九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

河村たかし名古屋市長は、全体主義者  文科系

2020年08月07日 15時21分16秒 | 国内政治・経済・社会問題

 表現の自由展に関する彼の発言をもう一度見直してみた。というのは、これがつい最近コロナに対する愛知県と名古屋市との協調を妨げている側面すらあると思い立ったからだ。
 最初の彼の猛反発は、こんなふうだった。
 天皇の写真を燃やしてその灰を踏みつけにする展示や慰安婦少女像の展示について、『どう考えても、日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい』
 これに対して、大村県知事側はこう反論した。「表現の自由に属することで、止めるのは誤りだ」。これへの河村氏の反論は、「おのおのの人権には縛りがあって、表現の自由という権利にも、『公共の福祉に反しない限り』という制限があるというのは、当然のことではないか。

 さて、こうしてみると、河村氏が「公共の福祉」を掲げて、己の「表現の自由制限」を正当と主張していることが分かる。この「公共の福祉」は極めて抽象的なものであるにしても、公の「利益」に重きがある言葉のはずだ。が、この抽象性をこそ、保守などが過去からずっと問題にしてきたものであって、自民党の改憲草案にこんな文面がある。
『自民党憲法改正推進本部は平成24年4月に「日本国憲法改正草案」を発表しているが、当該草案において「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」へ変更しており、』(ウィキペディアから)

 つまりこういうことだろう。河村氏は、己の感情を日本人の心と置き換えて、「公の秩序」が乱されたと述べている。
 これはおかしいと、僕は思う。「日本人の心」は「象徴天皇を今回のように冒涜してはならぬ」というものと認めて、これを「公の秩序」いや「公共の福祉」の定義に当てはめるべきなのか? 違うだろう。こんなやり方をすれば「日本人の心に合わない」とされた「表現」が全部弾圧されてしまう。これは全体主義ではないのか。憲法の立憲主義精神をば、一部政治勢力の「心」でもって表現の自由を制限することによって浸食して良いとする言い分なのではないか。


 河村市長は、南京虐殺問題でも誤った主張をした。宣戦布告のない中国の地において中国捕虜兵士を中心に最大20万人殺したというのは、既に歴史学的事実に近くなっている。日本軍が予期しなかったことなのだが、最初から殺す方針だった捕虜が大量になったという事実が存在したのである。そして当初方針通り、本当に、見つけた大壕に連れて行きそのあちこちに分けて密かに殺し、埋めてしまった。師団長ですら、この虐殺の自分が関わった一部しか知らぬというように秘密裏に行われたことだ。河村市長は初めおそらく「兵士殺しは当たり前、虐殺には入らぬ。民間人をそんなに殺すわけがない」と言いたかったのかも知れぬが、こんな捕虜殺しも大虐殺には違いない。それにしては彼は現在、この前言を訂正、謝罪したという話は聞かない。だからこそこの春、南京からのコロナ・マスクを受け取れなかった? 彼の立場でのこんなデマこそ、「公共の福祉」に反するものではないのか。中国人が嘘を言っているというのだから、国益を著しく害するデマでもあることだし。

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慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系

2020年08月06日 18時04分35秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 

 これも、今論争中のシンさんという右のお方に向けて、拙稿を再掲するものである。日本軍免罪どころか、賛美の傾向が彼に強すぎるように思うので当時の風潮を「右の方々お得意の不確かな伝聞ではなく、本物の歴史家が重視する一次資料でもって示したエントリー」である。慰安婦は、歴とした陸軍省の事業だったのだし、強制連行もあったということが、当時の政府文書で示されている。もっとも「このような強制連行は止めよ」という文章なのだが、軍の意図とは逆に「このような強制があった」という証拠になるものだろう。

 

