九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介 「飛行機ばば・新幹線ばば」  文科系

2016年03月16日 11時51分05秒 | 文芸作品

 飛行機ばば・新幹線ばば  H・Sさんの作品です

 

[保育園落ちた日本死ね]と書かれた匿名のブログが話題になり与党が大慌てしているが、私はこのブログに共感。よくぞ声を上げたと、若いママ達をほめてあげたい。こんな声が上がるぐらい働く母親の保育事情は厳しい。

 孫の保育を手伝っていた十三年前と少しも変わらない現状に呆れた。
 当時母親「娘」は大阪に住み、結婚後も仕事を続けていた。二千二年七月長女を出産。父親「娘婿」と二人での子育てを計画していたが、父親の方が、東京へ転勤することになった。
 二千三年四月、孫娘は保育園に入園。母親の勤務時間に合わせるため、慣らし保育が始まった。最初は二時間。母親から離れて保育園で生活。保育園での生活時間を徐々に伸ばし、一日中保育園で集団生活が出来るよう、一か月をかけて訓練をする。この試し保育は、母親が取得した育児休暇で誰の手を借りず、一人で何とか乗り切った。
 五月初め職場に復帰。母親はフルタイムで働く生活になった。生後八か月で集団生活を始めた孫娘は、免疫の機能が不十分な体にストレスを抱え込んだ。それ故、感染症の標的になり、体力を消耗。集団生活が出来ず、自宅待機で体を休める日々が続いた。
 仕事を続けるために、母親は、実家を頼るしか道がなかった。実母である私に「赤ちゃんをお願い」と、出動命令の電話がかかってきた。
 電話が来ると、リュックサックに衣類を詰め込み、名古屋から新幹線に飛び乗り、大阪まで駆けつける。孫娘の入園を契機に、私は、新幹線ばばがなった。

 それから十年の間、三人の孫たちの保育を支援をする生活が続いた。
 母親が東京転勤になり、父親は中国に単身赴任をした。
 舞台は東京へと移った。老いた体に責任の重い役目を背負い、私は、新幹線ばばをなんとか勤めた。

 当時、私のような新幹線ばばや、熊本、宮崎から飛行機で駆けつけ、孫たちの保育を担う飛行機ばばが何人もいた。気兼ねなく頼めるのは実母ということで、働く娘を助けるこの役割は実母が担っていた。
 子供が、元気な時は保育園に預けて母親は働くことが出来るが、病気になると勤めを休んで母親が見守る。病後の幼児が、体力をつけるまで面倒を見てくれる病後保育が必要だ。この制度があれば母親がどんなに助かるだろうと、私は心から願っていた。保育園で親しく言葉を交わすようになった飛行機ばばも新幹線ばばも、同じ思いを持っていた。大阪でも、東京でも、必要に迫られた母親たちが、保育師の待遇改善を訴え、待機児童をなくしたいと、仲間を集め、署名を集め、役所に働きかけをしていた。
 娘の家族が東京に住むようなって何年もたった頃。数少ない小児科医が、役所の委託を受けて病後保育を担うようになったが、人数に限りがあり一日三人で精一杯いう状況だ。
 働く母親の子育てを支援する飛行機ばば、新幹線ばばは、現在でも大勢いるのでないかと、私は見ている。

 一人の幼い子供を持つママのブログ発言が、国会で大問題になった。
「匿名での発言は、事実かどうか確かめようがない」と、安倍総理が切り捨てた。
「書いた本人が名乗り上げよ」と、ヤジも飛んだ。
 現状が理解できていない安倍総理の切り捨て発言が、ママたちの反感を買った。
 同じ思いを持っていた待機児童のママたち三十人が、
「保育園落ちたの私だ」と書いた紙を掲げ、国会前に集結、抗議の声を上げた。ママ達は、二万八千人の署名を集めて大臣に手渡す行動に出た。
 自分の言葉で発言。仲間を作り行動を起こすようになったママたち。そのきっかけを作ったのが、一人のヤングママのブログの匿名発言だ。ブログの持つ力は大きいと、認識を改めた。

 この国の政府は、一億総活躍だの、女性が活躍出来る社会にするとか、言葉だけ立派な看板を掲げるだけで、何もやっていない。
 この問題は、正面から取り組み、きちんと結果を出してくれるのだろうか? 私は厳しい目で見守っている。

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(56) 優勝を引き寄せた岡崎  文科系

2016年03月15日 10時29分36秒 | スポーツ

 今朝、何となく予感がして海外サッカーサイトを開いたら、もう開けてびっくり。トップにこんな記事がある!

 イングランドリーグで、不器用な岡崎慎司がとんでもないことをやってのけた。彼のオーバーヘッドキック得点で、チームが1対0の勝利。勝ち点差2に迫っていた2位チームを、改めて5差に引き離した得点である。全38ゲーム中の残りゲームは8。優勝に大きく近づけたオーバーヘッドだ。

 2部の常連チームだったレスターの「奇跡の優勝」という声が、全英に充ち溢れているが、こういう一連の記事の中に、元マンチェスター・ユナイテッド名物監督ファーガソンのこんな声もあった。
「レスターは、36節にマンチェスター・ユナイテッド戦があるが、その前の35節に優勝を決めているよ!」

 さて、岡崎自身、この得点はこんなふうだった。
 前半の25分。まず、身方左サイド選手からのクロスをニアで競った敵DFのヘッド・ボールがファーに流れる。そのボールを右にいたバーディーが、彼らしくジャンプが効いて高いヘッドで左へと折り返す。そこに待っていたのが岡崎であって、電光石火の高めオーバーヘッド。これをゴールへとまっすぐに地面にたたきつけ、決めて見せた。

 英誌デーリー・ミラーは岡崎へのこんな評価を載せている。
 タイトルを「岡崎は縁の下の力持ちである」。
 「彼の仕事量と熱意は止まるところを知らない。それは信じられないほどだ。マフレズ、ヴァーディー、さらにはオルブライトンらと話をする中でも、大きな部分を占めてくるのが岡崎である。
 彼は技術や体格で欠けている部分を、自分の向上心で満たしてきた。こうして、彼の先制点は、天才的タッチと壮大なオーバーヘッドキックから生まれたものだった」

 最後に、イングランドのゲーム評価点が、日本のスポーツ・マスコミのそれといかに異なるかを一言。このゲームについて日本ならダントツで岡崎が最高得点となるところだろうが、彼よりも高得点選手を二人もあげたマスコミがいる。岡崎同様いつも守備に走り回るボランチのエンゴロ・カンテと、元独代表センターバック、ロベルト・フートを。日本スポーツ・マスコミがこうであれば、守備を目指す子どもがこの日本にも増えていくことだろうに。が、日本のマスコミは、「守備をしない『名』FW」ばかりを増やしてきたのではなかったか。スポーツ文化の底が浅いのである。「守備を観るのは玄人、普通はホームランを観る」とか言って、スポーツ好き観衆を馬鹿にしているのではないかとさえ思うことがある。「日本には守備の文化がない」と語ったのはトルシエ。日本のサッカー・マスコミはサッカー文化を歪めてきた張本人ではなかったか。

