九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 「新しい友の話」   文科系

2008年12月19日 00時08分24秒 | 文芸作品
  随筆 「新しい友の話」 

 出会って一年弱、できたてほやほやの親友二人とのあるエピソードを話そう。他人は「ただ、マニアック仲間というだけ」と評するかも知れない。が、僕ら三人にとっては、到底そんな話ではないのだと前置きしておいて。

 初冬の飛騨路。あらかたの落葉樹は丸坊主に近く、かろうじて残っている葉もつまんだ端からくしゃっとなりそうな季節。そんな山々をぬって、Nさん提供兼運転の車は、下呂駅に近いリゾートホテルに着いた。まずは温泉。その露天風呂もそこそこに部屋に戻って、Nさんと僕は持参のギターを交互に弾き始める。ギター持参のないAさんは、ほほえみながら二人の音を聴いている。そんな時間がかなり長く続いたあとにふっとAさんがこう申し出た。こんなありふれた言葉なのに、僕は、一瞬で我が身が固くなったのを感じた。
 「Nさん。ギターちょっと貸して。僕も弾いてみるわ」
 弾きだしたのは、何の変哲もないアルペジオ、分散和音である。単純な基礎練習というだけではなく、ことさらなようにゆっくりしたテンポだ。ぎこちない弾き方とさえ言えるが、これはとにかくAさんのような二十年選手が人に聴かせるような曲でも、感じでもない。あとの二人がまた、この単純なアルペジオを神妙に聴いている。時には、二人交互に演奏者の方に身を乗り出すようにまでして。

 この二人、あるギター教室の四捨五入すれば七十歳になる同門生で、Nさんとは同じ歳、Aさんは一つ上。この早春に発表会の打ち上げ会で知り合ってから、お付き合いが続いてきた方々である。そしてその「事件」は、打ち上げ会の十二日あとに我が家に三人が集まった「ギター遊び兼飲み会」以降しばらくして起こった。Aさんが教室を辞めてしまったのである。この事件の微妙さを部外の方々に分かってもらうのはとても難しいのだが、とにかくやってみよう。
 まず、Aさんが教室の先生に不満を持ち、抗議したらしい。「『アルハンブラ宮殿の思い出』で、必要な指摘をしてくれなかった」と。どうも、僕たち二人の批評がうすうす自覚し始めていた欠点と一致して、『先生が、この年寄りとしてはこんなもんだろうとだけ扱ってきた』と思い至ったようなのだ。ぼくらの関係もナーバスなものになってくる。特に、僕の古いアルペジオ楽譜二枚にショックを受けたとしきりに語られる。定年後先生につく以前、一人習いの昔から、ちっとも上手くならないのでいつも基礎に帰って弾き込んできてぼろぼろになった二枚であって、僕の常用練習ファイルの冒頭に張られたものだ。これのことも含めて、おおむねこんな思いを彼は語っていたかと思う。
〈習って二十年。アルハンブラをなんとか完成させようと、これだけでも三年。本当に三年!! ちっとも完成していかなかったのはタッチがいい加減だったからだ。練習時間と熱意とでは誰にも負けぬと自負してきたが、それもどうもあやしい。俺のこのギター、これから一体どうしたら良いのだ!〉
 以降の彼はギターのことを僕とは話したくないようだった。今分かるのだが、僕が何気なく口に出した言葉が、ずいぶん彼を傷つけてもいたようだ。「一人で基礎練習をしているらしい」とは、Nさんから聞いたことである。なおまた、この旅行参加を土壇場近くになってきっぱりと決意したのも、NさんとミセスAとの合作らしい。彼女はこの決意を喜んで二人へのおみやげを用意し、前日にへそくりの一部をさりげなく手渡して、持ち金を増やしてくれたとのことだった。Aさんはそんなことまでを話してくれたのである。

 訥々とはしているが、見違えるようにしっかりとしたタッチと思った。僕はなにか目頭が熱くなった。Nさんが激賞しているのが聞こえる。僕も言葉に注意しつつ何かを言ったと思う。この前後、彼自身の心境はどうだったか。帰宅翌日のメールにこうあった。
 「正直言ってお二人の前でギターを弾いた時は、清水の舞台から・・・の心境。緊張感を凌駕した恐怖感。結果、弾き終わって『汗びっしょり』でした。お二人に対する敬意のつもりで弾きました」
 潔いというかなんというか、竹を割ったように見事な人格にうめいてしまった。そして、ギター生活を育んできたその思いの根深さが、僕をも掻き立てたようだった。
「俺もその思いなら負けんぞ。ぼけても弾き続けてやる」
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『イラク撤収の検証が政治の責務』  中日新聞社説より