【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』


 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】

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喜寿ランナーの手記(299) 今日は疲れた  文科系

2020年08月06日 16時16分55秒 | スポーツ

 白内障両目手術後28日目の今日、一昨日に続いて2回目のジムラン。30分2回で予定通り8・1キロ走った。前半がウオームアップ歩行も入れてジャスト4キロ、後半が4・1キロだったのだが、この後半はあまりないような疲労感を覚えつつ走っていた。1か月のラン・ブランク後に中1日で走るのがまだ無理な身体なのだろうが、何しろ後半は、一昨日とは打って変わった疲弊ぶりだったのである。
 スピードは結構出せるのだ。途中9・5キロ時でも長く走れたし、11キロ時でも2~3分は可能という感じだったから、不思議な疲労感だな思うばかりだった。
 多分、筋肉の強さは回復していても、毛細血管が半ばまだ縮んだままなのだろう。退院10日後からスクワット、階段往復などの補強運動は十分にやって来たが、心肺機能がまだまだということ。途中で、右足首が痛んで走法を変えたりしたのも、僕の弱点左脚に疲労がたまって蹴りが弱くなったからで、これも心肺機能の問題と捉えていた。でもまーこのスピードなら、中1日置きで走り1時間の距離を100メートルずつ延ばしていくというやり方が今は最適だと思っている。あとは、いつものこのやり方で1時間9・5キロ近くになっていった時に、もう一度プランを立て直すこととする。

 この秋、どれだけ行くだろうか、楽しみだ。168・5センチに体重は56キロ弱と、僕のベストより1キロほどは軽いのかな。夏はいつも軽くなるのだから、秋には例年通り57・5キロほどになるだろう。

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南京大虐殺の経過と史実  文科系

2020年08月05日 14時08分38秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 シンというお方が、南京大虐殺(南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記)について勉強して、一週間以内に反論してくるのだそうだ。ところで、無駄な議論を省くべく南京城包囲の前後経過についての僕の認識を予めここに書いておくことにする。2015年に所属同人誌に載せた旧稿の何回目かのここへの再掲になる。慰安婦問題ともども大事なものなので何度もここに載せてきたが、今後も折を見ては載せていくつもりの文章である。ここを訪れているはずの右の多くの方々が捨て台詞程度以外には何のまともな反論も出来なかったものだから、当初の2015年以来この本文はほとんど変えていない。ただ、中島今朝吾日記文章だけは、2017年3月にここに追加したものである。

 この中島今朝吾については、その後ウィキペディアなどの関連部分を読み直してみたが、立憲主義と国際民主主義者を自認する僕の目から見て相当な人物であると知ることが出来た。上官にも反対意見はどんどん言うし、中国侵略には最初から反対していたようだ。「軍の中国人への態度が悪すぎる」とも、何度か意見上申もしている。そういう人物のこの南京城攻略前後の日記は歴史学で言う第一次資料に近いとても貴重なものであって、後の売文家、特に近代史学者として己の学者生命を懸けている訳でもない人が述べることとは全く重みが違うものだ。なお、ウィキペディアには、第一次資料~3次資料の区別もなく、学問的には意味の乏しい人物の発言もごちゃごちゃという印象があった。歴史学者がその学者生命を懸けてものを言う場合なら特に、その材料となる歴史資料の価値こそ最重要になる。

 

【 南京虐殺の経過と史実  文科系 2019年11月28日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

『 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日 

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。 

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。】

 

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喜寿ランナーの手記(298) ラン再開  文科系

2020年08月05日 00時43分48秒 | スポーツ

 白内障両目手術から26日目、前回走行時からはちょうど30日の今日、ランを再開した。30分2回でジャスト8キロ、プラス、整理運動的走行時速8キロで1キロで合計9キロと難なくできて、極めて順調。長期ブランク時の一番の問題は心肺機能、心拍数なのだが、ちょっと高いだけ。例えば時速9キロで通常は150弱のところ、今日の最高時速であった9キロ時が155ほど、走行30分を超えると全体的にもう少し高くなる、という程度。ちなみに僕の一定持続心拍数は、165ほどだ。つまり、この程度の心拍数に抑えて走っていたからか、息苦しさも感じなかった。もっとも、汗はいつもよりずっと多くかいたけど。

 30日のブランクの後でこれだけ走れて、まず一安心。まだまだ俺の身体は走っていられるのだ、そんな実感。手術後10日くらいから始めた基礎体力回復・維持運動が、僕の身体に合っていて合理的であったと証明されたわけで、これが嬉しかったこと!

