九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「憲法9条を持つ国の経済―財界人の直言」講演を聴いて①      後藤茂昭

2009年07月09日 22時23分15秒 | Weblog
★表題のテーマで数回に分けて品川氏の講演を掲載します。講演を記録していた後藤茂昭氏は昭和区九条の会の学習会などで講師として平和・護憲の問題についてお話をいただいている論客であります。またピースあいちの中心的なボランティアとしても活躍してみえます。(まもる)
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6月20日、講演を聴いた。講師は品川正治氏である。氏は、現在85歳である。過去に日本興亜損保の社長、会長を歴任し、1993年~97年の間、経済同友会代表副幹事を務め、現在も同会の終身幹事である。また、財団法人国際開発センター所長であるとともに全国革新懇の代表世話人でもある異色の経済人である。現在九条問題について、全国各地で講演活動を精力的に行っている。今回も2時間を超える講演を原稿なしで、淡々と諄々とお話しされ、受講生は引き込まれて聞き入っていた。

講演内容

私の戦争体験
「私は一身に二生を生きた」。1924年に生まれ、22年間は大日本帝国憲法の下、天皇の赤子として、その後は、日本国憲法の下の国民として生きた。太平洋戦争末期、私は第三高等学校(全国に第一から第八まであったナンバースクールといわれ、卒業生は東大、京大等の帝国大学へ進むエリート高等学校。第三は現在の京大教養部にあたる。)の学生であった。
在学中の1943年、戦況の悪化により、それまで大学生、専門学校生に認められていた「徴兵猶予」が廃止され、学徒動員が発令された。当時の高等学校生の中には、20歳を超えたものもかなりいて、召集された。死と直面した中で、当時の学生はみな「死ぬまでに読みたい本」を1冊決めていた。私は、カントの「実践理性批判」をドイツ語の原語で読み、読み終わった3日後に召集された。学生時代には、仲間が次々応召し、寮や料亭で寮歌「紅萌える…」や逍遥歌「琵琶湖就航の歌」を涙ながらに歌った。一番忘れられないのが、詩人三好達治のことである。当時、学校は死んでゆく学生のために、「誰の講義が一番聞きたいか」希望を取り、全国から教科に関係なく講師を招いた。その一人が三好達治である。五日間の講義が終わった時、突然、達治が教壇に突っ伏して号泣した。達治は涙ながらに「若い君たちを戦争に送って、僕にはもう詩を書けない」と言った。
 応召後間もなく中国の延安という最前線に送られた。共産党軍や国民軍の眼前であり、死ぬことが確実の戦線であった。手榴弾攻撃や白兵戦もやった。私の足には、今も爆弾の破片が入っている。ある時、隣の塹壕から「助けてくれ」という戦友の悲鳴が上がった。すぐに飛び出そうとした私に、同じ壕の戦友が馬乗りになって押さえつけ、首を横に振った。飛び出せば、撃たれて死ぬことが確実だった。しかし、このことは私の一生のトラウマとなった。戦後東京にいた私は亡くなった戦友のお母さんの訪問を受けた。息子の最後を知りたくていろいろ調べて私をつき止め、島根の山奥から、村の人たちから旅費を出してもらって上京された。私は、畳に顔をすりつけ暫く何も言えなかった。そのことは更なるトラウマになった。やっと終戦になったが、自分たちの武装解除は11月まで行われなかった。すでに国共の戦いが始まっており、双方の思惑の中で解除がなされなかったようである。

戦争体験が話されない理由
戦争経験者が寡黙である理由は次のように思われる。
1. 日本の戦争があまりにも惨めだったこと。
ニューギニア、レイテ、インパール等での死者の7割は、餓死である。体力も気力もなくし、地面にへたりこんでの戦友との別れがそのまま戦死である。それを思うと「中国戦線のことなどおこがましくて」という気がする。
2. アッツ、サイパン、硫黄島、沖縄での戦いは、最初から勝つことは考えられず、いつ玉砕するかだけの戦いだった。
3. 戦争を語る際、「どうしてあなただけ生きていられたのか」という問いがトラウマになる。
戦争は天災ではない。起こすのも止めるのも人間である。75歳まではトラウマで話せなかったが今は、「今話さないと」という気持ちである。語ることが戦闘体験者の務めだと考えている。

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グアンタナモから北京へ収容所を移るウイグル人         JANJANの記事から

