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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

茨城医師連会員が自民党を集団離党へ          まもる

2009年06月26日 10時43分40秒 | Weblog
★今朝の新聞に「茨城医師連会員が自民党を集団離党へ」という記事が載っていました。さしもの医師会も自民党離れをせざるを得なくなったのかと面白く読みました。

 「茨城医師連会員が集団離党へ」
           6月25日19時15分配信 時事通信

 茨城県医師連盟の原中勝征委員長は25日、県庁内で記者会見し、自民党茨城県連医療会支部所属の党員1256人が集団離党すると発表した。同党が後期高齢者医療度の存続を支持しているのは認められないとの理由からで、離党者は同支部の党員全体の約3分の1強に当たる。
 同医師連盟は、日本医師会の政治組織「日本医師連盟」(日医連)の地方組織。次期衆院選では県内7選挙区すべてで民主党候補の推薦を決めている。 

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北朝鮮糾弾の全面広告全文です       ネット虫

2009年06月25日 22時40分11秒 | Weblog
★落石さんが書かれた「北朝鮮の民主化」などを訴える新聞広告の内容が産経新聞にありました。転載します。広告の意図、効果、などいろいろ考えさせられますが
皆さんはいかがお考えでしょう。
=========================
25日付の韓国3大紙に掲載された北朝鮮による拉致問題に関する全面広告の全文は以下の通り。

     ◇

 北朝鮮に人権の光を! 東アジアに真の平和を!

-日本人から韓国人への手紙-

 大韓民国の国民のみなさん。

 いま、韓(朝鮮)半島と東アジアの平和と繁栄が脅かされています。

 5月25日、国際社会の非難のなか北朝鮮はついに2回目の核実験を強行しました。4月5日には「人工衛星」打ち上げを口実に長距離ミサイルを発射し、今後も核実験とミサイル発射を行うと公言しています。韓国と日本を射程におさめるミサイルは多数がすでに実戦配備され、戦争の脅迫と危険な挑発が繰り返されています。

 私たちは、北朝鮮によって日本から拉致された人々を1日も早く救出することを目指す民間のグループです。韓国のみなさんとともにこの危険な現状を変えたいと願い、この手紙を書くことにしました。私たちは、平和で繁栄する東アジアの実現と拉致問題の解決とを一緒に進めたいと思っています。

 今年3月、釜山で日本人拉致被害者、田口八重子さんの兄である飯塚繁雄さん、八重子さんの息子である耕一郎さんが、1987年の大韓航空機爆破テロ事件の実行犯、金賢姫元工作員とはじめて面会することができました。面会実現にあたって示された韓国政府と国民のご理解に対し、私たちは深く感謝するものです。

 金賢姫元工作員は爆破テロ事件の際、偽造の日本旅券を持ち日本人を装っていましたが、彼女に日本の言葉や習慣などを教えたのが八重子さんでした。

 78年、八重子さんは、まだ赤ちゃんだった耕一郎さんを残し、工作船で北朝鮮に連れ去られました。そして、多数の韓国人を犠牲にするテロにかかわることを強いられたのです。

強制的に身体を拘束し、愛する人びとと切り離し、悪への加担を強いる拉致は、最も悲惨な人権の侵害です。

 北朝鮮による拉致の被害が最も大きいのは、いうまでもなく韓国です。

 韓国政府は朝鮮戦争のあとに北朝鮮に拉致された被害者を約500人としています。朝鮮戦争の捕虜多数もいまなお韓国に戻れず、炭鉱などでつらい仕事につかされているといいます。

 被害者の中には、78年に仙遊島の海岸から失踪(しっそう)した高校生の金英男さんがいました。

 彼の運命が明らかになったのはつい3年前のこと。77年に13歳で拉致された日本人少女、横田めぐみさんと北朝鮮で結婚し娘も生まれていたのです。金英男さんや横田めぐみさんは、貴重な青春と人生をだいなしにされ、八重子さんと同じく、心ならずも北朝鮮の対南工作に携わることを強いられたのです。

 2002年に日本の小泉首相が北朝鮮を訪問したとき、それまでしらを切っていた北朝鮮当局がついに日本人拉致を認めました。しかし、これは解決への道のりのほんの一歩にすぎません。

 金正日総書記は13人の日本人拉致を認め、そのうち5人だけが四半世紀ぶりに帰国することができました。北朝鮮は八重子さんやめぐみさんをふくめ全員が死亡したと日本側に伝えましたが、その死亡の「証拠」なるものはことごとく虚偽でした。また、各種調査から、日本人拉致被害者は十数人という人数にとどまらないことが確実になっています。

 北朝鮮による拉致被害をこうむっているのは日本と韓国だけではないことも明らかになりました。

 日本に帰国した拉致被害者、曽我ひとみさんは、軍事境界線を越えて逃亡した米兵と北朝鮮で結婚していました。その米兵は、北朝鮮には彼を入れて4人の米兵がおり、レバノン人、タイ人、ルーマニア人の拉致被害者を配偶者にしたと証言しています。また韓国の映画女優、崔銀姫さんは、北朝鮮で、マカオから拉致された中国人女性、孔さんと会ったと証言しています。

北朝鮮による拉致被害は、国際的な広がりを持っています。どこの国籍を持つ者であれ、拉致被害者を1人残らず救出し、1日も早くそれぞれの故郷で待つ家族と再会させなくてはなりません。