 こうして、「守備にだけ貢献している」と皮肉混じりのように評される岡崎が宇佐美、柿谷らの「天才FW」を差し置いて世界トップリーグのレギュラーFWを張っているのは、日本マスコミのサッカー観への皮肉にも、僕には見えるのである。レスターが優勝すれば、そんな日本マスコミも少しは変わるだろうか。その時は、この「守備要員FW」岡崎慎司だけが、日本伝説の名選手ヒデと並んだ時なのだから。ヒデを評した俊輔の言葉を、今も僕は鮮烈に覚えている。「ヒデさんって、日本人っぽくない。ドリブルでどんどん前へ行き、身体を寄せてくる敵をはね飛ばしてさらにまた前へ行って、鋭いパスってね」。世界中から集まった大男とも守備の「デュエル」で平然とやり合っている岡崎。どうやらヒデと同じように強い身体を身につけたようだ。そう言えば、10代のころのヒデは岡崎と同じように、まだまだ技術が下手だったな。「トラップ止まらへんな」と、当時の天才、財前宣之にいつも笑われていた。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(55) 流石の田口泰士、矢野貴章、そして小倉監督  文科系

2016年03月14日 12時09分55秒 | スポーツ

 Jの第3節、川崎・名古屋戦を観た。抜きつ抜かれつの3対2で終わって、まーなかなか面白かったのだが、正直たるいゲームだった。僕が応援している名古屋の守備が甘く見えて、どういうか終始尻がむずむずしていたのである。これでは、川崎が歴史的に苦手な訳も納得というもの。

 川崎は言わずと知れた「徹底繋ぎ」のチーム。そのチームに名古屋のバイタルエリアがスカスカなのである。敵ボール前に二人いてさえも、その一方すらがなかなか当たっていかないで、距離を置いてズルズルと下がるばかり。これでは、身方ゴール前混戦にも、中距離シュートや良いクロスなどにも、どんどん持ち込まれてしまい、危なくって観ていられない。ハリルが言う所の、「ボールから遠すぎてプレスとは言えないプレス」ばかりなのである。酷い場合は3メートルもあって、これプレッシャー?

 こんななかでは、代表経験者田口泰士と矢野貴章などはやはり違っていた。相手ボール保持者に対する時に、なんとか身体をねじ込もうとしていた。つまり身体のネジコミを前提としないようなプレスは駄目だということだ。1対1、フランス語のいわゆる「デュエル」でボール奪い合いにまで持ち込んでこそ、自分は取れなくともルーズボールが味方に流れることも多くなると、そういうチーム守備がどうして出来ないのだろうか。また、ボールを受けに走る敵に対して、もう少しマークに付けていれば奪い合いにも持ち込めるのに、これができないのは走力に自信がないから?などと思ったりもした。とにかく歯がゆく、じれったくて仕方なかったのである。時にはこんなことも毒づいていたほどだ。
「サッカ-優等生は、敵ボールに当たっていって、ハズされるのが嫌なのかよ? 自分が取れなきゃつまらないとでも思っているのかよ?」
 川崎に対する名古屋はまー、そんなチームだった。ゲーゲンプレス誕生以降の今の世界で最も大切なことが抜けているチームと言えるんじゃないか。非常に身体も強くなって、大男の敵ボールにも隙あらば身体をねじ込んでいくという岡崎慎司が観たら、大笑いするのではないかなどと、呆れていたものだ。

 新聞を観たら、小倉隆文監督は流石にこの点を非常に正確な表現でしっかりと押さえていた。最大欠点と見て直そうとしてきたがまだ直せていないから、特に繋ぎが上手い川崎相手にはバイタルがスカスカにされたということなのだろう。流石に小倉の以下の言葉には、ちょっとほっとした。
『球際の勝負で甘さを感じた。ぎりぎりのところでも体を張り、寄せていく力をつけていかないと、リーグで勝つのは難しい』

 今の世界では特に当たり前のことだ。アジアチャンピオンズリーグなどでも日本が苦戦するようになったのは、この点の弱さが最大の原因と観てきた。ゲーゲンプレス誕生以降は、必要な時にボールを奪う守備が出来ないチームは勝てないのである。イングランドに彗星のようにあらわれたレスター、この岡崎のチームは、これが出来るから1位にいると観た。1点差勝ち、1点を追いついてドローと、本当に負けないチームなのである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島甲状腺癌、慰安婦、南京の論争から  文科系

2016年03月13日 11時56分19秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 6日拙稿「子ども甲状腺癌、楽観風評を排す」をめぐって、(新たな?)名なしさんと、久しぶりの本格的な論争がありました。ちょっとしっかりした文章の方でしたが、討論の終わりの方で特に観られたその内容たるや、やはり根拠、論理性、人柄とも、浮き草のような方としか感じられずに終わったものです。僕の「リンパ節転移などがある悪性癌手術数」という論拠には最後までなにも答えられず、根拠のない「スクリーニング効果で余分な数を数え上げただけ」と言い続けられただけ。最後はもう捨て台詞であって、このように誠実さの欠片も感じられないものでした。

『 Unknown (Unknown)2016-03-13 04:03:44
(僕が述べた、福島の子ども甲状腺癌の家族たちへの「悲しみ」という言葉に対して)少しも悲しそうな印象を受けない。逆に自説が悲劇に因って肯定されるのを待ち望むかのようだ。福島の子供の為を思うならば、可能な限り不安や悲劇的なお話を語らず、静かに見守る事が最善なのだが、ここの人は違うようなので失礼する。再訪はしない』

 この文章に対して僕は、最後にこういうコメントを付けて、この論争を終えたものです。
『皆さんへ (文科系)2016-03-13 10:05:20
 皆さんへ
 臨時登場と思われる名なしさんが、上でこう語られています。
「静かに見守る事が最善なのだが、ここの人は違うようなので失礼する。再訪はしない。」
 この言葉も僕に言わせれば聞き捨てなりません。おそらく国の責任でもあろうものを、静かに見守れと語られている。
 こんな言葉は、聞き捨てならないものとして戦後日本には既視感が無数だ。イタイイタイ病、水俣病、薬害エイズ、四日市公害などなど。これらは、「静かに見守」っていたら永久に解決せず、被害者たちの人生そのものがただの泣き寝入りだった。
(中略) 国が率先して世論をねじ曲げようとするなどは、全体主義の兆候。立憲主義の危機とは、とりもなおさず、官僚責任のウヤムヤ化、その特権死守の態度ということだ。そんな時に、こう語っている訳だから、まさに笑止千万!
「福島の子供の為を思うならば、可能な限り不安や悲劇的なお話を語らず、静かに見守る事」 』

 さて、8日に「ネットウヨク諸君へ」と、舌足らずにエントリーしましたが、この内容上の延長を少々皆さんにご紹介します。ここで10年、彼らとの論争は無数にありました。そこで散々学べたその遣り口について、焦点の部分のご報告です。

