九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

消えるべき「南京」否定学者  文科系

2020年08月17日 15時20分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 これは、この14日拙稿『書評「増補 南京事件論争史」』の続きに当たるもの。この論争は今や、安倍首相も「事件はなかった」と言えず(国際問題になって負けるから)、いくつかの「南京なかった」組織に集まった自民党議員らがあちこちで嘘論議を組織的にばらまき続けるなどに落ちぶれている。本日は同書から、数少ない南京否定派学者、亜細亜大学法学部教授・東中野修道が被告となって高裁まで行った名誉毀損事件を紹介してみたい。事件の概要と、裁判の争点、判決結果を同書から引用してみる。

『南京事件当時、8歳の少女だった夏淑琴さんが一家9人のうち7人も殺害され、4歳だった妹とともに、孤児として生きなければならなかったことを証言したのにたいし、東中野は「夏淑琴が事実をありのままに語っていれば、証言に食い違いのおこるはずもなかった」、証言内容に「一点の食い違いがあってもならない」と、・・・として夏淑琴さんを「ニセ被害者」と書いたのである。』

  そして、この裁判の最大争点はこういうものであった。東中野は、こう主張した。本当の夏さんは、事件の時に死んでいる。その証拠は、当時のドイツ人外交官文書に、夏さんを銃剣で突き殺したとあるからだ。対して弁護側は、こう反論した。その文書には「銃剣で突き殺した」ではなく「銃剣で突き刺した」と書いてある。だからこそ、同外交官文中その後に「その8歳の少女は・・」と言う文言があるのを、東中野はこれを夏さんとは別の少女と扱うことになってしまった。

 この裁判の結果は、そのか所をそのまま引用する。
『同裁判の東京地裁の判決が2007年11月2日に出され、夏淑琴さんの名誉毀損を認定し、慰謝料など400万円の支払いを命じた。判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と言い切った。東中野の研究者としての資格を否定する厳しいものである。東中野は「非常に心外だ。控訴する方針だ」とのコメントを出したという』
 その後、東中野側は上告したが、2009年2月5日、最高裁は東中野と展転社からの上告棄却を決定、一審判決通り、両者に対し、合計400万円の賠償を命令する裁判が確定した。2009年4月16日にこの賠償金は支払われた。

  さて、本日の最後である。この東中野修道のウィキペディア記述の中に、こんな下りがあるのを僕は見つけた。
『 河村たかしは衆議院議員時代、東中野の研究結果を元に、政府が東中野の研究を把握して歴史の再検証作業を行っているか否か、南京大虐殺紀念館に東中野が疑問視する写真が展示されているが中国へどのように対応するのか等の質問主意書を内閣に提出した』
  名古屋市長・河村たかしは南京虐殺を今でも否定しているようだが、彼の南京バイブルが東中野修道では、これも必然かも知れない。

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米、またまた国連で孤立  文科系

2020年08月16日 12時41分52秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 アメリカがまたまた、国連で孤立した。14日の安全保障理事会に「イランへの武器禁輸措置延長を求める決議案」を出したのだが、15理事国中で賛成はドミニカ、米だけ2票、惨めすぎる否決となった。この決議は以下のように、歴史的になかなか重要なものだった。15年にイラン核合意が結ばれた時に「この禁輸は20年10月まで」と決まったその約束に対して、この核合意から離脱したトランプ政権が改めて禁輸延長を国連に申し出たもの、その決議が否決されたのである。

 さて、国連を無視する行動を連発しているアメリカがそこで孤立していくのは当然のこと。近年のそんな出来事をこのブログでは多く拾い上げてきた。エルサレムをイスラエルの首都と認定して国連で孤立という記事が、6月29日。7月の2、3日にはそれぞれ、ベネズエラの国連人権理事会選出問題と、国連総会におけるウイグル問題決議の敗北とを紹介させていただいた。一方は、ベネズエラの「人権問題」から、人権理事国選出など絶対阻止と動いたアメリカの大敗北。同じく米が大敗北を喫したウイグル人権問題については、この6月31日の中日新聞記事を転載してみよう。

『国連総会で人権問題を扱う第三委員会は二十九日、中国の新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族などを弾圧しているとされる問題で、欧米や日本など先進国を中心とした二十三か国が中国に人権尊重を求めた。一方、二倍以上の五十四か国が中国の人権に対する姿勢を称賛。国際社会で影響力を増す中国を巡る対立の構図が浮き彫りになった。
 二十三か国を代表して英国が声明を読み上げ、ウイグル族の大量拘束疑惑を引き合いに「私たちは中国政府に、中国全土で信教・信条の自由などの人権を尊重する国際的な義務と責任を守るよう求める」と主張した。
 一方、中国を称賛する五十四か国には、ロシア、パキスタン、エジプトなどが名を連ねた。ベラルーシが代表で二十三か国の声明は「人権問題の政治化だ」と反論し、「ウイグル自治区ではテロや分離主義、宗教的過激主義が人々に甚大な損害を与え、重大な人権問題になっている」と中国の対応を支持。国数で優位に立った中国の張軍国連大使は「世界の人々は真実を観て判断している」と自賛して見せた。
 ウイグル族の人権問題について、報道陣から米中貿易協議へ影響を問われたクラフト米国連大使は「私は人権侵害に苦しむ人々のためにここにいる。中国かどうかは関係ない」とかわした。一方、張氏はロイター通信などに「貿易協議で良い解決策を導くために有益とは思わない」と米国を牽制した』

 さて、こういう新聞報道は、ウイグル問題がイスラム国問題でもあって、ここのイスラム主義者がイラクなど中東とも出入りがあることを報じてきたわけだが、そんなニュースはおくびにもださずに「ウイグル」を騒いできた米日。国連におけるこういう米孤立化現象の数々を米の強さと見るのか、弱さと観るべきなのか。その点で、日本の世論は大きく分かれるはずだが、日本マスコミの米報道は、国連における影響力弱体化をほとんど論じていないように見える。対するに、中国の影響力拡大については「金をばらまいているからだ」とだけ扱って来なかったか。ちなみに、中小国訪問を繰り返して金をばらまいて来たやの「外交の安倍」は、国際的には何の影響力もない第三位の経済大国ロングセラー首相。こんな対比を、マスコミも時には思い出してみるが良い。

 ベネズエラの人権理事国選出についても、7月2日拙稿から抜粋しておこう。アメリカのお膝元・中南米でこそ米の支持がなくなっているという現象が僕にはとても勉強になった。コロナ10大被害国に米大陸から自らも含めて6か国も入っているのは、アメリカ金融による歴史的な搾取・貧困化の結末だと、僕は観てきたからだ。日本も含めてアメリカ金融を受け入れてきた国は全て通貨危機などに見舞われて急に貧困化したということだ。

『 中南米理事枠2か国に対して3か国が立候補したのだが、ブラジルとベネズエラが選ばれ、コスタリカが落選したのである。それぞれの得票数は153、105、96票だったが、「ベネズエラの人権問題が許せない」として立候補したコスタリカが落選したことが、国連で大きな話題になったのである。ちなみに、コスタリカを押して猛烈なロビー活動を展開したアメリカの権威失墜というこの結果について、アメリカ代表はこう述べたのだそうだ。
「人権理事会が破綻している揺るがぬ証拠だ」