2009年07月08日 21時31分55秒 | Weblog
★愛読するJANJANによればウイグル問題は米中にとっては、下記の記事のような茶番劇なのである。                           数年前ウイグルの活動家が中国政府にテロリストとして逮捕され早々に死刑判決を受けていた。一方アメリカもグアンタナモ収容所にウイグル出身のイスラム活動家十数人をテロリストとして収容していたが彼らを最近釈放したが、中国に帰れば逮捕は免れず行き場のない状態であるという。
 イスラム少数民族に対する不当な政策で期せずして米中が困り果てている現実には思わず「帝国主義者の馬鹿!!!」と怒鳴りたくなる。(ネット虫)

=============================
米連邦控訴裁判所が、軍は中国人イスラム教徒を不当に「敵性戦闘員」としてグアンタナモに拘置しているとし、その釈放と移送を命じた。その移送先が問題になる中、米・連邦議会の人権委員会は、中国の非公開裁判で15人のウイグル人イスラム教徒がテロ容疑により、即座の死刑執行2名を含む重罰を早々に確定されたと非難している。

【ニューヨークIPS=ウィリアム・フィッシャー、7月14日】

 米・連邦議会、人権委員会はオリンピック前の新彊ウイグル自治区での弾圧であり、法の手続きと原則が侵害されていると懸念を表明し、フランク・ウルフ下院議員は「中国はテロとの戦い、あるいはオリンピックの警備を、ウイグル人迫害の理由にしてはならない」と述べた。

 グアンタナモのウイグル人パルハト氏(37歳)の訴訟で、連邦控訴裁は初めてグアンタナモの被収容者の分類に介入した。パルハト氏は、米政府が脅威はないと認めながらグアンタナモに収容されている17人のウイグル人イスラム教徒の1人である。

 この裁定の直前、最高裁はグアンタナモの被収容者に人身保護を求める憲法上の権利があると判断していた。最高裁が外国人の拘束と起訴に軍を利用する米政府の権限を制限したのは2004年以来3度目である。連邦控訴裁の裁定はこの判断に基づいている。

 グアンタナモの収容手続きについて非難が集まる一方で、被収容者の釈放先も問題となっている。2年前にグアンタナモから釈放されたウイグル人5人は、中国での迫害を避けるためアルバニアに移送された。現在グアンタナモに収容されているウイグル人はパルハト氏を含み17人。釈放後の受け入れ国が見つからず、米国も受け入れを渋っている。

 パルハト氏らは9.11同時多発テロの後にアフガニスタンで拘束された。中国の圧政による亡命者で米国と敵対していないという主張は認められず、アルカイダとつながりのある東トルキスタン・イスラム運動との関わりから敵性戦闘員と指定されていた。

 米国政府は中国への送還は否定しながら、中国の関係者に尋問のためのグアンタナモ訪問を許可した。米国政府が方針を決定するまで、パルハト氏らは収容所で毎日4時半起床、祈り、コーランの読書、狭い独房内の歩行を繰り返し、10時に就寝という生活を続けている。グアンタナモ収容所のウイグル人の問題について報告する。(原文へ)

翻訳/サマリー=加藤律子(Diplomatt)/ IPS Japan 武原真一

IPS関連ヘッドラインサマリー:
ポルトガル経由グアンタナモ行きCIA輸送機
グアンタナモを出た人びとの運命

【IPS JAPAN/JANJANニュース】
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ウイグル暴動の実態は?       ネット虫

2009年07月08日 20時47分14秒 | Weblog
★死者140人以上に拡大した新疆ウイグル自治区の暴動は中国政府の少数民族に対する弾圧の様相を見せているようです。55年に新疆ウイグル自治区が成立して59年のチベット動乱を経て97~99年にかけてウイグル地区でも分離独立運動が高揚しており亡命ウイグル人組織の「世界ウイグル会議」も世界各地で活発です。
 報道によれば進出した漢民族の政財の圧倒的な支配、漢語の強引な普及などの文化政策による民族文化の圧迫・同化政策。そうしたことに対するウイグル人の怒りが頂点に達しているとみられます。
 今回中国政府は、ウイグルに住む漢民族を被害者に見立ててウイグル人の一部の暴徒化と弾圧を正当化しているようですが、真実はもっと根深いようです。
 メール仲間からも情報源の紹介がありました。

