国枝史郎「神州纐纈城」講談社(大衆文学館 1995/3).
古書市で求めた一冊.著者 1887-1943 が 1925-26 に雑誌「苦楽」に連載した未完の作.1943 春陽堂から出版されたきりで忘れられていた.その後一時 1970 年代の異端文学ブームで評価されたことは記憶している.
読んでいて連想したのは伝奇SFといったジャンルだったが,この文庫本には半村良の巻末エッセイがあり,的確な人選.半村はこの中で連載で締め切りに追われながら行き当たりばったりに書くことがこの種の小説の魅力の源泉と言っている.「神州...」でも登場人物たちが勝手に動きだす.読者としては人物が多すぎ記述がぶつ切れで,感情移入がしづらい.勧善懲悪どころか,善玉・悪玉も判然としなくなる.それどころか何が善で何が悪か,何が快楽で何が苦痛かももわからない.わけがわからなくなって,著者は未完のままに放り出したらしい.
国枝自身は自作をジャズのアドリブになぞらえたというが,フリージャズだろうか.ふつうのジャズは落としどころが決まっている.
ストーリーが自己増殖するところは「大菩薩峠」に通じるところがある.
カタカナのオノマトペ,体言止めが多用されたえげつない文体は,よく言えば,リズムがあって心地よい.
纐纈城には人血で布を赤く染める工場があり,その城主は奔馬性癩患なる業病の持ち主ということになっている.21 世紀の日本のモラルでは出版できない設定だ.
巻末の末國善己の「人と作品」の文章を借りれば,登場人物はもとの身分を離れ,流離を続けながら互いに邂逅離散を繰り返す.これは江戸時代の封建制度の否定だが,執筆当時のアナーキズムにも通じている.国枝は早稲田大学で小川未明の「青鳥会」に参加していたという.
国枝作品の大部分は青空文庫で無料で読める.