2008年12月18日 09時34分24秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
★先日の中日新聞の社説にイラク撤退の検証を徹底してするべきの社説を読み深く同感した。この問題は今後の派兵問題の試金石として徹底的に検証されるべきものと思う。  (ネット虫)
********************************
    『空自イラク撤収 徹底検証が政治の責務』2008・12・16
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008121602000073.html

 空自がイラクでの活動を終え撤収を始めた。約五年に及ぶ自衛隊の「戦地派遣」の実態は経緯も含め不透明な点が多い。徹底的な検証が必要だ。ふがいなさが目立つ政治の責任放棄は許されない。

 米英による2003年のイラク攻撃を機に、当時の小泉政権は戦闘状態が終結していない「戦地」への初の自衛隊派遣を決断した。生命の危険にさらされる厳しい環境下で、一人の犠牲者も出さずに任務を終えることになる。

 陸自と空自は04年から活動を開始。給水や道路復旧などに従事した陸自の06年撤収後も、空自は多国籍軍の要員や支援物資の空輸に当たってきた。イラクの治安状況回復などを踏まえ、政府は人道復興支援の活動目的を達成したとしている。

 だが自衛隊活動をめぐっては、米軍支援の色彩が強かった印象がぬぐえない。特に空自は八百二十一回の飛行で四万六千五百人と物資六百七十三トンを空輸。詳細は不明だが、大半は米兵や米軍関連物資とみられる。空自機は米軍から「タクシー」とも呼ばれていたという。国際貢献の名に値する活動だったのかどうか。

 名古屋高裁は空自活動を違憲と判断した。政府は「国際社会が高く評価した」と自賛するのなら、国民に見えにくかった活動を明らかにし、憲法との整合性など国会のチェックを受けるべきだ。

 イラク攻撃を日本政府が支持したことの総括もできていない。ブッシュ米大統領ですら開戦理由とした大量破壊兵器が見つからなかったことを「最大の痛恨事」と言及した。それにもかかわらず支持判断は正しかったと、政府がかたくなな姿勢を取り続けるのは不可解だ。方針決定過程を精査し説明責任を果たすことが肝要だ。

 今後「テロとの戦い」の焦点は、イラクから治安悪化が著しいアフガニスタンへと移る。

 与党は先週末、インド洋での給油活動継続法を衆院再可決で成立させたが、アフガンシフトを鮮明にするオバマ米次期政権は、日本に本土派遣も含めたさらなる人的貢献や資金提供を強く迫ることが予想される。

 政府に求められるのは「次」の貢献をあたふたと決めることではない。軍事偏重でなく「平和国家・日本」にふさわしい骨太な外交指針を打ち出すことだ。本来は民意の支持を受けた本格政権が手掛けるべき課題である。衆参ねじれ国会と弱体化が進む麻生政権下での政治空白のツケは重い。
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「メディアの憲法報道を問う」⑩

2008年12月17日 09時28分01秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)のつづきです。(落石)


改憲報道を考える

憲法調査会で憲法改正の論議が盛んになりまして、
最終的に自民党の改憲草案が出てきます。2005年です。
改憲草案という名前に騙されてはいけないと僕は思っています。
改憲なら今の憲法の悪いところを直すんだから悪いことじゃないと
思うんだけども、自民党が作ったのは新憲法草案なんです。
新しい憲法作ろうという草案なんです。
そのことで新聞もいろんな社説とか記事のなかで論評したり、
批評したり、主張をしたりしてきてるんですが、
そのことについて私が感じていることを若干お話しておきたいと思います。

まず、読売、産経の突出ということです。
産経新聞と読売新聞の意見と他の新聞の意見が食い違うということを捉えて、
日本のジャーナリズムの分裂という批評をする人がいます。
私は分裂とは思っていません。
分裂とは対等関係、あるいは対等な力で分かれていると
いう状態なんでしょうけども、
あれは分裂ではなくて、読売と産経が突出してるという
言い方が正しいのではないか。
部数を全部併せますと読売と産経を併せてもおそらく
日本の新聞の総発行部数の四分の一ぐらいだろうと思うんです。
中日も含めた残りの新聞が四分の三です。
この中に積極的な憲法改正論の新聞はない、と思います。
むしろ、憲法改正には慎重であるべきだ、という新聞が
中日新聞も含めてほとんどだと思うんです。