以下のサイトにアクセスしてみてください。

 http://news.mag2.com/archive/20090707100000

 http://jp.epochtimes.com/jp/2009/07/html/d88049.html

 http://d.hatena.ne.jp/rfuj/20090706/1246849547

 http://uyghur-j.org/urumqi_090705.html

 http://uyghurhotline.com/

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太っていても出来るスポーツ   落石

2009年07月07日 18時54分39秒 | Weblog

東亜日報にこんな記事が。


野球場ではお腹が突き出ている選手もよく見かける。
野球は、「太っていてもやれる数少ないスポーツの一つ」と言われる。
勿論、ここにもポジション別の特徴がある。
太っていてもかまわないポジションがあれば、
「贅肉が即敵」になるポジションもある。

調査結果、指名打者の平均体重が93.8キロで最も重かった。
守備をやらないポジションで力のある選手が多いからだ。
その次は捕手と1塁手だ。
両方とも平均体重91.3キロで、重いポジションだとわかった。
捕手と1塁手も指名打者に劣らない巨体の競演場と言える。
動きが多くなく、投手や内野手のボールを受けるのが
主な役割であることが理由だ。

目を引くのは、ホットコーナーを守る3塁手が捕手や1塁手と
同じぐらいに体重が重いということだ。

同じ内野手だが、2塁手とショートは最軽量級のポジションであること
が分かった。
2塁手とショートは、盗塁のけん制、ダブルプレー、逆モーションなど、
速い瞬間に行われる動作を素早くこなさなければならない。
結局、スリムで動作の速い選手の舞台になるしかない。

   

サッカーではみなスリムですよね。
みんな走り廻っていますものね。

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ガンバに勝った!  文科系

2009年07月06日 14時40分51秒 | スポーツ
ガンバに勝った! 巻の得点、狐につままれたような感じから、一転、歓喜。
早速、若い友人とのやりとりを載せましょう。

友【 ずっと負けがつむと、何となく新聞を見るのもつらく、日常生活にも支障を来すようでした。負けが重なるとチームのいろんな事がネガティブに思う悪いスパイラルに入りいかんです。これは私にも影響を与えはじめていました、勝たねば、でも勝つのは難しいのがサッカー、鹿島戦では力の差を思い知らされました。多分
今回も難しいかな、と、一昨日NSAの1Fにて中日スポーツで吉村だったか、これぐらいでヘコタレませんよ、セフの時はもっと負けが積んだこともありましたから、という言葉にグランパス歴戦の勇士から底力を感じ、ひょっとすると?と期待していました。昨日、9時頃帰宅し、NHKニュースにて結果を聞き、家族がびっくりするほど歓喜のあまり飛び上がりました。よくやりました。 】

僕【 お互いに良いときにメールがきました。嬉しいもんですね。
また、あなたのグラへの愛着がひしひしと感じられる文面でして、思わず微笑んでしまいました。日々の生活で最高のリフレッシュ剤なのでしょうね。グラの社長に代わってお礼申し上げます。「これからもよろしく!」

さて、ガンバ戦は昨夜12時半からテレビで見ました。鹿島戦とはかなり違いましたよ。ゲーム前にストイコビッチがこんなことを語っており、珍しくその通りになったゲームでした。
「とにかく前から守備をしていけ」
珍しくダビも含めて前が少し下りてきてプレスするので陣形がコンパクトになっていて、反転攻撃も速く、厚くなっていましたね。ダビが珍しく時にダッシュも含めてプレスしていたのには驚きました。ちょっとは改心したのでしょうか。ケネディが来たし、中東への移籍を探しているとのニュースも流れたしね。あのニュースって、ダビサイドの代理人か誰かが流した「ケネディと交代させたら、出るぞ!」というブラフですかね? 今あんなのは通用するわけないのにね。サッカー選手にとって、ある程度金をもらえれば、日本から中東へ出て行く時はもう過ぎたはず。アジアチャンピオンクラブになって世界に名を売るなら、エメルソンやアラウージョなどのように、中東へ行くのは愚の骨頂になりました。
さて、グラとダビのことを2~3回ブログに書きましたが、見て下さいましたか? ケネディと玉田で行けばよい。前線プレスを前提に終盤交代要員としてダビを使えばよい。両方使ってみて、前線プレスが熱心な方に先発の権利を与えればよい。】

ガンバは疲れていたと思います。
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美味しんぼこそ長寿のコツ?   落石

2009年07月06日 11時00分59秒 | Weblog
記憶装置が故障した母のお話しです。

最近のことはすぐ忘れてしまいますが、
子供時代のことは、じつに、よく覚えています。
92歳という歳月は、おおきな宝物なのでしょう。
でも、過去のことは話相手がいなくては・・・
どんどん話し相手が消えてゆく。サミシイことです。

さまざまな能力が衰えていくなかで、どのように「今」を楽しむのか?
残された能力を使って、どんな楽しみがあるのでしょうか?
五感のうち、どの感覚が、しぶとく生き残るのでしょう?