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喜寿ランナーの手記(302) 久々のギブアップ  文科系

2020年08月16日 10時52分31秒 | スポーツ

 敗戦記念日の昨日15日、ジムでいつものように走ったが、随分久々のギブアップ。初めの30分4・1キロはまー快調だったのに、次の30分を1キロほど走った所で止めてしまった。僕としては珍しいこと。全身倦怠感というのか、あまりにも疲労感が大きかったからだ。14日の、孫二人とのプール行が原因だったのか、それともトレーニングルームが暑すぎたのか。ちなみに、今の市営スポーツセンターはコロナ対策で窓を開け放っていて、その窓に向かって、1m離れたあたりのマシンから走っていく様相。冷房がほとんど効いていない。つまり、この暑い中の日陰で走っているだけという感じなのである。時速8キロでも汗を凄くかいている。こんな程度のスピード30分で、Tシャツ1枚がほぼ濡れ切ってしまうのである。

 もっとも、僕の「3年連用手帳」に記入されたラン結果を読み返して見たが(今年はたまたまこの三年目、最後に当たっている)、去年も一昨年も夏はジムだけで走って、ほとんど無理をしていない。よって、こんな調子で行こうと、改めて思ったところである。何も無理する必要はない。いつまでも走り続けられることが大事なのだから。ちなみに、自分の同人誌小説からということで恐縮だが、ある作品末尾の締めに使った好きな下りを一つ。

『ボスについて走り続けるのはイヌ科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たしてこられたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか! 神は己に似せて人を作ったという。だとしたら神こそ走る「人」なのだ。徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である』

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書評 「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」  文科系

2020年08月15日 02時41分35秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 山田昌弘・中央大学文学部教授(家族社会学専門)の光文社新書2020年5月に発行されたこの本の問題意識は、こういうものだ。合計特殊出生率1・6以下の状況が30年続き、1・5以下でさえ25年続いているその原因を考えようというもの。そして、少子化の初期10年の段階において政府が採った欧米風対策が全くのピント外れだったから、少なくなった女性が産む子はまた少ないということが重なって、今はもうなかなか取り返しが付かなくなっていると証明した著作である。ちなみに、合計特殊出生率とは、女性1人当たりが一生に産む平均子ども数とされ、これが2・07人を上回れば人口が増加し、下回れば減少するとされてきた数字とあった。それが1・5とか1・6とかが長く続いては・・・というわけだ。

 71~74年の第2次ベビーブームでちょっと持ち直したかという以外は戦後一貫して下がり続けてきたのがこの数字と示されている。90年代に入って「1・57ショック」とか「少子化社会の到来」とかの標語で国家の重大問題としてきた議論が何の役にも立たなかったという現状なのである。政府対策がどうピントが狂っていたのか。

 この少子化の最大原因として、何よりも若者の大変な貧困化から来た「未婚化」等の経済問題があるという正しい見方を、国家が少子化対策の審議会などでタブー視してきたと、この本は語っている。政府が代わりに鳴り物入りで対策を出した若者の西欧風現状分析が、①若者は1人で暮らし、②愛情があれば結婚するはずで、③相手を見つけるのは簡単であるというもの。この三つが全く現状に合っていなかったという説明が、以下である。
①日本の若者は西欧と違って、親元で暮らすパラサイトシングルが多い。地方などは特にそうだ。
②③については、何よりもこんなことを言う。男女とも、育った家庭並みの生活を望むのだが、1人の収入で子どもを大学にやれるような男性は非常に少なくなった。次いで、仕事による自己実現を求める西欧女性と違って「日本女性は仕事よりも(育った親の家庭並みの)消費生活を求めている」という現実があるなどなどと、この本は現状分析するのである。


 僕、文科系は、このブログでこう述べてきたが、それを肯定してくれるのがこの本であった。日本では今、50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人に近づいている。それは、結婚相手に選んでもらえない低収入男性が増えたからだ。
 こうなった原因はこの30年近くの日本の貧困化にあって、国民1人当たりの購買力平価GDPがわずか25年ほどで世界5位あたりから31位にまで落ちたことによってもたらされた。そして、このことを原因と見ないような少子化対策ばかりを政府がやって来たとこの本も述べているのである。該当箇所に、こんな文章があった。長い引用になるが・・・・。

『私は1996年に出版した「結婚の社会学」(丸善ライブラリー)の中で「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という現実を指摘している。・・・・・
 当時、これほど評判の悪かった指摘はなかった・・・1990年代後半のマスメディアや政府は、この事実への言及を避けていた。
 政府関係の研究会で、私がこの指摘をしたところ、政府のある高官から、「私の立場で、山田君が言ったことを言ったら、首が飛んでしまう」と言われたことがある。
 当時、大手の新聞では、私の発言の該当部分は記事にならなかった。
 ある地方公共団体に依頼され執筆したエッセーに関しては、担当課長が、削除を依頼しにわざわざ大学までやって来て、頭を下げられたこともある。
 その理由は、「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という指摘は事実であっても差別的発言だから(たとえ報告書であっても)公で発表することはできない、それだけではなく、それを前提とした政策をとることはできない、というものである』(48~49ページ)

 少子化対策がこのようにピントがずれていては、どれだけ年月をかけても何の効果もなかったということなのである。

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書評「増補 南京事件論争史」  文科系

2020年08月14日 21時01分51秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 南京虐殺否定派、三つの大敗北

 今読んでいる「増補 南京事件論争史」(笠原十九司著、平凡社19年3月初版第三冊)から、標記の出来事三つを紹介してみたい。一つは、日中両政府が企画推進した日中歴史共同研究によって出された学問的結論を日本政府が認めずに、逃げ回っていること。二つ目は、この共同研究の結論を掲載している外務省ホームページから南京事件を消せと叫び続けてきたこと。今一つが、この問題の自民党国会議員「専門家」である稲田朋美が、南京事件関連のある訴訟を起こして完敗していること、この三つである。

 

「日中歴史共同研究」は、2006年10月に安倍晋三首相・胡錦濤国家主席の会談・合意によって起こされたもの。同年12月に両国各10名の委員が北京で初会合、以降年2回の会合で報告・討論を行って、10年1月に戦後史の部分を除いた「第一期報告書」が発表されたものだ。日本側報告書の中の南京虐殺部分を、著者はこのように要約している。なお、中国側の死者結論は、こういうものだ。「集団で殺害された人数は19万人、個別で殺害されたのは15万人余り、被害者総数は30万人以上、と認定した」

『20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。このような犠牲者数に諸説がある背景には「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している』
 なお、南京虐殺を巡るいわゆる日中戦争の性格について、日本側委員の座長であった北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科法学部教授は、侵略戦争であったと断定している。しかしながら、安倍首相は未だにこれを認めようとしない発言を国会討論などで連発しているのである。首相として自分が言い出した共同研究の成果を認めないというこんな態度が、日本をどれだけ不義の国にしていることか。その次第は、いかのように。

 二つ目の外務省ホームページ問題とは、こういうものだ。上に紹介したこの日中共同研究結果を掲載している外務省ホームページから、この掲載を削除せよという「運動」がその後も続いているのである。「外務省目覚めよ! 南京事件はなかった」等というスローガンを掲げ続けることによって。