                     つづく

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自由・民主を求めて中国民衆が決起し「08憲章」

2008年12月16日 23時36分37秒 | Weblog
★メール仲間河内氏より中国民主化運動のサイトの紹介がありました。是非見てください。(まもる)
*******************************

河内謙策と申します。(この情報を重複して受取られた方は、失礼をお許し下さ
い。転送・転載は自由です。)
 中国の「08憲章」について、多くの反響が巻き起こっています。
 今、多くの人が進んで支持を表明しています。これについては、以下のサイトにアクセスしてみてください。
 http://sankei.jp.msn.com/world/china/081213/chn0812131907003-n1.htm
「08憲章」の日本語文が出ました。翻訳の労に感謝いたします。
 http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51139656.html
「08憲章」の背景について、署名者の一人が興味深い裏話を語っています。
 http://blog.goo.ne.jp/gokenin168
もう一人の署名者も、自らの思いを語っています。
 http://ihasa.seesaa.net/
この情報を目にされた方が、ぜひ、多くの方に真実を広めていただくことを切望いた
します。

★見たいアドレス青地にして、クリックし表示された場所へ検索してください。


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「メディアの憲法報道を問う」⑨

2008年12月16日 18時30分51秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)

憲法は憧れの対象


それから数字で言えばイラクの戦争が始まってから
明らかに沖縄では米兵の犯罪か増えてるそうですね。
酔っぱらったトラブルも増えてるそうです。
アメリカの兵隊さんにしてみればイラクに行ってきて酷い思いをしてきて
神経が苛立っているから酒を飲んで、それで、暴走しちゃうという場面、
ベトナム戦争のころもそうでしたよね。
もっと酷いのはあそこには県道越え訓練というのがあります。
米軍基地と米軍基地の間に県道がはしっているんです。公道が。
で、大砲を撃つ訓練をやるときに県道越しに大砲の弾を撃つんです。
ドーン、ドーン。
その近くに住んでいる人たちはそのドーン、ドーンを聞いてるんです。
戦争が記憶にある戦争じゃないんです。
現実にある戦争っていうイメージなんです、あそこでは。

だから僕はよく沖縄旅行にいく学生に、沖縄に行ったら
南部戦跡をまわってこないと単位やらんぞなんて冗談を言うんですがね。
そのくらいあすこに行くと見えなかったものが見えてくる。
別の言い方をすると、平和とか戦争というのが理屈で判るんじゃなくて
皮膚感覚で判る、ということだろうと思うんですね。
ですから、沖縄の人たちにとっては平和憲法というのは憧れの対象なんです。
未だ憧れの対象なんです。
私どもは平和憲法を空気のように感じちゃってるかもしれませんが、
沖縄の人たちにとっては未だ憧れの対象なんです。
そうすると、それを何か履き古した草履のように捨てるのかって
公聴会で意見が出るのは、僕は、それは当然だと思いました。

                      つづく

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「メディアの憲法報道を問う」⑧

2008年12月15日 09時19分45秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)

目の前にある軍事、戦争

そういう声を聴いているうちに、何だ虚脱感なんか持ってはいられないなぁ
と云う感じになりました。
そのころ既に論説委員でした。
憲法に関する論説を書くことも多かったんですが、
沖縄での経験は中日新聞の憲法に関する論説に大きく響いていると思います。

それでは沖縄の人たちが何故そんなに平和憲法を大事にしてるんだろう
ということをもう少し深く掘り下げて見たいと思います。
今日お出での方の中には戦争を体験された方々も
いらっしゃるんでしょうけども、敢えて失礼な言い方をさしてもらいますと、
年配の方でも戦争の体験ってのはある種想い出の部類に入っているんじゃないか、
と思うんですね。
ところが沖縄の人たちにとっては戦争というのは現実体験なんです。

嘉手納基地に行ってみると、基地の脇に安保の丘という
ちょっと高いところがあるんですね。
そこに行くと嘉手納基地が一望に出来るんです。
でっかい爆撃機がグゥアーンってしょっちゅう飛び立つんです。
僕も嘉手納基地とか普天間基地をのぞき込もうと思ってフェンスの外側を
歩いていたら米兵に追っかけられたことがありました。
追っかけられると本能的に逃げるんですよね。
しばらく逃げたあとに、おい、待てよ、
ここは何も米兵に追っかけられる理屈がねぇなぁと思って、
あわてて止まるんですけども。
つまり沖縄ではそれが現実なんです。話で聞く話ではないんですね。