ヒントになりそうな本がありました。医学関係の本でした。
脳死状態の患者さんに、どういうケアが効果的なのか?
こんなことが書いてありました。

①匂いを嗅がせる。
②呼びかける。
③ヘッドフォンステレオで音楽を聞かせる。
④からだをマッサージする。

このなかには眼がありません。
眼という人間にとって一番発達した能力が、一時的に失われていても、
鼻、耳と肌という、より原初的な能力は残っている、
ということでしょうか。

嗅覚は、一番原始的な感覚のひとつで、
鼻と脳との間の神経は、眼などと違って交差することなく、
まっすぐ繋がっているそうです。

また耳は最後まで残る能力で、死んでいく人は、
周囲の話を聞いていると言います。

感覚を使った楽しみ方は、その人の生き様に深く関わっており、
急に出来ることではないようです。
若い時から五感を楽しませる術を身につけていくことが大切ですが、
もう若く、ありません。
しかし、今からでも、遅くはないかも。

母は食欲は衰えていません。
さすがに以前のように大食ではありませんが。
気管支炎で入院していた時は、薬の副作用で、
ダメでしたが、退院後には、舌はしっかり回復しています。
よく食べます。これは素晴らしいことです。

看護士さんも、自分の口で食べる人は長生きです、とのこと。
まだまだ5年は大丈夫でしょう。

食べることは生きる基本。
さっさと食べずに、
目で楽しむ。
鼻で楽しむ。
舌触りを楽しむ。
おしゃべりを楽しむ。
しみじみと美味しんぼをすること。

五感をフルに楽しませる食事が人生を一日でも長く楽しむこと、
その大切さを、母は身を持って教えてくれているようです。






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川柳作家・鶴彬生誕100年   落石

2009年07月05日 12時19分14秒 | Weblog



先日の金沢旅行で卯辰山に登りました。(といっても車です。)
そこで出会ったのが川柳作家・鶴彬(つるあきら)の句碑です。

  暁を抱いて闇にゐる蕾

今年は、鶴彬生誕100年ということで、
「鶴彬・こころの軌跡」というドキュメンタリー映画が製作、
上映されているそうです。

  

鶴彬は、川柳作歌としてのペンネーム。
本名は喜多一二(きたかつじ)、石川県かほく市高松生まれです。

  手と足をもいだ丸太にしてかへし

代表作のひとつです。
「あそこの息子さん、命拾いをして帰還したけれど・・・」
と、いうヒソヒソ話が聞こえてきそうです。
表立っては言えぬことをグサリと。
川柳ならではの一句です。

   

初めは、ロマンチックな句をつくっていた少年、
喜多一二は、社会主義運動の高まりのなかで、
戦争の現実を直視していきます。
21歳の時、金沢歩兵第七連隊に入営。
日本共産青年同盟の機関紙『無産青年』をもちこむなど反戦活動をし、
治安維持法違反で逮捕され、懲役二年の刑に。

日中戦争の始まった昭和12年には、

  万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た

  屍のゐないニュース映画で勇ましい

などの句を発表しています。
ニュース映画の「ヤラセ」を皮肉った句も。

そして、ふたたび治安維持法違反で、東京の野方署に留置され、
翌年、赤痢に感染、病院で亡くなります。
28歳でした。

    

金沢の第七連隊での事件では、鶴彬など3人が憲兵隊に逮捕されました。
なかの一人が、新聞記者で、戦後に、CBCの創立に深く関わったK氏。
この時の取調べの様子を回顧録に、こんな風に書いています。

「お前は日本の天皇制をどう思うか」
「現在の天皇をどう思っているか」と同じことを
来る日も来るも聞かれるのである。
少しでも前回と違ったことをしゃべると、そこを鋭く突っ込み
えぐるようにして本音を吐かせようとするのである。
だから毎日毎日が飽き飽きして退屈でしょうがなかった。
考えることといえば食うことばかり・・・