 三番目の、弁護士としての稲田朋美らが原告になって2003年4月に起こした訴訟で敗れた事件は『(南京虐殺における)「百人斬り」名誉毀損裁判』と呼ばれるこういうものだ。
『本多勝一「中国の旅」の「百人斬り競争」のため、二人の将校の遺族が名誉を毀損され、精神的苦痛を強いられたとして・・・・提訴した』
 この訴訟事件に関わる虚実議論は、1970年代から続き「もう一つの南京事件」とも呼ばれて世に物議を醸し出してきたものだが、2006年12月の最高裁判決において原告側敗訴が確定している。にもかかわらず、「この判決は不当だ!」との演説が今でも公の場に時として出てくるのだが、これも今流の右の方々がよくやる手口ということになる。

 自分らが起こした研究や裁判の結果を、公の場所において堂々と否定してみせる。これはまさに「嘘も百回言えば真実に換わる」という政治手法ではないか。つまり、今はもうよく語られるように、「嘘で固めた安倍政権」がこんなところにもずっと顕れてきたということだろう。官僚による政権忖度や、国家統計の改ざんなどにも、必ず嘘はついて回るものである。

 

 なお、著者の笠原十九司は、都留文科大学名誉教授で、中国と東アジアとの近現代史専門家である。

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酷過ぎる文章! アメリカ世界戦略の一翼?   文科系

2020年08月14日 00時41分40秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 以下は夕刊フジのネット記事で、加瀬英明という政治評論家が書いたもの。まさに今時こんなものを書くって、僕にはCIAエージェントとしか思えないのだが、これが有名な外務省官僚・加瀬俊一の息子らしいから驚く。この英明氏はまた、「新しい歴史教科書をつくる会」の幹部らしいと知ってからは、なるほどと頷くばかりだった。よほどねじ曲がった人生を送ってきた方なのかとも推察した。
 まー読んでみて下さい。


 【 アメリカVS中国、最終ラウンド! 習氏、国内支持獲得へ尖閣諸島攻撃も…共産中国で“もっとも愚かな”指導者 8/13(木) 16:56配信

夕刊フジ
 【日本を守る】

 11月3日の大統領選まで、あと2カ月あまりのドナルド・トランプ米政権が、中国共産政権の打倒へ向けて、アクセルをいっぱいに踏み込んでいる。

 トランプ政権が7月、テキサス州ヒューストンの中国総領事館の閉鎖を命じた翌23日、マイク・ポンペオ国務長官はカリフォルニア州のリチャード・ニクソン大統領記念館を訪れて、「このまま中国を放置しておけば、自由世界が滅びる。世界はどちらかを選ばねばならない」という意味の衝撃的な演説を行った。

 といって驚くことはない。トランプ政権は昨年、マイク・ペンス副大統領が中国の覇権主義を、歯に衣(ころも)を着せずに糾弾したのをはじめ、容赦せずに中国を追い詰めてきた。中国めがけて、5ノ矢、6ノ矢と、次々と矢を放ってきた。

 これは、中国の習近平国家主席が招いたことだ。習氏は「米国が力を弱めている」と誤算して、舞い上がって、南シナ海の内海化を進め、周辺諸国を脅かすかたわら、ヨーロッパまで勢力圏に組み入れる、中国製シルクロードである「一帯一路」戦略を強行してきた。

 習氏はことあるごとに、自信満々と「中国共産党は中華民族の偉大な復興を成し遂げた」と演説し、「軍事闘争の準備を最重要視する方針を堅持する」と訴えてきた。

 私は2年前の12月、夕刊フジの連載の中で、「トランプ政権の真意は、中国共産党体制を打倒することだ」と書いた。かつてロナルド・レーガン政権が、ソ連を1991年に崩壊させたように、共産中国を倒すことをもくろんでいる。

 そして、私はさらに「米中対決の主役は、中国にハイテクノロジー(先端技術)が流出するのを断ち切ることだ」と書いた。

 私の予想通りに、米国“白頭鷲”と、中国“暴れ龍”の決闘が最終ラウンドを迎えた。

 習氏は共産中国の歴代の指導者のなかで、もっとも愚かな最高権力者だ。中国に米国と渡りあう力がない。絶望的だ。

 中国はハイテクの背骨である、半導体製造装置を国外に頼っている。米国、日本が80%以上を占め、オランダなどが続いている。中国には5G(第5世代移動通信システム)の半導体を設計する、能力もない。

 中国古代の漢籍に「虎ノ背ヲ駆ル者ハ、降リルコトガデキナイ」という戒めがある。虎の背から振り落とされてしまったら、喰い殺される。そこで国内の支持を取り付けるために、台湾か、沖縄県・尖閣諸島を攻撃するといわれている。】

 

 この文章は、何よりもこう叫んでいる。「アメリカが中国を近く倒すと決意したのだ」と日本人相手に吹き回っているのである。「過去に事実としてソ連を倒したように」という「迫真の」形容詞までを付しつつ。なお、このテーマ、主張内容がまた、最近の夕刊フジの連続している出し物になっている、その一環だということも付け加えておきたい。これはあたかも、今にも核ミサイルが飛び交うぞと直近の明日を断言して見せているも同じなのだ。この彼に果たして、地球が滅びるかも知れぬというそんな緊張感があるのだろうか。ということさえもおそらく、どこかの何者かに向けての脅迫の積もりなのだろう。もっともこの人物、一応の歴史家が皆抜けていく「つくる会」の会員だそうだから、学識らしきものも皆無の有象無象には違いないのだが、こんな百鬼夜行の世は、一体誰が作っているのだ!

 

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シンという人の「日本国家論」要約  文科系

2020年08月13日 22時08分04秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 この間長くこの人と話してきて、日本近代史や日本国憲法などに関わって色々分かったことを、標記の事に絞ってまとめてみます。ここの通常の読者にはとんでもない「思想」、考え方としか思えないでしょうが、こういうお人がいると知ることには意味があるでしょう。こんな内容のネット言葉にこれだけ長く耳を傾けるのは僕くらいな者かも知れないが、まー読んでみて下さい。以下は全て、彼の言葉自身ですが、あちこちから引っ張ってきて、少々体系的にまとめてみたものです。「文科系注」というのはもちろん、僕の言葉ですけどね。

① 日本国憲法が、日本国民の意思を無視して、アメリカに銃を突きつけられて生まれた憲法である事は、歴史的事実である。立憲主義というなら、国民の手でつくられるべきあり、日本国憲法を立憲主義というのはおかしい。日本国憲法は、恐怖政治そのものであることは、明白であると思う。

 文科系注 敗戦のどさくさに「銃を突きつけられて生まれた憲法」だから、恐怖政治だったと見ているのです。なら、どういう憲法にしたいのかというのが、次の②です。

② 自主憲法をつくるならば、神道を国教とし、ただし、信仰の自由は認める。天皇は神と規定し、ただし、政治に口を挟まない。とするべきだと思う。
天皇とは神であり、日本は千年以上にわたって、神道が国教だったというのは、歴史的事実です。国教になると、信仰の自由がなくなるとか、無神論者が信仰を強制されるとか、あり得ないから。国教がある国はたくさんありますよ。国教だと、その宗教の宗教行事に税金が使われるという事であって、それは、現在、ただ今、使われています。
 民とは被支配層の事。民とは奪われる人の事です。あなたや私の意思とは無関係に、我々は皇室に奪われ、皇室は我々の税金で優雅にくらしているのです。戦前も戦後も皇室の民であることは、明白です。