 朝鮮半島の分断は離散家族の悲劇を生みましたが、この問題も日本と無縁ではありません。59年以降、「地上の楽園」という北朝鮮の宣伝にだまされて9万3000人の在日韓国・朝鮮人が北朝鮮へと移住しました。その中には6000人を超える日本国籍者もいました。彼らはその後、日本にいる親族と手紙の交換も自由にできず、別れ別れになったままです。資本主義の国から来たとして特別な監視を受けたばかりか、政治犯収容所に送られたものも数多くいます。

 私たちは過酷な政治体制のもとで苦しむ北朝鮮の人々を助けたいと思っています。

 拉致と北朝鮮の民衆の奴隷化は、人権の否定という同じ根を持つ悲劇だからです。

 90年代後半、人口2000万の北朝鮮で300万人が餓死したと推定されています。

 そのとき北朝鮮の指導者は核兵器とミサイルの開発に巨額の資金を投入していたのです。破産国家の北朝鮮で、これを可能にしたのは、民衆が声を上げることを許されない政治体制があるからです。

 衛星写真で確認された6カ所の政治犯収容所には、20万人もの人々が、人間としての最低の扱いさえも受けられず、いまなお死に直面しています。

 民衆への自由の否定が戦争への危険を生んでいるのであれば、日増しに強まる北朝鮮の平和への脅威を根本から取り除くには、基本的人権の拡大こそが必要です。

 私たちは民主主義、基本的人権を北朝鮮にいきわたらせることが、拉致被害者を救出するだけでなく、北朝鮮民衆の幸福と東アジアおよび世界への安全をもたらすと信じます。

 さらに、平和的で円滑な朝鮮半島の統一は、北朝鮮が民主化されてはじめて可能なのではないでしょうか
大韓民国の国民のみなさん、

 日韓両国民は手を取り合って、北朝鮮を真の民主主義の国に変える闘いに進んでいきましょう。そして、平和で繁栄する韓半島と東アジアを作っていこうではありませんか。私たちは提言します。

 

 1、国連はじめ国際機関や国際会議において、北朝鮮の人権問題を訴えましょう。

 2、人道援助を含む北朝鮮に関する個別プロジェクトを、人権の改善をはかることに結び付けましょう。

 3、脱北者から、拉致を含む人権問題についての情報をより多く収集し、日韓で共有しましょう。

 4、問題の緊急性にかんがみ、拉致被害者と政治犯収容所の実態を調査するための国際的な「人権査察」を求めましょう。

 

 意見広告7人の会

 有田芳生(ジャーナリスト)

 勝谷誠彦(コラムニスト)

 加藤哲郎(一橋大学大学院教授)

 重村智計(早稲田大学教授)

 高世仁(ジャーナリスト)

 日垣隆(作家・ジャーナリスト)

 湯川れい子(音楽評論家) 

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NHKを提訴    落石

2009年06月25日 18時58分03秒 | Weblog
NHKのニュースです。

戦前から戦中の日本による台湾統治を取り上げたNHKの番組について、
大学教授などが「内容が事実に反し、一方的な取材によるものだ」などとして、
NHKに総額8300万円余りの賠償を求める訴えを起こしました。

この番組は、NHKが、ことし4月に放送したNHKスペシャル
「シリーズ・JAPANデビュー第1回アジアの“一等国”」で、
戦前から戦中の日本による台湾統治を取り上げました。

訴えによりますと、小田村四郎元拓殖大学総長など8300人余りの原告は、
番組は、事実に反しているうえ、一方的ないわゆる「やらせ」取材で、
日本が台湾の人たちに対し弾圧だけをしたかのように伝えているとしています。

訴えについて、NHKは「訴状を受け取っていませんのでコメントできません。
番組の内容には問題がなかったと考えています」としています。

   

また、また安倍さんたちの顔が登場してきました。
みなさん、この裁判、どう思いますか?
                   

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金正日の死が近い?   落石

2009年06月25日 13時47分39秒 | Weblog
田中宇さんのブログが
このニュースを解説しています。

中国のマスコミが報じていることが
信憑性を高めているそうです。

しかし、米中が手を組んで北朝鮮の安定を
もくろんでいるという田中宇流の解説。

一読の価値ありです。



もうひとつ韓国のニュースを。
東亜日報の記事です。

数人の日本人が、北朝鮮の日本人拉致と北朝鮮人権問題解決を呼びかける
全面意見広告を25日付の東亜(トンア)日報と朝鮮(チョソン)日報、
中央(チュンアン)日報に掲載した。

ジャーナリストや学者、音楽評論家ら7人で構成された
「意見広告7人の会」による同広告は、韓国の国民に送る手紙形式で、
「平和で繁栄した東アジアの実現と拉致問題の解決を同時に進めたい。
韓日の両国民が手を取り合い、
北朝鮮を真の民主主義国家に変えるために立ち上がろう」と呼びかけた。

「7人の会」は今年4月、米ニューヨーク・タイムズ紙に、
「北朝鮮という名の地獄をそのままにしておくのか」
というタイトルで全面広告を出し、
「私たちは、バラク・オバマ大統領が北朝鮮の人権弾圧への解決に
乗り出すことを要請する」と訴えた。

広告費は寄付によるものだ。2月末に広告費のための募金を始めてから
わずか10日で、目標金額が集まり、関係者たちも驚いたという。

ニューヨーク・タイムズ紙の意見広告が国際的な反響を呼ぶと、
韓国の有力紙にも広告を出すことを決め、さらに寄付を募った。
これまで約1700人から集めた約1720万円が、
広告を掲載する資金になった。


「7人の会」のメンバーでジャーナリストの有田芳生氏は24日、
「特に今年、日本政府が景気回復のため、国民に支給した
1万2000円の定額給付金が大きな力になった」と話した。

   