鶴の川柳は「日本ペンクラブ・電子文藝館」で
読むことが出来ます。

そういえば太宰治も生誕100年ですね。


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祝、当ブログ、今週新記録!  文科系

2009年07月05日 02時53分02秒 | その他

当ブログは05年発足以来、年々皆さんのご参加が増えてきましたが、今週はその新記録を更新しました。ファンの方々みんなで喜び合いたいと思います。

gooブログ本部が、毎日のアクセス個人数(延べ人数ではない)と、延べ訪問数とを報告してくれるという仕組があります。そしてその週間集計(日~土)もまた、そのつど記録・報告してくれています。その過去最多数記録は、こうなっています。アクセス数は本年5月31~6月6日の1,468人、閲覧数は、本年3月8~14日の5,281回です。
さて、今週6月28~7月4日で、この二つの記録を同時に更新しました。それぞれ1,792人の6,117回となったんです。凄い数字だと思われませんでしょうか。面白おかしいだけのものが情報世界を席巻する今の日本で、素人数人で始めたにすぎないこのブログが。

今後もよろしくご協力下さい。
「読んだよ!」という印であるコメント書きは、上記数字の多さの割にはまだまだ少ないと思います。日によっては、エントリー数の方がコメント数よりも多いときさえあるようですから。いつも叫んでいることですが、皆さん、コメントをもっともっと書いてほしいと思います。その度合いに応じて、エントリーの質への熱意も増えていくことでしょう。
よろしくお願いいたします。
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愛国心と9条は仲良くできますか? 落石

2009年07月04日 09時34分31秒 | Weblog
愛国心についての投稿で良いコメントが続きました。
問題点を整理する必要がありそうなので、
投稿にしました。
再度、コメントをお願いします。

   

私が投げ出した問題は、愛国心は2つのありうるということでした。
簡単にいえば「良い」愛国心=「人類愛」に立脚した愛国心。
もうひとつが「悪い」愛国心=「排外主義の差別的な」愛国心。

これに対して、危惧する意見が寄せられました。
愛国心は危ない、というものです。

   

愛国心に二つあるとすれば、一つは社会共同体を背景とした
「愛郷心」といってもいいものであり、
今一つは、政治共同体からの「忠誠心」を太骨としたもので、
先の教育基本法改悪の中味にしようとしたものです。
私には、愛郷心ならあります。
それがあれば、ことさら愛国心などなくともいいんじゃないですか。
国が在って、人々が存在するのではなく、
村人、町人、市民があつて国というものは成り立つ。
これが戦後、私たちが学んだことでした。

少なくとも国家=悪と断じればいいというわけではありません。
国家はレーニンのいうごとく、軍隊や警察、
そして監獄に限定されないからです(それらの機能も含みますが)。
ほかにも、財政や教育、インフラや福祉など、
広範囲な機能を持った装置といえます。
問題はこの機能の束を誰のためにどう働かせるかであって、
それが専制国家であったり、相対的に民主的な国家であったりします。
従ってここには、広く国民のために働く相対的に良い国家と、
そうではない国家とがあります。
それらはそれぞれの国家に内属している性格ではなく、常に変動するものです。

こうしたよりよき国家へ向かっての努力は否定すべくもありませんが、
ただし、こうした機能の束ねのような国家を、
それ自体自律するものとして実体化し、
「愛国」という名称で固定することはどうかと思うのです。

   

国民国家を実体化して「愛国」という名で固定することは、
どうか?と思うのです。
というところが、ポイントですね。

    


過去の苦い経験は、「友愛的な愛国心」との差異は明確になることなく、
ついにはナショナリストのそれに統合されるような気がいたします。
戦前における軍国的愛国心のそれも、大多数の国民にとっては、
当初は郷土愛であったり、伝統への敬愛であったり、
ようするに「友愛的な愛国心」であったのではないかと思うのです。
ナショナリストは、そうした様々な愛国心をすくい上げ、
すべからく国家主義へと統合するのです。

   

こうした過去から、どう学ぶのか?
そこが大切なポイントです。
それは愛国心はいらない、ということでしょうか?

たとえば9条と愛国心は両立するのか?と問われたとします。
只今さんは、両立しないとお考えのようですが、そのほかの人たちは
どうでしょうか?
特に若い人は・・・
どうして、それが対立するものかは、全然理解できないでしょう。
過去の文脈がスッポリと抜けているから。

今の文脈で、この「9条と愛国心は両立するのか?」
という質問を考えたら、両立していると答える人が結構いるのでは?

私は両立すると思っていますよ。
人類愛に立脚する愛国心と9条は、なぜ、両立しないんでしょうか?