 文科系注 上記最後の「皇室の民」とは、僕の「国民でなく、今でも臣民なのか?」に対する答えです。彼のこんな提案による憲法改定に、国民の広い支持をいつか得られると考えているのでしょう。今の象徴天皇を国民が支持しているのだから、天皇を神とした神道国教憲法も支持されるはずと考えているのでしょうか。そんな彼の、もう一歩具体的かつ重大な政治課題について、その現状分析力を示す一例が次です。

③ 婦人参政権は、日本は遅れていた。なぜか?産めよ、増やせよ、が、国の発展。全員の幸福に繋がると考えたからである。
マッカーサーが婦人参政権を押しつけた。見事に少子化になった。このままでは、国が滅びてしまう。女性の婚期が遅れれば少子化になる。戦前の日本人が言ったとおりだ。戦前の日本人は賢く、今の日本人は、愚かだと思う。私達は、戦前の日本人の言葉にもっと耳を傾けるべきだと思う。

文科系注 彼が、珍しく日本の現実的問題を論じている例を挙げてみたのです。①②と違って、そういう問題への彼の関わり方を見たつもりのまとめ。彼が信じる神国日本が小国化していく事は流石に悲しいのでしょう。でも、現日本国のこの少子化をこのように原因分析している。恐ろしいほどに非科学的、というよりも非現実的な分析ですよね。戦後女性参政権が出来た頃、女性も猛烈に働かねば食えなかった時に生まれた、猛烈な団塊世代の数というものに全く目をつぶって、これを度外視しているような・・・。 


  こういう荒唐無稽な話をこれだけ長時間、しかもまともに聞いてきたのは、おそらく僕だけのはずだと確信しています。彼に仲間内というものがあるならば、それ以外ではということですが。

 

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喜寿ランナーの手記(301) 昨日は  文科系

2020年08月13日 11時46分32秒 | スポーツ

 昨日は走り始めてあまり調子が良くないと分かったから、初めからLSDで行こうと決めた。30分2回の合計で結局7・9キロ走ったわけだが、後半の後半には調子が上がってきたので時速9キロをやってみて、10分ほど走ることができた。LSDの中でこういう「その時としては高速」を入れる。こうやって、病欠等ブランク後のスピードを上げていくのに必要な筋力を付けていくと、これも僕のいつものやり方だが、やはり翌日の今日下肢筋肉の張りを感じている。この鍛錬が効いている証拠とあって、喜んでいる。

 僕の場合特に、左脚筋力が弱いとは、昨日もやはり感じた所。9キロ時10分の最後の方では、左膝に少々違和感が出ていた。スクワットで左に体重をかけて鍛えるなどしてきても、長年の弱点は簡単には直せないようだ。元々は、30歳前の椎間板ヘルニア手術、この薄くなった椎間板か所から起こったその後何回かの腰痛再発がもたらした弱点なのである。左脚付け根の腰椎椎間板の手術だったから。まー、そんな弱点を長年かかえてきても、腰回り筋肉バリアさえ保ってこられればこれくらいは走っていられるという実例ではあるわけだ。ただし、こう言う再発腰痛の納め方については、独特の自分流治療法を育て上げて来たのは確かである。要は、どこか歪んだ腰骨を矯正する、腰の牽引的なその伸ばし方なのである。

 僕の場合は、お尻の膨らみから上方にかけてたたんだ座布団などを置いて仰向きで寝転び、ぐりぐりと患部を伸ばしていくやり方だ。それでも効かない時には、「ぶら下がり」か「背を向かい合わせた椅子2脚の背に両手を置いて腕を突っ張り、腰を浮かせ脱力させて、伸ばす」。こういうやり方で痛みが軽い内に矯正出来るようになってからは、これが原因で走れなくなるということはもうなくなった。ただし、僕の腰椎をレントゲンで映せば、今でも手術か所を含めたその上下の椎間板4つほどが真っ黒になっている。これでも、走れると言うことなのだ。腰回り筋肉バリアさえ保ってこられればという話かも知れないが。

 

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小説「歩く」 文科系

2020年08月12日 00時31分14秒 | 文芸作品

 二台並んだエレベーターの出入り口外が、そのままホールになっている。このフロアー入所者全員の倍も座ることができるほどのリビングダイニングのホールで、四方の廊下や小部屋の機能までを取り込んだような広々とした空間である。ベージュや薄いクリームなど明るい茶系統でまとめられ、壁や天井なども直線や角を消して曲線、曲面を多用している。安らぎをコンセプトとしたとでもいうような、柔らかさに徹した設計のようだ。そして、一つ一つの椅子上面と背もたれに張ってある布の緑をこの空間全体のアクセントとして設計しているらしく、これは「入所者が主人公です」という主張ではないか。この広く、明るく、ソフトで、優しい空間の緑の上に身をのせて、今、数十人の老人たちが夕食をとっている。
〈いつも思うけど、こんなに多くの人たちの言うならば『会食』が、なんと静かなこと。動作がゆっくりで、おしゃべりをしないからだ〉
 改めてこの空間全体を見回しながら森本次郎はつぶやいた。老人集団の端っこの椅子から、背もたれの上に両腕とアゴをのせたスタイルで、前後逆さに腰掛けた待機姿勢をとって。
 老人保健施設M、6月中旬十八時の光景である。発足一年ほどのMの職員森本は、この静けさに未だに慣れることができない。ちなみにいつも思い浮かぶことだが、〈子どもがこれだけいたら、収拾もつかないよなぁ〉。彼は、Mと同系列の養護施設から、介護士の資格を取ってここへ志願デューダしてきたのだ。年齢三八歳、二児の父親である。

 その時、同じ広間の一角から、巨大なテレビジョンがことさら大きな声を張り上げたように聞こえた。入所者数人が、頭をゆっくりとそちらに向けるのが、森本の目にはっきりと見える。
「僕は人というものを殺してみたかった。若い未来のある人はいけないと思ったけど、表札の名前を見て、年寄りらしいと分かったので」
 つい最近この県内で起こった主婦刺殺事件の分析報道で、容疑者の高校生が動機に関わって話したものらしい。母親がいない彼は祖父母と同居の四人家族だが、彼らがいつもこんなふうにこの子を育ててきたのだろうか。「私らはもうどうでも良いけど、お前はかけがえのない跡継ぎなんだよ」などと。この祖父はもと教師、父も教師らしい。人間を機能としてだけ見ている。ありそうなことだ。こんな想像が森本の頭をかすめる。
〈たしかに日本の老人たちはみんな自己主張が苦手で、とても我慢強い。『預けっぱなし』の『老健施設タライ回し』がいっぱいで、それが常識だとベテラン職員は言うけど、それにしても『終わり良ければ全て良し』と言うじゃないか!死ぬときがその人の人生の結果なんだと。そのころにこれだけ邪魔者扱いされているような今のお年寄りは、その人生をどう決算したら良いんだろう!〉