 どんな論争でも幾何学の証明と同じで公理、定理にあたる部分が最も大事だと知らされました。自説の最大論拠のことです。そして、ネトウヨ諸君の論議は要するに、この最大論拠がいい加減だとふり返ることができます。甲状腺癌の場合は「スクリーニング効果(議論)」。慰安婦の場合は、その募集で「誘拐の証拠がない」、「当時の売春は合法。どの国もやっていたことでは・・」。そして、南京大虐殺の場合は「死者数の証拠がないし、南京人口自身がそんなに多くはない」。これらそれぞれには説得力として強弱がありますが、やはり証拠が残っている戦後の事件では、向こう側に論争継続に堪えられる強い論拠などありえないのです。歴史的事件の方では、特に南京事件などは大日本帝国がその占領下8年で証拠を実に綺麗に消してしまった事件ですから、やはり難しいです。なんせ、戦争は美化してこそ国民総動員が出来る。恥部は隠して広げないのが至上命令。が、そこはいろんな歴史家たちがいて、苦労して歴史的事実という論拠を探し出してくれています。このように・・・。

 慰安婦では当時の陸軍省副官の極秘通達。そこには、はっきりと「その募集に誘拐があった」と、この事業の最高責任者自身、この副官が認めています。
 その点南京事件は難しかったですが、直前の大激戦・上海戦争との関わりの指摘や、大陸派遣兵士への事前教育に使った陸軍教科書からこんな文章を見つけ出してきた歴史家もおられました。
「中国軍の兵士は浮浪者が多いから、殺害しても国際問題にはならない」。

 無数の便衣隊殺害方向はこの理屈から既に事前に始まっていた訳です。

 こうして、彼らとの論争で学んだことは結局、こういうことでした。
①あれこれの枝葉末節には誤魔化されず、目をやらずに、幾何学の定理、公理のような彼ら共通の最大論拠を探す。その際、彼らにはこんな特徴があります。
②すべてのネトウヨ諸君が、どの一事件も同じ論拠で反論してくるから、どこかでそういう物を製造、出版、上意下達している専門家、機関があきらかに存在する。そこにはきっと、出世主義者にして曲学阿世である御用学者などがたむろしているのでしょう。
③それへの立派な、できれば絶対的反論になるようなことを、いろいろ勉強して僕は自分で見つけ出して来ました。
④最後に、こういう論争は必ず勝てます。その根拠は、こういうこと。背後にいる学者たちの、背骨が歪んでいるということです。このことは結局、上に書いたこういうこと。
『 国が率先して世論をねじ曲げようとするなどは、全体主義の兆候。現日本における立憲主義の危機とは、とりもなおさず、官僚責任のウヤムヤ化、その特権死守の態度ということだ。』

 新自由主義世界の権力者らには、金も人もふんだんにあります。対する僕等は、金は勿論、人はもっと少ない。新自由主義の庶民は生きるのに精一杯にされていますから。こう言った彼我の、彼ら。要するに民主主義を根っこから否定する出世主義者らがマスコミ総動員で行う世論工作に対して、これからもディベートを継続していきますので、よろしくお願いいたします。このブログを始めて10年。その間に僕ももうすぐ75歳。相当に老いてきましたが、この1月末からの週間累計アクセス数がずっと1000を越え続けていることなどに勇気を得て、努力していきたいと思います。13~14年ごろは週間2000アクセスを越えることも多かった、そんなころをまた実現させたいなどと、老いたる心を新たにしています。大好きなスポーツ、ランニングを続けながら・・・・。

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(54) 香川、2人の名監督に因んで  文科系

2016年03月12日 05時28分03秒 | スポーツ

 ドイツに渡ってからの香川には2人の監督がいる。香川を育てたユルゲン・クロップ監督と、現在のトーマス・トゥーヘルだ。この2人が監督としていかに優れているか、この事を示したゲームが最近あった。

 クロップの方はイングランドはリバプールに渡って、このチームを立て直しつつあり、2月以降の公式戦で5勝3分け2敗。リーグ戦ではマンチェスターユナイテッドに勝ち、ヨーロッパリーグ杯でのマンチェスター・ユナイテッドを2対0で負かした。が、かねてから有望といわれていた若手監督トゥーヘルの方の最近の実績はもっと凄い。
 ドイツのリーグ戦では最近、チャンピオンズリーグの優勝候補であるバイエルンと引き分けて見せたし、ヨーロッパリーグ杯トーナメントではイングランドのトットナムを3対0で負かしたのである。ちなみに、このトットナムというのが今のイングランドでは2位に付けていて評判のチームだったから、トゥーヘル・ドルトムントの評判が一気に上がった。トットナムの監督は、マウリシオ・ポテッチーノ。イングランド・プレミアリーグの最有望若手監督と言って良く、2月度最優秀監督賞受賞者にもなっている。以前はサウサンプトンにいて、吉田麻也を育てた監督と言えばお分かりの方も多いだろう。

  このトゥーヘルに最近の香川がちょっと冷遇されているように見える。この監督にとっての香川はどうも、守備が不安に見えるらしい。もっとボールを奪う技術、プレーを要求しているようだ。これも、時代最新の重大風潮なのである。関連してだからこそ逆に、ドイツの最下位ハノーファーにいるボール奪取の名手・山口蛍は必ず台頭してくるはずだ。山口、清武、酒井とこの3人で、なんとかこのチームの降格を止めて欲しいと注目している。

 クロップとトゥーヘルは、ドイツが生んだ若手の世界的名監督と言えるが、日本にも速くこういう監督が出てきて欲しい。今年のアジアチャンピオンズリーグでも日本チームの出だしは大変悪いようだ。が、ここに出場している森保、長谷川、城福の誰かには日本監督の進歩を見せて欲しいと観ているところだし、リオデジャネイロ五輪では手倉森の手腕に期待している。往年の代表チーム名選手、名波と井原も今年J1に上がってきたが、彼らにも注目したい。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(154) 一難去って、またちょっと  文科系

2016年03月11日 08時55分25秒 | スポーツ

 2月下旬の左フクラハギ痛から復帰しながら、いろんな事を考えた。 
  まず、たった1週間だが随分久しぶりに全く走れなかった間に、いろんな老化が起こったと感じたこと。今から思えば、2月10日過ぎから走るのが間遠になっていた。それで18日にちょっと無理をしたから23日の怪我が出たということのようだ。

 怪我の後走れなくなってなによりも、いろんな事にやる気が起こらなくなった。これは、生への前向きの姿勢が欠けがちになるということだろう。そして、睡眠が浅くなって、記憶力が減衰するから、読書のスピードも遅くなる。持病の腰痛も少々出てきて、あわてて自分で出来る腰の牽引に努めた。歯茎にも何となく異常が出てくるから、歯磨きを念入りにしなければならなかった。

 さて、そんな「急に老けたと感じた時点」から、それをバネにできたからなのだが、急激な走力回復を果たせた。1時間の走行距離をこんなふうに延ばすことができた。
 3月1日7・5キロ、2日8・4キロ、3日8・6キロ、6日8・8キロ、8日9キロ、10日9・4キロである。怪我の悪循環を警戒して、最初は極めて慎重に、大丈夫と分かってからはちょっとずつ頑張ってみたという前進だと読み取れる。この年齢でのこういう急激な回復に、また老いの一進一退の激しさと、これを「進」の方向で闘うことの価値の大きさを思い起こすのである。いつまで続けられるか分からないにしても、とにかく活動年齢を延ばすという意図なのである。僕の諸活動の基礎がこの走れることにあると、そう心にも決めている。