米軍用地は、数字のことはいろいろ言っても仕方がないかもしれませんが、
70%、80%を基地に取られてるって町もあります。
返還という方針は決まったが移転が難航している普天間基地は
話の上では何パーセントという基地用地の数字が話題になってますが、
数字よりも普天間基地のある町の地図を眺めてもらうほうが
よっぽどよく判ります。
楕円形の市があの市です。
基地はその真ん中に玉子の黄身のように占めてるんです。
玉子全体があの町で、その真ん中の黄身が基地だと思って下さい。
ここからあそこに行くのに基地が真ん中にあるから行けないんですね。
ぐるっとまわって行く。
下水管引こうと思ったって、真っ直ぐ引けないんですよ。
行ってみるとものすごく生で判るんです。

                    つづく
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加藤周一さんは、左翼だったか?(保守系)

2008年12月15日 00時41分43秒 | 国内政治・経済・社会問題
加藤さんは、憲法九条を守る会の
人でしたか?
今夜のNHK教育で「1968年を語る」をやっていました。
昭和43年は、その二年前にはシナで文化大革命が起きた時期にあたります。
ベトナムでの戦争も混乱期にあたります。またチエコ(プラハの春)でも動乱が起きます。
ソ連の戦車が越境した事件です。あれ以降、日本には全共闘が跋扈しはじめます。
全共闘は、共産党や社会党にも飽きてしまったのでしょうか?
あのチェコの体操競技のチャフラスカは綺麗でしたね。
あの頃、アメリカにヒッピーなども居ました。フランスでも大学生が反乱?を起しました。カルチェラタンでしたか?
懐かしい事件でしたが、日本人は、あのソ連の侵略で共産主義?がいかなるものかを学んだと思います。
しかし、あれからもまだソ連は生き続けました。今はロシアですが、ロシアとソ連の区別がつきません。言論の自由はないし、下手すれば殺害されます。
そに意味では、日本は何でもありの世界です。それなのに何故、田母神さんは解任されなければいけないのでしょうか?思想・信条は憲法の保証しているものです。
守るのは、九条だけではないのです。


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俳句の力      まもる

2008年12月15日 00時16分55秒 | 文芸作品
・・・多くの収容所と同じくシベリアでも、わずか一塊の黒パンを食べたいが故に罪もない仲間を売ったり、一刻も早く帰還したいがために仲間を告発したりと、同じ日本人とは思えない仕業が繰り広げられていた。
そんな殺伐とした収容所の中で山本幡男という人物が俳句の会を開いた。
 無断の集会や紙への記録はご法度の収容所であるが故に、地面に木の枝で俳句を書いて楽しむという方法で一人二人と同好の士を集めていく。
 ダモイ(帰還)、という希望の言葉を胸に抑留者は理不尽な重労働、栄養失調に耐えていたが、その苦しい生活の中での俳句は生きる喜びを収容者に与えていった。
 その俳句の会を主催していた山本幡男が帰還を目前に病に倒れ、日本で帰りを待つ家族にあてた遺書を仲間が届けたのである。紙に書いたものは全てソ連側に没収されるので、山本幡男の仲間たちは手分けして遺書を暗記し、頭に叩き込んで帰国したのである。過酷な条件下でも人は人として生きることができることを山本幡男は証明したのである・・・

★という佐々木昇氏の書評に惹かれて、辺見じゅんの「収容所から来た遺書」を読みました。久しぶりに感動すると共に俳句の座としての力を知らされました。
 文中収められた句を紹介します。

  地に書いてうなづき合ふや日向ぼこ 山本
  千人に綿衣わたして逝かれけり   栗仙 (被服係だった仲間の死に)
  寒月は満つれど風の哭く夜かな   山本 (同上         )
  不幸なる児となり果てぬもがり笛  湘江 (日本から妻の死を知らされ)
  小さきを子供と思ふ軒氷柱     
  大寒を行とし日々を逆らはず    栗仙
  生くことは悦びといふ木の芽見る  虻郎
  春寒や草にがって鳴る紙片     秋径
  亡き母の齢となりぬあかぎれて   湘江
  
シベリアにはシベリアの歳時記がありました。
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「メディアの憲法報道を問う」⑦