 サーこれから、いつものように1回につき1時間の合計距離で100mほどずつ距離を延ばしていくという、いつものやり方に入っていける。このやり方が心肺機能と筋力、つまりスピードを上げていく僕の方法なのだ。初めは最高11キロ時まで、インターバル高速も入れながら。

 ただ、今日も気をつけていたのだが、コロナ感染が不安。ジムには「消毒液+拭いタオル」のセットが置いてあって手を触れるところは全部拭うのだが、それでも心配。なんせ同人口当たりの日本のコロナ死者数は、中国はもちろん、韓国より高くなっているのだから。ほかの国比較で国民は公衆道徳も高く、勤勉実直なのに、無為無策の政治が情けない国である。国会も開かず、コロナで失敗したら政治の責任ではないと逃げるつもりなんだろう。

 

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「真珠湾」は,汚すぎる不法戦争  文科系

2020年08月04日 20時37分46秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 あまりに馬鹿馬鹿しい議論が続くから、旧稿を改めて再掲します。題して、「太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  文科系 2010年11月20日

しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』

 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』
 
(終わり)
 
 終わりと書いてありますが,もう一つ「番外編」があって、それが「天皇の開戦決意の瞬間」を描いたもの。「太平洋戦の右翼デマに(天皇、開戦決意の瞬間)  文科系 2010年11月22日」です。このエントリーの出し方,読み方は、こうします。右欄外の今月分カレンダーの下に「バックナンバー」欄がありますから、そこで「2010年11月」をスクロール・クリックして、次の面で「11月22日」をクリックすればよい。その日のエントリーが全部出ますから読めるのです。
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日本国憲法論争、ここの最先端?  文科系

2020年08月04日 13時59分05秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

  最近のシンさんとの論争の最新部分を、皆さんにもご紹介します。ここまで決めつけてくる。「日本国憲法は、恐怖政治そのものである」!? この意味が分かる人はいますか? 質問したけど,どんな回答があるのでしょう。
 

では一回に一つの質問で (シン) 2020-08-04 12:39:38
また、なにより大事なことは、日本国憲法が、日本国民の意思を無視して、アメリカに銃を突きつけられて生まれた憲法である事は、歴史的事実である。
立憲主義というなら、国民の手でつくられるべきあり、日本国憲法を立憲主義というのはおかしい。
日本国憲法は、恐怖政治そのものであることは、明白であると思う。

何にも知らんね! (文科系) 2020-08-04 13:34:28
 こんな馬鹿な質問を現憲法が出来た直後にやったら、頭がおかしいんじゃないかと,笑われるだけ。戦後の雰囲気を知らぬからこんな馬鹿を語る。
「朕思うに,満腹だ。汝臣民、飢えて死ね」
 お分かりのように,これは教育勅語を堂々と嘲笑っている。
 こんなスローガンが街に飛び交っていた時代だ。あれだけ国民を殺して何で貴方は生きているのだという雰囲気ですよ。こうして、あの時の新「国民」が既に、立憲主義で「天皇=臣民」体制に決着を付けているのです。戦犯を中心とした旧勢力など、アメリカ権力と関係なく恥ずかしくてものも言えなかった。だからこそ、あれから70年経ったいまだに安倍,自民党が改憲に手こずって来たというのが、貴方にどうして分からないのだろう? 
 貴方のような質問を80歳以上の普通の知識人にしたら、まず笑われること請け合いだ。僕の父は、海軍兵学校の教官でしたけど、やはり笑いますよ。

 ちなみに、これって、どういう意味?
『日本国憲法は、恐怖政治そのものであることは、明白であると思う』
 これに答える時も、余分なものは読ませないでね。僕が十分かつ親切に答えてくれる人だとは分かったはずだから、ちっとは気を遣いなさい。

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立憲主義論が、恐怖政治論に差し替えられた話   文科系

2020年08月03日 14時05分33秒 | 国内政治・経済・社会問題

 このブログでは最近、シンという方と僕との間で長い論争が続いて来た。その分量は、右欄外「コメント」欄のコメント記名を見ていただけば分かるが、日本の新旧二つの憲法とその原則との理解に関わる論争である。その最新の議論が煮詰まった部分を、ここの週累計アクセス4000端末ほどのお方にご披露し、一緒に考えあってみたい。ちなみに、ここの読者は、僕のようなリベラルもさりながら、9条改訂論者も多いから、ご披露の意味は大きかろう。互いの思考をより明晰に出来るという意味で。なお、僕の以下旧稿には、若干の補足をした。論旨が明晰になるように。

 

国民主権が僕の原則 (文科系) 2020-08-02 05:39:00
 僕らがどこでこれほど違うのかが、やっと分かってきました。以下のように語ればお分かり願えるかな。
 例えば、僕の考えでは貴方のお説は否定する。どこで否定するか。「天皇の地位は国民が決めるべし」という国民主権論からです。つまり「天皇(・臣民)」よりも、国民主権を国政の最上位に置くという考え方なのです。
 これはなにも、今の憲法があるから正しいとか、帝国憲法が有効だからちがうとか、そういったものではなく、国民主権を近代国政とその制度の根本原則だと考えているからです。ちなみに、国民主権を否定している大日本帝国憲法(特に第一条)だって、明治に作られたものです。国民主権原則からはこれには反対だと語ることもできるし、そもそもこれに従うべしという理由もありません。(以下略)