 さて、この調子は、怪我前の好調時に戻ったと言って良いのだが、気になることが一つある。フォームを修正してきたから、その悪影響らしきものが一つ出ているのだ。左ももの中に縦に攣ったような軽い痛みというか、違和感が3月初めから続いている。今のところはラン自身にはほとんど影響していないのだが、かって体験したことがない部位、違和感だから気になる。左脚にも均等に体重が掛かるようにというフォーム修正から来ているということも明らかなようだし。スポーツ医に相談するかどうか、そんなことも思いながら観察中というところだ。とにかくまずは、自分であれこれと調節するしかないものなのだろう。非常に微妙な、疲労が抜けないという感じ、程度の違和感であって、痛みというほどのこともないからこそ時速11キロ近くでも走れるわけだから。
 とにかく今の注意点はこう決めている。左脚の着地を「柔らかくかつ、体重が乗るようにすること」、これである。「両膝の角度など、使い方、特に着地法を同じようにすること」と言っても良いだろう。ということは、ストライドを年齢に合わせてもう少し小さくする必要があるということかも知れない。時速10・5キロでも歩数160というのは、ちょっと少なすぎる。もっと増やせばよいと、そんな事も試みてみようと思っている。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の世界観に関わって(12)  幸せの極み  文科系

2016年03月09日 13時17分05秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 こういうのも、人生観を含んだ場合の世界観の一つと解してきました。ご笑覧下さい。度々ここに書いている「ギター遊びの会」が始まって2年目に入ったころのことで、この会の成り立ちがご理解願えると思います。
 
『「僕の幸せの極み」のご報告  文科系  2009年4月29日 文化一般

 ここでも以前何回か書いてきたが、「ギター遊び、飲み会」が26日に終わった。春夏秋冬とやってきて、今回で5回目。今回の報告をしてみたい。ギター教室の先生がやっているブログに参加者の一人がこの材料でエントリーしてくれたら、たちまちにして他参加者全員のコメントが寄せられた。僕は全員のコメントの後に今、コメントをし終わったところだ。そのまま紹介したい。

まず投稿から。意外にも、初参加の女性が書かれました。

【 ギター遊びの会に参加してきました!
 こんにちは!うえちゃんです。昨日、待ちに待ったTちゃん(僕のことです)ちの「ギター遊び」の会に行ってきました。楽しかったし、おもしろかったし、おいしかったし・・・何からお話しましょうかしら。

 Tちゃんちに着くや否や、お手製のごちそうが次々と運ばれ、ビールにワインに差し入れ(?)の日本酒に・・・・そして仕上げはお寿司!中でも、鮭ときのことセロリの白ワイン煮は香りも味も絶妙でした。
 宴もたけなわ、6人のギター弾きが入れ替わり立ち代わり、ステージ(?)へ行っては首をかしげながら弾き合いました。(笑) みなさん、なんとレパートリーをたくさんお持ちなんでしょう。これがわたくしの率直な感想です。

 歳を重ねるってこういうキャリアを積むことなんだ、とつくづく感心するとともにわたくしも目指していく対象を発見した一日でした。

 ここ半年、同じ曲を弾きつづけ、新曲に挑戦しなかったのですが、この会に参加できたことをきっかけに、もっともっとレパートリーを広げたいと思いました。
 Tちゃんから宿題ももらったので、今度はきちんと披露できるようまた練習いたします。
 Tちゃん、楽しい会を提供してくださりありがとうございました。のぶりんさん、akkyさん、きんちゃん、そしてTちゃんのおともだちのHさん、お世話になりました。
 こんなに楽しい会なら、また参加させていただきたいです。  (うえちゃんより) 】

 次いで、僕とともに最初から参加している主催者の片割れ・のぶりんさんのコメントです。

【 うえちゃん、遠いところから「ギターお楽しみ会」に参加してもらってありがとう。
昨年3月Tちゃんの好意で産声を上げたこの会も今回が5回目、でもこんなに笑い転げて楽しく盛り上がったのは今回が初めてかな。男性軍3人が美女3人に囲まれご機嫌になり飲みすぎて思ったように指が動かない。特にホストのTちゃん、前日からの手料理の準備や当日の我々への気遣いなどで酔いが回ったのか得意の暗譜が……、失礼ながらこれには笑った、笑った。
きんちゃんコメントにもあったようにこの初老の二人組、今では無二の親友としてのお付き合い、これもギターの取り持つ縁ですよね。うえちゃんの『歳を重ねるってこういうキャリアを積むことなんだ、とつくづく感心するとともにわたくしも目指していく対象を発見した一日でした。』の一言、とても嬉しく感激です。

さてこの会を立ち上げ、自分の楽しみとして心からの世話をしてくれているTちゃん、そしてきんちゃん、Akkyさん、Hさん、うえちゃん、皆さん、本当にありがとう。 投稿 のぶりん 】

最後が、さっき送った僕のコメント。
 
【 皆さんからの身に余るお言葉の数々、嬉しいことでした。
「音楽に食事にお酒。それも前2者は参加者の手作り。それを男が中心になってやる」。
戦後日本では、女性はともかく、男性の文化水準が低いのではないかと、ずーっと思っていました。音楽でも美術でも、その鑑賞者の数に比してアマチュアの「造る人」がいかにも少ないとも。それで、人生の本当の楽しみを知らない人が多いのではないかとも。そして、いつかこういうことを「男の力」でやってみたいと思い続けてきたのでした。(女性が造るこういう場所には何回かでたことがあります。)

講師婦人に顔合わせをされた男3人で去年の春から始めました。クラシック・ギターというこの「大変面倒だけど、美しく、表現領域が広く、奥の深い楽器」をやっている人には「それなりの人々が多いんだな」と、これが第1の感想。だんだん増えてきた女性たちを見ていても、同じことを感じたものでした。この教室には、そういう人々が多いのかも知れません。コウシさんの人柄もあるのでしょうね。僕はコウシご夫妻(先回ゲストでお呼びしました)も大好きです。
家の掃除なども自分で見直しながらやって、例えば花も自分で(トイレのコデマリは切ってきて水切りをし、花瓶として織部焼きの徳利を選び)飾りました。みんながどんどん協力してくれますね。今回もこんな提供がありました。白ワイン持参の人、蓬莱仙の純米吟醸酒持参の方、ハーブの花束とか、自家製野菜持参の方も。実にすてきなことです。
今回は角煮が失敗でした。肉もジャガイモもちょっと固かった。圧力釜とレンジの使い方が甘かったのですが、時間の関係でそのまま出してしまいました。すみません。修業して、秋にもう一度出すつもりですが、その時はうならせてみたいです。】
コメント (5)  』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネットウヨク諸君へ   文科系

2016年03月08日 05時10分08秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 アクセス数はそれほどでもないのに、6,7日の閲覧数が2000を越えています。6日が2,242で、7日が2,296。しかも、4日と7日が、エントリーなしなのにこの数字!
 よって、閲覧数が、アクセスの十倍を遙かに超えるというこの多さの原因は、明らか。アクセスした多くない人々が、過去ログを色々遡って読んで下さった。それだけ、直近のエントリーが興味深かったと推察できて、とても嬉しいものがありました。

 