定額給付金も思わぬところで役立っているんですね。



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年1度の人前演奏   文科系

2009年06月25日 04時04分22秒 | 文芸作品
この28日、日曜日、僕のギター生活で年に1度の人前演奏がある。友人たちがやっているある同好会の発表会にここ数年出させてもらっているのであるが、今年はこの会には属していない同門の友人2人と3重奏をやって、ソロも弾く。すごく上がり症で教室の発表会にも出たことがない僕にとっては、得難い演奏の場所になっている。
50人ほどの聞き手と演奏者とが、同じワンフロアーで同じ目の高さ。スポットライトもなくって、会場の証明も暗くしていないまるでホームコンサートのような雰囲気。このくつろげる感じが、僕の上がり症を鎮めてくれるらしい。

いつものようにその日が近づくにつれて、緊張して心が落ち着かない。デュオはともかく3重奏は初体験だし、ソロ曲はここ2年余弾き続けてきた本当に大好きな曲がメーンなのである。ソル作曲「エチュード作品6の11番」という。有名なセゴビアが「ソルのエチュード20曲集」というのを厳選、編集、出版しているが、そのうちの第17番と言った方がギター仲間には通りやすいだろう。「この曲をとうとうこういう場所で弾く」と思うと、僕には何か非常な感慨がある。

完全な自己流だけで弾いてきて62歳半ほどで初めて先生なるものについたのだから、文字通り「60の手習い(以上!)」。 66歳手前でこの曲に初めて出会い、レッスン曲にしたわけだったが、そんな僕にとっては手に余る曲だと、すぐに分かった。しかし、かってないほどに気に入ってしまったのだから、仕方ない。今日まで2年余、とにかくこれを弾き続けてきた。まず初めは他の曲に脇目もふらずに、これだけを3ヶ月。これが楽譜にしたら、たった3ページの曲なのだ。以降も折に触れては弾いてきたが、好きな曲だけを選んでそれに集中してきた僕でもこれだけ努力した曲は他にない。それもいつもこんな気持ちがよぎりつつ。
「この曲は、僕には『一応の完成』もないかも知れない」

曲の作り、ギター奏法としては、有名な「禁じられた遊び」と同様に分散和音の中から旋律を浮かび上がらせるというものであるが、この奏法をちゃんと弾き切ること自身が、まず僕には難しかった。一つの和音を一気にジャラーンと鳴らすのならば、そのうちの1音がよく鳴っていなくても分からない。しかし、その和音の音を1音ずつばらして弾くのだから、よく出ていなかったり汚なかったりする音は、すぐに分かってしまう。右指も左指もそういう厳しい訓練が要るのである。
曲の感じとしては、奇想曲か狂想曲。はじめ2ページが短調部分で、ここは何か運命のようなものを静かに語り初めて、それが、物狂おしいものに変わり、さらには静かな悲鳴か嘆息のようなものになっていく。3ページ目は長調にかわって、その冒頭だけで、平穏な調和、安らぎ、喜びのようなものを見取ることができる。そして、それが次第に育っていくような趣。最後のコーダ、4段では、この調和がさらに深まりつつ、一種静かな喜びで終わっていく。

さて、「一応の完成」にもほど遠いのだが、僕としてはこれ以上はできないというほどに練習はした。心おきなくと言っても良いほどに。ただしそれは若い時の基準でのこと。この年になると、「心おきなく」などはありえない。年寄りの舞台では何が起こるか分からないのである。だから舞台に楽譜を開いて弾く。真っ白になって止まってしまったときに備えるために。また、曲想上大事なことを注意書き通りに弾くことを忘れないようにするために。でも、これもまたよく忘れるのだ。相当の練習もしているのに。

27日にはリハーサルがある。
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米国の元捕虜に謝罪した藤崎駐米大使          天木ブログより

2009年06月24日 09時04分54秒 | Weblog
★久しぶりに天木ブログを読んでなるほどと思った。見出しのように藤崎駐米大使が米兵捕虜団体の会合に出席して、日本政府として68年目にはじめて謝罪したというのである。読み始めて「ああそれは遅きに失するが、まあ良いことだ」と感心していたら、問題はもっと根深かく大問題であった。紹介したい。(まもる)
==============================

米国の元捕虜に謝罪した藤崎駐米大使

 
  6月22日の毎日新聞に極めて重大な記事がスクープされていた。見逃すには大きすぎる記事だ。
  5月30日に日本の駐米大使藤崎一郎氏が、米兵捕虜団体の会合に出席して、日本政府として68年目にはじめて謝罪したという。

 フィリピン・バターン半島で米兵捕虜ら一万人以上を約100キロ無理して歩かせ、約800人以上の犠牲者をだした、いわゆる「バターン死の行進」。その事についての謝罪だという。
 悪い事をしたなら謝罪する、それは如何なる意味でも正しいことだ。この謝罪が、藤崎大使の元米捕虜兵に対する個人的謝罪であればそれを評価する。
 しかし私が驚いたのは、藤崎大使が、「日本政府の立場を伝える」と発言して謝罪したことだ。「95年の村山談話の範囲内」で謝罪したと述べていることだ。
 あの村山談話は、その経緯からいっても、談話の内容から言っても、日本のアジア侵略の責任を謝罪する事を一義的目的としてつくられたものだ。
 村上談話はいつから米国に対する戦争責任の謝罪の根拠に拡大されたのか。