さて、ここからが大切です。
人類愛に立脚する愛国心は貫けるのか?
ナショナリズムに足元をすくわれるのでは?
という危惧です。

これはどうでしょうか?  
過去が過去ですからね。


論点の理解がずれていたらゴメンナサイ。
その点もふくめてコメントを下さい。

(一言、追加です。憲法9条を持っている国民が
愛国心を持たないって?どういうこと?
というのが私の素朴な疑問です)




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腐ったゲーム、グラ鹿島戦  文科系

2009年07月04日 01時59分51秒 | スポーツ

改めて1日の鹿島戦を見直してみた。腐ったゲームだ。その次第を書いてみたい。

前半20分過ぎまではよく攻勢をとっていた。全力で攻めていたのだろう。惜しいシュートも3回ほどはあったのではないか。22分に鹿島が得点してからがいけない。

さて、僕が最近ここに書き続けてきたダビである。確かにアリバイ作りのような守備しかしていない。ごく近くに来る敵ボールにしかプレスをかけないし、そのプレスの時もとろとろ走り寄っていくだけで、守備時のダッシュというものはほとんど見られない。彼の守備がこうだから、ディフェンス陣は攻撃の時でも去年の好調時のようにはなかなかラインを上げられない。いつボールを取られて、ダビ周辺の敵陣から一気に攻められるか、そんな不安があるからだ。よって、こんなことが起こる。
敵ボールを奪って反転攻勢という時も、見方ボールの位置は低く、ダビは高い位置にいるので、当然陣地が長くて、攻撃が遅くなる。これだけ遅い攻撃ばかりでは、既に敵が帰陣してがっちり固めているから縦への攻撃ができなくて、敵陣かなり前でやたらに横パス、バックパスを繰り返しているだけだ。

やはりダビがチームとしてのコンパクトさを乱していると思った。それでも彼だけに得点を上げさせてきたからということなのだろう、彼を換えられない。よって彼はますます上に構えて、得点中心のプレーを心がけることになる。この悪循環ぶりでは、チームとしての信頼関係が崩れ、監督不信はもう深刻だろうと思った次第だ。

このダビ、去年札幌でも同じことをやってきた。彼がリーグ2番目の得点を上げても、チームは2部に落ちたのである。この事実はむしろこう表現すべきなのかも知れない。
「彼が得点に専念したからこそ、チームが2部に落ちた」

サッカーではこういうことがよく起こる。たとえ得点力がリーグ随一の選手でも、チームコンセプトを乱すならば、それ以上の害があるということだ。彼がいることによって生じるストイコビッチの「攻勢的守備原則」上の破綻が、彼の得点程度ではカバーできなかったのだと言い換えても良いだろうと思う。
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「弁当男子」って?    落石

2009年07月03日 16時11分47秒 | Weblog
朝鮮日報の記事です。

これまで女性会社員が主な客層だった日本の弁当市場で、
男性会社員の客が急増していることを受け、
製造業者の間では値下げ競争が激化している。
日本のビジネス街では昼食時になると、
男性はラーメン(700円台)や丼物(500円台)のチェーン店へ行き、
女性は弁当を購入して会社で食べるのが一般的な光景だ。
だが、景気の低迷を受け、男性会社員たちが昼食代を節約するため、
安価な弁当店に並ぶようになったのだ。
 日本の小売店で販売される一般的な弁当の価格は500円台。
だが最近、大手スーパーマーケットの西友はこれを298円まで引き下げた。
ハンバーガーやサケ弁当など、内容や量・質などは、
これまでの500円台の弁当とさほど変わらない。

日本では昨年末以来、会社で弁当を食べる男性社員が増えたことを受け、
「弁当男子」という流行語が登場している。

   

サラリーマン生活、ずいぶん長かったけれど、
弁当男子ということはなかったな。

お弁当を持っていったことが数回。
「愛妻弁当」って死語か?

あとは近くのお店に・・・
「鳥飯」タレのついた串焼きをのせたご飯。
「チャーリッジ」豚肉に片栗粉をつけて油であげたもの。
「ブタマン」豚肉のダンゴがしょうゆ味の汁のなかに浮いている。

みな、もうお店がないかな?
もう一度食べたみたいな・・・






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イスラエルの行方    落石

2009年07月03日 08時48分53秒 | Weblog
岩波新書の「イスラエル」を斜め読みしました。

   

イスラエルは2008年に建国60年。
その人口構成はかなり複雑。
世界の様々な国や地域からやってきたユダヤ人、
さらに以前から住んでいるアラブ人。
こうした人々から構成され、市民社会としては成熟しつつあるという。

しかし建国の精神、シオニズムを捨てることはないだろう。
「ユダヤ国家」であるつづけるだろう。

グローバリゼーションの流れのなかで経済的な自由化を選択、
民主的な市民社会にむかっている。
そのような方向に向かえばむかうほど、イスラエル自身が
多文化主義的になっていく。

だからこそ逆に、イスラエルの純粋なユダヤ性を強調せざるを得ない、と
考える国民が増える。
そこにイスラエルという国民国家の抱える最大のディレンマがある。

このディレンマはイスラエルだけの問題ではない。
グローバル化のなか国民国家すべてが直面している問題である。

   

とのこと。
日本などで安倍さんを支持し、
NHKのJAPANデビューを批判する人たちが
声を大きくするのも、背景にグローバル化が
進む状況があるということでしょうか?