 さて、そんな読者の中には、ネトウヨ諸君も多いのでしょう。ここには、ネトウヨ諸君が入れ替わり立ち替わり、どんどんやってきますから。9条という名を付けたブログだし、次のような彼らが「許せない」と応答しやすい問題を扱うことも多いからです。
 慰安婦初め朝鮮と日本の歴史
 南京大虐殺はじめ日中関係史
 満州事変から始まるアジア・太平洋戦争史や天皇の戦争責任
 最近では福島や辺野古、彼らがお好きなアベノミクス
 などなどと。

 ところで、彼らの反論はいつも同じ。その同じ反論を、何度か論破しても、いろんな人物が入れ替わり立ち替わり同じ文章で蒸し返して、応えてくる。表現、口調や、その単純な反論パターンまで同じなのだから呆れてしまうが、ネットウヨクとの自覚もなく実質そうだという人も含めて、自分らの世界にだけ流布している「文献」だけを読んでいて、それで答えてくるのが明らかと分かるから、笑えるんです。その文献も、歴史学者などのものはほとんど無く、自分で充分に考えてこれを読み、答えているという形跡もまるでなし。「お得意のその文献」さえよく読んでいないようで、「あれ読め、これ読め」という応答コメントが多いのは要約さえ出来ない事を示していると思われるんです。つまり、誰かさんの受け売り、鸚鵡返しですらないから、笑えすぎてまさに抱腹絶倒。なんです。それも、状況の進展とか、新発見や新資料の紹介とかも無視した一昔前の反論論拠が多いんです。そう指摘すると、そんな指摘にはすぐに沈黙が帰ってくるだけですし。つまり、相当に反論を続けて、こちらが新たに勉強し直す必要が僕自身に生じた例さえ皆無なんです。このブログを始めて10年、その初めの5年ほどで僕が勉強し直した内容でほとんど答えられる。

 でもまー、こんなに不勉強でも、「知識」をちょっと囓っただけでも、それでもって他人に公開反論してみようとなる世の中は、民主主義的で良い時代とは言えましょう。ただ、相対的燕雀が相対的鴻鵠に対するとき、負けるとすぐに暴力的言辞に及ぶから、これが困ったものです。
「チョンは黙っておれ!」
「死ね!」
「このシナやろう!」
「日本から出て行け!」

「そんなことを語る人は日本人ではないな。在日ですか?」

 こういうのが現れると、僕もついつい言葉が汚くなってしまう。「あんたは日本人というだけが誇りなのかね?!」、「そんなことでどうして威張れるの?!」とかね。流石にこれ以上酷いのは僕も慎まねばならないかも知れない。泥沼にして、このブログの信用を落としてやろうという戦術かも知れませんしね。

 最後に上記関連でちょっと考えても分かることを、一言。
 物事の証明方法とか、真の証明方法と親類のような反論方法とかは、中学校でも習いますよね。国語でも習いますが、最も相応しいのは中学の幾何学、図形の証明などで。証明って、こういう進め方をしますよね。その問題に関して最も確かと考えられる出発点(公理、定理)を見つけ出して、その定理公理の条件と問題の条件とを照らし合わせることなどを必要にして充分な最少限度の言葉で説明して、結論に結びつけていく。あーいうことが苦手だった人は、公開討論、ディベートにはあまり向いていないと言いたい。すぐに負けて、上のように毒つくのが落ちです。つまり、こういうことでしょう。幾何学が苦手だった自分をその後に反省して訓練し直したこともないのに公開討論に参加しようというのは、無自覚、無謀、猪武者というものです。別エントリーで述べ続けているように、抽象的言語能力、それに基づく論理思考力は、大人になってからではもう遅く、身につかないものですから。ご自分のそんな弱さを多少なりとも自覚して欲しいものと、僕は良く思いますね。

 このブログでは、そういうお人も無視せず、大歓迎していますが、そんなことも押さえておいて下さい。人間、自覚というものは、凄く大切ですよ。と言っても、証明とか論争能力などは、人間の長所、美徳のほんの一部分にすぎません。が、自覚はこれら以上に大切なことと僕は考えてきました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども甲状腺癌、楽観風評を排す  文科系

2016年03月06日 10時29分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今になってもなお、原子力ムラ直接間接発と思われる標記の風評が後を絶たないようです。それどころか僕には、福島県民健康調査検討委員会と背後の政府そのものが、そういう風評を作り、ばらまいてきたと思われてなりません。だからこそ、このブログにも絶えず判で押したような「スクリーニング効果」とやらによる楽観風評コメントが来るのだろうとも観てきました。手術数の多さと、その症状内訳までが以下のように発表された現在、楽観風評は少なくとも慎まれるべきではないでしょうか。

 そもそも、「悪性甲状腺癌、あるいはその疑い」確定が、14年3月までの第一次(先行)調査で116名と発表されました。さらにこれとは別に、これに加えて、14年4月から始まった第二次(本格)調査が3分の2ほど終わった去年末の段階で、51名が新たに発表されたわけです。この数について「こんな多数の虱潰し調査はかって世界のどこにもなかったのだから、多いとも言えない」というのが「スクリーニング効果」理論の言い分でした。余分な症例まで拾い上げて発表したと語るわけですが、この大元は当然、官僚たちも含んだ原子力ムラ関連であると思われます。普通にこの数と、手術数の多さと、手術内訳発表内容などとから考えてみても、こんな批判がすぐに浮かぶのですから。

 まず、これまでのほとんどの手術を担当した福島県立医大が、甲状腺内分泌外科部長名で、2015年8月31日に、以下のような文書を発表しています。

「(15年3月31日までに県立医大で手術した)全症例96例のうち軽度甲状腺外浸潤は38例に認め、リンパ節転移は72例が陽性であった」

「小児甲状腺がんの症例数は少なく、厳密な比較はまだできないが、一般的に若年層の甲状腺がんほど、リンパ節転移が多いが適切な治療が施されれば予後が良いという特徴がある」

 それほど手術症例が少ないけれど、必要な小児癌手術が、今回はどうしてこんなに多くなされねばならなかったのか。この説明を全くしないでおいて、「福島の子ども甲状腺癌は多くはない」と語る「スクリーニング効果」による反論など、既に何の説得力も持たなくなっているはずです。ちなみに、県立医大の上記文章自身が手術の動機にも関わって、こんな言及までしています。
「(リンパ節転移とか軽度甲状腺外浸潤とかが術後病理診断で認められた場合に)切除しなかった場合でも予後が良いかは不明であり、切除しなくてもよいという根拠にはならない」

 さて、調査検討委員会の担当医療機関によるこういう文書内容を受ければ、今の段階で改めてこんなことが問えるはずです。
「福島の子ども甲状腺癌が多いとは言えないと、何故言えるのか」
「多いと認めれば福島事故原因説がたちまち浮上してくるから、それを避けているのではないか」

こういった危惧こそ、過去に政府絡みで起こった数々の同類事件で既視感があります。イタイイタイ病、水俣病、薬害エイズ、四日市公害などのことです。これらの事件で国が残したものは、解決を遅らせ、被害者を長く苦しめただけと、そんな既視感ではなかったでしょうか。官僚が彼らの政策によって苦しめられた民衆の敵だとさえ言える既視感ではなかったでしょうか。
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の世界観に関わって(11) 脳の成長曲線と発達内容   文科系