 それよりもなによりも、日本政府は、米国に戦争をして迷惑をかけた事を謝罪する決定を、いつしたのか。その決定は国民に知らされているのか。報道されているのか。

 戦争責任を謝罪するならば、サンフランシスコ講和条約に締結した49カ国に等しく謝罪すべきではないのか。文句を言われたら謝罪する。言われなければ何もしない。国によって謝罪をしたり、しなかったりすることが正しいことなのか。
 そもそも藤崎大使の謝罪は戦争責任の謝罪なのか。それとも戦争中に行なわれた残虐な行為についての被害者に対する謝罪なのか。

 戦争中の残酷な行為であれば、「バターン死の進行」だけに限らない。おびただしい残酷な行為がで行なわれてきた。戦争は人間を狂気に追いやる。だから戦争は許されないのだ。
 犠牲者は米国軍人だけではない。アジア人はもとより英国人やオランダ人なども含まれる。
 それに、およそ戦争中は、どの国も多かれ少なかれ敵国民に残酷な行為を行なう。米国は日本の非戦闘国民に対して無差別爆撃を繰り返した。なにより原爆投下を行なった。米国政府はそれを決して謝罪しない。日本は謝罪を求めない。

 もっと言えばあの村山談話を、田母神前航空幕僚長や皇国史観に立つ連中は決して認めようとしない。アジアへの侵略は認めない。
 その彼らは、アジアに謝罪する村山談話は否定するが、日本政府が米国に謝罪することは認めるのか。どうなんだ。

 このブログを読んだなら日本政府や藤崎大使に謝罪の真意をただしたらどうだ。
 
 賢明な読者ならもう理解しているだろう。私が言いたい事は、今回の藤崎大使の元米捕虜兵に対する謝罪なるものが、実に多くの問題を内包しているということだ。
 それらの問題を考えた末での謝罪とはとても思えない。少なくとも米国に対する謝罪について、国会でもメディアでも、それをまともに議論した事を私は寡聞にして知らない。
 よもや、揺らぎつつある日米同盟をつなぎとめるために、米国政府や元米国捕虜兵の機嫌をとろうとして謝罪したのではないだろうな。

 今度の謝罪決定は閣議決定などを経てなされたものではなく、対米従属に走る外務官僚が決めた謝罪ではないだろうな。

 藤崎大使と私は外務省の同期生だ。同期生のよしみで言う。おい、藤崎、この謝罪は日本政府の公式決定を経た日本の政策なのか。そうであれば、元米軍捕虜に対してだけではなく、何故オバマ大統領に行なわないのか。米国民に向かって行なわないのか。

 このまま見過ごしてしまうにはあまりにも重大な毎日新聞のスクープである。

Copyright ©2005-2009 www.amakiblog.com

Posted by 天木直人 | Trackbacks[0]
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記者が行く:沖縄戦、ガマに響く軍歌 83歳女性、苦悩語る 

2009年06月23日 21時38分53秒 | Weblog
★毎日新聞の関西版に記者が沖縄戦の「白梅学徒隊」で救護経験をした女性訪問記事を載せていました紹介します。(まもる)

記者が行く:沖縄戦、ガマに響く軍歌 83歳女性、苦悩語る 
6月23日17時1分配信 毎日新聞

 ◇沖縄戦の「白梅学徒隊」で救護した女性に聞く

 23日は「沖縄慰霊の日」。取材エリアである尼崎市の特別養護老人ホーム「園田苑」に、「白梅学徒隊」の一員として兵士の救護に当たった経験をもつ女性(83)が入所していると聞き、訪ねてみた。女性は淡々とした話しぶりながら「戦争がこびりついて、(頭から)離れない」と、64年間続く苦悩を語った。
 白梅隊は、沖縄県立第二高等女学校の生徒らで結成された隊。「ひめゆり学徒隊」(第一高女などで構成)などと同様、陸軍病院や野戦病院に動員された。
 白梅隊の仕事は、野戦病院での兵士の救護だった。一日にどれくらいの兵士が運ばれてきたかは「分からない」。それほどひっきりなしに、傷病兵が病院に運ばれてきた。中には幼い子供の写真を握りしめたまま亡くなった兵士もいた。「子供が生まれる前に沖縄に来て、写真でしか自分の子供を見てなかったと思う」
 戦禍が野戦病院に及ぶと、女性はガマ(洞くつ)へ移動。白梅隊も個別行動になり、散り散りになった。「みんな元気かなあ」。ガマで友人と話をしていたある日、友人の一人が爆弾の破片を胸に受け、出血多量で亡くなった。女性も右太ももを負傷、傷跡は今も残る。
 今も女性の脳裏をかすめるのは、ある日ガマに響き渡った陸軍中尉の軍歌だという。やたらと大きく、太い声にガマ中が「何事か」と騒然としたが、歌がやむと、切腹した中尉の遺体が転がっていた。「死ぬときに歌を歌う人を初めて見た」。以来、沖縄戦のことを思い出すたび、女性の耳には中尉の軍歌がよみがえる、という。
 女性は体が弱り、一人での外出は難しくなった。ホーム職員の大上茂利さん(35)は、第二高女の同窓会に一昨年と昨年同行、ガマも訪れた。女性は銃撃があった場所や白骨遺体を目にした場所などを詳しく覚えていたといい、大上さんは「これほどはっきりと記憶に残るほどの戦争があったのか」と思うと、自然と鳥肌が立ったという。【中里顕】
〔阪神版〕
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沖縄の不発弾        ネット虫