貴方の論理と僕の論理 (文科系)  2020-08-02 08:45:35
 もっと分かりやすく、貴方の論理を説明してみます。そこから、僕の論理も明らかになるのだから。
① 日本国憲法体系を無効とすれば、日本国家に残っているのは、大日本帝国憲法だけである。よって、日本は今でも天皇主権国家なのだから、「天皇は神聖にして犯すべからず」でさえ国民たる者、守らねばならない。これが貴方の論理?
② ①によれば、日本国憲法のような国民主権は、大日本帝国憲法と根本的に矛盾する。こういう両立しがたい両国家体制を前にした時、人はどういう立場を取りうるか。これについて僕はこんなことを考える。
③ 一つには、革命権という考え方がある。これが認められねば、古い国家体制と両立しがたい国家体制は絶対に生まれるべきではないとなるはずだ。が、現実世界では、君主制に対して共和制、民主制がどんどん生まれてきた。その時に人は、この革命権を唱えてきたかと覚えている。民の抵抗権という名の政治概念は、西欧ではすでに中世からあった。
④ 古い国家体制も人が作ったもの。神聖なものでもなんでもない。人が作ったものは、多数派になった人が覆せる。国民主権(による民主政体)とはそういうことなのだと思う。「天は人の上に人を作らず」と述べたら良いだろう。

国民の軍隊か?それとも天皇の軍隊か? (シン) 2020-08-03 02:21:21
>という考え方については、改めて、どう答えますか。お聞きしたいものです。
 という考え方というのは、国民と天皇が敵対関係にあるという考え方と受け取りました。私は、国民あっての天皇、天皇あっての国民という考え方です。あなたは、国民と天皇が敵対関係にあるという考え方と受け取りました。この場合、自衛隊を味方につけた方が勝利するのです。もしも、国会が自衛隊の廃止を決めたならば、天皇は、大喜びするでしょう。天皇は、自衛隊に国民に銃を向けるように命令し、自衛隊は喜んで従うでしょう。自衛隊を廃止しようとする総理大臣も国会議員もさぞや残酷な殺され方をするでしょう。銃さえ持っていないのに、最新装備に身を包んだ自衛隊と戦おうという人は、全体の何%でしょうか?おそらく99.99%の人が戦わないと思います。刃物で0.01%の国民が戦っても全滅しておしまいです。
アメリカが銃口を突きつけて改憲した日本国憲法が有効なのですから、天皇が銃口を突きつけて改憲する新憲法が有効である事は当然です。こうして、天皇主権の新しい憲法ができることになります。

とはいえ、ここで、こう言われると思います。聞いているのは、自衛隊の廃止ではなく、天皇の廃止だと。しかし、関連性はあると思うのです。自衛隊は、九条を維持する国民に嫌気が差しているし、自衛隊の忠誠心は天皇に向けられているからです。天皇の廃止を決めたなら、天皇は激怒するでしょう。自衛隊は天皇の側につくと思います。

天皇廃止を決めれば、負けるのは国民。日本は天皇主権の国としての新しい憲法がつくられます。

 独断が多すぎて・・・  文科系(今回ここに、初めて書いた文章)
 標記の独断とは、証明のない命題を指す。そして、こういう論争における証明とは、関連する世界史の実例や論理などを駆使して行うものだろう。ちょうど、明日の戦争の戦略・戦術は、過去の戦史や戦争諸論理から導き出してこそ、独断を免れて勝利できていくように。

①僕の考え方を「国民と天皇は敵対関係にある」とするものと語られた。②そこから、「僕らが自衛隊を廃止しようとしているのだから、天皇は大喜びで自衛隊を味方につけ、さらに③その自衛隊は9条国民に嫌気がさしているので天皇につく。よって、9条国民は「残酷な殺され方をする」から、④「天皇主権の国としての新しい憲法がつくられます」と結論された。