 森本は、目の前の老人一人一人を改めて見つめてみた。アゴを突きだし、いつも目をつぶったままゆっくりと噛み締める、体も顔もまん丸の加藤さん。職員に食べさせてもらわないとまったく進まないこともある、赤いほっぺたが可愛い、小さな小さなカオルさん。そんな時の彼女は、なにか拗ねるようなことを抱えてでもいるのだろうか。大川さんがさっさと終えてしまって、両隣など周囲の器までを整理し始めているのはいつものことだ。
〈戦争の中で大人になってきた人たちだ。その後はみんな、働いて働いてきた。学校では『お前らの命は鳥の羽毛よりも軽い』などと教えられて育ち、その子どもたちは今度は『地球よりも重い一人一人』なんて言われ始めたから、今の老人の自己主張下手は当たり前って、誰かが言ってたなぁ〉
 そういう人たちがある日突然倒れる。心臓病、あるいは脳溢血、いずれにしても自分にも周囲にも寝耳に水で訪れる病だ。ただただ呆然としているままに、しばらく病院にいて、歩く練習もそこそこにやがてここへ。一人歩きができない車椅子の老人が寝付いていくのは瞬く間である。その瞬く間に頬の肉、顔色、表情が失われ、生気は消えていき、老いが人間まる一人全てを破壊していく。この破壊は惨いもので、たまにしか訪れない家族は〈あれよあれよ〉と傍観するだけだ。いま森本にはそんな例ばかりが思い浮かぶのだが、何か眼が潤んでくるようだった。
 この頃疲れすぎて、ちょっと鬱病気味なのかも知れない。無理もない。全く面識もない、これまでの世界も年齢も違う急ごしらえの職員仲間が、二千年度の介護保険制度発足前にはと、志だけで突っ走ってきたような一年だったから。森本はしばらくの間目を閉じて、頭を空っぽにしようと努めてみた。


 ふっと頭に浮かんだことがあって開けた目を、森本は佐伯律子の席に向けた。今年間もなく九十歳になるという小さく痩せた律子は、曲がった背骨のせいで随分前屈みになって口を動かしている。水晶体代わりだという分厚い眼鏡で空中の一点を見つめるようにしながら。三年前の左脳内出血、その出血が脳室圧迫にまで進んで死にかけた人、発病時は寝たきり生活約四か月、右半身不随の後遺症、加えてさらに全失語症で読み書きはおろか話もほとんどできず、他人の話は少しは分かるという。ただし、痴呆は全くなく、意識は極めて正常。森本が調べた律子の病歴である。
〈律子さんとこは『預けっ放し』とは違うけど、あれは律子さんが注文してるからかなぁ?〉
 今、こんな疑問を自分に出してみながら、森本は昨夜八時過ぎの出来事を思い浮かべた。
 その夜、夜勤の職員たちの一部で、ある会話が交わされていた。丁度その時、佐伯親子が、以前のように「回廊一周歩行」をしている真っ最中だったという、そのことについてである。ここ十日ほどの彼女は、職員が手を引いてももう歩くことができず、車椅子だけで移動するようになっていたので、話題になったらしい。
 律子が息子の雅実に右手を支えられてゆっくりとフロアーを歩く。右膝が曲がったままだし、背骨が右前への傾きをさらに強めているようだが、律子は歩いている。厚いレンズで前方を見つめ、左腕を大きく振って、皺の多い口許を心持ち引き締め、律子が歩いている。そして二人がリビングダイニングの広間にさしかかると、居合わせた入所者の幾人かからいつも声がかかるのだ。
「おおっ、律子さんやっとるな! ええなぁ、がんばれよ!」
「息子さん、えらいねぇ。ホントにありがとねぇ」
 励ましとは違ったこの種のお礼の声が、歩いている二人によくかけられるのであるが、森本はいまだにこれに慣れることができない。雅実が律子の手を引くことで、当然声の主も大切にされているというニュアンスなのである。
 この光景直後、事務室の会話はこんなふうに続いていった。
「律子さん、休みなしで一周しちゃったよ。それに、なんか、歩き方が違ってた。一歩一歩が前より大きいし、なんで急に歩けるようになったんかなぁ?」
「律子さんは、脚は強いよ。家族がしょっちゅう起立訓練してるし。歩けないのは、真っ直ぐ立つ姿勢の平衡感覚の問題なんだって、リハビリの先生が言ってた。息子さんがその訓練したんだよ、きっと」
「確かにここんとこずっと『キヲツケ』とか言って、姿勢の練習ばっかりやってたわね。やっぱり家族の力があるとねぇ」

 森本は改めて、目の前の律子に視線を合わせ直した。
 確かに佐伯の家はここでは珍しい存在である。入所半年になる今でも、来訪者は週のほとんどの日にあり、毎週末の金曜夜か土曜日には雅実に連れられて自宅泊まりへと帰っていく。この毎週末「外泊」というのは、ここの発足以来他には例がないものだ。中心になって通ってくるのが息子の雅実、つまり男性だというのがまた珍しい。彼は、仕事を終えた夜七、八時に通って来て、門限の八時をかなり過ぎてから帰っていく。また、ずっと共働きを続けてきたと聞く妻など家族の来訪者はもちろん、律子の友人とおぼしき人の一部でさえが一定の決まったリハビリに律子を、導いていくというのも、職員がその成り立ちをいぶかるようなことだった。リハビリ室まで出かけて器具で両肩を回し、椅子やベッドの端っこに腰掛けた律子の両手をとって二十回ほどの規律訓練を行い、手をつなぎあって『回廊一周歩行』。最近はこういうコースが普通だった。
〈『終わり良ければ全て良し』と言うなら、律子さんは『全て良し』かも知れない。そして、これは律子さんの人生の結果で、子どもさんたちにやってきたことのお返しなんだろうか、どんな人生だったんだろう?〉
 ここまで来て森本は、こういう問いが、律子という人物が、みずから選び直した職業の将来を左右するような重い疑問符になってきたようだと考え込んでいた。
〈とにかく、事実を見てやろう。話を聞くのはそれからでよい〉
 心の中で呟いた、大きな決意だった。