2009年06月23日 20時46分50秒 | Weblog
麻生太郎首相は23日、沖縄県糸満市で開かれた沖縄全戦没者追悼式への出席後、記者団に「沖縄は先の大戦で一般住民を巻き込んで最大の地上戦をやっている。私は当時5歳ぐらいだったが、沖縄が落ちたという話は子供心に記憶がある。沖縄は特別な思いがある」と述べた。
 そして1月に同市内で不発弾が爆発し作業員が大けがした事故を受け政府が「不発弾等対策安全基金」を創設したことについては、「うまく利用していただければ効果があがるのではないか」と語った。・・・そうであるが、
 沖縄にはいまだに膨大な不発弾が地下にあり、取り出されても未処理の爆弾も多い。琉球新報が沖縄における不発弾の特集をしていたので紹介したい。不発弾は沖縄戦の傷跡の象徴である。 

「不発弾対策 戦後処理、重い課題」琉球新報 2009年6月23日

写真は米軍キャンプ・シュワブ内での爆破処理が滞り、県の保管庫に山積みされる不発弾

県内外の不発弾処理状況の比較
 沖縄   31% 30397件
 沖縄以外 69% 66300件

 終戦から64年目を迎えた今年1月、糸満市で発生した不発弾爆発事故は、沖縄戦が遠い過去でなく、今なお禍根をもたらす県内の厳しい現実をあらためて浮き彫りにした。不発弾爆発事故による死亡者は計710人に上る。糸満市での事故を受け、国や県は未整備だった被災者救済制度など不発弾対策に取り組むが、戦後処理の解決に向けた責任の所在は依然、不明確なままだ。民間工事での不発弾探査や処理問題など課題も山積する。不発弾をめぐる現状や課題をまとめた。

◆県民不満に政府対応
 【東京】1月14日の糸満市不発弾爆発事故発生後、政府の不発弾対策に関するさまざまな制度や仕組みが設けられた。被災者への救済制度や膨大な数が埋没する不発弾の撤去を加速化する仕組みづくりが遅れていたこともあり、県民の不満が事故をきっかけにして一気に噴出し、政府が対応を迫られた形だ。
 被災者対策について、県や市町村は長年にわたり、政府に戦争責任を認めさせた上で、全額を補償する制度を整備するよう求めてきた。不発弾の探査・発掘や処理を加速化する仕組みについては、民間事業での事前探査や発見された不発弾の処理に関する直接的な政府の全額補助を要望してきた。
 いずれも県や市町村の要望通りには実現されていない。ただ政府は、これまでになかった被災者への救済措置について「沖縄特別振興対策調整費」などを財源として県が設立した基金から、見舞金や支援金を交付する新たな制度を創設した。
 不発弾対策に関しては加速化を図る目的で、国が購入した磁気探査機などを市町村や民間事業者に無償で貸与する仕組みづくりを2010年度予算で求める方針だ。政府は「可能な範囲で最大限の対策を取っている。被災者への救済や民間事業者に対する政府補助も実質、要望に近い形になっている」と説明する。

◆米軍政下で事業遅れ 2300トン埋没、完全処理に80年

 不発弾処理については、本土では終戦直後、国による終戦処理業務として行われた。沖縄は、米軍施政権下の影響で、国による対策事業が遅れた。1974年に死者4人、傷者34人を出した那覇市小禄の爆発事故を契機として、国は75年から対策事業を開始した。
 本土復帰前の琉球警察統計書(46~71年)と県の統計によると、沖縄戦後の46年から2009年6月にかけて、不発弾が原因とみられる爆発事故による死傷者数は、死者が710人、傷者が1281人に上る。復帰前は年平均70人超、時には100人超の死傷者が発生する年もあった。戦後から復帰までに約5500トン、復帰後は約1785トンの不発弾が処理されたが今なお、約2300トンの不発弾が埋没していると推定される。
 最近10年間は、年平均約40トンの不発弾を処理している。県は、完全処理までに70~80年かかると推測する。
 復帰前の原因別の死傷者数は、スクラップ作業中が最多で347人。次いで、不発弾をいじるなどの弄弾(ろうだん)中が300人となる。復帰後は、工事中が最多で41人。
 復帰後の72~08年度の県内不発弾処理数は、件数3万857件、重量1785トンになる。陸上自衛隊が処理した件数で、全国総数9万6697件のうち31・4%、重量で全国3843トンのうち41・3%を沖縄が占めている。
 市町村別の不発弾の発見届け出件数は、那覇市が最多で5914件、次いで浦添市2950件、糸満市2438件と続く。上位15以下は300~0件。激しい地上戦があった伊江村は152件だった。圏域別では、激戦地だった南部が1万4740件で圧倒的に多く、中部8115件、北部が943件になる。
 統計を取った県防災危機管理課は「激戦地であり、都市開発が進む地域では、不発弾の発見届け出件数が多い。激戦地であっても、開発が遅れている地域は、今も不発弾が埋没している可能性が高い」と指摘する。


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韓国の民族主義を告発  落石

2009年06月23日 18時10分38秒 | Weblog
朝鮮日報が興味深い記事を載せていました。

アメリカの大学のシン・ギウク教授が
「民族主義が韓国・北朝鮮で人権や市民権の侵害を正当化する
道具として活用された」と批判した、というものです。

韓国の植民地化について、これまでとは違った視点を
提供するものです。

そのポイントは「単一民族意識は韓国に排他性と偏狭性を持たせ、
思想的貧困をもたらし、政治的独裁を助けた」
というものです。
以下、サワリの部分を・

 米国在住の社会学者、スタンフォード大のシン・ギウク(49)教授が
韓国の民族主義に突きつけた告発状は峻烈(しゅんれつ)だ。
民族主義は植民地解放と近代化・民主化を成し遂げることには寄与したが、
それに劣らぬ代価を要求した、というわけだ。