 さて、これらは全て乱暴すぎる「論理」というもの、貴方の推察に過ぎない。
① この「敵対関係」ってなんだろう。「残酷な殺され方」で相手を(天皇が)皆殺しにするようなそれとは? 歴史上古くはフランス革命のギロチンとか、近くはルーマニア元首のつるし首とかの逆を想定された? でも、真の国民主権にギリギリ平和裏に、黙って政権を明け渡した旧ソ連崩壊のような例もある。側面はちょっと違うが、第2次大戦後のイギリスは、世界の半分以上に及ぶその植民地を各国民に平和裏に委譲した。
②③ こういう政権移行に関わっては、軍隊がどちらにつくかが世界史上も常に決定的な問題だった。上のソ連の場合は結局、軍指導部ではなく国民の側についた。そのようにゴルバチョフ政権側が命令したからであって、文民統制が利いたゆえに旧政権首班ゴルバチョフは殺されはしなかった。こうして、「9条を守る国民には、自衛隊は必ず背を向ける」も、「天皇が自衛隊に皆殺しを命じる」も、独断というだけである。ちなみに、自衛隊幹部にも文民統制を信奉する幹部は多いはずだ。国会が自衛隊解散と決めたら、それに反乱を起こす幹部がどれだけいるのかを逆に訊きたいものだ。 
④ 以上すべてが不確かならば、④の結論は漏れの激しい瓶みたいなもの、決して水を貯めてはおけない。

 結論。こういう独断羅列の応対をなぜされたのだろう。それも、真摯に対応した僕のお応えには答えられずに。正直不思議なお答えだと申し上げるしかない。

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「対中革命輸出宣言」、米国務長官  文科系

2020年08月02日 14時28分18秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 7月下旬に米ポンペオ国務長官が酷い演説を連発している。要約すればこう言うものだ。以下の『 』内文章は現代ビジネス・ネット記事にあったポンペオ演説要約から転載したものである。

①今までのアメリカによる中国宥和政策は、誤りであった。今はもう、中国に外から革命を起こさせねば、ならない。
『もし今行動を起こさなければ、最終的に中国共産党は、われわれの自由を侵食し、われわれの社会が懸命に築き上げてきたルールに基づいた秩序をひっくり返すだろう。いまわれわれが膝を屈したら、孫たちは中国共産党の慈悲の傘下に下るかもしれない。それほど中国共産党の行動は自由世界にとって喫緊の挑戦だということだ』

②そのために世界各国は団結しよう。その団結をアメリカがリードする。
『そのためアメリカ単独では立ち向かえない。国連、NATO、G7、G20など、われわれの結合した経済力と外交力、軍事力によって、明確に大きな勇気を持って指針を示していけば、この挑戦に必ずや、十分対処していける。おそらく、志を同じくする国々が、新たな民主の同盟を作る時なのだ。
 自由世界が変わらなければ、共産中国が確実にわれわれを変えてしまうだろう。
 中国共産党から自由を守ることは、われわれの時代の使命である。そしてアメリカは完全に、これをリードしていく』

 これは完全な国連憲章違反、よって世界平和を根本から乱す方向の呼びかけと言える。今の時代にこんな国際的無法言動に走るアメリカは、戦前の日独とほとんど同じと言いたい。日独は侵略戦争を始めてから当時の国連を脱退したが、アメリカは国連にとどまって世界2番目の大国への侵略を行うつもりなのだ。戦争による他国家転覆と革命の輸出による転覆とは、結局同じものだからである。自分の気に食わぬ、あるいは潰すと利益になる国家を潰すという意味において同じということだ。流石に、今や国連総会採決などではすっかり少数派になって嫌われてしまったから、国連無視ばかりを続けてきたアメリカだけのことはあるが、とうとうここまで国際的無法国家に墜ちてしまった。

 ただし、元CIA長官ポンペオがこんな演説を何度やっても、アメリカのこの呼びかけに本気で付いていく国は金融立国イギリス以外にはサウジも含めてほとんどないだろう。対イラン参戦国募集にも応募はほとんどなかったし、対ベネズエラ参戦国募集では、コロンビア、ブラジルなど南米の親米国にすら反対されたのである。「イラク戦争のように嘘の理由をでっち上げてまで、各国を戦争に巻き込んできた国だ」と警戒されているのは当然のことだが、アメリカの今後の対中言動、動向をばじっくりと見つめていく必要があると、僕は考えている。