 同じ日二十時過ぎ、森本に、定例コースを終えて部屋に入っていく二人を開け放たれたドアの外やや遠くから見る機会が訪れた。森本はその場で仕事らしきものを見つけて座り込み、さりげない観察を始める。
 律子がまずベッドの端に座る。次いで雅実がその前に立ち自分の両手をつかませて、例の「キヲツケ」をやらせている。そのうちの何回かは、立った時の律子の右膝を雅実が右手で伸ばす。「きゅっと真っ直ぐ!」、いちいちそんな言葉が森本にも届いて来る。
 起立の後は、伝い歩きによるトイレ行、入れ歯を外してのうがい、パジャマへの着替えへと続いた。雅実はほとんど手を出さずに、ただ見つめている。森本も改めてあきれるほどに一つ一つの行為がゆっくりで、延々と続いてゆく。トイレなどは中でうたた寝でもしているのではないかと、いぶかられるほどの長さだ。
 そして着替えは、まず腕を袖に通した上着の前で指が何度も何度も行き来している。ボタンの掛け違えなどで律子自身が困ってしまった経験が、後遺症となって残っているようだ。近視力がおぼつかなく、ボタン掛けを指の触覚に頼らねばならぬことの結果らしい。やせ細って、かさかさで、右手に麻痺があるはずの指では、この触覚頼りも随分心許ないだろう、そう森本は見て取った。
 次に、パジャマのズボンの方がまた、大仕事である。脱ぐのとはくのとで二回、座ったベッドから柵を杖にして立ち上がらねばならない。はくときで言えば、座ったまま両脚をそれに通して、それからおもむろに立ち上がり、両手を交互に使ってゴムの部分を腰上までたくし上げていくというやり方だ。その間、残りの片手を震わせながら突っ張って、直立姿勢を支え続けねばならぬというわけである。こういった悪戦苦闘の着替えが結局、正味二十五分も続いたろうか。
 ゆったり座ってこれら全てを見つめていた雅実が、着替えが終わった瞬間に拍手を贈る。褒めていると言うよりも、できたことを喜んでいるという様子だ。律子は大きく肩を下ろして、ニソッとした笑いを返して見せた。
〈ほんとに、残った自立の力を大切にしようというやり方だ。僕らのような仕事の流れでの付き合いなら、とてもここまでは待てないね。そうしてみると毎日の『回廊一周』は、こういう自立の力を維持していく一番の基礎になると、十分知ってやってたんだよ。たしかに、これができる間は寝たきりにもならないし。それにしても律子さん、なんであんなに頑張れるんだろう。このエネルギーも、息子さんのあの気長さも、二人ながらこんな家族はちょっと見たことがないなぁ〉
 森本は、初めて意識して観察したこの結果に、ゆっくりと幾度かうなづいていた。しかしすぐ後に、彼の肝腎の疑問はこう続いていく。
〈それにしても、自立を大切にするにしても、それが、あの熱心さの訳ということじゃないでしょう? 看る側か看られる側かどっちかが諦めちゃう場合だってあるはずだし?〉
 雅実が帰る素振りを見せた。ベッドに横向きに寝ていた律子が、不自由な右手をひらひらさせながら差し出し、いっぱいの笑顔を贈る。感謝のしるしのようだ。すると、雅実がその手を握り返して、握手となった。最近の帰りの儀式らしい。以前の『さよなら』の儀式は、律子が壁に沿って伝い歩きで部屋の外まで出て、そこで雅実がエレベーターまで歩くのを見送り、手を振って別れ合うというものだったはずだ。彼女は来訪者全てに、そうしていたものだ。 

 森本が次に佐伯親子を観察するチャンスは、その数日後にやって来た。その日勤務が終わった十九時頃、二人が屋上にいると同僚に聞いて、行ってみることにした。親子がそこでこの頃よく何か「パーティー」をやっているらしいと小耳にはさんだからである。
 屋上エレベータールームの物陰で初めに目に入ってきた光景はこんなものだった。
 夕日が真西にあり二人が東のベンチに座っているとしたら、森本の位置はさしづめ南西というところだろう。既に幾分暗くなった朱一色の光景の中の二十メートルほど先に、遮る物なく親子が見えた。ハーモニカの音が響いている。雅実が吹いているのだ。風が遠い西の山脈から運ばれて来て、律子の細い白髪を絶えずふるわせている。外は意外に涼しいらしい。小さな木製のテーブルには、飲み物の缶がのっている。一本はビールのようで、その脇にあるのはピーナッツだろうか。
 ハーモニカの曲名は覚えていないが、旋律は森本にも確かに聞き覚えがある。それも、学校の音楽の授業で習ったものだ。吹奏二回目に入ったところで、森本は一番の歌詞を口ずさんでみた。律子が目をつぶり曲に合わせてアゴを出し入れしているのが見える、その動きに合わせながら。
 ”いくとせ故郷 来てみれば
 咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
 門辺の小川のささやきも
 慣れにし昔に変わらねど
 荒れたる我が家に
 住む人 絶えてなく”
 (注 イギリスの歌。日本曲名は「故郷の廃家」。犬童球渓作詞)

 曲が終わって、目を開けた律子が雅実にほほ笑む。職員に人気のある、人の警戒心が解けていくようなあの「可愛い笑い顔」である。いや、あれよりもくつろいだ、小さなほほ笑みと言うべきだろう。それから、雅実がビールらしきものを飲むと、律子が真似をするように缶をゆっくりとあおる。雅実がピーナッツを口に放り込むと、律子もそれをつまんで口に運ぶ。また、西の方から風が来たらしく、二人の髪が揺れ、細められた視線が風上に向けられる。今日二人はもう幾度夕日を見つめたのだろうか。
〈今の律子さんには、日々の楽しみの全てが雅実さんなんだ。彼の来訪自身が、凄く大きい楽しみというだけじゃなくて〉
 森本が、様々な律子の言動の記憶をたどりつつ、見つけた感じをふっと表してみた言葉である。一人では歩けない。字も読めない。テレビ番組も、言葉が速すぎてまず分かりはしないだろう。他人との交歓でさえ普通のやり方ではおよそ不可能で、彼女はもうほとんど諦めかけているようだ。そんな律子にも、こういう楽しみがあった。
 夕風、夕日、飲み物、ハーモニカ、そして、これら全てを彼女とともにする雅実。今、森本には、目の前の二人のこれまでがほとんど解きほぐされて来るような気がしていた。

「生きていてくれるだけでよい」とは、ここでもよく聞く言葉である。しかしその気持ちがこういう相手にきちんと伝わるには、大変な行為の積み重ねが必要とされよう。これだけの弱者は嫌でもひねくれてしまうのが普通ではないか。「こんなじゃ、生きていても仕方ないねぇ」、よく呟かれる言葉だ。けれども、周囲の他人が無意識にせよこの言葉を真に受けた体で現に振る舞うとしたら、それはもう論外というものではないだろうか。本人が意志を持ってここまで生き続けてきたという事実が眼前にあるのだから。
 こんな言葉や、それらへの日頃の疑問、抵抗を改めて反芻してみながら、森本は目の前にある夕焼けの中へゆっくりと歩き出していった。

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シンさん「天皇が宙に浮いてしまいます」  文科系

2020年08月11日 16時12分33秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 『日本国憲法は立憲主義に基づいてできたのではない。アメリカが作ったからだ。』について

 一例、こんな、近代史家の文献があります。笠原十九司著『増補 南京事件論争史』、平凡社ライブラリー、2019年3月22日 初版第三冊359ページですが。

『 日本国憲法草案を審議、作成した時の首相の幣原喜重郎がマッカーサー連合国軍最高司令官に直訴の形で憲法9条を発案し、それにマッカーサーが共感したことが「事実」であることは、以下の三つの史料から十分に証明することができる。いずれも国会図書館の憲政資料室の所蔵されている史料である。
①「平野文書」幣原喜重郎の議員秘書の平野三郎が「戦争放棄条項が生まれた事情」について幣原喜重郎から聞き取りをした記録。②「羽室メモ」幣原喜重郎と生涯親友だった大平駒槌の三女羽室ミチ子が、幣原喜重郎と大平駒槌から直接聞いた憲法草案作成に関連した話を詳細に大学ノートに記録。③マッカーサーの演説、回想録など数種類の記録資料に、幣原喜重郎がマッカーサーに「直訴」の形で憲法9条を発案した経緯が記録されている』

  なおこの本のこの直後には、こんなことも書いてありました。朝鮮戦争直後の1953年にアメリカから日本に軍隊設立、18万人の陸上部隊創設が要求されて、そこから「自由党憲法調査会」が発足し、翌年に「日本国憲法改正要綱」が発表された、と。軍隊を作りたいと言うのが占領軍の希望だったのだが、「また、軍部独走が始まる」と恐れた幣原が、これを止めたというのが9条成立の真実なのでしょう。