民族主義が自由主義を圧倒することで、
自由主義の基盤が弱い保守は独裁を支持し、
進歩は政権との間で民族主義をめぐり争い、
その過程で親北・反米に傾いていったという。

シン教授は「檀君神話はもはや有効ではない」と主張する。
東南アジアをはじめ外国人女性が嫁入りする多文化家庭が増えているのに、
単一民族神話ではこうした人々を包み込むことができない、というわけだ。

2006年に英語で執筆した『韓国民族主義の系譜と政治』(創批)
の韓国語版を最近出版したシン教授は、
「統一に備えるためにも、単一民族を強調するより
文化的・種族的多様性と寛容さを拡大しなければならない」と語る。


記者の質問
-民族主義が南北の独裁と権威主義の強化に寄与した、という指摘には当惑する。

教授の答え
 「韓国の民族主義はファシズム的な傾向や全体主義を帯びている。
植民地解放後の李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・チョンヒ)体制には、
個人より民族・国家を優先するファシズム的要素がある。
日本で教科書問題や独島(日本名:竹島)問題が起こると、
日本を糾弾する以外、ほかの見解は出てこない。
違うことを言えば反民族的だとののしられる。
米国議会下院で日本軍慰安婦決議案を主導したのは、
日系3世のマイク・ホンダ議員だ。
ニューヨーク・タイムズで日本軍慰安婦問題を取り上げた
ノリミツ・オオニシ記者も日系カナダ人だ。
韓国系の誰かがこのようなことをすれば、
民族反逆者だと非難されるのではないだろうか

       (以下略)

日本にも同じ様な偏狭な民族主義者はいますが・・・

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内部留保なしの会社    落石

2009年06月23日 17時53分24秒 | Weblog
某社の株主総会の資料を読んでいたら
なんと社長の月収が私の退職金と
ほとんど同額!!!

こんな会社ってあるの?日本にも・・・

   

昨日の午後10時放送のカンブリア宮殿という
テレビ愛知の番組を観ました。
広島の本社のあるメガネチェーン店「21」の紹介。
なんと毎年80億円の売りあげがあっても
利益は、5万円という年もあるほど。
内部留保はなし。
利益は、社員の給料と製品価格の値下げに。

運転資金が欲しい時は、カンパを各支店に。
たちまち数千万円が集まるという。

この会社の創業者はじつはメガネチェーン店の
大手をリストラされた人。

来週は管理職不要をめぐって
討論が行われるという。

私は仕事は好きでしたが、会社は嫌いでした。
でも、こんな会社なら、
嫌いにならなくてすんだんでしょうね。
そこの社員には、取材にきて就職してしまった
NHKの人もいるそうです。

   




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村崎太郎さんが「徹子の部屋」に今日出演!!   吉水公一氏のメールより

2009年06月22日 10時43分58秒 | Weblog
吉水です。
6月22日(月)13:20~ 『徹子の部屋』で、村崎太郎さんが出演します。
先日、ポプラ社から出た「ボロを着た王子様」の筆者で、猿回し芸人です。
そこで、自分の生い立ち、結婚差別の現実を語ります。
どこまで差別の現実、彼の思いがカットされずにオンエアされるか分かりませんが、ぜひみなさんも見てください。 → http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

全国ネットの放送で、しかもあの『徹子の部屋』で、出身の芸能人が、カミングアウトして、語るということの歴史的な瞬間をぜひ、お見逃しなく。

                             ネット虫
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朝鮮日報の記事「悪魔の呪い」    落石

2009年06月22日 09時25分56秒 | Weblog
100年に一度?という経済循環。
お隣の韓国も日本とおなじような感じですね。
経済記事の後半を転載します。

   

グローバル経済体制の下では、ソウルで新築マンションが増えれば、
中国広東省の家具工業団地が活況を呈する一方、
韓国の家具工場は閉鎖に追い込まれる。
大企業の純利益が毎年数兆ウォンずつ増えても、
アルバイトや派遣社員、インターンなどが増えるばかりで、
多くの自営業者たちは廃業に追い込まれる。
(日本も同じ)
グローバル経済の下、景気回復という用語は、
もうかっている隣町で使われるだけであり、
自分の町の庶民たちが苦しい生活を迫られる状況は一向に変わらない。
隣町と自分の街を結ぶ暖房用のパイプは切られ、
もうかった分は他国へと流れていくのが現状だ。
(日本の格差はもっとひどいかも。)


 今回も景気が回復すれば、20-30%の人々は「お祭り気分」を
味わうかもしれない。
金に余裕がある企業や高所得層の人々は、
「ピンチはやはりチャンスになる」と口にし、
高ぶる気持ちを抑えるために気を使うだろう。

だが一方で、多くの人々は「一体いつになれば、
景気回復の恩恵に浴するのか」と嘆くばかりで、
「配当金」はほとんど得られないことになるだろう。

(その通り)

 米国発の経済危機の後、世界の経済の流れは二つの方向へ向かっている。
全世界の金融センターの役割を果たしてきた
米ニューヨーク・ウォール街の「発電機」が再び動き始めた。
以前と同じ状況ではないものの、外からは見えない力を取り戻しつつある。
(どこへ行く?)
一方、アジア諸国や新興国も力を取り戻し、浮上し始めている。
中国、ブラジル、ロシアといった新興国や東南アジア諸国は、
欧米諸国に比べ経済危機の打撃は小さかった。
このため、金融・自動車・鉄鋼・造船といった主な産業において、
世界的な規模で勢力図の再編が始まった。
(この影響は韓国・日本ともに大きい・・・)