そんな時に思い出すのが次の標語。

ナショナリズムの行き着く先は?

国内的には「国家のために死ぬ」
対外的には「国家のために殺す」

これって、グローバル化が進めていく
多様な市民社会の対極じゃない?

歴史は遺伝子のDNAを模倣して
ラセン状なのかな?









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4人で300億円超? 文科系  

2009年07月03日 00時04分29秒 | スポーツ
スペインのサッカーチーム・レアルマドリッドで、とんでもない大補強が進行中である。
ポルトガル代表ロナルド(イギリス・マンチェスターユナイテッド所属)、ブラジル代表カカ(イタリア・ACミラン所属)、フランス代表ベンゼマ(フランス・リヨン所属)ら世界的スター選手を次々と獲得したうえにさらに、フランス代表の看板選手リベリの移籍にほぼ成功したようだ。このリベリは、ドイツの看板チーム、バイエルンミュンヘンの誰もが認めるエースである。

英仏独伊それぞれの看板チームから、ここ2年の世界ナンバーワン選手二人(カカ、ロナルド)と、それぞれのチームエースでフランス代表二人! あわせれば、まず300億円は軽く超えるだろう。どこにこんな大金があり、なぜこんなことが起こったのか。説明が必要な、世界サッカー史上でも希有な大補強と言えよう。

今年サッカー通には有名な歴史的事件が、スペインサッカー史上で初めて起こった。バルセロナを拠点とするFCバルセロナが、スペインのいわゆる「3冠」をとうとう取ったのである。リーグ杯、国王杯、そしてヨーロッパ・クラブ・チャンピオン杯である。かくしてこのFCバルセロナ、世界サッカー史上最強のチームではないかと語られることになった。この歴史的快挙に黙っていられないのが、スペインもう一方の雄・レアルマドリッド。この、首都に本拠を置く「読売巨人軍」が、「阪神タイガースのこんな3冠!」に黙っていられるわけがない。

「スペインサッカーの悲願を、ついに奴らが成し遂げやがった。俺らは当分奴らに頭が上がらない。ならば、来年は?その次は?ーーーこれが、このままでは俺らの栄光は当分、無理、無理。なんせ、奴らの監督は、38歳の監督初体験者なんだな、これが。さらに憎らしいことに、バルセロナの下部組織出身から名選手を経た生粋のバルセロナ人ときている。これが監督1年目でこんなとてつもない成果を上げやがった。悔しいことだが、38歳のこのガルディオラ、新人ながら名監督と見ないわけにはいかんぞ。ならば俺らにできることはーーー」

かくして、集められるだけの金に飽かした大補強と、そんな訳なのである。それにしても英仏独伊それぞれの看板チームから、エース4人とは! 

さてさて、名選手を集めても勝てないのがサッカー。組織が最も大切だからである。野球でも名4番バッターばかりを集めても監督が悪ければ勝てはしない以上に、サッカーではその数倍、監督が肝心。(余談だが、今年のセリーグ、いくら読売が強いように見えても、クライマックスでは中日に負けるよ。監督の器が違う)
ロナルド、カカ、ベンゼマ、リベリ、彼らがガルディオラの組織を打ち破れるのか? 僕は「否」と見る。また、こういうスペインの激動に、最近の世界的強豪クラブ4つが競い合うイギリスも黙ってはいまい。来年の世界サッカーは実に面白い。





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グランパス・鹿島戦、友人とのやりとり  文科系

2009年07月02日 14時50分08秒 | スポーツ
友【 明日の鹿島戦が見物です。負けるかもしれないけど内容さえ良ければ、期待できます。】

僕【 確かに今日の鹿島戦は楽しみです。ただし、強敵相手に本来の攻撃的守備が復活すればの話と思います。
今まで通りなら、ダビが誰か2人ぐらいに食いつかれて、玉田、マギヌン(は出られない?)もフィットが今一歩、DFラインもずるずると下げられて2ボランチはタックルも出せずと、最近の姿がそんなに変わるとは僕には思えないんです。辛うじて小川に良いボールが入ったときを期待したいと思います。でも彼には小笠原・青木が密着するだろうし、相対的な力の差は歴然。
選手たちの「この戦いこそ、最後の希望がみえるか?」という気持、モチベーションに期待したいと思います。】

