史観」がお嫌いな方々は、「都合の良いところを誇大に言及し、都合の悪いことは隠す」ようです。
もっとも「当時の世界情勢(帝国主義列強による侵略競争の時代)からすれば大東亜戦争は自衛の戦争だ」という”史観”に立てば、「捕虜を労働に使うのは『当時の状況では普通のこと』。(ソ連はもっと酷かったじゃないか)」と、全くもって”平気”なのかもしれませんが、率直に認め謝罪すべき点はそうした方がうまくいくのではないでしょうか。』というメールとともに時事通信の記事が岐阜の近藤ゆり子さんから送られてきました。紹介します。 (ネット虫)


***************************************************************

時事通信
「旧麻生鉱業に外国人捕虜300人=63年前、公文書に記載-厚労省」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008121800696

 麻生太郎首相の親族が経営していた旧「麻生鉱業」(福岡県)に戦時中、外国人捕虜が300人いたと、厚生労働省が保管していた公文書に記載されていたことが18日分かった。
 民主党の藤田幸久参院議員の求めに応じ、同省が回答した。藤田議員によると、首相は外相時代から旧麻生鉱業に捕虜がいたことを一貫して否定。政府として認めたのは初めてという。
 同省が藤田議員に示した公文書は4つあり、陸軍省を引き継いだ旧第一復員省などが作成したとみられる。
 旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所「第26分所」に、1945年5月10日から終戦の8月15日まで、英国人101人、オランダ人2人、オーストラリア人197人がおり、うち同年7月にはオーストラリア人2人が死亡したなどと記載されていた。
 18日記者会見した藤田議員は「首相は捕虜の労働条件や、死亡との因果関係について検証する責任がある」と話した。
 厚労省社会・援護局は「捕虜を使うのは当時の状況では普通のこと。虐待などがあれば問題だが、この資料からは分からない」としている。(2008/12/18-16:58)


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「メディアの憲法報道を問う」⑪

2008年12月19日 13時43分00秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑪
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


「はじめに旗印ありき」は疑問

問題は読売と産経の突出をジャーナリズムとしてどう見るか、という問題です。
ジャーナリズム、特に新聞なんかが、特定の意見を発表することは、
僕は決して誤りではないと思います。
ジャーナリズムとしてのメディアの主体性という意味も込めて、
きちんと意見があるなら意見を言うべきだと思います。
新聞には社説と云うそういう役割のものがあります。
例えば今度のアメリカの大統領選挙では、130紙ぐらいが、
うちの新聞はオバマを支持するとはっきり方向を出しています。
日本の新聞はめったにそんなことはやりませんけれども。
だから決して意見を明らかにすることは誤りではないと思いますが、
新聞の発行部数を利用して世論をそっちに誘導するかのような報道の仕方は
ジャーナリズムとしてどうなのか。
世の中の情勢を見ておいて、私の新聞はこっちが正しいと思いますよ
と言うのはいいけれども、
自らが憲法草案を作って、そっちの方にいろいろ引っ張って行ったりするという、
そういう運動の先頭にジャーナリズムとして立つというのは、
いかがなものか、ということで僕はたいへん大きな疑問を持っています。

それからもう一つ、それでもいろいろ考えた結果、
そっちの方角が正しいと思うからそっちに走るんだよと
いうのは未だ許せるとしても、
会社の営業政策としてそっちに走ることによって生き伸びようというのは
ジャーナリズムとしては邪道ではないか、という気がしてます。
産経新聞の幹部をしておられた青木さんというたいへん高名なジャーナリストで、
産経新聞の役員もされてた方ですが、
その回顧している文章のなかにはっきりと、
これだけ新聞の競争が激しいなかで生き残るために保守主義という旗を
掲げるのも面白いと思った、と書いておられます。
つまりこれは考え抜いた結果その結論を出したということじゃなくて、
生き残るためにその方針を出したことを面白いと思ったと
青木さんはおっしゃってるんですね。
それはちょっとジャーナリズムとしては違うんではないか、
という感じがしています。

                   つづく


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