 李明博(イ・ミョンバク)政権は、
韓国の景気回復が世界で最も早いからといって必要以上に喜び、
それを国民が認めないからといって嘆いている場合ではない。

時代に合わない開発土建型の政策や古い経済理論にこだわっていてもいけない。

為替レートの引き上げをはじめ、大企業に対する優遇、減税といった政策が、
景気が回復してからも有効なのかどうか再検討するべきだ。

 韓国は詐欺師がうごめくウォール街に再び足を踏み入れなければならない。
そして、東南アジア諸国や新興国が繰り広げる勢力争いにも
加わっていかねばならない。
未分譲のマンションを売るために、
すでに始まっているバブルとも戦っていかねばならない。

「税金爆弾」を浴びせることなく、
景気回復の恩恵に浴することができない人々を救うための対策を
講じていかなければならない。
(麻生さん、よく聞いて)

 グローバル経済の下における経済政策の責任者たちは、
「悪魔の呪い」を必然的に受ける運命を背負っている。
歩むべき道を間違えれば巨大なバブルにつながり、
あるいは景気の低迷に陥ることになる。
たとえうまくいったとしても、不満を持つグループは大きな勢力になる。
そのため、前後のつじつまが合わないこと、
状況に応じて表情を変えるようなことも、
ときには憚ることなく実行せざるを得ない。

(要するに悪魔から逃れる術はないということか?)


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小泉元首相の恫喝         アリソナ君

2009年06月21日 10時08分42秒 | Weblog
★小泉純一郎元首相の恫喝

日本郵政の西川社長の続投を許可しないで麻生首相に罷免された鳩山邦夫前総務大臣が、今年の3月に麻生首相から西川社長を更迭するつもりである旨の手紙と後任候補リストをもらっていたことを暴露しました。

麻生首相は3月時点で西川社長の更迭を決断し担当大臣である総務大臣にその旨を伝えていたのが、なぜまったく逆の決断をしたのか、しかも数少ない盟友であった鳩山前総務大臣を罷免してまでも西川社長を続投させようとしているのか、その背景には小泉純一郎元首相の「やくざ」まがいの恫喝があったと報道されています。

共同通信だけが、小泉元首相が激しい口調で西川社長続投を求めた恫喝ぶりを報道しています。
「鳩山が社長人事の認可権限を盾に続投反対を公言しはじめた5月以降、小泉は何度も麻生に電話をかけ激しい口調で続投を求めた。『鳩山が何を言おうと俺は知らない。首相在任中、鳩山を内閣で使わなかったからな。
だが、あんたは違う。俺が閣僚に(何度も)起用した。やるべきことは判っているはずだ。』」

私は以前から、小泉純一郎の言動に「やくざ」の匂いを感じていましたが、今回の恫喝は「やくざ」の恫喝そのものです。

元首相が一国の首相を恫喝して日本郵政社長人事をひっくり返したことが事実であれば、これは完全な犯罪ではないでしょうか。

小沢民主党元代表の公設秘書の「政治資金規正法」違反容疑事件どころでない大事件なのですが、マスコミはいつもの通り一切取り上げていません。
「これほど、小泉が西川続投にこだわるのは、社長交代のパンドラの箱をあけて真っ黒い中身が明らかにされたら、忠臣・竹中平蔵とともに地獄の底に突き落とされる、との強迫観念からでしょうか?」と田中康夫新党日本代表が言っておられますが、小泉純一郎元首相は、相当追い詰められている状況がうかがわれます。

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日中韓青少年歴史体験キャンプの試み      地球人

2009年06月20日 12時55分02秒 | Weblog
★「第8回日中韓青少年歴史体験キャンプ」が、2009年8月6日(木)~11日(火)の5泊6日で、韓国・慶尚南道の南海(ナムヘ)で開催されるそうです。
この青少年歴史体験キャンプは、日本と韓国と中国の中学生・高校生が一堂に集ま
るキャンプで、2002年より始まり、毎年3カ国を交互に開催しています。昨年は南
京で、2006年は沖縄で開催されています。
3カ国からそれぞれ40名の中学・高校生が集まり、歴史の現場を訪れるフィールド
ワークや、三国の中高生たちによるワークショップ、ディスカッションなどを行い
ます。もちろんその地ならではの観光や遊びの時間あります。また大学生・大学院
生の部もあって、中学・高校生のプログラム進行を手伝いながら、大学生同士の議
論・交流の時間もあります。昨年は、東京、関西、広島など各地から参加者が集ま
つたといいます。
 こうした真面目な交流が日中韓の青少年で大規模に行われれば、将来のアジア、ひいては世界平和に大きく貢献できることと思います詳細を下に紹介します。

★===【行事概要】===

■行事名称:第8回日中韓青少年歴史体験キャンプ
 ~戦争の記憶と治癒、そして平和な未来を~

■日時: 2009年8月6日(木)~11日(火) / 5泊6日

■場所: 韓国・南海(namhe)郡

■宿舎: 南海スポーツパークホテル
 (668-873 慶尚南道南海郡西面西上里1182-9 TEL 055-862-8811)

■参加費: 中学生・高校生・大学(院)生一人36,000円
※上記の費用には、韓国でのすべての費用(宿泊費・食事代・飲み物代・移動費・

http://www.jca.apc.org/asia-net/events/jkc_youth_camp2009.shtml

※参加申込フォームや、FAX送信用参加申込書のダウンロードもできるそうです。

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番組紹介・・若者は北京を目指すほか     ネット虫

2009年06月20日 11時54分47秒 | Weblog
★週末から来週にかけてのの注目番組の紹介メールが坂井貴司さんから届きました。紹介します。

NHKBS hi
 ハイビジョン特集「北漂一族~北京・さまよえる若者たち~」
放送日 :6月20日(土)
放送時間 :午後6:00~午後6:52
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2009-06-20&ch=10&eid=12664