2008年12月14日 13時00分48秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


沖縄で見えてくるもの

そういうわけで、自衛隊は憲法違反という判決を聞いて
感激もしたけどある種の脱力感も持っていた。
その脱力感を持っていた自分が打ちのめされたのは
それから約28年ぐらい経ちました2002年のことです。
何があったかと言いますと、憲法改正すべきかどうかが国会で議論になり、
衆参両院に調査会が出来ました。
衆議院の憲法調査会は中山太郎さんというお医者さんが委員長で、
両論併記みたいな意見にまとめたんですが、
その意見の議論で、各地で公聴会をやりました。
その一環として沖縄にも行って、沖縄の人たちの意見も聴いたんですね。

ここで沖縄と憲法の関係を少し説明しておきます。
沖縄の県民は日本国憲法の制定に関わってないんです。
憲法が出来たときには本土返還されてませんから、
国会に議員を送ってないんです。
1946年に日本国憲法が出来た時に沖縄は米軍の統治下ですから
代表が来てないんです。
沖縄の県民が日本国憲法について公式の場で意見を述べるのは、
この2002年の公聴会が初めてなんです。
それで、その沖縄でどういう意見が出たかといいますと、
本土の国会での憲法変えろという議論に対する激しい反撃でしたね。
政府は平和憲法を活かす努力をしたのか。
この憲法じゃ何にも出来ないと言ってるが、
本当に平和憲法を活かすという努力を日本政府はしてきたのか。
俺たち沖縄では日本国憲法が完全に適用されてねぇじゃねぇか。
米軍がいて、米軍が沖縄の県民を轢き殺しても逃げれば
裁判も出来ないじゃないか。
なのに憲法が古くなったから捨てるって言うの、って迫り方をする人もいました。
別の言い方で、今本土は有事法制が必要だなんて言ってるけど、
沖縄はもうとっくに有事体制に入ってるんだ。
ベトナム戦争のころから有事体制なんだ、という意見が出て、
最後は司会をしてた中山太郎さんがえらく怒っちゃうような事態にもなりました。

                       つづく

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『問われる9条との整合性 イラク空自 任務終了 派遣要請で浮上必至』

2008年12月14日 11時08分26秒 | Weblog
★中日新聞は自衛隊イラク連載記事(きょうの見出しは「人道支援 名ばかり」)
を連載していますが、昨日の朝刊の記事も要注意です。(ネット虫)

『問われる9条との整合性 イラク空自 任務終了 派遣要請で浮上必至』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008121302000089.html
(東京新聞 2008年12月13日 朝刊)

 航空自衛隊が十二日、イラクでの空輸活動を終え、五年間に及んだ自衛隊のイラク派遣が終了した。イラクという「戦地」への派遣に道を開いたことで、海外活動が自衛隊の本来任務に格上げされる呼び水になった。イラク空輸活動が名古屋高裁から「違憲」とされたように、今後、憲法九条との整合性を問われる場面が増えることが予想される。 (編集委員・半田滋)

 自衛隊のイラク派遣は、米英によるイラク攻撃を当時の小泉純一郎首相が支持を表明し、米高官から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上自衛隊を派遣せよ)」と求められたことがきっかけ。二〇〇四年一月に陸自、同三月に空自が現地派遣された。
 憲法九条で禁止された武力行使を避けるため「非戦闘地域」での活動が求められたが、イラク南部のサマワに派遣された陸上自衛隊は〇六年七月までの二年半に合計十三回二十二発のロケット弾・迫撃弾攻撃を受けた。
 航空自衛隊のC130輸送機は、首都バグダッド上空で度々、携帯ミサイルに狙われたことを示す警報が機内に鳴り響いた。派遣当時、航空幕僚長だった吉田正氏は「どこが戦闘地域か否かの判断は飛行機乗りの世界になじまない」という。
 空輸対象は陸自隊員だったが、陸自撤収後は米兵空輸に軸足を移した。今年四月、名古屋高裁はバグダッドを「戦闘地域」と断定した上、武装した米兵をバグダッドへ空輸することは武力行使と一体化しており、憲法違反との判断を示した。
 インド洋での洋上補給、イラク派遣と国連の要請による国連平和維持活動(PK
O)とは異なる「日本の独自判断による海外派遣」が続き、〇六年十二月、自衛隊法が改定され、海外活動が本来任務に格上げされた。
 これを受けて、陸自は海外派遣の司令部「中央即応集団」を新規編成するなど、国防のための「必要最小限の実力装置」(政府見解)として生まれた自衛隊は大きくその性格を変えた。自民党、民主党による海外派遣のための恒久法作成が次の焦点になっている。
 イラク派遣を通じて自衛隊と米軍の連携が進み、〇六年日米合意した米軍再編で連携範囲が日本周辺から世界へと拡大。空自の航空総隊司令部の米軍横田基地移転など、日米一体化が進んでいる。
 政府は米国の要請を受けて、混迷が深まるアフガニスタンへの自衛隊派遣を検討。
陸自の大型ヘリコプター六機と医療部隊の派遣が有力となったが、負傷兵救出のために武器使用すると憲法で禁じた武力行使に当たることが問題となり、検討は宙に浮いている。
 防衛省幹部は「オバマ次期米大統領が力を入れるのがアフガン対策。派遣要請は必ず強まる」と話しており、自衛隊海外派遣と憲法の問題が浮上するのは必至だ。