2016年03月05日 09時20分08秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
脳の急成長三つの時期というコメントを書いた。これに補足修正を加えて、エントリーに載せることを思い立った。これは、僕の若いころからの職業の中で、それとの関わりで時間をも与えられてずーっと学び続けてきたことである。子ども、人間が育っていく場合の基本中の基本に関わる事だと覚えてきた。


 脳の成長曲線を観ると、三つの急成長時期が存在する。勿論、この三つで、早い時期ほど成長も激しいわけですが、第一は3歳まで。これは主として人間の日常生活に関わる普通の感覚、言語などが育つ時期です。この時期の(ハード面の)発達こそ最も著しく、人間の子どもが身体に較べて頭だけが非常に大きい理由になっているほどです。
 二つ目が、第7回と10回目のエントリーにある抽象的言語が発達する、小学校3~4年生をピークとする時期です。これは、「国語科は学問であるか?」とその続きとに書いた通りです。
 三つ目が、思春期で社会の中で自分を見つめ、大人になっていく時期なのでしょう。

 この3時期に脳も急発達していくわけで、この三つ以外の時期の成長曲線はほぼ平らです。ただこういうハード面の発達とソフト面の発達との中身の区別や兼ね合いは、僕には分かりません。ただ、脳という心のハード面に対するソフトとは、まーその人間の体験ということなのでしょう。そして、ある体験はある特定の時期に脳というハード面に吸収されやすいと、それを踏まえて教育というものがあるべきだといういうことだと思います。

 次いで、この三者の関係はこうです。豊富な前者を元、土台にして後者も豊富になっていくが、後者自身も単に自然に発達するものではなく、それぞれに相応しい独自の働きかけが重要、と。義務教育の教材も以上のことを踏まえて出来ており、例えば、小学校3~4年生になって初めて、それまで即物的であった学問内容に抽象的思考が出てくる。
 そして、この第二の時期が実は、その後の学力というものを最も深く左右する。いわゆる「授業だけで分かる子」が育つというのは、豊富な1番目の上に、特に7,10回目で述べた発達が十二分にあってのこと。こういう子の内、中学に入る前後から改めて急にスポーツなどがうまくなる子が出てくるのも、この「考える力」からです。

 こういう発達過程からすれば当然、時機を逸すると後にはカバーが大変難しいか、回復不可能なものさえあるということになります。例えば、この「時機を逸すると・・・」ということを、最も分かりやすい運動能力を例にとって、説明してみましょう。
①身体の使い方の巧みさは、小学校まで。サッカーの器用さ、アジリティーなどは、この時機を逸すると身につきにくくなります。体操や卓球の基本技術は低学年でというのも、同じことでしょう。
②心肺機能は、中学時代に最も伸びます。中長距離の名選手は、ここを逃すと育ちません。
③筋力は高校生以降でこそ、大きく育ちます。筋力は、いわゆる大人になるころにどんどん身についていくものだということでしょう。

 これをサッカー選手で観てみれば、こんなことが言えます。俊輔とか憲剛のような晩稲のタイプは、①、②の時期が長かったこともあって、この時期のものが多いに身についた人と言えると思います。だからこそ、③は後からでも身につけることができた。つまり「技術はあるけど、身体がないから・・・」などと中学時代に将来の評価を下す指導者、関係者は愚かだということでしょう。俊輔や圭佑が、それぞれマリノスとガンバのユースを落ちたのは、そういう理由だったと読んだことがありました。憲剛は確か、若いころの年代別代表には選ばれていませんね。今では、こんな愚かな判断は、サッカー関係者の誰もしないと思いますが・・・。 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東亜日報より  らくせき・愛知自民を落とそう

2016年03月03日 09時30分23秒 | Weblog
塀の周りをうろつく泥棒に家主が言った。「垣根を越えてみろ。ひどい目にあわせてやる」。泥棒は日が落ちると、塀をさっと越えて倉庫に侵入した。家主が泥棒に言った。「物を持って出て行ってみろ。ただではおかないぞ」。家主の威嚇をものともせず、泥棒は盗み出す物をまとめた。垣根を越えて消えていく泥棒の背中に家主は、「また来てみろ。ただではおかん」と大声を上げた。

ネットに流布する風刺文に筆者が少し手を加えた。泥棒と無気力な家主の対比が、北朝鮮核問題に対応する韓国、米国の態度に合致する。しかし、北朝鮮の4度目の核実験と長距離ミサイル発射を機にムードが変わりつつある。これまで泥棒をかばった長兄(中国)も、今回はかなり怒ったのか、以前とは違った態度を見せている。

東亜(トンア)日報のク・ジャリョン北京特派員は、北朝鮮人の口座で入金や振替ができないことを工商銀行丹東分行で確認した。国連安全保障理事会の制裁が実行される前に中国の銀行が北朝鮮関連の取引を中断したのは初めてだ。この特ダネを日本経済新聞がそのまま報じた。北朝鮮は、貿易の90%が中国とのものなので、金融制裁は大きな痛手となる。

北朝鮮の4度目の核実験後、「朴槿恵(パク・クンへ)大統領が習近平にだまされた」といった非難が国内で溢れた。今は、「朴大統領が天安門の城楼に立ったから中国がこの程度でも協力するのだ」という声もある。韓国の希望どおりに中国の外交政策を解釈することから生まれた誤りだ。中国の外交政策は彼らの国家利益のために奉仕するということを忘れてはならない。

中国共産党の機関紙「環球時報」は2月15日付の社説で、北朝鮮が核実験とミサイル発射を繰り返すことで、中国の国家利益に重大な損害を及ぼしていると非難した。中国は、北朝鮮の核を阻止し、北朝鮮の崩壊も防ぐ2つの国家利益の間で悩んでいる。中国も外交戦略において徐々に民意を重視する傾向にある。環球時報は15日付の社説で、「北朝鮮を『壊隣居(悪い隣人)』と考える中国人の割合が60%程度」と指摘した。

劉雲山常務委員が北朝鮮の労働党創建70年記念式に参加して改善の兆しが見えた中朝関係に異常兆候が現れたのは、昨年12月の牡丹峰(モランボン)楽団の公演中止だった。中国は背景のスクリーンに使われる人工衛星発射のシーンを問題視したという。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は、牡丹峰楽団が北京から撤収して3日後に水素爆弾実験のスイッチを押した。

その後、長距離ミサイル発射を阻止しようと武大偉特別代表が平壌(ピョンヤン)に到着した1月2日に、北朝鮮は国際海事機関(IMO)に衛星発射の計画を通知した。悪いことをやめさせようとする長兄を弟が目の前であざ笑い、ほおを殴ったも同然だ。

今回米中が合意した強力かつ実効的な北朝鮮制裁案を見ても、中国が変わりつつあることがうかがえる。さらに、韓国の力だけでも北朝鮮を困らせる制裁は多い。開城(ケソン)工業団地はその始まりだ。

世界の北朝鮮レストラン約130店から毎年送金する金額は、開城工団労働者4万5000人の人件費に匹敵する1億ドルと推定されている。AP通信の記者は、韓国人観光客や駐在員の足が途絶え、中国最大の北朝鮮レストラン玉流館は閑古鳥が鳴いていると伝えた。