中国には「北漂一族」と呼ばれる若者たちがいます。成功を夢見て地方から北京へ行く若者達です。かつても今も東京を目指す日本の若者達と同様、歌手やモデル、経営者などになろうと、貧しい生活に耐えながら必死に生きる若者たちの姿をとらえた番組が今日(6月20日)、NHKBSで放送されます。
 
明日(6月21日)、NHKBSで、3つの見逃せない番組が一挙に放送されます。
NHKBS2「ザ・ベストテレビ - 第3部 -」
(1:08)いのちの記憶~小林多喜二
(2:40) NHKスペシャル・米軍カメラマンが見たNAGASAKI
(3:45) HV特集・認罪~中国戦犯管理所
放送日 :6月21日(日)
放送時間 午後1:00~午後6:00(http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2009-06-21&ch=12&eid=5740

「蟹工船」の小林多喜二、原爆投下直後の長崎を撮影したアメリカ人カメラマン、
戦争犯罪を認識させる奇蹟を起こした撫順戦犯管理所を描く番組です。

NHKBS1科学技術の飛躍的進歩で明るい未来が開けていると20世紀が始まったころはそう考えられていました。しかし、実際に起こったことは2度に渡る世界大戦であり、科学技術を応用した大量殺戮でした。
 その負の遺産を見つめる番組がNHKBSで放送されます。
 
 シリーズ 20世紀 負の遺産を越えて
 
 「セミパラチンスク 18年後の現実 ~カザフスタン核実験場跡~」
 6月22日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
 
 カザフスタン共和国にある旧ソビエトのセミパラチンスク核実験場は、1991年の閉鎖から18年が経ちましたが、今も深刻な放射能汚染にさらされています。実験場から45キロの位置にあるサルジャール村を中心に、放射能被害をとらえ、なぜこの地で核実験が行われたのかを検証します。
 
 「ポル・ポト政権 大量虐殺の真相 ~元幹部・兵士たちの証言~ 前編」
 6月23日 火曜深夜[水曜午前] 0:10~1:00
 
 「ポル・ポト政権 大量虐殺の真相 ~元幹部・兵士たちの証言~ 後編」
 6月24日 水曜深夜[木曜午前] 0:10~1:00
 
 ベトナム戦争が隣国カンボジアまで拡大し、ベトナムよりも酷かったと言われる戦闘が繰り広げられました。1975年、アメリカの傀儡であったロン・ノル政権は、シハヌーク殿下とポル・ポト(サロト・サル)らが率いるクメール・ルージュ軍によって打倒されました。その直後、シハヌーク殿下を幽閉したポル・ポトは、都市の無人化、貨幣の廃止、家族の解体、知識人の抹殺といったた無茶苦茶な政策を実施し、水路の開削と新田開発でカンボジアの民衆を強制労働に駆りたてました。そして多くの人々虫けらのように処刑しました。米の大増産を掲げたこの強制労働は、多くの人々を餓死に追いやりました。そして、隣国ベトナムと国境紛争を繰り返したあげく、1979年、ベトナム軍の侵攻によりポル・ポト政権は崩壊しました。
 身の毛のよだつような虐殺はなぜ起こったのか、それはどのようにして行われたのかをポル・ポト政権の元幹部や兵士たちが証言します。
 
 「アンゴラからの手紙」
 6月25日 木曜深夜[金曜午前] 0:10~1:00
 
 日本が一番最初に接したヨーロッパの国であるポルトガルは、最後まで植民地を手放そうとはしなかった国でした。ヨーロッパ諸国の中で一番貧しい国であったにもかかわらず、アフリカのアンゴラ、ギニアビサウ、カーボベルデ、モザンビク、ゴア、東チモールなどを植民地として支配し続けました。その植民地支配に対して、アンゴラ、ギニアビサウ、カーボベルデ、モザンビークの人々は武器を持って戦いを始めました。激しい戦いが続き、この正義のない植民地支配のための戦争に疲れたポルトガルは、左翼軍人のクーデターで植民地を放棄しました。これによりアンゴラなどは独立を達成したものの、米ソ冷戦やアパルトヘイト体制の南アフリカの干渉で政情不安と内戦が続きました。
 アンゴラは2003年まで27年間にわたって内戦が続きました。米ソ冷戦と南アフリカの干渉のためです。アンゴラの民衆はきわめて貧しくなりました。内戦終結から約3年を経たアンゴラを訪ねる番組です。

「アフリカ リベリア “女の内閣” 」
     6月26日 金曜深夜[土曜午前] 0:10~1:00

アフリカ西部にあるリベリアは、エチオピアと並んで、ヨーロッパの植民地支配を受けなかった輝かしい歴史を持つ国です。しかし、その内実はアメリカから「帰国」した元奴隷の子孫が、先住の人々を支配する歪んだ政治体制でした。
両者の対立は1989年から内戦になり、多くの武装勢力が離合集散を繰り返して果てしない戦いを繰り広げました。多くの幼い子どもたちが武器を持たされて戦いを強制されました。大問題となった子ども兵士です。単なる権力争いでしかなかった内戦がやっと集結した2005年、女性大統領、女性警察長官、女性閣僚と女性がほとんどの内閣が誕生しました。内戦で男性の多くが死亡したことと、権力争いばかりを繰り返してきた男性に対する失望からです。瓦礫の山となったリベリアの再建に取り組む人々のの姿を追います。

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