 

次いで、『(日本国憲法が無効とすれば、大日本帝国憲法だけが残っているわけだが)この帝国憲法は結構良いものだ。途中からは普通選挙も認められたわけだし、当時としては世界に誇るべき偉大な日本の功績です』、について

 まず、貴方は、普通選挙の本家本元イギリスを忘れていると言いたい。英仏米の運動があったから以下の全てが起こっているとも僕は見ています。イギリスの選挙制度運動に関わる長い歴史を一度調べて下さい。その上で、何よりもオーストラリア、ニュージーランドの女性選挙権から以下次のような国もお調べ下さい。
 ドイツ、アメリカ、フランス、ブルガリア。西欧諸国以外でも日本より早い所は無数ですが、女性選挙権については、日本は特に遅れている。女性選挙権について、以下をお調べ下さい。オセアニア諸国、北欧三国やソ連。中南米では、ウルグアイ、エクアドル、キューバ、ブラジル、他にもトルコ、タイなどもね。
 さらに、大日本帝国憲法第一、三条を復唱した上で、大元帥としての天皇の統帥権というものを調べてみて下さい。その上で、この憲法に国民という言葉がどこにも出てこず、これの代わりが全て臣民になっている意味を考えてみて下さい。
 あなたはやはり、大日本帝国憲法を美化しすぎていると考えます。

 

 今回の最後です。大日本帝国憲法成立時に普通選挙がなかった以上、立憲主義と天皇との間には、何の契約関係もなかったことになる。もし貴方が日本国憲法を否定するなら、象徴でさえ契約関係はない事になりますね。天皇と国民との憲法で認められた関係とは、貴方にとっては一体どういうものになるのですか? そして、今後に向けてどうあれというのですか。

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喜寿ランナーの手記(300)術後1か月、3回目のラン  文科系

2020年08月11日 11時38分40秒 | スポーツ

 白内障両目手術5日間入院後10日が過ぎた辺りから体力強化に励み、その術後26日目の8月4に走り始めて、この6、10日も走った(ちなみに、1か月は走ってはいけないと言う医者の指示があった。僕はそういうのを時々破る。自分の「傷」からの回復力を知っている積もりだから)。いずれも1回30分制限があるジム・マシンで30分×2回の距離だが、8、8.1、8.3と、今のところ順調に来ている。前半30分はいつもウオームアップ歩行も含んだものだから、時速8・5キロでは走れるようになったというところだろう。

 4日は全くのノープロブレムだったのに、中1日おいた6日の8.1キロの時は走行中大変な疲労感に襲われたもの。が、中3日おいた昨日8.3キロはかなり楽になった。それでも、後半の後半辺りにはまだ疲労感が多いのは、この暑さも関係しているのだろうが心肺機能がまだ回復していないのである。インターバル・ラン的に走ってみた時に、時速10.5キロでも走れたから、筋力的にはもう問題はないようだ。走り込みによって循環機能の回復を待つということになる。

 当面は中1~2日置いて走り、1時間の距離で前日より100メートルずつ増やしていくという、ブランク後のいつものやり方を採っていくつもりでいるが、どの程度までこれが出来ていくか。中には、循環機能前進のために全くのLSDという日も設けねばならないだろう。そして、問題は10月に入った外走りである。その時の1時間9.5キロ辺りが、今の目標になる。

 ただ、1か月程度の完全ブランクならこれくらい回復していく身体だと知ることが出来たのは、来年80歳になる僕にとって、大変貴重な体験だった。というようなことを確認できていく作業がまた、とても幸せなことと感じながら走りにいくのである。

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政治のロマン主義ということ  文科系

2020年08月10日 13時27分39秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 国家社会に著しい断絶が起こった時にロマン主義という思潮が生起するのは、人類史上よくある自然現象であった。ヨーロッパの一例で言えば、フランス革命後の19世紀西欧を「俗物がのさばる社会」と嫌って、「過去や異境」に憧れる人生を送った人々がロマン主義者と呼ばれた。ロシア革命後のソ連でも、ロマノフ朝復活を夢見た人々がいた。これらの例を思い起こせば、日本の敗戦という断絶にも、ロマン主義が生まれるのはごく自然な現象だと分かる。しかしながら、事実としてのフランス革命後の西欧史は、「俗物がのさばる」どころではなく、「金が全ての世界」のようになっていった。そして21世紀には資本主義どころか、「究極の金融資本主義=株主利益最大化方針」を旨とする新自由主義経済と膨大な失業者の群れが目の前にある現実世界になってしまった。こうは言っても、18世紀に比べて19~21世紀が民主主義、それも奴隷制度の消滅に見えるような人類平等のそれが進んできたというのも史実だと言いたい。フランス革命がブルボン王朝やその親類のような旧政府などから観ればいくら恐怖政治と見えても、「自由、平等、友愛」はやはり進んできたのだと僕は思う。そして僕は、将来もこれが進んでいって欲しいと考えている。

 さて、ここで論議してきたシンさんという方は、今でも「天皇=臣民」日本であると考えられている。僕に上の言葉を使って言わせればこれは、「過去の日本」という「異境」に憧れるロマン主義ということになる。だが、日本国憲法には臣民ならぬ国民だけがいて、その国民だけがその基本的人権を最大価値とするこの国の主人公なのだから、天皇は政治的権能を持たないとされているのである。ちなみに、戦前日本は大日本帝国という言葉にも表れているように、天皇だけが最高の政治的権能を持っていた。特に軍事についてはそうであったという意味で、彼の(軍事)権力は神聖なもの、絶対的なものであった。

 さて、シンさんがこのような時代に憧れるのは彼の自由であるし、そういう時代を「現出したい」と望んで政治的行動を取るのも、現憲法は無効であると叫ぶのも自由である。また、私の「天皇=臣民」論は途絶えてしまったブルボン王朝とかロマノフ朝とかへの郷愁のような種類のものではないと唱えることも。その自由とは、人が「もっと国民主権を徹底すべく、株主資本主義を打ち破ることによって世界万民を世界の主人公にしたい」と考え、振る舞うのも自由であるのと同じ意味、資格で、日本国憲法によってすべての国民に保証された権利である。

 最後に、僕の将来日本像を少々。天皇が現在の象徴以上のものになることはもうないだろう。国民の基本的人権を基礎としてこれを実現していく主人公も国民だという国家体制は、紆余曲折はあろうが充実していくことだろう。

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  今一度、全体主義  文科系

2020年08月09日 10時53分46秒 | 国内政治・経済・社会問題

 広辞苑によれば、全体主義とは、『個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想及び体制』とある。ブリタニカによれば『個人の利益よりも全体の利益が優先し,全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという前提に基づいた政治体制で,一つのグループが絶対的な政治権力を全体,あるいは人民の名において独占するものをいう』。

 「天皇=国民」を否定する個人を「反国家」、「裏切り者」と観るような主張は、全体主義でなくてなんであろうか。こういう思想からは、個人の基本的人権だけを基礎とする国家論が憎まれることになる。人権に制限を与えて良いとされる「公の秩序」の中に天皇が入ってこざるを得ないからだ。