中国とロシアは北朝鮮人力の送出制裁に反対しているが、中東やモンゴルといった地域は韓国が外交力で介入する余地がある。韓国のモンゴル大使館関係者は、「モンゴルに北朝鮮労働者が3000人ほど入ってきているが、北朝鮮はさらに受け入れてほしいと要請している」と話した。韓国で働くモンゴル労働者は3万人ほど。韓国がテコ入れすれば、北朝鮮労働者の海外送出もかなりの部分縮小できる。

北朝鮮の外貨準備高に余裕がないことは様々な兆候から明らかになっている。韓国が一つ二つ外貨獲得源を締め付ければ、北朝鮮は統治資金が枯渇し、内部から病んでいくだろう。遠からず、36年ぶりに労働党第7回党大会が開かれる5月頃には、北朝鮮がいかなる方法であれ、国連と韓米日の独自制裁から抜け出そうとすると、当局は分析している。金第1書記は瀬戸際戦術を使うというが、政権が危ういと感じれば行動を変えるほかないだろう。


(同じようなことを蓮池薫さんが言っていました。)



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(153) フクラハギ痛からの復帰   文科系

2016年03月03日 00時03分54秒 | スポーツ
 23日の左フクラハギ痛から、久しぶりに大事を取って4日間は完全休養をとり、その後の経過は以下の通り。
 5日目に左足つま先立ちと階段上りだけをやってみた。6日目にちょっと散歩して、身体が温まった時少々走ってみる。その様子から判断して7日目にはジムへ。慎重に慎重にほとんどを時速7キロで1時間走って、計7・5キロ。その日はかなり疲れていたが、明くる日2日水曜日の様子から走れると判断してまたジムへ。故障リハビリには、患部の痛みや疲れが残らなかったら、むしろ連日やった方が良いのである。案の定8・4キロ走れた。様子を見て時速10キロも入れてみたが、前日のランよりももっと何の違和感もなく、ほぼ正常状態に戻っていたと言える。

 年寄りは怪我が一番怖い。焦って走り出し怪我を悪化させると、怪我が長引くことによる筋力・心肺機能の低下と、怪我の再発との、悪循環を起こしたりするのである。老化からランニング断念に追い込まれる場合でも、こういうことの結果というのが多いのだろう。こんな悪循環の中で「もうこの脚は治らない」と諦めてしまうことも含めて。怪我の時こそ、その老人ランナーの科学的対処方法が試される時であって、その積み重ね程度が長く走れるかどうかの分かれ道と思う。そういうすべてから、僕の場合は左足つま先立ちと、右脚膝強化とが、今後に向けて不可欠と痛感している。

 さて、たった1週間だが随分久しぶりに走れなかった間に、いろんな老化が起こったと感じた。今から思えば、2月10日過ぎから走るのがちょっと間遠になっていた。それで18日にちょっと無理をしたから23日の怪我が出たということのようだ。そんなこんなで怪我の後走れなくなってなによりも、いろんな事にやる気が起こらなくなった。これは、生への前向きの姿勢が欠けがちになるということだろう。そして、睡眠が浅くなって、記憶力が減衰するから、読書のスピードも遅くなる。持病の腰痛も少々出てきて、あわてて自分で出来る腰の牽引に努めた。歯茎にも何となく異常が出てくるから、歯磨きを念入りにしなければならなかった。
 こうして、走ることの身体への絶大な効能を、改めて痛感したところだ。まるで、60歳前半と人に見られる僕の心身がこの走ることによってのみ支えられていると言えるような、そんな思いをまた新たにしたのである。
 ちなみに、今日2日に体組成計に乗ってみたら、体重が2キロ増え、体脂肪率が2%近く増えて、13%台になっていた。恐ろしいものである。

 結論として、こんなことを言いたい。老化の実際、感じ方、自覚症状ってただでさえ一進一退の波が大きいのだが、それだけに戦う価値も大きいということ。ちょっと負けるとすぐに老いていくし、走り続けるというような勝つ習慣を持っていれば若さが維持できるということだろう。


 ギターレッスンも昨日今日ちょっと好調になっている。5月の発表会が楽しみだ。タレガの「エンディーチャとオレムス」、バッハの「チェロ組曲第1番、デュアルテ編曲」の二つをやろうと決めた。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の世界観に関わって(10) 「国語(科)は学問ではない!」?の続き  文科系

2016年03月02日 12時28分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 第7回で、『随筆「国語(科)は学問ではない!」?』というのを書きました。その続きがあるので再掲します。第7回で述べた「言語力、思考力、社会性」は、どのように結びついているのか。この事について20世紀の発達心理学が明らかにした知見の一部を紹介しています。


『 随筆「国語(科)は学問ではない!」?』の続き 2015年02月11日 | 小説・随筆・詩歌など

 この拙稿は、1月29日エントリー『随筆「国語(科)は学問ではない!」?』の続きです。アクセス記録数などによるとこのエントリーを読んで下さる方が意外に多いようだし、一読者の「難解だった」という電話感想もあったので、そこの最も大事だけど難しい部分を詳論しようと思い立ちました。

 29日にはこのような事を述べさせていただきました。深い思考力とは、言語能力とともに発達していく。そういう言語能力は小学校中学年で出現し、そこで最も飛躍的に伸びていく抽象的言語能力の事ですが、それが実はその子の社会性と共に進んでいくということ。「机」とか、「走る」とかの目に見えるようなものについての言語ではなく、真善美とか、喜怒哀楽(その名詞、形容詞)、「したがって」などの接続詞等目に見えないものの言語能力が、特に社会性と結びついているということ。その場合の社会性とはさし当たって、『他人の言動が見え、分かり、共感するということなど』を述べさせていただきました。

 さて、この抽象的言語能力と社会性の関係をより詳しくまとめる事が、今回のテーマです。他人(のごく単純な状況。これを、後で述べます)が見えてこなければ小学校中学年段階の抽象的言語能力は伸びないといっても良いということです。そして、そういう子は学年が上がるに従って学力一般が落ちていくものです。勉強とは先ず記憶であると誤解しているような子がそうなのですが。

 こんな実験をした学者がいます。
①ボール紙切り抜き3組、各3枚ずつを用意します。両面赤く塗った丸3枚。同じく青の三角、緑の四角それぞれ3枚。因みに、色と形がそろっている点がミソです。
②それを、小学生低学年の子の目の前で3枚3組に分けて見せてから、「今度はあなたが、お仲間同士に分けてみて」とお願いします。当然分けることができます。
③次に、そこへ大人を一人連れて来て目隠しをさせ、その子にこうお願いします。「この人が。この9枚をさっきみたいなお仲間に分けられるように、何でも良いから言葉で教えてあげて」