『イラク空自に終了命令』
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008121302000058.html?ref=related
(中日新聞 2008年12月13日 朝刊)

 浜田靖一防衛相は12日、イラク特別措置法に基づき、航空自衛隊が続けているイラク空輸活動の任務終了命令を出した。隊員約210人とC130輸送機3機は年内に帰還。2004年1月から始まった陸上、航空自衛隊による5年に及ぶイラク派遣は終了する。
 空自部隊はクウェートに駐留。当初は陸自隊員を空輸したが、06年7月の陸自撤収後は米軍支援に軸足を移し、週4回の定期便を運航して首都バグダッドなどへ空輸した。
 821回の飛行で4万6500人と物資673トンを空輸。うち国連職員は約8
00人。さらに陸自隊員を差し引けば3万人を超える米兵を空輸したとみられる。名古屋高裁が4月、武装した米兵を戦闘中のバグダッドへ空輸することに限定して「違憲」との判断を示している。
 空自幹部は「危険度の高いイラクでの活動が無事終わり、自衛隊の海外派遣は若葉マークが取れた」と指摘。「海外活動には、なぜ、この活動が必要なのか大義名分が必要だ。国民の支持は欠かせない」と話した。
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イラク空自が米軍要請で定期便  ネット虫

2008年12月14日 11時06分13秒 | Weblog
★空自のイラク撤退が宣言されたが、この間、違憲の指摘にも関わらず航空自衛隊は米国の要請によってイラクで米軍用タクシー代わりの定期便を飛ばし続けていたことが判明した。 (中日新聞12月14日朝刊より)
****************************
イラクで活動した航空自衛隊が、米軍など多国籍軍の要請で、首都バグダッドと南部アリ(旧タリル)とを結ぶC130輸送機の「定期便」を新たにつくり、今年に入って週1回運航していたことが分かった。

 両地点ともイラク駐留米軍の拠点で、隊員は「多くの武装米兵を運んだ」と証言。空自機は米軍の指揮下で、兵員輸送の一角を担っていた実態があらためて浮き彫りになった。

 陸上自衛隊がイラクから撤収した2006年7月末以降、空自はクウェートを起点に週4、5回、「アリ便」「バグダッド便」「バグダッド経由アルビル便」の3ルートで定期的な運航を実施。空自幹部は「バグダッドへの飛行を始めたころからも不定期でアリ-バグダッド間を運航したこともあったが、(07年からの)米軍増派で常態化した」と明かす。

 アルビル以外の便は「すべて多国籍軍向け」(自衛隊幹部)で、空自機は米軍から「タクシー」と呼ばれていた。隊員は「空自機は米軍のいいように使われ、コマにすぎなかった」と指摘している。

 空自は04年3月からイラクへの空輸を始めた。821回飛行し、延べ4万6500人と物資673トンを運んだ。輸送人員のうち国連職員は約2800人で、陸自隊員を差し引けば3万人を超える米兵を空輸したとみられる。

 名古屋高裁は4月、空自機が武装した米兵を戦闘中のバグダッドへ空輸することについて「違憲」との判断を示している。

(中日新聞)
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奇奇怪怪・ムンバイ・テロ事件    落石

2008年12月13日 11時15分41秒 | Weblog
田中宇さんのブログにムンバイのテロ事件の
背景が説明されている。
そのなかに、こんな一節がある。

 世界のマスコミの報道傾向は、インド国内の組織にせよ、
 パキスタンの組織にせよ、いずれにしてもイスラム過激派が犯人だ
 というものだ。
 しかしその一方で、これらとは全く異なる疑惑も浮上している。
 インド国内のヒンドゥ過激派の組織が、
 インド軍の諜報機関など治安当局の一部とぐるになって、
 イスラム教徒のふりをしてテロを挙行したのではないかという疑惑である。

え???
読めば読むほど、奇奇怪怪。
世界情勢の複雑さに目がクルクル。
アメリカという帝国が衰退して
様々な中帝国が動き回っている感じ。

どうなっているの?
インドは親日なんて呑気なこと言ってると・・・・

一読をお勧めします。


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「メディアの憲法報道を問う」⑥

2008年12月13日 10時57分09秒 | Weblog
東海放送人九条の会、2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)


私もそう学んだ、しかし判決を書くとなると

札幌地裁の法廷で自衛隊は憲法違反って判決を聞いて廊下に飛び出しました。
社に一報を入れなければいけませんから。
その時に知り合いの裁判官にバタッと会ったんです。
その裁判官はどういう人かというと、最高裁判所の事務総局というところにいて、
課長をしていた裁判官で、旧知の関係にある人なんですね。
その時は関西地方のある裁判所の裁判長をしていて、出張尋問と言って、
札幌にいる証人を調べるために出張してきていたんです。
その人もきっと関心があったんでしょう、廊下で僕にばったり会った時に、
「おい、飯室君、どういう判決だ」って言うから、
僕がもう、息せき切って興奮して内容を話したんですね。
彼が何と言ったと思います。
「そうだろう、俺もそう教わったんだよ」ってここまではいいんですよ。
「でも俺、今判決書けって言われたら、そう書かねえぞ」って。
正直な男でしてね、これはビックリしましたね。
そういう書かないぞって言う人だからかどうかは知りませんけれども、
その人はその後、裁判所のなかでは順調に地位が上がっていって、
さる高等裁判所の長官になりました。

「自衛隊は憲法違反」と言った福島重雄さんという裁判長はこの判決を
言い渡した後、東京地裁に転勤になりました。
一見栄転のように見えます。札幌から東京ですから。
ところが裁判所にはルールがありまして、
地方の裁判所をやったら大きな都会の裁判所に戻すというルールがあるんです。
ですからこのルールに従っただけで、栄転でもなんでもありません。
まわされたところが手形部で、まさに政治的な判断とか思想的な判断だとか
全然入る余地のないところへ異動になったんです。
つまりもうこの人には政治的な判断に関わる事件はさせないぞと
いう人事担当者の意思表示ですね。
で、その後もこの人は田舎の地方裁判所に転勤しまして、
今は公証人をやっていらっしゃるのかな。
高裁長官にはなりませんでした。

ただ、やっぱり僕はね、いくら親しい仲だから正直に言ったとしても
「教わったけれどもそういう判決は書かないぞ」ということを言ったことも
ビックリしましたし、その人が出世していったというのは当然だろうな
とは思いましたけれども、ものすごく残念だなぁという気がありましたね。

                        つづく

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麻生首相の支持率低落は首相の憲法感覚も原因か

2008年12月13日 09時24分33秒 | Weblog
東海放送人九条の会代表運営委員の
大西五郎さんが放送人の会に掲載したもの
を転載させてしただきます。(落石)


 12月9日に新聞各紙やNHKそれにJNNが世論調査に基づく
麻生内閣の支持率を発表しました。
 それによりますと、支持率は朝日新聞の調査で22%、毎日新聞で21%、
読売新聞は20.9%、中日新聞が25.5%、NHKが25%、
JNNは23.9%と、軒並み20%台前半まで急落し、
政権を維持するためには危険水域といわれる30%を大きく割り込みました。
 新聞やテレビ報道の解説によりますと、
麻生首相は「政局より政策」と言っておきながら、
追加景気対策を盛り込む第二次補正予算案を今の臨時国会には提出せず、
1月の通常国会に先延ばししたことや定額給付金の不人気などが
原因と指摘しています。

 もちろんそれが大きな要因と思いますが、それだけでなく、
憲法改正を進めようとする麻生内閣の政治姿勢に
国民が拒否の反応を示したことが底流にあると思います。

 明治憲法(大日本帝国憲法)は、国家が国民を統制すると
いう考えに貫かれた法典でした。
それに対して現憲法(日本国憲法)は国民が国家権力を縛るという立場で
作られたものです。
第9条は、国家に戦争の道具である軍隊をもたせないぞ。
国家が勝手に外国と戦争をすることを禁ずるぞという宣言です。
憲法というものをどう考えるかの根本問題です。

