別宮貞徳「日本語のリズム 四拍子文化論」ちくま学芸文庫(2005)
もともとは,講談社現代新書(1977).
「色は匂へど 散りぬるを」「夏草や つはものどもが 夢の跡」―日本語の韻文の基本は七五調とされている.しかし、声に出して心地よく耳にしっくりくるこの七五調の基盤には,ことばの切れ目と間から生まれる4拍子のリズムがある...というのが著者の主張.
たとえば「夏草や...」は,xを休拍とし,二字を一拍と数えると
なつくさやxxx
つはものどもがx
ゆめのあとxxx
となり,4/4拍子3小節になる...というのだ.ぼく的には「つはものどもが」と「ゆめのあと」は切らずに一息で読んでしまう方が自然に思える,
20年くらい前に,山下洋輔氏が「俳句」という曲を盛んに演奏していた...と思ったらこのごろまた演っているらしい.
ダダダダダx
ダダダダダダダx
ダダダダダx
というリズムをモチーフにしたもので,この場合は6-8-6拍子というのが適切だろう.
と言うような茶々は入れずに,素直に読めばおもしろい.でも,そう簡単に割り切れるものではないという思いは最後までついてまわった.
日本語は二拍子,英語は三拍子という例に,日本人の二拍子
「しん・ばし」,「しな・がわ」,「かわ・さき」
が英語圏の外人はむりやり真ん中をのばして
「しん・ばー・し」,「しな・がー・わ」,「かわ・さー・き」
と三拍子にするというのがあった.
ぼく自身は,英語のうたの歌詞と音符の割付けが日本語のうたとは全く違うことから,日本語というのはへんなコトバだと思うにいたったような気がする.
「さすが」と言おうか「やっぱり」と言おうか.本書のテーマに類したことには,寺田寅彦も関心があったそうだ.
安西徹雄の解説のタイトルは「挑発に満ちた刺激的な日本語論」だ.ぼくも刺激されてみようと思います.
もともとは,講談社現代新書(1977).
「色は匂へど 散りぬるを」「夏草や つはものどもが 夢の跡」―日本語の韻文の基本は七五調とされている.しかし、声に出して心地よく耳にしっくりくるこの七五調の基盤には,ことばの切れ目と間から生まれる4拍子のリズムがある...というのが著者の主張.
たとえば「夏草や...」は,xを休拍とし,二字を一拍と数えると
なつくさやxxx
つはものどもがx
ゆめのあとxxx
となり,4/4拍子3小節になる...というのだ.ぼく的には「つはものどもが」と「ゆめのあと」は切らずに一息で読んでしまう方が自然に思える,
20年くらい前に,山下洋輔氏が「俳句」という曲を盛んに演奏していた...と思ったらこのごろまた演っているらしい.
ダダダダダx
ダダダダダダダx
ダダダダダx
というリズムをモチーフにしたもので,この場合は6-8-6拍子というのが適切だろう.
と言うような茶々は入れずに,素直に読めばおもしろい.でも,そう簡単に割り切れるものではないという思いは最後までついてまわった.
日本語は二拍子,英語は三拍子という例に,日本人の二拍子
「しん・ばし」,「しな・がわ」,「かわ・さき」
が英語圏の外人はむりやり真ん中をのばして
「しん・ばー・し」,「しな・がー・わ」,「かわ・さー・き」
と三拍子にするというのがあった.
ぼく自身は,英語のうたの歌詞と音符の割付けが日本語のうたとは全く違うことから,日本語というのはへんなコトバだと思うにいたったような気がする.
「さすが」と言おうか「やっぱり」と言おうか.本書のテーマに類したことには,寺田寅彦も関心があったそうだ.
安西徹雄の解説のタイトルは「挑発に満ちた刺激的な日本語論」だ.ぼくも刺激されてみようと思います.