友【 さすがのこの点差には実力の差、グランパスの今の力を思い知りました、予想されたとおりですね、残念です。】

僕【 こうなると心配は次のこと。ケネディが加わってチームコンセプトがどうなるのか。ドイツにいた選手だから規律は守って一定防御もするだろうが、ダビと一緒にスリートップでは敵ボールが奪えないから、去年の「ヨンセン+玉田型」が良いと思う。ダビはベンチで後半20分に出す。そうなると心配はケネディの走力だ。ヨンセンぐらいは走ってもらわないとね。
でも、選手の監督への信頼がもう失われているとしたら、何をやってもだめだよね。戦術上の説得力がなくなっているということだからね。悲しいけれど。新潟の鈴木、川崎の関塚あたりのほうがよほど説得力があるのではないかな。昔のグラに戻ったということ。】

さて、ここからは僕の観測。
ダビはやめることになるでしょう。後半20分だけ出場なんて、彼が我慢するわけがない。日本のどこかが引っ張って、そのチームがまた沈没するのでしょうか。こういうタイプは、日本では無理です。ベルディにいたフッキか、あるいは、パルマだったかに中田と一緒にいたアドリアーノみたいなもの。個人のキープ力、得点力、パワーはすごくあるが、チーム概念が欠如した選手ね。日本には合いません。
このタイプで唯一現在でも世界的看板を張っているのが、イタリアはインテルのイブラヒモビッチ。ただしあの選手でも、フッキやアドリアーノほどひどくはないと思いますし、世界1、2の名将モウリーニョが、最低限度の説得力を彼に発揮していないわけはないと思います。
それにしても、モウリーニョは名監督ですね。ポルトガル、イギリスからヨーロッパチャンピオンクラブを作り、今度はイタリアでも同じことを成し遂げるように思います。スペイン2強とイングランド4強を退けてそうなったとしたら、サッカー史上前代未聞の大事件ですよ。その上で今度はスペインへ。多分リアルマドリッドでしょう。バルサは、38歳で監督初体験、初優勝、同時に初ヨーロッパチャンピオンという偉業を成し遂げたガルディオラがいますから。
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時間の創造は宇宙の創造である   落石

2009年07月02日 09時24分07秒 | Weblog
入退院を繰り返す母。だんだん記憶力が弱くなっています。
最近では、自分が転んだことは覚えていますが、
それが昨日だったのか?一昨日だったのか?は定かではありません。
さらに、30分前に、飲んだ薬のことを、もう忘れています。
加齢によって、時間の観念が失われていくのがよく分かります。

  

時間とは、一体、なんなんだろうか?そんな疑問が湧いてから
あちこちの本を読みましたが、今ひとつでした。
そして、出会ったのが、この本。
「時間はどこで生まれるのか」(集英社新書)

物理学の研究者が初心者にむけて書いたもの。
ミクロの世界では、時間も空間もない、
というのが常識だそうです。(ビックリ)
そうした常識?を土台にした時間論です。
本当の初心者には、難しくて、ほとんど理解不能でしたが、
なんとなく気に入った部分もありました。
こんな一節です。

  

時間は、刹那、刹那の生命の意思が作り出すもの。
生命の個体が外部から干渉をうけ、自らの行動を決断する。
その刹那、刹那から、主観的な時間が生まれる。
そうした主観的な時間には、現在しかない。

たしかに、母の話を聞いていると、「いま」が中心。
極端に言えば「今」しかありません。子供と同じ。
さっき言ったことと矛盾していても無頓着。
その時、その時の欲求にしたがっているのです。
これが、生きていることか!と思いました。

本は、もうひとつの時間について、こう説明しています。
この刹那、刹那の意思が「記録」されるようになると、
生命は誕生から死へつながる一連の自己を意識する。
こうして時間も向きや流れが意識される。

子供から大人になるということは、この時間を
身につけていくことにようです。
そして、加齢によって、この記録装置が壊れしまうのでしょう。
社会的な行動に齟齬が生じてきます。

   

しかし、生きているかぎり、「今」を楽しむことは出来るのです。
時間の創造は宇宙の創造である、という著者の言葉に、
納得するものがありました。

では、今を生きるのは、どうしたら良いのでしょう?




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