 改憲派は、国民を統制するための憲法を再現しようとしています。
安倍元首相の「戦後レジームからの脱却」というのは、
憲法で国民が国家権力を規制するという現在の体制を
明治憲法の時代に戻そうというものでした。
だから国民がそれに「ノー」を突きつけ、
安倍氏は自信を失って政権を投げ出したのです。

 麻生首相はどうでしょうか。
麻生内閣の閣僚には第9条をなくせという改憲派(靖国派)と
いわれる人たちが多数入閣しています。
麻生首相は、集団的自衛権の行使について解釈を変更し、
他国(米国)の軍隊と一緒になって軍事行動がとれるようにしようと
言っています。
そしていちいち新しい法律を作らなくても、
いつでも自衛隊を海外に派兵できるようにする「恒久法」の成立を
目指しています。

 麻生首相は、産科医不足問題で「自分は病院を経営しているからわかるが、
医師には社会常識に欠ける者が多い」と言いました。
医師が不足している中で麻生家が経営する病院で医師に無理な勤務を要求し、
それを断られて、経営者である自分の権力に従おうとしないのは
常識のない奴だという意味で言ったのだとしたら、
麻生首相の方こそ社会常識に欠けています。
憲法で国民を統制しようという考え方と同じです。

 また麻生首相は、「同窓会に行くと同級生がよぼよぼしている。
自分は健康に気をつけているから医療費はかかっていない。
私の方が税金は払っている。
たらたら飲んで食べて何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と
いうことを言いました。
首相でありながら社会保障制度が分かっていないことを露呈しましたが、
分かっていないというよりは、国が国民を守る義務を負っていることを拒否し、
国民は国に奉仕すべきだという考え方のあらわれです。
ここでも憲法感覚が問われます。

 国民は、こうした麻生氏の憲法感覚にキナ臭さを
感じているのではないでしょうか。
それが低支持率をもたらしている底流にあるように私には思えます。

                                     
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不整脈ランナーの日記(4)  文科系

2008年12月13日 02時32分49秒 | スポーツ
不整脈が酷くなってかかりつけの医者にランニングを止められてから、2ヶ月ぶりで走ったのが11月26日。長年のかかりつけ医でない大病院に初めていって精密検査をしてもらったら、許可が出たからだ。2ヶ月も走らないと、持病の腰痛はでるわ、ギターの練習をちょっと長くやると肩こりは出るわと、ブログ画面をちょっと明るいままにしておくと目が疲れるようになるわ、心持ち腹が出てくるわ、顔がゆるんでくるわ などなど惨憺たる気分の日々だった。全て運動不足から酸素の回りが悪化して起こる現象なのだと思うのである。

再開した最初の日は、60分、7.3キロ。歩くのと変わらないようなスピードも続けたのだが、無事に終わったときは世の中が明るくなったように思えたものだ。ウオームアップを以前の4倍ぐらいやると、どうやら異常が出ないらしいと、新発見出来たからだ。2ヶ月ぶりのこのランニングのことは11月28日に「天にも昇る気持」として、ここに書かせていただいた。

さてその後、間にちょっと筋トレの日を入れてから、2回目は12月4日。65分で8キロを走れた。次いで同じ65分で、10日には8.3キロ、そして12日に8.5キロである。走行中も常時ハートレートモニターを装着して時速と心拍状況とを確認しながらのランだが、まだ1度も乱れは見られていない。試運転の自己管理がうまくできているということである。そろそろ怖々とスピード上げているそのやり方が、僕の体に合っているということだ。

それでも今日は疲れた。体がちょっとだるかったし、夕食の前のビールがかなり心臓に応えたし。無理もないのである。10日と12日、これも実験的に1日置いただけで走ってみたのだし、スピードも人並みに近づいてきているのだから。ウオームアップとして初めに充分歩いたりしているから、それも含んで65分で8.5キロとは、後半はこの年齢の普通のLSDと同じようなスピードになっているということである。LSDとは、ランニング・トレ-ニングの極意であって、長時間(long)、ゆっくりと(slow)、長い距離を(distance)ということだ。これが心肺機能の向上に最も良いのである。

半ば以上諦めていたこの生活が続けられると分かった気分はどうだ! 恋に恋するという表現があるが、走れると分かって喜んでいる自分に喜んでいるという感じなども加わっているのだろう。「これだけ喜べるものがあると感じる幸せ」と言っても良い。





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