「今度はどんな嘘をついて対中トラブル、言い掛かりを起こしていくのか?」

 アメリカ当局は、こんな暇があったらコロナ鎮圧に走り回るが良いのである。アメリカ金融が散々荒らし回ったはずの超格差大国にして大の親米であるブラジル現政権とともに、世界最悪のコロナ被害(放置)国ではないか。「国政で最も大切な国民の命すらこのように、放置して殺している」反民主主義国にして、「世界の自由と民主主義のためにリードする」などとは、片腹痛いだけの話。これでは一体、この国の国防とは何を守るのか。

「国民の命を最も守れていない国が、世界の自由と民主主義の旗手面などするな」  

「自由と民主主義の泥を落とすべく他人の身体を洗うよりも、汚すぎる自分の尻を拭け」

 

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「大東亜共栄圏」信奉論者を嗤う  文科系

2020年08月01日 09時13分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

  昨日、標記のことで二つのコメントを書いた。一つは、当ブログ拙稿『大東亜共栄圏という言葉の嘘 2020年07月29日 』に。今一つは、僕が愛読しているうちに友人のような積もりになっているあるお方のブログのあるエントリーに。以下にそれぞれを転載して、若干のコメントを付けたい。「大東亜共栄圏」等という言葉が、少なくとも当時の日本や朝鮮半島の政治体制を知っている他アジア知識人には通用するわけもない全く独り善がりなものなのであった。そんな言葉でもってあの戦争の大義名分が内外に示されると考えていた当時の日本国家って、独り善がりを通り過ぎた愚か者と違うかとさえ思うのである。以下に、その訳、証明を書いた積もりだ。特に日本は、こんな独り善がり用語で他のアジア人を結集できると考えるほどに主観主義だったからこそ、アメリカの出方、その爆発力を見誤ったのだろう。流石に、政治を知らず、分からぬ軍人国家である。

『 大東亜戦争の項ですから、シンさんにもう一つご質問。しっかり答えて下さいね。
 大東亜共栄圏の中に入った諸国民はどうなるのでしょう。みんな国民ではなく日本天皇の臣民ですよね。天皇の醜の御楯(シコノミタテ)だ。そんな人生に換わるのをアジアの人々が喜んだでしょうか。「西欧に征服されていた植民地国などは、喜んで臣民になった」って?
 他方、日本はアメリカに占領されて、日本国民は醜の御楯から解放されたわけですよ。これによって、どれだけ日本人の幸せが増進したかって思いません? これにも是非お答えをお願いいたします。』

『 重ねて、一言。
 日本では太平洋戦争見直し論議が盛んですが、これも政治右傾化の翼賛論議なのであって、最も肝心な点を一言。

 日独は、それぞれ天皇制と、狂気に近い人類淘汰思想から出たユダヤ人殺しの国。前者が占領した地域の国民は、国民ではなく準臣民ですよね。朝鮮半島を見れば分かるとおりに。それらが世界にも分かっているから、1941年初めのようにヨーロッパがドイツに征服されるかも知れないという情勢にアメリカが手をこまねいているはずがなかったのだ。ドイツが(ヨーロッパ戦線で)勝てば、次は「雑多な劣等民族国」アメリカも滅ぼされると、当時の米知識人なら皆考えましたよ。つまり、モンロー主義など、通せる訳がなかった。
 ちなみに、有名な1940年後半の「バトル・オブ・ブリテン」にヨーロッパ中の国々の民主主義人士がはせ参じて、かろうじてドイツによる征服を凌ぐことが出来たのも(ヒトラーはイギリスに降伏勧告を出していました)、そういうユダヤ人殺しの反国際民主主義勢力から民主主義を守るという大義名分が勝ったということでしょう。
 日独が世界を征服する瀬戸際まで行っていて、これを英米ソが中心になって食い止めたのは、正義が勝ったとは言いませんが、とにかく相手側が勝つ世界に比べたら日本国民も含めて、どれだけ良かったことかとは今よく思いますね。』

 

 ネット右翼諸氏には、細かい「太平洋戦争見直し論」などの何よりもまず、上の質問にこそ答えてほしいものと、いつも考えてきたところです。さらには、もし独日がアメリカをも負かしたら、次は、握った西欧の全軍事力を挙げたドイツによって、日本が、滅ぼされたことでしょう。ヒトラー流人類淘汰思想から見たら、日本など「劣等民族」も良いところだったのでしょうから、「人類の進歩のために犠牲になっていただきます」ということ。ドイツと組んで他を負かすということは、その最終結末が日本にもこのように及ぶということを考えたのかどうか、あの天皇・軍人国家は結局馬鹿ですね。 

 

コメント (14)
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