 さて、正解は「貴方の前に紙があるから、触ってみて同じ形の組に分けて」とか「前にあるボール紙に触って、丸、三角、四角3枚ずつに分けてください」なのですが、小学校低学年では平気で色の事を語る子がいます。「赤くて丸いの」とか。つまり、「目が見えない相手」という事にほとんど気付かず、配慮がない子も多いんです。もっというと、「相手の立場で物事が見られない」。この遊び、僕も昔我が子などによくやってみたものですが、賢い子ほど上手だとはっきりしています。小学中学年でこれができる子が飛躍的に増えるから、ここで成績の差が付いていく。そしてここが大事なのが、「相手の立場で物事を見ようとしていないと、抽象的言語が苦手になる」ということでしょう。例えば、電話で他人に道順を教えるやり方を考えてみて下さい。大人になってもこれが苦手な人がいますよね。何故なんでしょう。
 道順を教える要点はこういう事でしょう。「誰でも分かる目印」と、誰でも分かる方向、および客観的な距離です。「(自分がよく遊ぶ場所)」とか、「かなり遠くまで行って」などは、主観的な言葉で、ダメなんです。
 これはつまりこういうこと。抽象的言語内容は誰でもの心の中にあるようなものだから、他人の立場が見えない人にはその内容は分からない。分かってもいい加減な使い方しかできない、と。そして、幾何学のような抽象的言語を操る学問が苦手になるし、さらに一歩進んで例え論理操作はできても、それを人間を見る事には適用できない、と。

 ちなみに、上の実験は20世紀の発達心理学で大問題の一つになった「自己中心的言語」という概念を巡る論争の中から、その結末の辺りで生まれたものでした。自己中心的では論理操作ができないし、これができてもそれを人間分析には使えないというようなことです。

 さて結論です。目にも見えないし、手でも触れないモノを扱う抽象的言語は、人々、人間全体がそれをどう捉え、どう使用しているかを気にしなければ、身につけられないものです。言語自身が元々人と人のコミュニケーションの必要から生まれたものでしょうが、抽象的言語(の中身)は特に、人の心の中にしか存在しないようなものだから、自己中心的人間には苦手なわけです。大人でもすぐに、こういう人が多いですよね。「具体的に語ってくれ!」。


 結論 他人が見えてくるに従って、抽象的言語がちゃんと身につき、抽象的言語が正しく使えるようになり始めてこそ、以下も発達していく。論理性・思考力、さらには人間的感性、情緒など。これらの関係理解について最後に一言だけ。抽象的言語能力、思考力、社会性のそれぞれが、他に不可欠にして重大な必要条件であるということ。また、それぞれ他に作用するだけでなく、独自の発達もとげるということ。これらは言うまでもありません。』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞の片隅に載ったニュースから(224)   大西五郎

2016年03月01日 19時11分36秒 | Weblog
待機児童増加をめぐる発言で首相「うれしい悲鳴」撤回せず(16.3.1中日新聞)

 安倍首相は二十九日の衆院予算委員会で、待機児童の増加をめぐり「女性の就業者が増えたから無理もない。うれしい悲鳴だ」とした発言の撤回を拒否した。民主党の山尾志桜里氏が撤回を求めたのに対し「待機児童が増えてうれしいと言うわけがない」と反論した。
 首相は昨年十一月に「今年、待機児童は前年より増えてしまった。(第二次)安倍政権発足以来、女性の就業者が九十万人以上増えたから無理もない。その意味でうれしい悲鳴ではあるが、『待機児童ゼロ』は必ず成し遂げなければならない」と述べた。
 山尾氏が首相発言を取り上げたのは三回目。保育所に子どもを預けられず、政府の対策の不備を批判するインターネット上の投稿に支持が集まっていると紹介し「待機児童の当事者、それに対して広がる共感の声を知っても発言を撤回しないのか」とただした。
 首相は「待機児童が増えたことを『うれしい悲鳴』と言ったことはない。「その意味」とは、就業者が増えたというところに置いている。普通の読解力があれば分かる」と述べた。首相の発言は待機児童増も歓迎しているようにも受け取れるため、生活のために就労を余儀なくされている母親からは「首相は浮かれている場合ではない」との反発が出ている。

□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

 国会でのやりとりはきのうNHKで中継されました。安倍首相の答弁を聞いていて、この問題
に限らず首相の答弁が長舌なのが特徴です。起承転結がはっきりしないまま長々と話が続く場合
が多いように感じます。そして「普通の読解力があれば分かる」など相手(質問者)を小馬鹿に
したような物言いをします
 今年1月の衆議院予算委員会でも、野党の質問で、労働者の実質賃金が下がっていることを指
摘されると「景気が回復し、雇用が増加する過程において、パートで働く人が増えれば、一人当
たりの平均賃金が低くでることになる。私の妻は働いていなかったけれども、景気が上向いてき
たから働こうというわけで働き始めたら、月収で私が50万、妻が25万あったとしたら家庭の収
入は増えるが、2で割ったら一人当たりの平均賃金は下がることになる」と答弁しました。「パ
ートの月収25万」に対して「社会の貧困の実態に無理解すぎる」という非難が巻き起こりまし
た。すると安倍首相は「妻がパートで25万とは言っていない」と言い張りました。「パートの例
を出したのは、景気が回復し始めると、今まで働かなかった人が働き始める。働く人が増えると
1人あたりの平均賃金が低くなることを説明するためだった」と云いました。
この言い訳は通りません。1人あたりの実質賃金が下がる例として「私が50万、妻が25万」
と云っています。「25万」が何処かから飛んできたわけではありません。自分の非を認めず、
相手が誤解していると言い張ります。
 待機児童の例といい、パート収入25万円といい、安倍首相の言葉が軽いのが気になります。
言葉を弄ひ、得意になっているようなところも見受けられます。もっと慎重に、国民に対して真摯な態度で臨んでほしいと思います。                大西 五郎
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の世界観に関わって(9) 随筆「死にちなんで」   文科系

2016年03月01日 11時04分31秒 | 文芸作品
 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」
 ところがなかなか眠りに入れない。眠っても、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、聞いていたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
〈このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か〉
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中ごろ友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識した。ほどなくこれが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向付けていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、習慣、虚飾が嫌いで、何かそんな寄り道をしなかったというのも同じこと。自分に意味が感じられることと、自分が揺さぶられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年付き合ってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」といつも評してきたものだ。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみ(父王を殺して母と結婚して王位についた伯父という問題を抱えている)がなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、僕のこの「症状」ははてさて、最近はこんなふうに落ちついてきた。

「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」
 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生を楽しめてきたからだろう。特に老後を、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができて、それぞれとても楽しめてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。自身で音楽することには、いや多分自分の美の快に属するものを探り、創っていく領域には、どういうか何か魔力がある、と。その魔力ぶりは僕の場合、こんな風だ。

 この二月から、ほぼある一曲だけにもう十ヶ月も取り組んできた。南米のギター弾き兼ギター作曲家バリオスという人の「大聖堂」。楽譜六ページの曲なのだが、ほぼこの曲だけを日に二~三時間練習して先生の所に十ヶ月通ってきたことになる。長い、下手なままの一人習いの後に六十二歳から先生について六年という手習いで、こんな上級者向け難曲。通常ならとっくに「まー今の腕ではここまでが、限界。ひとまず終えましょう」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕の希望で続けてきた。と言っても、希望するだけでこんなエネルギーが出るわけがない。やればやるほど楽しみが増えてくるから、僕が続けたかったのである。「この曲はもっと気持ちよく弾ける……その為には」。ギターの構えから、長年の悪癖のいくつかまでを、この曲の為に苦労して修正してきたほどだった。こんな熱中ぶりが、自分でも訝しいのである。
 ギターを習い始めて、これと同類の事をもういくつか体験してきたように思う。

「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころの最大の望みだった。これが、気心の知れた友だちたちとの挨拶言葉のようにもなっていたものだ。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする