六甲山荘というのは,「関学の」六甲山荘,「サントリーの」六甲山荘等々,六甲には数多い,先週末行った六甲山荘には「ヴォリーズ」という枕詞が必要.これは現在はNPO法人が管理していて,ボランティアの方が,こちらが恐縮するくらい丁寧にご案内して下さった.
http://homepage3.nifty.com/amenity2000/newpage121.html
六甲には初めて.三宮から電車・バス・ケーブル・バス・徒歩と,かなり不便だが,ケーブルは面白かった.
ヴォリーズ 1880-1964 はアメリカ生まれだが,彼の建築は日本各地にかなり残っている.この六甲山荘は1934年竣工.1947年に持ち主の家族が避暑しておられるセピア色の写真が飾ってあった.この頃といえば,ひもじかったことしか記憶にないが,こういう人種もおられたのか...
うっそうとした林の小径を行く南からのアプローチはやや陰気.これはいただいたパンフレットにもあった間取り図.避暑用なので南面の開口は小さく,北面が解放されている.うまく風が吹き抜けてとても涼しい.
南側に三つ並んだ寝室(現在は展示室)の双方からトイレに行ける構造が面白い.あちこちにちょこまかと収納があったり,引き戸がすっぽり壁に隠れたり...住む人の身になった設計.台所は70年も前に出来たのにシステムキッチン風.昭和初期はどうだったか分からないが,今の日本人の生活スタイルにはぴったりかも.
南側の和室は女中部屋,北側のふたつの和室は管理人用だったとのこと.このへんは五右衛門風呂とともに,戦前の生活の名残り.
8月3日まで茗荷恭介作品展開催中.
話題が六甲山荘と離れるが,茗荷さんのお話によれば,メンソレータム(メンターム)はヴォリーズが設立した現・近江兄弟社の製品.近江兄弟社学園の幼稚園の茗荷さん設計の遊具についている滑り台は,晩年ヴォリーズが寝たきりになったときに,自宅の二階から布団に寝たままで滑り降りるのに使った(あるいは使おうとした)ものだそうです.
http://homepage3.nifty.com/amenity2000/newpage121.html
六甲には初めて.三宮から電車・バス・ケーブル・バス・徒歩と,かなり不便だが,ケーブルは面白かった.
ヴォリーズ 1880-1964 はアメリカ生まれだが,彼の建築は日本各地にかなり残っている.この六甲山荘は1934年竣工.1947年に持ち主の家族が避暑しておられるセピア色の写真が飾ってあった.この頃といえば,ひもじかったことしか記憶にないが,こういう人種もおられたのか...
うっそうとした林の小径を行く南からのアプローチはやや陰気.これはいただいたパンフレットにもあった間取り図.避暑用なので南面の開口は小さく,北面が解放されている.うまく風が吹き抜けてとても涼しい.
南側に三つ並んだ寝室(現在は展示室)の双方からトイレに行ける構造が面白い.あちこちにちょこまかと収納があったり,引き戸がすっぽり壁に隠れたり...住む人の身になった設計.台所は70年も前に出来たのにシステムキッチン風.昭和初期はどうだったか分からないが,今の日本人の生活スタイルにはぴったりかも.
南側の和室は女中部屋,北側のふたつの和室は管理人用だったとのこと.このへんは五右衛門風呂とともに,戦前の生活の名残り.
8月3日まで茗荷恭介作品展開催中.
話題が六甲山荘と離れるが,茗荷さんのお話によれば,メンソレータム(メンターム)はヴォリーズが設立した現・近江兄弟社の製品.近江兄弟社学園の幼稚園の茗荷さん設計の遊具についている滑り台は,晩年ヴォリーズが寝たきりになったときに,自宅の二階から布団に寝たままで滑り降りるのに使った(あるいは使おうとした)ものだそうです.