 確かに、個人がこう言う思想を持っていても構わないし、これを表現するのも表現の自由に属することだ。が、これを何らか他人に対する行動に移すとなれば話が別である。名古屋市河村市長が「表現の不自由展」に対して、「日本人の心」を踏み躙った「天皇冒涜表現が許せん」と動いたのは、こういう全体主義思想の発露ということになる。ちなみに、象徴天皇が政治的権能を持たぬと言うならば、この天皇の存在を人の政治行動に絡ませてはならないというのは明らかなことではないか。天皇を神聖視する思想、感じ方で他人を制する行動の一切は、禁じられるべきということだろう。ましてや公職にあるものがこんな行動を取るとは、全体主義政治家と言われても仕方ないはずだ。

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「天皇=国民」という日本史観・政治論議  文科系

2020年08月08日 13時00分59秒 | Weblog

  シンという人とずっと討論してきて、1人の熱烈な右論者の日本政治論議の出発点、その公理のようなものを、大変苦労しつつやっと掴めたように思う。それを以下にご披露してみたい。普通の政治論議とは全く違うものであって、彼はこれでもって日本国憲法とその国民主権を一種「否定」しているし、そういう公理を証明するような形の日本史観をも持っているところは、世界史の普通の民主主義論議も通用しないことに繋がっていく。西欧の例を上げたりすると簡単にこう語るのである。
「日本は特別な国。西欧諸国とは違う」

 ごく短く、彼の政治論議の公理を彼の言葉でもって表現してみる。

①日本史の「天皇=国民」をこうまとめる。
「日本では、西欧と違い、天皇と国民が敵対関係になったことはありません。国民あっての天皇、天皇あっての国民という考え方なので、日本においては、天皇に対する、革命権や抵抗権はあり得ない」  
 この信念の強烈さは、これほどのものだ。これをなんらか否定すると即座に「反日」と規定して、仇敵のように観るのである。彼によるその仇敵表現はここまでの激烈さである。『反日というのは、そもそも侵略者か売国奴か、敵国かのどれかに分類されますし、反日のものは皆、反天皇になります。どこの国にも裏切り者はいます。しかし、裏切り者が多数を占めることはありえません』
 右の方々がすぐに「反日」とレッテルを貼る相手はこうして、「僕は天皇制には反対だ」という「売国奴」「裏切り者」なのである。「民が主人公だ」という日本の民の中には、天皇に反対する人は含まれないという勢いである。こういう説の否定に繋がるものをすぐに嗅ぎ分ける臭覚も含めて。堂々たるこんな主張が、全体主義でなくてなんであろうか。

②だからこそ、①が揺らいだようにも見える終戦時や、その時出来た憲法を、こう観ることになる。それどころか、あの時代が憎くて仕方ないのかも知れない。こんな「恐怖政治」という表現まで持ってくるのだから。
「日本国憲法が、日本国民の意思を無視して、アメリカに銃を突きつけられて生まれた憲法である事は、歴史的事実である。立憲主義というなら、国民の手でつくられるべきあり、日本国憲法を立憲主義というのはおかしい。日本国憲法は、恐怖政治そのものであることは、明白であると思う。」

 こんな書き方は「象徴天皇にも僕は反対だ」という人間をそのまま、フランス革命のギロチン組と観ているように感じられてならなかった。 

③こういう日本史観、日本政治論議の最大特徴は、「天皇=国民」において他の立憲主義国とは全く違う国だと自覚していることだろう。他国の例は日本に通用しないと確信しているほどに強烈なものである。一例だが彼にとっては「天皇=臣民」が今も続いているのだそうだ。臣民の定義をこのようにすることによって。

『民とは被支配層の事。民とは奪われる人の事です。あなたや私の意思とは無関係に、我々は皇室に奪われ、皇室は我々の税金で優雅にくらしているのです。戦前も戦後も皇室の民であることは、明白です。』

 広辞苑によれば、全体主義とは、『個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想及び体制』とある。「天皇=臣民」を否定する個人を「反国家」、「裏切り者」と観るこの主張は、全体主義でなくてなんであろうか。この思想によれば、個人の基本的人権だけを基礎とする国家論が憎まれるわけである。人権に制限を与えて良いとされる「公の秩序」の中に天皇が入ってこざるを得ないからだ。名古屋市河村市長が「日本人の心」から「天皇冒涜表現が許せん」と動いたのも、こういう全体主義思想からなのである。

 

 

 

 

 

 

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アメリカの悲劇と身勝手  文科系

2020年08月08日 02時56分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 世界新自由主義経済が、失業者・不安定労働者問題などでこれだけ行き詰まったのは、冷戦終結前後から「供給サイド経済」を世界に押しつけて、株主資本主義に邁進してきたからだ。資本主義がただでさえ供給の方が需要よりも大きくなって、必ず不況、恐慌(消費不況、売れない、首切り。今で言えば力尽くで無理無理バブルを形成して、その爆発恐慌)が訪れる必然性があるのに、1980年代から株主資本主義を標榜して、長期開発事業を顧みず、首切りに励んで原価を下げるというような短期に株価を上げることだけに邁進してきたからである。この現状は、本当にカール・マルクス最大の警告のとおりのものではないか。マルクスどころか、資本主義の範囲内で需要を増やすことを骨子としたケインズ理論(需要サイド経済学と言われる)でさえも、新自由主義経済学は「福祉国家論の幻想」として退けてきたのであった。

 今アメリカで「株主資本主義は誤りであった」と全米経営者団体が反省声明を出しているが、アメリカで今更これを直せるわけなどない。としたら、アメリカは中国に戦争を仕掛けるしかないのかも知れない。トゥキディデスの罠よろしく、自らが歴史の前面から退いていく覚悟をしないのであれば。
 
 
『アメリカは中国に戦争を仕掛けるしかないのかも知れない』
 こういう策の前にアメリカが既にある暴力を行使している。貿易で強引に保護主義に転じたのは、新自由主義競争の負けを認め、経済の「自由と民主主義」をかなぐり捨てたということだ。これでもって国内企業に内需を与えて当面の時間稼ぎをするというのだろう。が、これは当然、基本解決にはならない。中国で生産されてきた米資本の多数有名ブランドが大変な傷を負うことにもなるのだから。
 
 というようなことを日本マスコミがちっとも扱わないのは、一体どうしたことか。「経済の空洞化」が、一時の日本等問題にならぬほど急激かつ悲劇的に進んだアメリカなのであるが。

 こんな理由からトランプ政権によって強引に起こされた「米中対立」を日本マスコミは政治問題としてだけ扱っているわけだ。香港、南シナ海、ウイグル・・・。これらは全部言うなれば、自ら唱え、実行してきた世界経済における大敗北から出て来た言い掛かりとも言えるのである。まるでヤクザのやり口ではないか。そのヤクザ行為を、日本マスコミが懸命に助けている構図である。日本も、その経済空洞化から自らの国民1人当たり購買力平価GDPが世界5位あたりから31位にまで落ちてしまって起こったこの少子化現象をこそ、真に反省する時期ではないのか。50歳まで結婚できない男性が4人に1人に近づいているのである。結婚と子どもを諦めている男性群・・・。経世済民がこれでは、「自由と民主主義」が大泣きしているというものだ。
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